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日本の打撃系格闘技 ウィキペディアから
K-1(ケイワン)は、日本のキックボクシングを中心とした打撃系格闘技イベント[1]。1993年に正道会館の石井和義が創設。2014年5月からK-1実行委員会によって主催され、以降「新生K-1」とも称される[2]。
K-1 | ||||||||
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YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2014年 - | |||||||
ジャンル | スポーツ | |||||||
登録者数 | 約52.3万人 | |||||||
総再生回数 | 約6億4586万回 | |||||||
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年6月14日時点。 |
「K」は「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」などの立ち技格闘技あるいは「格闘技」そのもの、そして「KING」の頭文字を意味し、1はナンバーワンを意味しており、空手やキックボクシングなどの打撃系立ち技格闘技の世界一の最強の格闘者を決める大会を行うというのが設立のコンセプトである。命名者は全日本新空手道連盟創師の神村榮一[3][4]。
「K-1」の商標権は創設者である石井が所有していたが、2011年7月に不動産デベロッパーのバルビゾンに移管[5]。2012年1月にEMCOMホールディングスがバルビゾンの持つ商標権を買収することを発表し[6]、当時EMCOMの子会社であったK-1 Global Holdings Limitedが諸権利を取得。2023年3月にはK-1興行の企画・制作にあたるM-1スポーツメディアが全世界におけるK-1ライセンスを取得[7]。
1992年10月4日、正道会館主催の格闘技大会『格闘技オリンピックIII〜'92カラテワールドカップ』で、「10万ドル争奪世界最強決定トーナメント」を1993年に開催することを発表。後のK-1となる大会の開催が発表された。
1993年4月30日に第1回大会『K-1 GRAND PRIX '93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜』が開催され、8選手による無差別級トーナメントが行われた。
1995年にはアンディ・フグをメインイベンターに据えてK-1初の海外大会をフグの母国であるスイス・チューリッヒのハレンスタジオンで開催。以後、2000年まで毎年同スタジアムで大会を開催し、同スタジアムの最多観客動員記録を更新。
1996年にはフジテレビの全国ネットとゴールデンタイム放送に進出。
1997年、「三大ドームツアー」と称してナゴヤドーム、大阪ドーム、東京ドームで大会を開催。東京ドームで開催された『K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦』は満員となる54,500人の観客を動員し、平均視聴率20.7%、瞬間最高視聴率27.3%を記録した。
1998年には日本人選手を主軸とする『K-1 JAPAN』シリーズを立ち上げた。中継局は日本テレビ。
2000年には『K-1 GRAND PRIX』シリーズを『K-1 WORLD GP』シリーズと改称し、北米、ヨーロッパ、豪州などで地区予選大会を開催するなど本格的に世界進出を開始。7月30日に開催された『K-1 WORLD GP 2000 in 名古屋』ではプロボクシング公式戦ヘビー級6Rマイク・ベルナルド vs. ジャスティン・フォーチュンを実施(1R無効試合、BoxRec記載)。石井は日本IBFと連携しマイク・タイソンや西島洋介のスカウトに動いた。8月24日にアンディ・フグが急性前骨髄球性白血病(APL)により35歳で死去。
2002年にミドル級(-70kg)部門の『K-1 WORLD MAX』シリーズを立ち上げる。また、2008年にはライト級(-60kg)もMAX内にて新設された。中継局はTBSテレビ。
2002年にはグランプリへの出場選考が予選トーナメント優勝者から前年のベスト8ファイターに加えて、主催者推薦選手と世界最終予選トーナメント優勝者による99年以来の開幕戦制度が再導入される。ジェロム・レ・バンナ、マーク・ハント、アーネスト・ホースト、ミルコ・クロコップら主力選手が好調期を迎え、ゲーリー・グッドリッジやセミー・シュルトなどの総合格闘技「PRIDE」を主戦場にする選手も高い適応力を見せた。さらに実力的に全盛期であったボブ・サップが派手なパフォーマンスと親しみやすいキャラクターで一般層への知名度も爆発的に急上昇したこともあってK-1人気は全盛期を迎える。
