瀬戸内海汽船(せとないかいきせん)は、広島県広島市に本社を置く海運会社。広島市・呉市と松山市の間を結ぶ高速船およびフェリー航路のほか、広島湾他でのクルーズ船を運航している。
高度経済成長期以降の架橋による道路網の発達に伴い、既存航路が打撃を被る事案が増加した。
1973年、尾道大橋開通で赤字に陥った尾道水道の渡船7業者が日本道路公団を相手取って損害賠償を求める訴訟を提起したが、瀬戸内海汽船社長が会長を務めていた「中国旅客船協会」もこれを全面支援した。この訴訟は架橋による既存航路事業者への補償問題が顕在化するきっかけともなった。
- 「架橋による航路の損失補償要求貫徹 中国地方決起大会」
- 中国旅客船協会は1973年4月16日、以下を決議し、政府関係機関ならびに架橋など道路事業を行う公団などへ要求書を提出した。
- 架橋着工前に旅客船関係者と従業員が納得し得る補償制度を確立すること、既に着工済みのものについては直ちに納得し得る補償内容を示すこと。
- 転業ないし航路再編成が出来る損失補償及び救済措置を講じること。
- 従業員の退職手当及び転職の斡旋及び、その資金の完全支給を行うこと。
- 不用船舶、施設の買い上げまたは、売却損補填を確約すること。
また、架橋により航路廃止・縮小した事業者とその従業員の受け皿を担う会社の設立も行われている(広島県および周辺地域では、本四バス開発・瀬戸内しまなみリーディング・瀬戸内産交・芸予開発など)。
創業時点では34航路を運航していた。当時の主力は以下の4航路である。
- 広島 - 呉 - 松山航路
- 広島 - 呉 - 大長 - 今治航路
- 尾道 - 今治航路
- 尾道 - 多度津航路
1964年12月時点では10航路を運航していた(「瀬戸内海汽船55年史」より)。
- 別府線(別府 - 宇品 - 呉)宇和島運輸と共同運航で1日2往復。
- 芸予線(宇品 - 呉 - 松山)石崎汽船と共同運航で1日6往復。
- 今尾線(今治 - 尾道)14往復、その内水中翼船が4往復。
- 今治特急・急行便(宇品 - 呉 - 大長 - 今治)特急3・急行2の5往復。
- 多度津線(尾道 - 鞆の浦 - 多度津)3往復。
- 新居浜線(尾道 - 弓削 - 四阪島 - 新居浜)1往復。
- 因島西線(尾道 - 重井 - 田熊 - 土生)西廻り10往復。
- 呉線(呉 - 江田島小用)40往復(内フェリー8往復)。
- 吉浦線(呉吉浦 - 江田島小用)11往復。
- 今治普通便(宇品 - 呉 - 今治)1往復。
現存航路
- 広島港(広島市) - 呉港(呉市) - 松山観光港(松山市)を結ぶカーフェリー「クルーズフェリー」を10便(うち呉に寄港しない直行便1便広島5:45発松山観光港行きのみ)、高速船「スーパージェット」を9便(うち、呉を経由しない直行便5便)運航している。いずれも客室は全席禁煙である(喫煙室が別途設置されていたが、2008年(平成20年)4月1日に廃止された)。
- 瀬戸内海汽船の船上から撮影した航路全域のGoogle ストリートビューが2015年1月22日から公開されている[11]。
スーパージェット
料金
- 運賃(特急料金を含む)
- 広島 - 呉 - 2,500円
- 広島 - 松山-8,000円(2022年8月31日で往復割引は廃止となった)[12]
- 呉 - 松山 - 6,300円
- 料金
船内施設
- 1階 - 売店・トイレ・自由席
- 2階 - 操舵室・スーパーシート
レストラン船
レストラン船「銀河」を運航しており、定期運航のほか、貸切運航(結婚式やパーティー等)も随時実施している。夏期は納涼船としての需要が多くなっているとされる。
以前は屋形船も運航していたが、2008年(平成20年)1月末をもって廃止された。
主な廃止航路
- 尾道 - 今治航路(旅客船・水中翼船・高速船)
- 山陽新幹線博多延伸後、乗り換えの便利な三原に乗客が流れ[要出典]運航規模が縮小した。生口橋開通の1991年、尾道~瀬戸田間が廃止となる。
- 1945年、第十東予丸沈没事故が発生し、死者・行方不明は397名。
