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架線から得た電力で走るバス ウィキペディアから
トロリーバス (英語: trolleybus, trolley bus, trolley coach)とは、道路上空に張られた架線(架空電車線)から取った電気を動力として走るバスを指す。「トロリー」とは、集電装置の先端に備わる「触輪」のこと。外観も操縦法も普通のバスに近い。略してトロバスとも呼ばれ、日本語では無軌条電車(むきじょうでんしゃ、英語: trackless trolley, trackless tram)と訳される。
日本では、かつて都市部の路上で運行されていた当時は軌道法、その後は鉄道事業法に準拠する交通手段として、鉄道車両に分類されている。電気バスも同じく電気で走るが、架線からの集電装置がなく、法律上は自動車扱いとなることからトロリーバスには含まれない。
トロリーバスは路面電車とバスの特徴を兼ね備えた交通機関で、排気ガス(排出ガス)が発生しない、軌道を敷設する必要がない、などの長所を持つ。しかし、進路上に障害物があってもトロリーポール(集電装置)の可動範囲を超えた操向ができず、通常の運転でも稀にトロリーポールが架線から外れるトラブルが起こることもある。架線が分岐・交差する個所ではトラブルが起こりやすく、その手前では減速する必要があり、後続車列で充分な車間距離が保たれていないと交通渋滞を招く[注釈 1]。現在は自動車交通量の増加に加え、性能が高いディーゼルエンジンやハイブリッド方式の大型路線バスの出現とともに廃止が進んでおり、日本では市街地を走るトロリーバス路線は全て廃止されている。世界的にはソ連の影響下で都市計画を行った社会主義国・旧社会主義国の都市には今も多く残されている。さらにカナダなどの水力発電による豊富で安価な電力が安定して供給される地域、日本の黒部ダムのような観光地でも利用されている。
給電用の架線が張れない場所で走行するための小排気量の補助エンジンを持つものもある。このエンジンは発電用ではなく、車両を直接推進するために用いられ、日本でもかつて都営トロリーバスで、電化された鉄道の踏切を渡るために使用するものがあった。最近では、ディーゼル発電機を搭載したハイブリッド方式や蓄電池を搭載した車両が開発され、架線がない道路でより長距離を走行できるようなものもある。中国 北京市では、王府井の繁華街の景観対策や長安街の横断対策(建国記念日である国慶節や節目の年には大規模な軍事パレードがあるため、架線を張ることができない)に利用されている。
道路上の架線(トロリーワイヤ = trolley wire)から棹状の集電装置(トロリーポール = trolley pole)を用いて集電して電動機を回し、動力とする。このトロリーから集電して走ることから「トロリーバス」と呼ばれる。トロリーポール先端部の架線と接触する部分は、ごく初期においては路面電車と同様な滑車(トロリーホイール = Trolley wheel)が用いられたが、トロリーバスは道路状況によっては架線の直下を大きく外れて走る必要があるため、滑車では架線との角度が大きくなった場合の追従性が不十分であり、U字断面で自由に回転できるスライダー(摺り板)式が開発され、普及した。
タイヤは普通の自動車と同じゴムタイヤである。外観も屋根上のトロリーポール以外は普通のバスとほぼ同じ[注釈 2]だが、動力源や主制御器は電車に等しい。ただ、普通の電車と違って線路にアース(帰電)させることができないため、架線は+と-の2本で、2本のトロリーポールをそれぞれ並行する架線に当てている。
トロリーポールと架線のそれぞれの剛性やトロリーポールの遠心力の問題から、カーブを曲がる時などに速度を出しすぎたり、急カーブを切ろうとすると、しばしばトロリーポールが架線から外れてしまうことがあり、その場合は一旦車両を停止させ、乗務員(運転士や車掌)が車両の後ろに回り、トロリーポールのケーブルを引っぱって、架線にトロリーポールを掛け直す必要がある。架線を外れたポールが跳ね上がって吊線(スパン ワイヤー)を切断することを防止するため、離線時のポールの上昇を防止するキャッチャーや、ぜんまいばねの働きで引きひもを巻き取り、ポールを下降させるリトリーバー(レトリーバー)[1]が車体後部に設けられている。また離線をしなかった場合でも、車線を間違えた場合や、わずかなトロリーポールの揺れ等で、行くべき方向と異なる側の架線に繋がってしまった場合も、手動でトロリーポールを下ろして正規の架線に繋ぎ戻す必要がある。
