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日野車体工業株式会社(ひのしゃたいこうぎょう、Hino Body Co.LTD)は、1975年(昭和50年)4月から2004年(平成16年)9月まで存在したコーチビルダー[1]。神奈川県横浜市鶴見区に本社を置いていた[1]。日野自動車100%出資の完全子会社であった。
2002年(平成14年)10月1日に会社分割を行い、トラック架装会社を存続会社として株式会社トランテックスに商号変更した[1]。バスボデー製造会社を分社化する形で事業継承した(新)日野車体工業は、2004年(平成16年)10月にジェイ・バスが(新)日野車体工業といすゞバス製造の2社の存続会社となる形で3社合併し、日野車体工業は法人としては消滅した。
1975年(昭和50年)4月、帝国自動車工業(ていこくじどうしゃこうぎょう)と金産自動車工業(きんさんじどうしゃこうぎょう)が合併し、日野車体工業株式会社に商号変更した[1]。
帝国自動車工業(帝国自工)の工場を引き継ぎ、神奈川県横浜市鶴見区尻手1丁目1番25号[1][2]に本社を置き、日野車体工業横浜工場としていた[1]。
1939年(昭和14年)9月に開設され[1]、63年間続いた歴史ある横浜工場は、ジェイ・バスへの統合に伴い、2002年(平成14年)9月に閉鎖された[1]。工場は解体され、跡地は大規模分譲マンション「ヨコハマオールパークス」[4]として再開発されている。
日野車体工業では、日野自動車のCI変更でロゴマークが「Hino」から大文字の「HINO」へ変更された後も、ジェイ・バスへの統合まで日野の旧ロゴマークを使用していた(Hino Body=筆記体、H,Bのみ大文字)。
バスボデーのほか、トラック荷台やトレーラー車体の製造も行い、トラックボデーやアルミバンは日野製シャーシ以外へも架装していた。トランテックスとなってからもより積極的に日野シャーシ以外に架装している。
本項では、日野車体工業の前身となった帝国自動車工業と金澤産業(かなざわさんぎょう、のち金産自動車工業)の2社についても述べる。
日野車体工業発足後も、1983年(昭和58年)までモノコックボデーを並行生産し、国鉄バス向けいすゞシャーシへの架装を続けた(架装はいすゞ・C系まで)。
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