茨城中学校・高等学校
茨城県水戸市にある中高一貫校 ウィキペディアから
茨城県水戸市にある中高一貫校 ウィキペディアから
茨城中学校・高等学校(いばらきちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、茨城県水戸市八幡町にある私立中学校・高等学校。略称は茨中・茨高(いばちゅう・いばこう)。日本三大藩校の一つである弘道館の流れを組み国内屈指の歴史を持つ、県内最古の私立高等学校・中学校である。また、県内最古の中高一貫校である。中学校からの入学者に中高一貫教育を提供し、高等学校においては、高校からの入学者と3年次から混合する併設混合型中高一貫校。
茨城中学校・高等学校 | |
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北緯36度23分20秒 東経140度27分27.6秒 | |
過去の名称 | (旧制)茨城中学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人茨城 |
併合学校 | 水戸学院(昭和時代) |
理念 | 報恩感謝 |
校訓 |
真理と正義を愛する 強健な身体と不屈の精神を養う 協同友愛の念を厚くする |
設立年月日 |
1841年 (水戸藩藩校弘道館(旧制・茨城中学校) |
創立記念日 | 10月3日 |
創立者 | 飯村丈三郎 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科国際教養コース |
学期 | 2学期制 |
学校コード |
D108320100013 高等学校) C108320100015 (中学校) | (
高校コード | 08503A |
所在地 | 〒310-0065 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
1841年(天保12年)、水戸藩により藩校として設立された弘道館を起源とする私立学校である。明治維新を経て1872年に弘道館が閉鎖されて以来、水戸学を信奉する学者により私塾が次々と開かれたが、いずれも閉鎖や廃絶を繰り返していた。その中で1924年(大正13年)、飯村丈三郎は弘道館の流れを汲む唯一の私塾であり経営困難に陥った水戸学院の支援を持ちかけられ、1927年2月5日(昭和2年)、飯村が巨額の私財を投じ、私立茨城中学校(旧制)が創設された。建学の精神は、飯村が終生の信条とした「報恩感謝」である。
戦後の学制改革を経て、1948年(昭和23年)、「茨城高等学校」(新制)となり、茨城中学校(新制)を併設した。ここに現在の茨城高等学校・中学校の原型が定まった。
創立以来男子校であった。また、中高一貫教育でなく[2]、茨城中学校から茨城高等学校へ進学するには、比較的容易ではあったとはいえ、原則として形式上入学試験を受ける必要があった。外部の高校を受験するのは原則として自由であったため、茨城中学校を卒業予定の生徒の多くが茨城県立水戸第一高等学校をはじめとする県立高等学校を受験し、茨城大学教育学部附属中学校とならび、水戸一高に多くの合格者を出すことが一つの売りでもあった。
1977年に創立50周年を迎え、「茨城高等学校 茨城中学校 創立50周年記念会館(建造物に記されている表記ママ)」が建築開始。木造2階建てであり、2023年時点でもかるた競技部等の文化部で使用されているが、老朽化が進んでおり、客観的に見ても改修が求められる状態になっている。
1995年(平成7年)、中高一貫教育課程に移行し、その年度の入学生から段階的に男女共学化し[3]、高等学校を進学校としてより充実させる方向に舵を切った。茨城高等学校は、それに合わせ1998年(平成10年)に男女共学、茨城中学校からの入学生に対して中高一貫教育課程を提供するとともに、それとは教育課程を異にする高校課程からの入学生も募集した。
中高一貫制度の導入、男女共学化は学校に新風をもたらした。カリキュラムを一新し、多様な教育活動が実践され、大学合格実績の飛躍につながった。中学体育祭が現在の4色対抗戦となったのも、中高一貫化の翌年の1996年(平成8年)である。