なお、前述の理由で離線した時に安全で交通の妨げにならない場所まで車両を移動するとき、部分的に架線を取り付けることのできない区間(鉄道の電化区間にある踏切など)を走行するとき、道路工事、事故、火災、災害などで本来の路線の道路が通行止めになった際、一時的に路線外の道路を使用して迂回するときなどのため、補助エンジンやバッテリーを搭載している車両が主流になっている。また、かつては車体の絶縁技術が不十分であったことから、しばしば漏電を起こして乗客や運転士が感電することもあった。
電動機で走行することは、内燃機関のバスとの比較では上記のような利点があるが、電気を動力とする電気バスとの比較では一部の項目を除き同等である。
総じて、車載バッテリーを主電源とする電気バスの技術向上により、あえて架線から集電する方式のトロリーバスを存続させる意味が希薄化しつつある[注釈 3]。
1882年4月29日に、ドイツのヴェルナー・フォン・ジーメンスがベルリン郊外のハレンゼー(Halensee)付近で540メートルの区間で運行を開始したのが世界初のトロリーバスとされる[2]("エレクトロモト"の試験運行)。車体は開放式馬車をそのまま用いた形態となっていた。この実験は同年6月13日まで続けられた。この実験の後、1900年に開催されたパリ万博でデモンストレーションを行うなどヨーロッパ各地で実験が行われ、アメリカ合衆国などにも伝わった。集電方式については当初、小さな車輪を架線に載せ、これを柔軟性のある送電線で車体とつないで引っ張りながら走行する方法が採られていたが、後にトロリーポールが使用されるようになった[2]。
世界初の営業運転は1901年7月10日、ドイツ・ドレスデン郊外のケーニッヒシュタインとヒュッテンの間で行われたものとするのが通説であるが、この路線は1904年に廃止され短命に終わっている。このときの車両では前後に並べた2本のトロリーポールで集電を行う方式が採用された[2]。
ドイツはトロリーバス発祥の国であり、初めて営業運転が行われた国でもある。ポツダムなどでは現在でも都市交通として活躍している[4]。
1901年7月15日にフォンテーヌブローで路線が開業した。また、1900年代初めにはフランスのリヨンでもトロリーバスが営業を開始した[4]。パリでは1912年に路線が開業している。
1911年に初の営業路線がイングランド北部のリーズとブラッドフォードの間に開業した[2]。イギリスのトロリーバスは2階建て仕様車が多く、かつてはロンドン市内でも2階建てトロリーバスが見られた。しかし、現在は都市交通でのトロリーバスは全廃されている[4]。
1903年、スクラントンにおいて実験的な運行が行われ、1910年にはロサンゼルスで旅客営業が開始された[2]。
アメリカ国内には観光地を中心にトロリーバスまたはトロリーと称するバス(en:Tourist trolley)が多く運行されているが、これらはレトロ調の車体を使用したディーゼルエンジンまたはガソリンエンジンの通常のバスである(ファンタスティックバスも参照)[5]。
このほかに、現在も、サンフランシスコ、シアトルなどの一部の大都市で架線集電によるトロリーバスの営業運転が行われている。
また、これらの都市での営業運転だけでなく、イリノイ鉄道博物館などのように旧型のトロリーバスの動態保存に取り組んでいる団体もある。
ロシアの首都モスクワは路線延長1251キロメートル、保有車両1,851両で、年間6億5千万人を輸送する世界最大のトロリーバス都市であったが[4]、2020年8月末日をもって事実上の廃止となった。廃止の理由は、電気バスへの移行と利便性の向上のためとされているが、明確な理由は明らかにされておらず、一部の住民はモスクワ市長の利権がらみとして反発している[6]。
1912年(明治45年)には東京市電気局によってトロリーバスの実験車両が試作され、4月11日に浜松町の工場から数寄屋橋車庫まで運転された。また、1926年(大正15年)には日立製作所がフォード製の自動車を改造し、三相交流式のトロリーバスを試作している。
