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日本の映画作品 ウィキペディアから
『孫悟空』(そんごくう)は1959年(昭和34年)4月19日に公開された特撮映画。製作は東宝[2]。イーストマン・カラーの東宝スコープ[1][5]。同時上映は『私は貝になりたい』[6][注釈 1]。
三蔵法師を少年にし、物語もミュージカル仕立てにするなど『西遊記』を大胆にアレンジしたファミリー向け作品[出典 3]。書き割りで表現された遠景や、劇中の歌など舞台劇を思わせる雰囲気の作品となっている[2][6]。物語は紙芝居屋が『西遊記』を語るところから始まっており、本作品を紙芝居の中の世界と解釈する資料もある[6]。
監督の山本嘉次郎と特技監督の円谷英二は『エノケンの孫悟空』でも西遊記を題材としている[出典 4][注釈 2]。
脚本は山本と村田武雄の共作である[10][6]。村田は、原作を読んだ上で道中記のイメージから西部劇の要素を取り入れた[10]。ポンなどのキャラクターは山本の発想であり、村田は大変面白いアイディアであったと評している[10]。
円谷による特撮は、従来のミニチュア撮影を極力廃し、作画合成が多用したスピード感溢れるものとなっている[出典 5]。孫悟空が乗る觔斗雲は、フィルムに直接描き込んでワイヤーで吊っている人物と合わせるという手法がとられた[出典 6]。スクリプターの鈴木桂子によれば、円谷はガラスに綿を貼って撮影するなど様々な方法を試行錯誤して2日間を費やしており、本編がフィルムの使用量を制限されていた時代に実績を出していた円谷はフィルムを使い放題にしていた贅沢な時代であったという[11]。
孫悟空らの衣裳は、衣裳部ではなく造型部が手掛けた[12]。造型部の新人であった村瀬継蔵は、三木の被り物をボンドで貼ったところ三木の地肌がかぶれてしまうという失敗があったという[12][13][注釈 3]。
音楽を担当した團伊玖磨は、以前に手掛けた『白夫人の妖恋』(1956年)では中国的な音楽を心がけていたが、本作品ではそういった表現は用いず、ミュージカル映画としての娯楽性を重視している[14]。
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