2002年8月28日、「PRIDE」を主催するドリームステージエンターテインメント(DSE)の全面協力のもと、国立霞ヶ丘競技場では初となる格闘技イベント『Dynamite!』を開催。日本国内格闘技大会史上最多観客動員記録となる91,107人を記録。12月7日に東京ドームで開催された『K-1 WORLD GP 2002 決勝戦』ではチケット完売となる74,500人の超満員の観客動員を記録した。
2002年12月、興行会社である株式会社ケイ・ワンが法人税法違反で摘発され(ケイ・ワン脱税事件)、K-1を取り仕切っていた石井和義がK-1の全役職を辞任。2003年からは元格闘技雑誌編集者の谷川貞治が設立した会社『FEG』が主催・運営することとなる。この年に引退した角田信朗が競技統括プロデューサーに就任。
谷川がK-1プロデューサーに就任して以来、曙太郎などの身体が大きくて実力よりも話題性のある選手やボビー・オロゴンなどのタレントを参戦させるなど、K-1をスポーツ競技として発展させることよりも目先の視聴率を優先して、実力よりもキャラクター先行の色物選手を優先した『谷川モンスター路線』が始まった(詳細は谷川貞治の「谷川モンスター路線」の項を参照)。モンスター路線開始当初は一般層への話題性もあって高視聴率を獲得したが、従来の実力路線を望むファンからの批判もあった。この年を最後に、JAPAN GP優勝者の開幕戦出場免除が無くなった。
2003年12月31日、単独では初の大晦日興行となる『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』を開催、曙太郎とボブ・サップの対戦において、曙がKOされたシーンの視聴率は同時刻の第54回NHK紅白歌合戦の35.5%を上回る43%であった[8]。
2003年、K-1と契約していたミルコ・クロコップの引き抜き問題を巡って、協力体制を築いていた『PRIDE』の運営元であるドリームステージエンターテインメント(DSE)と決別。2004年には単独で総合格闘技にも進出し、『K-1 ROMANEX』を立ち上げるが、単発のイベントに終わる。
2005年、前年の『K-1 ROMANEX』を引き継いだ新たな総合格闘技イベント『HERO'S』を立ち上げる。DSEの解散に伴って、PRIDE参戦選手が合流し、2008年3月に『DREAM』としてリニューアル。
2007年からは、スター不在とされる日本人ヘビー級選手の発掘を目的としたトライアウト『K-1 JAPAN TRYOUT』を実施。元プロ野球選手の立川隆史や、オードリーの春日俊彰が出場した。また、スーパーヘビー級とヘビー級(-100kg)タイトルも新設された。
2008年に若年部門『K-1 YOUTHシリーズ』を新設。以降、『K-1甲子園』と題し、現役高校生を主軸としたトーナメントを実施。
2009年より女子部門を新設。3月20日の『K-1 AWARD & MAX KOREA 2009』にて、イム・スジョン vs. RENA戦が組まれた。
2010年にはライト級(-63kgに変更)が本格的に始動、5月2日に初の単独興行を開催した。
主催会社であるFEGが深刻な財政難に陥り、多くの選手へのファイトマネーの不払いが発生。興行開催に支障をきたし始めた。2010年7月16日、FEGは上海の投資銀行『PUJI Capital』と提携することを発表し、アジアや欧米での市場拡大のために資金調達をしていくことを表明した[9]。その後も選手・関係者への給与未払いが続出し、2011年のK-1 WORLD GP開催は中止された(詳細はFEGを参照)。
2012年5月7日、ゴールデン・グローリー代表のバス・ブーンからFEGのファイトマネー不払いへの訴訟を起こされ、東京地方裁判所民事第20部よりFEGが破産手続開始の決定を受けた[10][11]。
2012年8月15日、旧ケイ・ワンから商号を変更したライツコムが破産手続開始の決定を受けた[12]。
2011年11月にK-1創設者の石井和義はK-1の新たな主催団体として国際K-1連盟(FIKA)を設立し、2012年よりFIKA主体でK-1の興行体制を再構築する方針を明らかにした[13]。
2011年8月に新会社「K-1Global Holdings Limited(以下、K-1グローバル)」が香港で設立される。2012年1月にEMCOMホールディングスがK-1グローバルを買収。過半数の株式を取得して、K-1の世界大会の興行権を獲得した[6]。2012年5月16日に元K-1 MAX世界王者の魔裟斗がエグゼクティブプロデューサーに就任[14]。
2012年5月27日、K-1グローバルが運営会社となって初めての大会「K-1 RISING 2012~K-1 WORLD MAX FINAL16 2012~」がスペインのマドリードで開催。この大会では、K-1のミドル級トーナメントのFINAL16が行われ、アンディ・サワーら多くの強豪選手が出場したほか、スーパーヘビー級ワンマッチには9年ぶりの出場となるミルコ・クロコップ、プロボクシング転向を表明していたバダ・ハリらが出場した。