ただし、1995年以降導入した中高一貫教育も、学校教育法第71条に基づいて文部科学省により正式に中高一貫教育を認定された学校ではなかった。2008年(平成20年)4月より、茨城中学校・茨城高等学校の2校によって、併設型中高一貫教育を行うことが文部科学省から認定された。認定により、法令に基づいたカリキュラムの特別編成を行うこと(中等教育学校に適用される規定の適用)が可能となった(ただし、教育課程を異にする高等学校からの入学生も募集している。)。
男女共学の開始当初、中・高とも女子生徒の募集は全体の3割であったが、2010年代には、徐々に女子の募集が増えてきており、男女比率はほぼ1対1となっている。
2008年9月から2011年3月の間に、木目を基調とした明るい雰囲気の新校舎(新A棟・新B棟)の新設がなされた。それらは、耐震、防犯の面でも強化が施されている。C棟には物理、生物、化学のそれぞれの実験室を備えている。
2019年(令和元年)、医療系学部への進学希望者が多いため、長年行われてきた「医歯薬外部連携講座」を発展、拡充する形で、「医学コース」を設置した。茨城県の医師不足解消の一翼を担うべく、地域医療を志す医師、医療人の育成を目指している。さらに2020年(令和2年)には、グローバル人材の育成を目的とし、海外大学との連携や約6ヶ月の海外留学をカリキュラムに含む「国際教養コース」を設置した。同年、医学コースは国立病院機構水戸医療センターと、茨城高等学校・中学校としてカリフォルニア大学デービス校国際教育センターと、それぞれ連携協定を締結した。
2021年現在、茨城中学校は県内に10校程度しか存在しない私立中学校の一つである。茨城高等学校は全日制課程に普通科を設置している。
2027年に創立100年を迎え、卒業生は3万人を越える。それに伴い、「茨城高等学校 茨城中学校 創立50周年記念会館」の真横に、「学習支援センター」が建築されることとなっている。[4]「学習支援センター」建築予定地は2022年頃までは「橋本コーポ」という集合住宅であった。立ち入りを禁止とする立て看板が設置されているため、学校法人が買収したものと考えられる。
2026年には学習支援センター(仮称)が竣工される。[4]
建学の精神は、創立者の飯村丈三郎の精神に由来して「報恩感謝」となっており、これに基づく形で3項目の校訓がある。[5]
中高一貫教育の利点を生かして中学校・高等学校の所定カリキュラムを概ね5年で終わらせ、高校3年時には大学受験に向けた復習・対策を実施する。また、体系的な中高一貫教育の実現の為に以下の3つの期間を設けている。[5]
高校から入学する生徒は高入生と呼称され、中学から進級した一貫生とは区別される。高校1年と高校2年では、一貫生はAからD組を、高入生は、EからG組を(国際教養コースはH組)使用し、高校3年次に、一貫生と高入生をあわせたクラス編成を行う。これは、茨城中学校と他の国公私立中学校と学習スピードが違うことにより生まれた一貫生との授業進度の差を埋めるための措置である。だが、定期試験では、一部科目が一貫生と高入生は同じ試験を受ける。
茨城中学校・高等学校は以下の生徒像を求めている。[5]
茨城高等学校は、茨城県立水戸第一高等学校や茨城県立日立第一高等学校とともに生徒の要望によって、1972年に服装を自由化したことで知られる。1995年(平成7年)の中高一貫制導入に合わせて、茨城中学校は制服を一新し、茨城高等学校は改めて制服を導入した。
授業は6年間の中高一貫教育を行うために、公立の中学校や高等学校とは、方針や形式を異にする点が多い。
例えば、中学1年次と中学2年次で公立学校の中学の学習を終わらせ、中学3年次より、高等学校の学習を開始するといった点が挙げられる。[7]
茨城中学校・高等学校における授業タイムテーブル | ||
---|---|---|
開始時刻 | 終了時刻 | |
登校完了時刻 | 8:30 | |
1 | 8:40 | 9:30 |
2 | 9:40 | 10:30 |
3 | 10:40 | 11:30 |
4 | 11:40 | 12:30 |
