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東日本旅客鉄道・西日本旅客鉄道が運行していた特別急行列車 ウィキペディアから
北越(ほくえつ)は、日本国有鉄道(国鉄)や東日本旅客鉄道(JR東日本)、西日本旅客鉄道(JR西日本)が大阪駅・金沢駅 - 新潟駅間等を北陸本線・信越本線経由で運行していた特急列車である。
北越 | |
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485系3000番台で運行の「北越」 (2014年9月) | |
概要 | |
種類 | 特別急行列車 |
現況 | 廃止 |
地域 | 大阪府・京都府・滋賀県・福井県・石川県・富山県・新潟県 |
前身 | 特急「白鳥」 |
運行開始 | 1969年10月1日 |
運行終了 | 2015年3月13日 |
後継 |
新幹線「はくたか」 特急「しらゆき」 |
旧運営者 |
日本国有鉄道(国鉄)→ 西日本旅客鉄道(JR西日本) 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
路線 | |
起点 | 金沢駅 |
終点 | 新潟駅 |
営業距離 | 313.5 km(金沢 - 新潟間) |
運行間隔 | 5往復 |
使用路線 |
JR東日本:信越本線 JR西日本:北陸本線 |
車内サービス | |
クラス | 普通車・グリーン車 |
技術 | |
車両 |
485系電車 (新潟車両センター) |
軌間 | 1067 mm |
電化 |
直流1,500V(新潟 - 梶屋敷間) 交流20,000V・60Hz(糸魚川 - 金沢間) |
運行速度 | 最高120 km/h |
1969年10月に大阪駅 - 新潟駅間(東海道本線・北陸本線・信越本線経由)で臨時列車として運転を開始した特急列車で、1970年3月には定期列車に格上げされた。1975年3月には湖西線が開業したことにより経由路線が変更された。
1978年10月に北陸方面の特急列車の運転系統の見直しにより、大阪駅発着の列車を「雷鳥」の愛称としたため、一時、金沢 - 新潟間の区間運転の1往復のみとなった。しかし、上越新幹線開業を機に「はくたか」が長岡を境に系統分割されるようになったため再び「北越」の本数が増加した。一時期は、「白鳥」(急行「しらゆき」格上げによる増発分)の系統分割によって福井駅まで運転されていたときもあったが、主に金沢駅発着として北陸・新潟地方の相互間を結ぶ役割を担うようになった。
2001年3月には大阪駅発着の「雷鳥」「サンダーバード」の運転系統の整理に伴い、大阪駅 - 新潟駅間の「雷鳥」2往復と「白鳥」が廃止され、金沢駅 - 新潟駅間運転の昼行特急は「北越」に一本化されたが、北陸新幹線開業に伴う北陸本線金沢駅 - 直江津駅間第三セクター化により廃止となった。
運行終了日である2015年3月13日現在の運行概況は次の通り[1]。
全列車が金沢駅 - 新潟駅間の運転で、5往復10本が運転されていた。金沢駅発は奇数、新潟駅発は偶数であった。 本数が少なかった理由としては、当列車の運行区間のうち金沢駅 - 直江津駅間においては「はくたか」が高頻度で運行されていたこと[注 1]、また直江津駅 - 新潟駅間においては快速「くびき野」が補完的に運転されていたことで同区間の需要を満たせていたことがいえる。
金沢駅 - (津幡駅) - (石動駅) - 高岡駅 - (小杉駅) - 富山駅 - (滑川駅) - 魚津駅 - (黒部駅) - (入善駅) - (泊駅) - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 柿崎駅 - 柏崎駅 - 長岡駅 - 見附駅 - 東三条駅 - 加茂駅 - 新津駅 - 新潟駅
新潟駅 - 金沢駅間 上り 3時間37分 - 42分 下り 3時間39分 - 45分
北越 | ||||||||||||||
← 金沢 新潟 →
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485系
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JR東日本の新潟車両センターに所属する485系電車(1000番台主体のT編成および3000番台のR編成)6両編成が使用されていた。主にリニューアル車(3000番台)か1000番台(いわゆる「上沼垂色」)またはT18編成、ごく稀にK1・2編成で運転されることもあった。
