大野元裕

日本の外交官、政治家、公選第20・21代埼玉県知事 (1963-) ウィキペディアから

大野元裕

大野 元裕(おおの もとひろ、1963年昭和38年〉11月12日 - )は、日本外交官政治家埼玉県知事(第61・62代)。学位修士国際大学1989年)。無所属[1]

概要 生年月日, 出生地 ...
大野 元裕
おおの もとひろ
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内閣府より公表された肖像
2020年 撮影)
生年月日 (1963-11-12) 1963年11月12日(61歳)
出生地 日本 埼玉県川口市
出身校 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
国際大学国際関係学研究科修士課程修了
前職 財団法人中東調査会研究員
ゼネラルサービス専務
日本テレビ・ニッポン放送コメンテーター
参議院議員
所属政党民主党→)
民進党国軸の会→)
国民民主党→)
無所属
称号 修士(国際大学・1989年
親族 父・大野元昭(実業家)
祖父・大野元美(元川口市長
曽祖父・大野元次郎(元川口市議会議員
サイン Thumb
公式サイト 大野もとひろ 埼玉県知事公式サイト

第61-62代(公選 第20-21代)
埼玉県知事
当選回数 2回
在任期間 2019年8月31日 - 現職

選挙区 埼玉県選挙区
当選回数 2回
在任期間 2010年7月26日 - 2019年8月5日
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参議院議員(2期)、財団法人中東調査会研究員、外務省国際情報局分析第二課専門分析員、在ヨルダン大使館一等書記官、在シリア大使館一等書記官、株式会社ゼネラルサービス取締役統轄本部本部長、財団法人中東調査会上席研究員、株式会社ゼネラルサービス専務取締役内閣府大臣政務官防衛大臣政務官などを歴任した。

来歴

要約
視点

生い立ち

埼玉県川口市生まれ。ライオンズクラブ国際理事や大野電機鋳造所社長を務めた大野元昭の長男として生まれる[2][3]

川口市立朝日東小学校明治大学付属中野中学校慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。国際大学国際関係学研究科中東地域研究専攻)修士課程修了[4]1989年4月に外務省に入省し、在イラク日本大使館専門調査員1990年より在アラブ首長国連邦日本大使館専門調査員。1993年から2年間、財団法人中東調査会研究員を務める。その後も外務省国際情報局分析二課専門分析員、在カタール日本大使館専門調査員、ヨルダンシリアの日本大使館で書記官を務めた。また1989年から国際大学中東研究所非常勤研究員を務めたほか、東京大学教養学部青山学院大学大学院でも非常勤講師、日本テレビのコメンテーターを務め、2005年より5年間、防衛省防衛戦略委員会委員。ニッポン放送のコメンテーターとしても活躍。

政界へ

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防衛大臣政務官着任時に栄誉礼を受ける(2012年10月4日)
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防衛大臣政務官離任時に栄誉礼を受ける(2012年12月27日)

2010年第22回参議院議員通常選挙民主党公認で埼玉県選挙区(定数3)から立候補[5]。民主党は埼玉県選挙区で現職の島田智哉子と新人の大野の2人を擁立し、序盤では島田、自由民主党関口昌一がトップ当選を争い、公明党西田実仁、大野が追う展開だったが[6]、大野が得票数3位で初当選。一方の島田は約1万票大野に及ばず、次点で落選した[7]

2011年8月26日、菅直人首相が民主党代表を辞任することを正式に表明[8]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日実施)では鹿野道彦の推薦人に名を連ねた[9]

2012年10月1日野田第3次改造内閣内閣府大臣政務官に任命され、10月2日には防衛大臣政務官にも任命された。12月16日の第46回衆議院議員総選挙で民主党は議席を「231」から「57」に減らし、野田佳彦代表は同日夜、引責辞任を表明[10]。野田の辞任に伴う代表選挙(12月25日実施)では馬淵澄夫の推薦人に名を連ねた[11]

2015年1月の民主党代表選挙では、元幹事長細野豪志の推薦人に名を連ねた[12]が、細野は決選投票で岡田克也に敗れた[13]

2015年埼玉県知事選挙に際し、埼玉県知事の任期を連続3期までとする多選自粛条例を自ら制定していた上田清司知事らが大野の擁立を模索し、一時は大野側も知事選への立候補に意欲を示していたが、埼玉県内の自治体の首長らの支持が得られず、最終的に立候補を断念した[14]。なお、知事選は多選自粛条例を破る形で4選へ向けて立候補に踏み切った上田が当選した[15]

2016年第24回参議院議員通常選挙民進党公認で埼玉県選挙区で再選。

2017年7月27日、民進党代表の蓮舫が、同月の東京都議会議員選挙の結果を受けて辞任を表明[16]。蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた[17][18]

同年10月27日、民進党代表の前原誠司が、同月の衆院選で党を分裂させる形で戦う原因をつくったことについて陳謝し、引責辞任を正式に表明[19]。前原の辞任に伴う代表選挙(10月31日実施)では大塚耕平の推薦人に名を連ねた。

2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加[20]5月8日、国民民主党の財務局長に就任した[21]

埼玉県知事選挙に出馬へ

2019年6月5日、記者会見を開き、同年の埼玉県知事選挙への立候補を表明[22]。同月18日に国民民主党に離党届を提出し[23]、26日に受理された[24]。その後、第199回国会が召集された同年8月1日に参議院議員の辞職願を提出した[25][26]。大野の辞職願提出がこの日になった理由として「参議院議員通常選挙中は議員の半数が欠ける状況となるので、(突発事態が発生した場合など)危機管理上問題があった」ためだったという[25]。8月5日付で辞職が許可された[27]。選挙戦では「上田県政の継承と発展」を前面に掲げて挑んでおり、前知事である上田清司も応援団長として協力した[28][29]8月25日の投開票の結果、自由民主党公明党が推薦するスポーツライター青島健太ら4候補を破り、初当選を果たした。選挙終盤まで接戦が報じられ、青島86万6021票に対し、大野92万3482万票と僅差での当選であった[注釈 1]。なお上田は大野の辞職に伴う補欠選挙に立候補し当選、参議院議員に転出したが、大野が参院選の公示前に辞職した場合は第25回参議院選挙の際に埼玉県選挙区の定数を増員する形で合併選挙として行われていたため、参院転出は事実上不可能となっていた。

2019年8月31日、埼玉県知事に就任[30]

2023年8月6日に投開票が行われた埼玉県知事選挙で再選を果たした[31][32]

政策・主張

参議院議員時代の政策・主張

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防衛大臣政務官就任に際して公表された肖像写真

埼玉県知事としての公約・政策

所属団体・議員連盟

人物

家族・親族

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曽祖父・元次郎『川口市制三週年紀念写真帖』(1935年)より

家族は妻、子供3人。祖父は元川口市長大野元美[4]。曽祖父は元川口市会議員の大野元次郎

出演

著書

単著

  • 『「今の中東」がわかる本――ベールに包まれた国々の「素顔」』(三笠書房[知的生き方文庫]、2007年)

共・編著

  • 大野元裕・山内昌之『イラク戦争データブック――大量破壊兵器査察から主権移譲まで』(明石書店、2004年)
  • 福田安志編『GCC諸国の石油と経済開発――石油経済の変化のなかで』(アジア経済研究所、1995年)
  • 森本敏編『イラク戦争と自衛隊派遣』(東洋経済新報社、2004年)
  • 立山良司編『「対テロ戦争」から世界を読む』(自由国民社、2005年)

監訳

  • チャールズ・トリップ『イラクの歴史』(明石書店、2004年)

脚注

関連項目

外部リンク

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