5 | 13:10 | 14:00 |
6 | 14:10 | 15:00 |
7(高校に限る) | 15:10 | 16:00 |
茨城高等学校は青色、茨城中学校はやや暗い赤色のものがブランドカラーとして採用されているとされる。両者共に、丸みを帯びた星型の中央部に「高」「中」と印されたものが、学校のロゴマークとして使用されている。
茨城中学校・高等学校では学年ごとのカラーを定めるが、厳密には学年(グレード)のカラーではなく、入学年次によって定められるカラーである。以下にその詳細を示す。
高等学校(中学校)の入学年次 | カラー | |
---|---|---|
2026(2023) | 2020(2017) | 水 |
2025(2022) | 2019(2016) | 赤 |
2024(2021) | 2018(2015) | 黄 |
2023(2020) | 2017(2014) | 緑 |
2022(2019) | 2016(2013) | 白 |
2027(2024) | 2021(2018) | 青 |
茨城中学校・高等学校は1995年に制服制を導入した。2024年度より茨城中学校の女子制服の仕様が変更になっているため、それらの事項も含めて、制服についてを以下に記す。
なおブレザーに左胸に印される冠章(かんしょう)とは以下のものである。
その他制服の左胸に印される略章(りゃくしょう)とは以下のものである。
制服の名称 | デザイン | 種類 | 学校シンボルマークの扱い | 素材 | 着用に関する基準
許可されているものは可 許可されていないものは無表記 | |||
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茨城中学校 | 茨城高等学校 | |||||||
男子 | 女子 | 男子 | 女子 | |||||
ワイシャツ | 白 | 半袖
長袖 |
略章 | 可 | 可 | 可 | 可 | |
ポロシャツ | 白 | 半袖 | 略章 | 伸縮性 | 可 | 可 | 可 | 可 |
ブレザー | 紺 | 長袖 | 冠章 | 可 | 可 | 可 | 可 | |
セーター | 紺 | 長袖 | 略章 | 可 | 可 | 可 | 可 | |
ベスト | 紺 | 袖なし | 冠章 | 可 | 可 | 可 | 可 | |
ネクタイ | おおよそ赤:白:銅:白:赤:紺の色が1:1:3:1:1:10の比率の順で縞模様となる。 | 可 | 可 | |||||
ネクタイ | おおよそ紺:白:銅:白:紺:赤の色が1:1:3:1:1:10の比率の順で縞模様となる。 | 可 | 可(2024年度以降) | |||||
スラックス | 紺色の生地に黒に近い藍色の線が十字に交わるもの。 | 夏用
冬用 |
可 | 可 | ||||
スラックス | 限りなく黒に近い灰色の生地に薄く緑や灰色の縞模様が入る。 | 夏用
冬用 |
可 | 可 | ||||
リボン※ | 両端に凹ボタンが着いており、それを襟の裏側の凸ボタンにはめ込むもの ここでの凹ボタン・凸ボタンというのはスナップボタンのことである。赤色の布地に白色の水玉模様。 | 可(2023年度入学生まで) | ||||||
セーラー風襟ブラウス※ | 白色。リボンを装着する為の凹ボタンが存在した。 | 半袖
長袖 |
可(2023年度入学生まで) | |||||
スカート※ | 紺色の生地に黒に近い藍色の線が十字に交わるもの。 | 夏用
冬用 |
可 | |||||
ジャケット | 紺色。胸元の隙間からリボンを出す。 | 可(2023年度入学生まで) | ||||||
スカート | 限りなく黒に近い灰色の生地に薄く緑や灰色の縞模様が入る。 | 夏用
冬用 |
可 | |||||
予備用スカート | 明るめのデザイン。ボックススカート。 | |||||||
カバン | 黒色 | 冠章 | 購入必須 | |||||
体操服 | 紺色基調。グレードカラー導入。 | 半袖シャツ(白)
長袖上着(紺色) 半袖ズボン 長袖ズボン |
購入必須 | |||||
体育用シューズ | グレードカラー導入。 |