2012年10月に東京・両国国技館で無差別級トーナメント1回戦「K-1 RISING 2012 WORLD GP FINAL 16」、2013年3月にクロアチアのザグレブで無差別級決勝トーナメント「K-1 World Grand Prix FINAL in Zagreb」を開催し、ミルコ・クロコップが優勝[15]。
2012年11月、K-1グローバルに対してイギリス領ヴァージン諸島に本社を置くLEXI INVESTMENT LIMITEDを割当先とする第三者割当増資が実施され、EMCOMの連結対象から外れる[16]。また、2012年限りで魔裟斗がエグゼクティブプロデューサーを辞任した[17]。
2013年9月からはK-1 WORLD MAX 2013が順次開催され、2014年10月に決勝が行われた。
格闘技興行の一方で、2013年より「K-1 GYM」のブランド名で総合格闘技を中心としたスポーツジムの展開を始める(運営は株式会社M-1スポーツメディア)。2013年8月には1号店を東京・武蔵小山(旧髙田道場跡地)にオープンし[18]、2014年4月には小比類巻貴之率いる「小比類巻道場」をリニューアルする形で恵比寿に2号店をオープンした[19]。同月には続けて総本部を新宿のGENスポーツパレスにオープンした[20]。
2014年5月29日、「K-1 WORLD LEAGUE」の発足が発表された。K-1グローバルから日本地域の独占ライセンスを取って「K-1実行委員会」が主催し、実行委員長に矢吹満(本名: 玄満植〈ヒョン・マンシク〉)が就任、実行委員会にはプロデューサーの前田憲作、内田康弘、小比類巻貴之、梶原龍児らが参加。運営は立ち技格闘技イベント『Krush』を主催しているグッドルーザー、制作はM-1スポーツメディアがそれぞれ担当する。7月21日にアマチュア大会の「K-1 CHALLENGE」を開催し、K-1 WORLD LEAGUEは国立代々木競技場第二体育館で11月3日に旗揚げされる[21]。
「K-1 WORLD LEAGUE」は旗揚げ目前の2014年9月26日付で「K-1 WORLD GP」に改称し、K-1グローバルと協議の上で日本国内で開催される大会名として「K-1 WORLD GP IN JAPAN」を使用する[22]。
2016年11月3日の国立代々木競技場第二体育館大会から大会名を「K-1 WORLD GP JAPAN」に変更した(「IN」が無くなった)[23]。
2016年11月をもって、プロデューサーが前田からKrushプロデューサーである宮田充に交代した。
2017年6月からはさいたまスーパーアリーナコミュニティアリーナで大会を開催し、2020年3月にメインアリーナで開かれたK'Festa 3まで継続的に使用された。また旧K-1と異なり国内の選手は原則専属契約であり、1試合ごとに契約期限が1年更新されることを明言している[24]。
2018年12月17日より宮田に替わってK-1とKrushで解説を担当している格闘技ライターの中村拓己がプロデューサーに就任。
2019年は3月10日のさいたまスーパーアリーナ(メインアリーナ)に始まり、6月30日に国技館、8月28日に大阪府立など全国各地での大会が決定。また発足以降、記者会見時の乱闘騒ぎやトラッシュトークが過剰になっていたことから、6月以降はそれらの行為に対して(怪我や人種差別に繋がると判断した場合)ファイトマネーの減額や没収試合などの罰則が課せられている。
2020年3月22日に行われた『K-1 WORLD GP 2020 JAPAN ~K’FESTA.3~』は新型コロナウイルス感染拡大に伴う自粛要請が出る中、観客を入れて強行開催に踏み切ったことが賛否両論となった[25]。
2020年9月18日、サイバーエージェントがM-1スポーツメディアへの出資を発表[26]。
2023年7月17日に行われた『K-1 WORLD GP 2023〜IN両国国技館〜』をもって中村がプロデューサーを退任し、翌18日にかつてGLORYの日本支部代表を務めていたカルロス菊田が後任のプロデューサーに就任。また、極真空手や格闘技団体QUINTETとの業務提携や、「K-1 WORLD GP」を無差別級トーナメント、「K-1 WORLD MAX」をスーパーウェルター級(-70kg)トーナメントとして復活させること、2024年から世界中で予選を行い、勝ち抜いた選手たちによる年に一度のトーナメントを開催する計画を発表した。
提携後初の大会として30周年記念無差別級トーナメントを中心とした『ReBOOT~K-1 ReBIRTH~』を2023年9月10日に横浜アリーナで開催。12月9日には『K-1 ReBIRTH2』がエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)で開催された。
