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アメリカ空軍の爆撃機 ウィキペディアから
ノースロップ・グラマン B-2(英語: Northrop Grumman B-2 Spirit)は、アメリカ空軍のステルス戦略爆撃機である。開発・製造はノースロップ・グラマン社が担当した。水平尾翼および垂直尾翼が無い、全翼機である。愛称はスピリット(Spirit、魂、精神の意)。
B-2 スピリット
同質量の金と同価値[注 1]と言われるほど非常に高価な機体であり、高額な維持費や冷戦終結といった諸事情が重なった結果、当初132機の製造が予定されていたが実際に製造されたのは試作機を含めて21機に留まった。製造されたB-2は1機ごとに「Spirit of ~(大半は米国の州の名)」のパーソナルネームが与えられており、本機の着陸装置の主脚のドア外部にそれが記載されている。
B-2の開発は、ステルス性や長い航続距離などの要求の下に1978年から開始された。その当初は、ソビエト連邦の防空網をかいくぐり、ICBM発射基地や移動式ICBM発射台に短距離攻撃ミサイルにより核攻撃を加えることを主目的としていた。開発初期は極秘プロジェクト(Project Senior C. J.、後にATBと改名)として当初米空軍上層部ですら開発は機密扱いであった。ATB(Advanced Technology Bomber、先進技術爆撃機)という計画名は知られるようになったものの、1988年4月に想像図が公表されるまでは公式情報はほとんどなかった。
B-2の開発は米ノースロップ・グラマン社と米ボーイング社が共同で行い、米ボーイング社がコックピット部と本体の中央部、残りをすべてノースロップ・グラマン社が担当した。1982年に6機のプロトタイプ用の予算が組まれ、1988年11月22日に最初の機体82-1066がパームデールのアメリカ空軍第42プラントからロールアウトされた。セレモニーは非常に慎重に計画され、招待された500名のゲストは地上からはB-2の正面のみ観覧が可能であったが、上空からの規制は手が抜かれていて、小型セスナ機により上空から撮影された写真が残されている。
初飛行は当初1989年7月15日に予定されていたが(予算編成時は1987年の予定だった)、燃料系のトラブルのため延期され、最終的には7月17日にエドワーズ空軍基地にて行われた[1]。
開発当初は132機の製造が予定されていたが、あまりにも高額な上維持費も高額であることから、結局生産されたのは試作機を含め21機のみで、全機アメリカ空軍に引き渡され、他国への輸出はなされていない。アメリカ空軍は2008年に後述の墜落事故で1機を喪失しており、2021年の時点でB-2を20機保有している[注 2]。
F-117と同じくステルス性を最重要視した形となっているが、F-117が直線的な多角形によって構成された機体デザインだったのに対して、B-2は曲線的なシルエットとなっている。これはF-117が数学的・幾何学的なアプローチで設計されたのに対し、元ヒューズ社のレーダー技術者であるジョン・キャッセンの経験により、乱反射の低減を主目的にし機体に凹凸や鋭角を作らないことを根幹として、粘土を使った模型による実験により開発されたステルス技術を用いたことによる。また、F-117開発当時はコンピュータの計算能力が低く、曲面のシミュレーションが難しかったために粗い平面の組み合わせで妥協したのに対して、B-2開発時にはクレイ社のスーパーコンピュータで曲面がシミュレーション可能となったことも大きく進歩した点である。「空飛ぶ翼」 (flying wing) の概念を大きく踏襲し、垂直尾翼および水平尾翼を有していないため、コンピューターの制御無しでは飛行困難な形状となっており、操縦系統には4重のフライ・バイ・ワイヤが組まれている。また、ヨー方向安定とその制御のための垂直尾翼とラダーが存在しないため両翼端にドラッグ・ラダー(スプリット・ラダー)を装備しており、通常飛行時は常に両端をわずかに開いて空気抵抗を発生させヨー安定を確保している。高いステルス性が必要な任務遂行時はレーダー反射を抑えるためドラッグラダーを完全に閉じ、左右のエンジン出力の増減によりヨー方向制御を行っている。機体下部に設けられたタキシングライト(航空標識灯)は、通常時は翼の表面から突出した状態となっているが、任務遂行時はその突出部分がステルス性を妨げるため、機体に格納して平滑な状態にする機能が設けられている。