日本におけるトロリーバスの初めての営業運転は、1928年(昭和3年)8月1日に阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)花屋敷駅(廃駅)と新花屋敷(現在の川西市満願寺町付近)の間1.3キロメートルを結ぶ区間で運行を開始した日本無軌道電車とされる。温泉宿・遊園地へのアクセス路線として、当時のバス(ガソリンエンジン)では登坂不可能であった急勾配を越えるためのものだった。しかし業績不振により、1932年(昭和7年)1月に休業、同年4月には廃止され、開業後わずか4年弱という短命に終わった。
都市交通機関として初めて開業したのは、1932年の京都市電気局(現在の京都市交通局)の京都市営トロリーバスである。その後、1943年(昭和18年)に名古屋市交通局の名古屋市営トロリーバスが開業するまでこれが日本唯一のトロリーバス路線であった。
戦後になって、多くの大都市にトロリーバス路線が開業した。その背景には、当時の内燃機関のバスは大型化には対応していたが、依然として出力性能が低く頻繁な整備が必要な上、騒音や振動にも改善の必要がある状況だったため、電車の技術を応用して車体の大型化に対応できるトロリーバスに期待が集まったこと、また路面電車に比べて建設費が1/3で済むことなどがあった。しかし架線下しか走れないこと、モータリゼーションによる自動車の増加で道路混雑が激化したため定時運行が困難になったこと、また性能の良いエンジンを持った大型バスの開発が進んだことなどから、1960年代後半から1970年代初めにかけて順次廃止されていった。
都市型トロリーバスで最後に開業・廃止されたのは横浜市交通局の横浜市営トロリーバスで、1959年に開業、1972年に廃止された[7]。路線バスに比べて車両の費用が高く、また他都市のほとんどのトロリーバスが廃止されたため、車両新造や部品調達に支障をきたすこと、横浜市交通局が財政再建団体に指定されたことにより廃止される横浜市電と共用の変電所を単独で維持することが難しいことなどの理由により、市電と同時に廃止された[8]。
一方、1964年には関西電力が黒部峡谷(富山県)に建設した関電トンネルで関電トンネルトロリーバス(黒部ダム駅 - 扇沢駅)の運行を開始。日本から都市交通としてのトロリーバスが消滅したあとも運行を継続し、長きにわたり日本唯一のトロリーバスとして知られた。そして、1996年には関電トンネルトロリーバスと同じく立山黒部アルペンルートを構成する立山黒部貫光がそれまでのディーゼルバスから転換し、立山トンネルトロリーバス(室堂駅 - 大観峰駅)の運行を開始した。これは同路線の全区間がトンネルであるため、換気に困難を伴うことと、周辺が国立公園であることによる自然環境への配慮から、関電トンネルトロリーバスに倣って排気ガスを出さないトロリーバスに置き換えられたものである。その後、関電トンネルトロリーバスは2018年11月30日にてトロリーバスでの運行を終了し[9]、電気バスに置き換えられ、2018年12月以降は立山トンネルトロリーバスが日本における唯一のトロリーバスとなっていた。こちらの路線も同様に電気バスへ置き換えられることとなり、2024年11月30日の運行をもってトロリーバスでの運行を終了した[10]。これにより日本のトロリーバスは全廃となった[11]。
日本の法令上は無軌条電車(むきじょうでんしゃ)とされ、鉄道の一種として扱われている。かつては無軌道電車(むきどうでんしゃ)と呼ばれていたが、「無軌道」には「常軌を逸した」という意味もあり悪い印象を与えるとして「無軌条電車」に改められた。1947年(昭和22年)以降、法規上は無軌条電車という鉄道の一種に分類され、軌道法または鉄道事業法が適用される。無軌条電車運転規則のほか、路線が公道上なら道路交通法に則って運行される。
運転士は大型二種免許に加え、動力車操縦者運転免許(無軌条電車運転免許)も取得しなければならない。大型二種運転免許を保持している者に対しては、無軌条電車運転免許の技能試験以外の試験が免除される(かつては試験すべてが免除されたが、2009年(平成21年)の省令改正により技能試験は免除対象外(改正前に取得したものは既得権)となった)。なお2001年に開業したバス車両を利用した案内軌条式鉄道(ガイドウェイバス)である名古屋ガイドウェイバスも「電気車」ではないが、法規上はこれらに分類されている。