これらはあくまでK-1のオフィシャルルールに過ぎず、実際の興行では、異なるルール、例えば総合格闘技ルールやそれとの折衷ルールの試合も行われている[27]。
無差別級トーナメント、スーパーヘビー級(100kg超)・ヘビー級(100kg以下)のワンマッチを中心とした大会。
1993年の第1回からフジテレビで放送され、1996年の大会から全国ネットおよびゴールデンタイム放送に格上げされた。旗揚げ当初から『K-1 GRAND PRIX』という名称であったが、本格的な世界進出を開始した2000年に『K-1 WORLD GP』シリーズへと改称された。また、CS放送・フジテレビNEXTでも2009年まで放送されていたが、2010年からはスカチャンでのPPV生中継に移行した。
フジテレビの格闘技情報番組『SRS』(2008年9月終了)と連動しており、同番組の歴代「格闘ビジュアル・クイーン」がリポーターを務めていた。
ハーフタイムショーでは、話題となっているグループのパフォーマンスが行われる。K-1 WORLD GP 2009 FINALではAKB48が、K-1 WORLD GP 2010 FINALではももいろクローバーが出演した。
ミドル級(-70kg契約)およびライト級(-63kg契約)のトーナメントおよびワンマッチの大会。
2002年の第1回からTBS系列で放送されており、日本代表決定トーナメントを皮切りに、年4回開催された。地上波放送から数週間後以降にTBSチャンネルやBS-TBS(旧BS-i)でも放送、試合をピックアップしてJ SPORTSでも放送されていたが、2010年5月のライト級トーナメントからはスカチャンのPPVにてMAXでは初となる生中継を行った。
TBSによる編成上の都合からか、平日と祝日に開催された。2009年以降は、内藤大助や亀田興毅・大毅兄弟のボクシング世界タイトルマッチとセットで中継される機会が多くなった(ボクシング中継が1時間程度、K-1が2時間程度)。
2007年よりTBS系列で放送。
2007年2月、『K-1 WORLD MAX日本代表決定トーナメント』にて、ヘッドギア着用の特別試合として中学生であったHIROYAがK-1史上最年少デビューで3RKO勝利したことをきっかけにスタートした。
K-1甲子園は年齢18歳以下の現役高校生ファイターによるイベント。同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』でスタートし、2008年までは62kg以下級のみで行われていたが、2009年からは70kg級も行われることになった。名称の由来は全国高等学校野球選手権大会が行われている阪神甲子園球場から。新空手との全面協力で行われている。2008年はK-1甲子園の地区予選トーナメントが各地区ごとに「K-1甲子園 予選トーナメント試合ルール」に則って行われ、予選優勝者がK-1甲子園トーナメントに進出し、決勝大会は同年大晦日のDynamite!!で行われる形式だった。2009年からは地区代表決定戦もリングの上で試合を行うこととなった。
K-1 WORLD YOUTHシリーズはK-1甲子園の反響の大きさを受けて2008年にスタート。20歳以下のK-1選手育成・強化を目的とする世界的プロジェクトである。世界各国においてU-20のトライアウトを実施し、強化選手を選抜しナショナル・チームを編成して国別対抗戦を行っている。K-1 WORLD MAXシリーズの大会で対抗戦を行うこともある。WORLD YOUTHの日本代表チームの監督は前田憲作が務めている。
2003年よりTBS系列で放送。
2001年・2002年の大晦日にTBS系列で放送していた『INOKI BOM-BA-YE(猪木祭)』が2003年は日本テレビに移籍し、それに代わって登場したイベント。これによって、2003年の大晦日は日テレ系=猪木祭、TBS系=K-1、フジ系=PRIDEと、3局で格闘技イベントが放送された。
K-1 WORLD MAXシリーズ・DREAMと同様に、フジテレビが主に扱うヘビー級選手の出場もある。
開催地は、2003年のみナゴヤドーム、2004年からは大阪ドーム、2008年からはさいたまスーパーアリーナ。
1998年から日本テレビ系列で放送開始。2004年の6月の大会を最後に打ち切り。
日本人ファイター育成を目的に立ち上げられたシリーズであるが、日本人ファイターと規格外の体格を持った、いわゆる「モンスター系」のファイターとを対戦させ、総合格闘技ルールの試合も行うなど、実験的要素の多いシリーズでもあった。このシリーズでブレイクしたモンスター系ファイターの1人にボブ・サップがおり、サップは後に新日本プロレスのIWGPヘビー級王座を獲得した。
また、新たなK-1ファン掘り起こしのため、系列局などのタイアップによる地方興行も積極的に行っていた。
のちに独立したシリーズとなったK-1 MAXシリーズも元々このシリーズの中で『K-1 J・MAX』として実施しており、魔裟斗や小比類巻も『K-1 J・MAX』でK-1デビューした。