尾翼が無いことはレーダー反射断面積減少の面で有利となっており、B-2の機体表面はレーダー波を吸収してそのエネルギーを熱に変換するグラファイト/エポキシ複合剤 (RAM:Radar Absorbent Material) で覆われているほか、内部構造には非公表ながらレーダー波を吸収するハニカム構造が大量に採用されているとされる。機体表面を環境変化などから保護するために表面には無数の小さな孔があけられており、本体内で発生した水蒸気などを外部へ逃して変形を防ぐ設計がなされている。
4基搭載された米ゼネラル・エレクトリック製F118-GE-110 ターボファンエンジンは、レーダー波を反射するエンジンファンが機体正面から露出しないように大きく曲げられたダクトを介して機体内部に深く埋め込まれている。吸気は通常のエンジンへのエアインテークへ、そのやや前部に刻まれたジグザグ状の切れ目の2つに分けられたエアインテークから取り入れられる。また、排出口は赤外線による下方からの探知を避けるために機体上面に開口している。さらに排気温度を下げるため、排出前の排気には冷気が混合されて温度が下げられ、長く作られた排出口以降の翼上部には熱吸収材でできたタイルが並べられている。初期の設計では飛行機雲の発生による目視での探知を回避するための薬剤(おそらく塩化フッ化スルフリル[注 3])をエンジン排気に混入させる装置が取り付けられていたが、量産機では装置を取り付けず、飛行機雲ができやすい空域での飛行を回避するとともに、代わりにLiDARを用いて飛行機雲が偵察機に視認される状況下での飛行を回避するようにされた[4]。
また、B-2は、前脚両側ベイに2基の攻撃目標探索・航法用の米レイセオン(ヒューズ・エアクラフト)社製AN/APQ-181Ku-バンドフェーズドアレイレーダーを装備しており、ステルス性を阻害しないように自機の放つレーダー電波の周波数のみを通す選択透過性の高いカバーで覆われている。アクティブ・レーダー使用時にはステルス性が失われる危険があるため、レーダー波の照射は爆撃直前に地上の標的近辺のみを対象に限って行なわれるようになっている。Kuバンドによる目標の精密画像データは、搭載のGPS援用目標照準システム (GPS aided targetting system; GATS) によるJDAM爆弾投下の精度を向上させる。このレーダーは開発時はC-135に搭載されテストが行われていた。
自衛用にAN/ALQ-161電子妨害システムとAN/APR-50レーダー分析警報装置を搭載している。AN/ALQ-161電子妨害システムは多数の敵ミサイル・敵航空機・地上からの捜索レーダー波を尾部警戒を含めて360度警戒を行い、複数の探知に対して直ちに適切な複数の妨害電波を送信できる。
コックピットには4台の多機能カラーディスプレイが設置され、パイロットは左側、コパイロットを兼ねる兵装担当士官 (Weapon System Officer; WSO) は右側のマクドネル・ダグラス社製ACES-II上方射出シートに座る。これら通常の搭乗員2名のほかに3人目の搭乗用スペースも設けられているほか、WSOの座席の真後ろには長時間航行を想定して簡易トイレおよびギャレー、さらにコクピット後方には仮眠用スペースも用意されている。操縦は4重のフライ・バイ・ワイヤでコンピュータによってアシストされている。兵器管理システムにはIBMフェデラルシステムズのAN/APR-50 (ZSR-63) およびZSR-62ディフェンス補助システムの搭載が予定されている[1][5]。
機体と任務の性格上、空中給油受油能力があり、コクピットの後方の機体上面にフライングブーム方式の給油口(リセプタクル)が装備されているが、ステルス機という性格上、リセプタクルは隠匿式となっており、使用時には給油口部分の外板が180度回転し、裏側にあるリセプタクルが露出するようになっている[6]。