公道上を走るトロリーバスは道路交通法の適用を受け、信号機や横断歩道などの規制の適用を受ける。ただし、分類としてはトロリーバスは同法の自動車には含まれず、同法の車両には含まれる。
一方でトロリーバスは公道を走る車両であっても道路運送車両法の規制は受けない。従って陸運局(当時)への登録、自賠責保険および車検は不要であり、(自動車としての)ナンバープレートも付いていない。
現在はバス低床化が進んでおり、イリスバス社のCristalisなどのようにインホイールモーターを用いたノンステップ車が開発されている。
また、景観上の問題その他で架線の張れない区間用に新しいデュアルモード車も開発されている。ディーゼル 発電機を搭載したトロリー給電とのハイブリッド型やバッテリー技術の向上による蓄電池を搭載した車両が開発され、架線のない道路でより長距離を走行できるようになった。ディーゼル発電機を搭載したハイブリッドトロリーバスは、ニュージーランドやアメリカ ボストンのシルバーラインで採用されているネオプラン社製のものや、主にフランスで採用されているイリスバス社製のCristalisがある。中国ではバス停に併設された給電軌条にパンタグラフを押しつけてバス停で電池に充電する車両が実用化されている。イタリアでは一時期磁力ピックアップ方式による路面給電式のトロリーバス (Stream) が試験運転されたが、こちらは成績が芳しくなく本格採用には至っていない。ローマのトロリーバスは、終端のテルミニ駅付近の往復3キロメートルに架線が張られておらずバッテリーで走行している。
もう一つの技術革新は、ハンドル操作が不要のガイドウェイ技術の導入である。ドイツで一時期運行されていたローラー式に代わって、21世紀初頭には非接触のガイドウェイ式トロリーバスが試作されている。代表的なものは、光学式と磁力式である。光学式は地面にペイントされた白線をカメラで読み取って操舵するものである。磁力式は地面に埋め込んだ磁石を頼りに操舵するものである。前者はイリスバスのCIVISなど、後者はオランダのPhileasで採用されている。CIVIS・Phileasともに電気駆動のハイブリッドバスとして設計されており、トロリー給電のほか、ディーゼル発電のバスとして走行することも可能である。なお、CIVISはディーゼル発電のみのバス仕様のものしか採用[注釈 4]されていない。
フランスのナンシーではボンバルディア・トランスポーテーションが開発した“TVR”というシステムのゴムタイヤトラムが採用されている。これは一本の案内レールに沿ってゴムタイヤで走行する路面電車に近いものだが、一部区間は案内レールがなくトロリーバスのような走行をしている。ただし、案内レールへの接続トラブルが頻発したため、TVRはナンシーとカーンの2都市のみの採用に留まっている。また、ガイドレールのカーブ区間で脱輪する事故が相次ぐなど、高速走行ができないという欠点も指摘されている。
また、近年普及しているハイブリッドバスの技術開発はトロリーバスにも大きな影響を与えているが、特にトロリーバスへのディーゼル発電機やバッテリーの搭載は、ハイブリッドバスや非接触充電式のバッテリーのみで走行するバスに比べ、頻繁な充放電による電池の劣化が少なく電池交換のコストが低い点で評価できる。
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東南アジアでは唯一シンガポールで運行されていたが(「シンガポールのトロリーバス」を参照)、1962年に廃止された。アジア太平洋圏ではトロリーバスが廃止傾向にある。
なお、中国ではトロリーバスのことを「無軌電車」または単に「電車」という。
北朝鮮の標準語(文化語)では「無軌道電車」(무궤도 전차、ムグェドジョンチャ、Mugwedo jŏncha)という(韓国側では「トロリーバス」(트롤리버스、トゥロルリボス、Teurolli beoseu))。
ロシア国内ではこのほかの多くの都市でもトロリーバスが運行されている。
スイス国内ではこのほかの都市でもトロリーバスが運行されている。
など。
*現在ロシアのウクライナ侵攻のため休止
など。
など。
など。
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