協栄ボクシングジムがシュートボクシング初代全日本カーディナル級(現:スーパーフェザー級)王者・大村勝巳を専属コーチに迎え、「K-1キョウエイジム」の看板を掲げて参戦したこともあった。
共にTBS系列で放送。また、地上波の放送から数週間後以降にBS-iやCS放送・TBSチャンネルでも放送される(K-1 WORLD MAXシリーズも含む)。J SPORTS ESPNでもメインの試合をピックアップして放送された。
『DREAM』への移行に伴い終了。
2014年11月3日の「K-1 WORLD GP IN JAPAN」第1弾となる「K-1 WORLD GP 2014 〜-65kg初代王座決定トーナメント〜」は、GAORA SPORTSで生中継され[28]、以降逐次同チャンネルで放送。
2015年9月22日の「K-1 WORLD GP 2015 〜SURVIVAL WARS〜」はBSスカパー!で生中継[29]。
同年10月8日より、新生K-1にとって初となる地上波のレギュラー情報番組『新K-1伝説』がテレビ東京にて放送をスタート[30]。
2016年に開局したABEMA(当時Abematv)では3月の先行配信より中継を実施し[31]、2017年2月より「格闘チャンネル」にて独占生配信[32]。
2023年6月3日の「K-1 WORLD GP 2023~初代ミドル級王座決定トーナメント~」よりU-NEXTでも配信されていた[33]が、同年限りで終了。ただし姉妹イベントであるKrushの中継については2024年8月18日のKrush.164まで継続。
2023年9月10日の「ReBOOT」よりQUINTETとの合同興行を中心にDAZNにて世界200か国以上に配信される予定[34]だったが、ReBOOTの配信は当日朝になって諸事情のためPPV配信予定だったFITE TV(現TrillerTV)とともに中止となり、海外向けには急遽YouTubeにて無料配信を実施することになった[35]。2024年3月20日の「K-1 WORLD MAX 2024 3.20代々木」はTrillerTVに加えてFight Plus HD、K-1 WORLDWIDE PPV(Streamticket)を通じて全世界へPPV配信を行った[36]。
2024年7月7日のK-1 WORLD MAXはABEMA PPV ONLINE LIVEにて全試合PPV生中継を実施。
2024年9月29日のK-1 WORLD MAX以降の興行についてはABEMAプレミアムでの全試合生中継を予定。
K-1、FEG (1993 - 2010)、K-1 (2024 - )
開催日 | 優勝 | 準優勝 | 第3位 |
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2022年4月3日 | マハムード・サッタリ | 谷川聖哉 | 加藤久輝 京太郎 |
2023年9月10日 | リュウ・ツァー | クラウディオ・イストラテ | シナ・カリミアン アリエル・マチャド |
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
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初 | 2007年3月4日 - 2013年6月(引退) | セーム・シュルト | 4 |
2021年3月28日までは無差別。
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
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初 | 2017年11月23日 - 2018年3月21日 | アントニオ・プラチバット | 0 |
2 | 2018年3月21日 - 現在 | ロエル・マナート | 1 |
K-1、FEG (2002 - 2010)、K-1 (2024 - )
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 第3位 |
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1 | 2002年5月11日 | アルバート・クラウス | ガオラン・カウイチット | 魔裟斗 小比類巻貴之 |
2 | 2003年7月5日 | 魔裟斗 | アルバート・クラウス | サゲッダーオ・ギャットプートン ドゥエイン・ラドウィック |
3 | 2004年7月7日 | ブアカーオ・ポー.プラムック | 魔裟斗 | 小比類巻貴之 アルバート・クラウス |
4 | 2005年7月20日 | アンディ・サワー | ブアカーオ・ポー.プラムック | 安廣一哉 アルバート・クラウス |
5 | 2006年6月30日 | ブアカーオ・ポー.プラムック(2) | アンディ・サワー | 魔裟斗 ドラゴ |