B-2では、搭載する航法コンピュータに備わる敵の軍事地理の情報を利用し、最も安全な飛行ルートを設定可能である。また、標的から半径8マイル(約13km)以内にまで到達できれば、250 - 5,000lbsのJDAM(Joint Direct Attack Munition)装着誘導爆弾によりピンポイントでの目標破壊も可能である。JDAMの高空からの滑空距離は27km程度である。この爆弾は、B-2上に搭載されたSBRA(Smart Bomb Rack Assembly)上で再プログラム可能であり、天候やターゲットの変更などに応じて臨機応変に対応できる。B-2には通常16発の2,000lbs爆弾が搭載される。他にも、AGM-158巡航ミサイル(JASSM)や5,000lbs(約2.8t)のEGBU-28バンカーバスター(ペイブウェイ)を最大8発、B61 Mod 11貫通型核爆弾なら最大16発搭載することができる。今後、SDB小直径誘導爆弾の運用能力付加が予定されている[7][5]。
B-2は1機20億ドル以上(1ドル100円として約2,000億円)という高価な航空機で、世界一高価な飛行機としてギネスブックにも登録されている。例えば、世界的に見ても巨大かつ高価なイージス艦、あたご型護衛艦は1隻約1,453億円であり、B-2の価格の高さがうかがい知れる。
開発当初は132機製造を予定していたが、取得費だけでなくステルス性確保のため、7年に一度コーティングの再塗装が必要など維持費も高額で、また冷戦終結もあり結局、試作機を含む全21機しか製作されていない。量産されれば単価は下がるが、先進軍事技術が多数使用された特別な航空機のため友好国への供与は現在も行われていない。
維持費は殆どがその滑らかな機体を研ぐためのものである。F-117の開発責任者、スカンクワークスのベン・リッチは費用対効果の観点からこの機体を酷評した。ただしF-117もレーダー波吸収用特殊素材コーティングのチェックのため、維持費が高額であるのは同様で、この為2008年をもって退役している。
B-2はステルス性維持が最重要なため、かつては、湿度・気温などを完全にコントロールされるホワイトマン空軍基地(ミズーリ州)の専用ハンガーにのみ駐留し、ほかの基地に展開することは無かった。アフガニスタン空爆などの際もホワイトマン空軍基地から離陸し、空中給油を繰り返して爆撃を行った。このため 1回の作戦行動に40時間を超える事もあった。それ以降は、B-2用簡易ハンガーが開発され、これを設置した基地からの発進が可能となり、2003年のイラク戦争ではディエゴガルシア島から出撃した。現在グアム島のアンダーセン空軍基地にも時折派遣されることがある。設計開始時と異なり、担当ミッションは核攻撃ではなく通常爆弾(誘導爆弾)投下が主任務である。
2013年3月27日、2機のB-2がホワイトマン空軍基地から無着陸で韓国沖の黄海に飛来、デモ飛行をして北朝鮮を抑止した。
2024年7月19日、環太平洋合同演習リムパック2024に参加(参加部隊不詳)。標的艦タラワに新型誘導爆弾「クイックシンク」を命中させることに成功した[8]。
2011年リビア内戦に投入されたほか、2017年1月には再びリビア国内に展開し、ISIL軍事訓練キャンプを空爆している。2017年のケースでは、2機のB-2をホワイトマン空軍基地から出動させ、34時間かけて北アフリカ入りさせた[9]。
詳細な配備状況に関しては以下に記載する。
パーソナルネームとして、2機にはそれぞれSpirit of America、Spirit of KittyHawkの名が、残りにはSpirit of 州名の形式で名がつけられている[10]。
称号 | 機体ナンバー | 製造番号 | 正式名称 | 非公式名称 |
---|---|---|---|---|
AV-1 | 82-1066 | 1001 | Spirit of America | Fatal Beauty |
AV-2 | 82-1067 | 1002 | Spirit of Arizona | Ship From Hell, Murphy's Law |
AV-3 | 82-1068 | 1003 | Spirit of New York | Shady Lady, Navigator, Ghost, Afternoon Delight |
AV-4 | 82-1069 | 1004 | Spirit of Indiana | Christine, Armageddon Express |