485系1000番台のうち、K編成の全車両とT編成中間の座席指定席車には座席を3000番台のものに取り替えた車両を編成に組み込んでいる場合がほとんどである。自由席車は従来の簡易リクライニングシートのクッションをバケットタイプに交換した車両と元「雷鳥」編成のデラックス車が含まれ、これに座席のみデラックス車と同等で座席部のハイデッキ化や座席の前後間隔拡大などはされていない車両も存在する。
JRにおける在来線特急列車の英語表記は「Limited Express」であるが、485系3000番台の車内LED式案内表示器では新幹線特急列車を指す「Super Express」が表示される。また3000番台の前面LED式ヘッドマークでは、日本海の波模様がアニメーションで表現される。
一部列車において、日本レストランエンタプライズ (NRE) による車内販売が行われていた[2]。かつては、北陸トラベルサービスによる販売担当もあった。
1961年10月に運転を開始した急行列車で、石川県と新潟県を結ぶ役割を担う列車として金沢駅 - 新潟駅間で運転を開始した。従来、北陸地方の都市間の連絡列車としては「北陸」など上野駅 - 大阪駅間の列車や、「日本海」など日本海縦貫線直通列車が担っていた。しかし、必ずしも効率的な運用がなされないことや、同日に特急「白鳥」の運転を開始したが、当時の「白鳥」は新潟駅を経由しなかった[注 2]ためその補助の役割を担っていたことが背景に挙げられる。
キハ58系が使用され、雪の結晶がデザインされた大型のヘッドマークを取り付けて運転されていた。1963年に大阪駅 - 新潟駅間に運転区間が延長され、大阪駅 - 金沢駅間では「奥能登」と併結された12両編成で運転を行っていた。
1968年10月に大阪駅 - 青森駅間の夜行急行に「きたぐに」の名称が使用されることにより、大阪駅 - 新潟駅間の「きたぐに」は「越後」を名乗ることになった。
「白馬」(はくば)は、北陸と信州を結び、新たな観光需要の開発を目的として1971年7月から1975年3月まで運転された急行列車で、当初は臨時列車であったが、利用客が見込めると判断されて1972年3月に定期列車化された。金沢駅 - 糸魚川駅間は「しらゆき」と併結運転されていたが、観光客を中心に人気が高い列車で、1972年に糸魚川発信濃大町行きの季節列車も運転されていた。
しかし、1982年に併結運転していた「しらゆき」が「白鳥」に統合されるのと同時に「白馬」も廃止され、大糸線全線を走行する優等列車は廃止されることになった。
なお「白馬」の列車愛称は、1950年代から1960年代にかけて「首都圏と長野県を結ぶ列車」に使用されている。
1988年3月13日に金沢駅 - 長岡駅間で運転を開始した。列車名は公募によって決定された。「北越」の速達列車として位置付けられ、途中停車駅は抑えられており、高岡駅・富山駅・魚津駅(一部のみ)・直江津駅のみに限られていた[3]。1991年3月より福井駅 - 長岡間[注 3]の列車が、1992年3月より、和倉温泉駅 - 長岡間[注 4]の列車がそれぞれ1往復登場した。車両は金沢運転所所属で、シートピッチを拡大するなどのグレードアップ改造を施した専用塗色の485系が使用され、普通車のみの4両編成であるが、全車座席指定席で自由席は連結されていなかった。1990年3月に6両編成化され、1991年3月に1号車にグリーン車が連結され、1992年3月に6号車が自由席化された。ヘッドマークは「かがやき」に小文字で「スーパー」の文字が併記されていた[3]。長岡駅では上越新幹線「あさひ」に接続するように考慮されたダイヤで、金沢駅 - 上野駅間は4時間10分に大きく短縮された。最高120 km/h運転でありながら線形が良いこともあって表定速度は高く、最速達列車で101.5 km/h[注 5]に達するほか、6往復体制となった1992年以降は12本中10本が金沢駅 - 長岡駅間で100 km/hを超えていた[3]。特に富山からの利用が多かった[3]。
「かがやき」の運行開始と同時に、東海道新幹線に接続する「加越」の速達列車として、「きらめき」も運転を開始している。
1997年に北越急行ほくほく線経由の「はくたか」の登場に伴い、廃止された。
なお「かがやき」の列車愛称は、2015年3月14日に長野駅 - 金沢駅間が開業した北陸新幹線の最速達列車の列車名として復活した[5][6]。
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