6 | 2007年10月3日 | アンディ・サワー(2) | 魔裟斗 | アルトゥール・キシェンコ アルバート・クラウス |
7 | 2008年10月1日 | 魔裟斗(2) | アルトゥール・キシェンコ | 佐藤嘉洋 アンディ・サワー |
8 | 2009年10月26日 | ジョルジオ・ペトロシアン | アンディ・サワー | 山本優弥 ブアカーオ・ポー.プラムック |
9 | 2010年11月8日 | ジョルジオ・ペトロシアン(2) | 佐藤嘉洋 | マイク・ザンビディス ドラゴ |
10 | 2024年7月7日 | ストーヤン・コプリヴレンスキー | ヴィクトル・アキモフ | デング・シルバ セルジオ・サンチェス |
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
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初 | 2015年7月4日 - 2016年12月6日(返上) | マラット・グレゴリアン | 0 |
2 | 2017年6月18日 - 2019年1月18日(返上) | チンギス・アラゾフ | 1 |
3 | 2020年3月22日 - 2021年12月4日 | 木村“フィリップ”ミノル | 0 |
4 | 2021年12月4日 - 2023年12月9日 | 和島大海 | 1 |
5 | 2023年12月9日 - 現在 | オウヤン・フェン | 0 |
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
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初 | 2017年9月18日 - 2020年6月3日(返上) | 久保優太 | 3 |
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
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初 | 2014年11月3日 - 2017年6月18日 | ゲーオ・ウィラサクレック | 2 |
2 | 2017年6月18日 - 2018年8月19日(返上) | 野杁正明 | 1 |
3 | 2018年11月3日 - 2019年6月30日 | ゲーオ・ウィラサクレック | 0 |
4 | 2019年6月30日 - 2020年9月22日 | 安保瑠輝也 | 2 |
5 | 2020年9月22日 - 2022年4月3日 | 山崎秀晃 | 0 |
6 | 2022年4月3日 - 2024年3月8日(返上) | 大和哲也 | 2 |
7 | 2024年9月29日 - 現在 | ヨードクンポン・ウィラサクレック | 0 |
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
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初 | 2022年12月3日 - 現在 | 黒田斗真 | 0 |
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
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初 | 2022年6月25日 - 2023年3月12日 | パヤーフォン・アユタヤファイトジム | 0 |
2 | 2023年3月12日 - 現在 | 菅原美優 | 0 |
回 | 開催日 | 階級 | 優勝 | 準優勝 | 第3位 |
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1 | 2007年12月31日 | 雄大 | HIROYA | 才賀紀左衛門 久保賢司 | |
2 | 2008年12月31日 | HIROYA | 卜部功也 | 日下部竜也 嶋田翔太 | |
3 | 2009年8月10日 | -70kg | 松倉信太郎 | 斉藤光希 | 松花征也 上田龍 |
2009年12月31日 | -62kg | 野杁正明 | 嶋田翔太 | HIROYA 石田勝希 | |
4 | 2010年11月20日 | 晴山翔栄 | 秋元皓貴 | 石田圭吾 佐々木涼助 | |
5 | 2012年3月17日 | 小川翔 | 柴田憂也 | 山口佑馬 | |
6 | 2014年11月3日 | 平本蓮 | 佐野天馬 | ||
7 | 2015年11月21日 | -55kg | 西京春馬 | 椿原龍矢 | |
-65kg | 篠原悠人 | 近藤拳成 | |||
8 | 2016年11月3日 | -55kg | 軍司泰斗 | 椿原龍矢 | |
-60kg | 西京佑馬 | 横山巧 | |||
-65kg | 近藤拳成 | 本間海 | |||