2024年現在では、茨城中学校・高等学校は以下の施設を保有するので以下の表に記す。[9]
棟号 | 主な用途 | 竣工日 | 備考 |
---|---|---|---|
A棟 |
| 2011年 | 鉄筋コンクリート造・4階建て |
B棟(旧7号館) |
| 平成初期 | 鉄筋コンクリート造・3階建て |
C棟 |
| 2011年 | 鉄筋コンクリート造・3階建て |
D棟(旧5号館) |
| 平成初期 | 鉄筋コンクリート造 |
E棟 |
| 鉄筋コンクリート造 | |
創立50周年記念会館 | 1977年建設開始 | 木造・2階建て | |
第1グラウンド |
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第2グラウンド |
| ||
第3グラウンド |
半地下に食堂施設を所有している。教員及び高校生が昼の時間帯に使用可能。文化祭時には一般開放。
茨城中学校・高等学校の校舎から道路を挟み、南西の方向に位置する施設。旧制茨城中学校が1977年に創立50周年を迎え、「茨城高等学校 茨城中学校 創立50周年記念会館(建造物に記されている表記ママ)」の建築が開始された。木造2階建であり、青みを帯びたグレー(俗に言うロシアンブルーカラー)の外壁を持つ。2023年時点でもかるた競技部等の文化部で使用されている。
300名が収容可能とされる。[10]
約60,000冊の蔵書を持つとされる。[10]
茨城中・高は、水戸藩の藩校である弘道館やそこで形成された水戸学の流れを汲み、学校図書館は、弘道館の蔵書を引き継いでいる。明治維新後に弘道館の蔵書のほとんどが国有とされたが、1945年(昭和20年)8月2日未明の水戸空襲により焼失した。このため、茨城中学校・茨城高等学校がわずかに引き継いでいた1万余りの史料が、現存するものでは大半を占めている。現在は、茨城県立歴史館が弘道館より引き継いだ史料を委託管理している。
国際教養コース(高校1年次より加入が可能)
以下は休業日である。休業日とは授業が休みの日を指す。教職員の出勤そのものが行われない日は「休校日」と呼称される。
茨城中学校・高等学校のホームページの記載に準ずるものとする。
基本的には新年度の4月から行われる順に記す。
1841年(天保12年)に設立された水戸藩の藩校である弘道館の流れを組んでいる。明治維新の後、伝統を保つために関係者が自彊舎を設立し、弘道学舎、水戸塾、水戸学院として昭和にまで存続した。1927年(昭和2年)に政界・財界で活躍していた飯村丈三郎が、水戸学院を引き継ぐ形で旧制私立茨城中学校を設立した。
第二次世界大戦後の学制改革により、1948年(昭和23年)に旧制茨城中学校は新制の茨城高等学校に改組して、同時に新制の茨城中学校を併設した。
両学校の設置者の学校法人茨城は、男女共学・中高一貫教育体制の導入を決定し、1995年(平成7年)から茨城中学校は男女共学になり、1998年(平成10年)には茨城高等学校も男女共学になった。
茨城中学校・高等学校は「末広門(すえひろもん)」と「正門」の2つの校門が存在する。末広門は生徒や教職員の通勤・通学用であり、外部の人が訪れる際には使用できない。学校の敷地は国道118号線に沿うかのような形で東西に伸びているため、118号沿いに最寄りのバス停が2つ存在する。前者の校門の最寄りバス停留所が「末広町2丁目」となり、後者の最寄りのバス停留所が「茨城高校入口」となる。
水戸駅から県道118号線を経由し、茨城大学に至るには、茨城交通及び関東鉄道の2つの事業者のバスが路線を所有しているが、関東鉄道バスを利用する場合は「末広町2丁目」と「茨城高校入口」の2つのバス停は一切停車しないため、関東鉄道のバスが停車する「上水戸入口」か「大工町」のバス停を経由する必要が有る。前者が末広門の最寄りであり、後者が正門の最寄りである。それらの情報を以下に分かりやすく図示しておく。このセクションでは茨城中学校・高等学校を「学校」と表記する。
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