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日本のパラスキー選手、政治家 (1972-) ウィキペディアから
横澤 高徳(よこさわ たかのり、1972年3月6日[1] - )は、日本の政治家、元パラリンピック選手[2]。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。
岩手県紫波郡矢巾町生まれ[3]。矢巾町立不動小学校、矢巾町立矢巾中学校卒業[1]。
1990年3月、岩手県立盛岡工業高等学校卒業。同年、テストライダーとしてスズキに就職。1995年にモトクロス国際A級ライセンスを取得[4]。全日本モトクロス選手権などに参戦。
1997年、練習中の事故で脊髄を損傷。車いす生活となる。
リハビリ中に出合ったチェアスキーに魅せられ、2010年バンクーバーパラリンピックにアルペンスキー日本代表として出場した[2]。
2019年2月1日、日本共産党・自由党・社会民主党・国民民主党の4党県組織の会合で、自由党が横澤を次期参院選岩手県選挙区の統一候補に推薦。この時点で共産党と社民党への根回しは終わっており、2月18日に3党は正式に横澤擁立を決定した。一方、国民民主党県連はこれに反発し、2月19日に同党県連の階猛代表代行は「私たちの建設的な提案が一顧だにされないまま結論に至り、甚だ遺憾」と述べた[5]。階らは黄川田徹元衆議院議員の擁立を主張しており、国民民主党の玉木雄一郎代表は自由党の小沢一郎代表に対し、候補者の再調整を要請。4月18日に小沢は共産党の志位和夫委員長、社民党の又市征治党首と個別に会談し、人選を白紙に戻すよう打診したが、拒否された。小沢自身も本心では再調整に消極的であったとされる[6]。その後も調整は進まず、最終的に5月11日に国民民主党県連は黄川田の擁立断念を発表し、黄川田・階らは参院選の候補者調整や国民民主党と自由党の合併への反対を理由に離党の意向を示した[7]。
その後横澤は国民民主党と立憲民主党の推薦を得て、7月21日に行われた第25回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区(改選数1)から無所属で立候補。自民党現職の平野達男を破って初当選。平野達男は民主党から自民党に転向した事への有権者の不信感を払拭しきれず、県内全33市町村のうち24市町村で上回ったものの、県都盛岡市で約1万5千票も引き離されたことが痛手となり、横澤に敗れた[8][9]。
同年7月23日、横澤は国民民主党に入党すると発表し[10]、翌24日に入党が承認された[11]。
2020年9月15日、旧立憲民主党・旧国民民主党などが合流し、新「立憲民主党」が結成される[12]。横澤も新党に参加。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で立憲民主党は議席を「109」から「96」に減らし、11月2日、枝野幸男代表は引責辞任を表明[13]。枝野の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では泉健太の推薦人に名を連ねた[14]。12月19日、立憲民主党岩手県連の代表に選任された[15]。
2023年10月12日、2022年の第26回参議院議員通常選挙岩手県選挙区で現職の木戸口英司が落選したことや9月の県議選選で目標としてきた過半数獲得と新人候補全員の当選を達成できなかったことの責任を取り、岩手県連の代表を辞任した[16]。
公私にわたる車椅子生活の介助のため長男を第一秘書にしている[17]。
2024年(令和6年)6月15日現在[18]
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