9 | 2017年11月23日 | -55kg | 椿原龍矢 | 小堀厳基 | |
-60kg | 兼田将喗 | 横山朋哉 | |||
-65kg | 近藤魁成 | 小嶋瑠久 | |||
10 | 2018年9月24日 | -55kg | 多久田和馬 | 笠見瑠伊 | |
-60kg | 山浦力也 | 清水隆成 | |||
-65kg | 近藤魁成 | 大庭龍華 | |||
11 | 2019年8月4日 | -55kg | 山脇飛翼 | 笠見瑠伊 | 嶋秀太 星憂雅 |
-60kg | 石田龍大 | 井上大斗 | 児玉兼慎 古宮晴 | ||
-65kg | 大庭龍華 | 森優翔 | 甲野裕頼 古川翼 | ||
12 | 2020年8月2日 | -55kg | 野田蒼 | 大村修輝 | 入江亮太 酒寄珠璃 |
-60kg | 松山勇汰 | 薮崎陸 | 羽黒慈夢 嶋颯太 | ||
-65kg | 大庭龍華 | 古宮晴 | 森優翔 甲野裕頼 | ||
13 | 2021年8月29日 | -55kg | 大久保琉唯 | 齋藤龍之介 | 松本陸 安尾瑠輝 |
-60kg | 天野颯大 | 菅誠真 | 隈本浩志 上田咲也 | ||
-65kg | 古宮晴 | 甲野裕頼 | 森優翔 鈴木和人 | ||
14 | 2022年8月21日 | -55kg | 大鹿統毅 | 松葉斗哉 | 松本海翔 安尾瑠輝 |
-60kg | 橋本雷汰 | 早田吏喜 | 小野寺隼 橋本楓汰 | ||
-65kg | 上田咲也 | 田澤瑠唯 | 竹本嵐舞 松田桜太朗 | ||
15 | 2023年9月3日 | -55kg | 新井真惺 | 永谷龍希 | 小野寺隼 早田吏喜 |
-60kg | 上野奏貴 | 須田煌大 | 荒井幸太郎 植益大地 | ||
-65kg | 野中大翔 | 金子隆樹 | 安部篤輝 中原優芯 | ||
16 | 2024年9月1日 | -55kg | | ||
-60kg | | ||||
-65kg | |
回 | 開催日 | 階級 | 優勝 | 準優勝 | 第3位 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 2016年9月19日 | -55kg | 桑田裕太 | 野村優 | |
-60kg | 森井洸介 | 内田道隆 | |||
-65kg | 森香津眞 | ホン・チンヤオ | |||
2 | 2017年9月18日 | -55kg | 野村優 | 金塚聖矢 | |
-60kg | 内田道隆 | 下地涼 | |||
-65kg | 佐野純平 | 半井龍 | |||
3 | 2018年11月3日 | -55kg | 松本日向 | 岩本元太郎 | |
-60kg | 提髪和希 | 下地涼 | |||
-65kg | 山本真一郎 | 古河拓実 | |||
4 | 2019年8月4日 | -55kg | 池田幸司 | 有馬大翔 | 岩本元太郎 橋本裕也 |
-60kg | 豊田優輝 | 滝澤直樹 | 小松原慶 中村陸 | ||
-65kg | 那須梨緒弥 | 羽鳥仁 | シャオ・ユイ 木村亮彦 | ||
5 | 2020年8月2日 | -55kg | 前薗輝久 | 山口真宙 | 有馬大翔 西島恭平 |
-60kg | 寺島想 | 山﨑滉大 | 安晟太 高島呼良 | ||
-65kg | 田中志龍 | 切詰大貴 | 翁長正吾 木村亮彦 | ||
6 | 2021年8月29日 | -55kg | 内田竜斗 | 奥野淳之介 | 安田健志 西島恭平 |
-60kg | 安晟太 | 中村友河 | 高島呼良 山口隼弥 | ||
-65kg | 切詰大貴 | 鈴木一晴 | 石川慶 北原有起 | ||
7 | 2022年8月21日 | -55kg | 太田黎 | 西島恭平 | 安田健志 加藤虎之慎 |
-60kg | 橋本健太郎 | 古田侑雅 | 安晟太 田中陽太 | ||
-65kg | 北原有起 | 千葉昇平 | 石川慶 川上一樹 | ||
8 | 2023年9月3日 | -55kg | 中野星耶 | 小川叶翔 | 夏秋富蔵 齋藤拓夢 |
-60kg | 松島遥心 | 宮﨑頼悟 | 近藤壮真 古田侑雅 | ||
-65kg | 石川龍之介 | 高橋秀駿 | 島田遼生 | ||
9 | 2024年9月1日 | -55kg | | ||
-60kg | | ||||
-65kg | |
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 第3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993年12月19日 | アーネスト・ホースト | チャンプア・ゲッソンリット | アダム・ワット タシス・“トスカ”・ペトリディス |
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