AV-5 | 82-1070 | 1005 | Spirit of Ohio | Fire and Ice, Toad |
AV-6 | 82-1071 | 1006 | Spirit of Mississippi | Black Widow, Penguin, Arnold the Pig |
AV-7 | 88-0328 | 1007 | Spirit of Texas | Pirate Ship |
AV-8 | 88-0329 | 1008 | Spirit of Missouri | |
AV-9 | 88-0330 | 1009 | Spirit of California | |
AV-10 | 88-0331 | 1010 | Spirit of South Carolina | |
AV-11 | 88-0332 | 1011 | Spirit of Washington | |
AV-12 | 89-0127 | 1012 | Spirit of Kansas | |
AV-13 | 89-0128 | 1013 | Spirit of Nebraska | |
AV-14 | 89-0129 | 1014 | Spirit of Georgia | The Dark Angel |
AV-15 | 90-0040 | 1015 | Spirit of Alaska | |
AV-16 | 90-0041 | 1016 | Spirit of Hawaii | |
AV-17 | 92-0700 | 1017 | Spirit of West Virginia | |
AV-18 | 93-1085 | 1018 | Spirit of Oklahoma | |
AV-19 | 93-1086 | 1019 | Spirit of Kitty Hawk | |
AV-20 | 93-1087 | 1020 | Spirit of Pennsylvania | Penny the Pig, Grim Reapers |
AV-21 | 93-1088 | 1021 | Spirit of Louisiana | |
AV-22–AV-135 | 取り消し | Spirit of St. Louis |
B-2爆撃機は極めて高度な軍事兵器であり、秘密保持には最高度の注意が払われている。機体の写真撮影はアングルや撮影距離などが厳重に管理・制限される。兵器を搭載して戦闘準備を整えた状態のコックピット内映像撮影も禁止されている。
B-2の初実戦は1999年のコソボ紛争である。初飛行から10年も経ってからの実戦であるが、それまで実戦経験が無かった理由としては、
同紛争中、セルビアの中華人民共和国大使館への誤爆が発生した。アメリカ及びNATOは、古い地図を用いて目標を設定したミスによる誤爆であるとして中華人民共和国に謝罪した。しかしながら、当時ユーゴスラビア連邦共和国大統領であるスロボダン・ミロシェヴィッチと親密だった中華人民共和国がセルビア側を支援していたため、大使館地下にあった指揮所を故意に爆撃したのではないかという見方が存在する[15]。
などから最大17tまで選択可能
実用的な全翼機の製造はノースロップの創業者であるジャック・ノースロップの夢であり、同社自体が彼の夢を実現するために何度も設立されたものである。しかし彼の夢は最大の挑戦、YB-49爆撃機の開発失敗によって頓挫し、1952年失意のうちに彼は航空工業界を引退する。その後ノースロップ社はF-89やF-5などの堅実な設計の機体開発に努めることとなる。
1980年、パーキンソン病に冒され余命幾ばくもないノースロップは本社に招かれ、存在自体が極秘機密であるにもかかわらず、軍の特別許可を得て製作されたB-2の完成記念模型をプレゼントされた。
この時ノースロップは車椅子に乗らなければ移動が困難な状態で、既に会話もままならなくなっていたが、一枚の紙に「Now I know why God has kept me alive for 25 years(なぜ神が私に25年間の余生を与えたもうたのか、その理由がわかった)」と書き残した[16]。その翌年、ノースロップは全翼機に生涯を捧げた85年の人生に幕を閉じた。
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