- 新幹線開業以前も1972年の松山空港ジェット化以後、愛媛から本州へのメインルートからは外れていたといわれる。[要出典]
- 国鉄との通過連絡運輸を実施しており、1枚の切符で四国と本州間の駅を結んだ。
- 三原 - 今治航路(昭和海運と共同運航)
- 広島 - 呉 - 今治航路
- 福山・多度津フェリー
- 1903年(明治36年)3月18日、山陽鉄道傘下の山陽汽船商社が開設した多尾連絡船(多度津港 - 尾道港間)を前身とする。
- 1906年(明治39年)12月1日、山陽鉄道が鉄道国有法国有化され、同社および山陽汽船商社の航路も移管され国営となった。
- 1910年(明治43年)6月12日、宇高連絡船が開設し多尾連絡船は廃止される。同航路を東予運輸が引き継ぐ。
- 1966年(昭和41年)4月1日、多度津・鞆間のフェリーとして運航開始するとともに、鞆・尾道間は廃止。このうち後者は備後商船が連絡運輸を実施したが、1978年(昭和53年)に福山港に変更されたのち、1988年(昭和63年)の瀬戸大橋開通時に廃止。以降は当社と広汽船・多度津町の三者出資による第三セクター「福山・多度津フェリー」(後にせとうち物流)が運航を承継したが、多度津町の資本引き揚げなどを経て2008年(平成20年)に廃止された。
就航中の船舶
高速船
- 道後(スーパージェット30)
- 190総トン、1994年就航、日立造船神奈川工場建造
- 宮島(スーパージェット30)
- 189総トン、1994年就航、日立造船神奈川工場建造
レストラン船
- 銀河
- 602総トン、1984年4月就航、神田造船所建造(第280番船)、航海速力14.2ノット、旅客定員450名
主な過去の船舶
- くるしま丸
- 97.57総トン、1950年8月就航、初の新造船、広島 - 今治航路
- うずしお
- 262.83総トン、1960年9月就航、初の船舶整備公団共有船、尾道 - 今治航路
- 呉洋
- 53.35総トン、1962年12月就航、初のカーフェリー、呉 - 江田島航路
- ぷりんす
- 177総トン、1963年9月就航、波止浜造船建造、広島 - 今治航路、船名は一般公募
- シーパレス
- 461総トン、1964年3月就航、日本鋼管清水造船所建造、広島 - 松山航路
- キングベア
- 470総トン、1966年3月就航、鞆 - 多度津航路、双胴フェリー
- こだま
- 74.84総トン、1966年8月就航、広島 - 松山航路、水中翼船
- カープ
- 4.9総トン、1968年6月就航、呉 - 江田島航路、小型水中翼船
- 面河
- 685.28総トン、1969年11月就航、広島 - 松山航路
- マリンブルー
- 70総トン、1972年4月就航、三原 - 今治航路、初の高速船
- マリンスター
- 192.12総トン、1976年3月就航、三原 - 今治航路、初の双胴高速船
- 南十字星
- 186.78総トン、1979年5月就航、周遊船
- ザ・アート87-1
- ザ・アート87-2
- 300総トン、1987年11月16日就航、呉 - 江田島航路
- インランドシー
- 1901.86総トン、1989年1月就航、1992年海外売船、阪神 - 広島航路、宿泊型クルーズ客船、元・広別汽船「阿蘇」
- 石手川
- 699総トン、1987年就航、神田造船所建造
- 全長55.9m、幅13.0m、航海速力13.5ノット。
- 旅客定員300人、車両積載数:乗用車35台。
- シーパセオ就航を機に引退。フィリピンに売却。
- 四万十川
- 699総トン、1991年就航、神田造船所建造
- 全長60.5m、幅13.6m、航海速力14.2ノット。
- 旅客定員324名、車両積載数:乗用車40台。
- シーパセオ2就航を機に引退。フィリピンの船会社に売却され「Lady of Good Hearth」と船名変更された。令和3年台風第22号で被災。
『広島会社手帳 2012年版 経営者と業績』株式会社経済レポート、2011年10月18日発行。
シーパレスは双胴船型の観光フェリー。当時は隔日での運航であり、尾道港に寄港していた。
シーパレス時代は尾道港に寄港していたが、水中翼船化のため新幹線の停車する三原港へ変更。