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日本の女優 ウィキペディアから
大阪府大阪市出身[3][5]。宝塚音楽学校卒業[1]。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。公称身長154cm。
幼少時に父を亡くし、母子家庭で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた[7][5]。
聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に宝塚歌劇団34期生として合格し、1947年にとして宝塚歌劇団入団[5][注釈 1]。宝塚入団時の成績は50人中19位[8]。入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、人気を博した[5]。以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡、同年から劇団内に新設された映画専科に所属した。1951年の『虞美人』、1952年の『ジャワの踊り子』にも出演している。
宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており[注釈 2]、当時の「お嫁さんにしたい有名人」の統計で、たびたび首位に輝いた[1]。
1957年5月31日付[8]で歌劇団を退団。最終出演公演の演目[8]は花組公演『みにくい家鴨の子/王春讃歌』。 退団後は東宝と専属契約を結んだ後、フリーとなった[9]。テレビドラマでのおっとりとした良妻賢母役が好評を得る。1964年、長門裕之・南田洋子とともに人間プロダクションの設立に参加[10]。
一方、『岸辺のアルバム』での家族に隠れて不倫する主婦役で従来のイメージを覆し、テレビドラマ史に残る名作と評された[1]。
私生活では1957年に映画監督の谷口千吉と結婚した。人気・好感度絶頂の八千草と、親子ほどの年の差があり、しかも3度目の結婚となった谷口の組み合わせは当時、多方面で話題・波紋を呼んだ。夫婦に子はなかったが、おしどり夫婦として知られ、結婚50年目となった2007年に死別するまで連れ添った[1]。
2010年3月中旬にドラマの撮影中に転倒し、右膝蓋骨を負傷。当初は全治3週間と診断されていたが症状が悪化し、5月開催の第19回日本映画批評家大賞授賞式を欠席した[11]。
2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年を記念して設立された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人の一人として殿堂入り。
2017年の末に膵臓にがんが見つかり、2018年1月に手術を受ける[12]。予後は良好でドラマ収録や舞台『黄昏』の主演もこなしたが、2019年に入って肝臓にがんが見つかったため、2019年4月放送開始予定のドラマ『やすらぎの刻〜道』の主演を降板し、休業して治療に専念する[13]。同年2月9日に発表した[12]。5月26日、理事を務める日本生態系協会のイベントに出席、がんを発表後初めて公の場に登場した[14]。
「宝塚時代の経験が、仕事はもちろん、趣味の山歩きでも活きている」と述べており、自然環境保全審議会委員を務めたこともある。
テレビドラマ『赤い疑惑』では、主演の山口百恵のスケジュールの都合で細切れ断片的な収録を余儀なくされたことに納得できず、自ら途中降板した。
宝塚歌劇団に入団した戦後間もない頃に東京公演で銀座を訪れた際、「お寿司が食べたいわぁ」と何気ない発言が食料事情の逼迫していた当時は周囲から顰蹙を買ったこともあった。
映画『蝶々夫人』は、有名なオペラとして世界各地で上演されているが、日本文化の描かれ方がめちゃくちゃで、映画を通じて、世界に正しい日本文化やこの作品の情景を伝えようという旨で制作された。そのため、日本家屋のセットはすべて日本から空輸して、現地(チネチッタ)で渡伊した日本人スタッフ(東宝のスタッフ)が組み立てた本格的なもの。衣装なども空輸した。もちろん、八千草もヒロイン像にふさわしい「日本人女性の象徴」としてのキャスティングである。
また、八千草と共に助演で出演した東郷晴子、伊吹友木子、鳳八千代、淀かほる、梓真弓、筑紫まり、朝日奈世志子ら当時の宝塚歌劇団生徒17名も渡伊した。1954年8月19日に八千草と共に寿美花代がヴェネツィア国際映画祭に参加するために、羽田空港から渡伊した。続いて、同年10月2日、生徒一行も羽田空港からエールフランス航空に搭乗してイタリアへ出発。生徒一行がローマのチャンピーノ空港に到着した模様や映画撮影中の模様を伝えるニュース映画(モノクローム)が現存する。そして、全撮影を終了して、同年11月12日に午後10時羽田空港着のエールフランス航空機で一行は約40日ぶりに帰国した。その後、同年12月28日に八千草が帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ行きとなった。映画制作費は当時の約2億円。
1977年、ヤマハ・パッソルの広告に起用。前年、ホンダが商品化した原動機付自転車・ロードパルは、ソフィア・ローレンを起用して爆発的ヒット。競争相手であったヤマハ発動機は、あえて日本人女優である八千草薫に白羽の矢を立てた。当時、八千草は免許を所有していなかったため、ヤマハの免許センターで取得。実際の撮影は、オーストラリアで行った。「やさしいから好きです。」というキャッチフレーズは、ヤマハとホンダの販売競争(HY戦争)を激化させるきっかけにもなった[17]。
他多数
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