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主にヨーロッパにおける復古的な建築様式 ウィキペディアから
歴史主義建築(れきししゅぎけんちく)は、19世紀から20世紀はじめごろの時期に、西洋の過去の建築様式を復古的に用いて設計された建築のこと。
18世紀の新古典主義建築と20世紀のモダニズム建築に挟まれた時期に現れた、特定の傾向の建築を指す。類似する用語に折衷主義があるが、両者の違いは、歴史主義が過去の建築様式のリヴァイヴァルを本旨としているのに対し、折衷主義は特定の様式にとらわれず、いわば「いいとこ取り」をして建築家の作意により複数の様式を組み合わせて造形することにある。たとえば、ゴシック・リヴァイヴァルの建築はゴシック様式に基づいて設計されていることから「歴史主義」ではあるが、複数の様式を組み合わせてはいないので「折衷主義」ではない。
新古典主義建築では古代ギリシアとローマの建築が理想とされたが、19世紀になると中世のゴシックや近世のルネサンスが再評価され、過去の建築様式のリヴァイヴァル運動が起こった。同じ建築家の作品でも、教会を建てるときはゴシック、公共建築を建てるときはルネサンス、などと用途に合わせて様々な様式を用いる状況も見られるようになった。こうした手法は20世紀初頭ごろまで主流であったが、近代建築運動の中で否定されていった。
「歴史主義」という言葉はイギリスの建築史家ニコラス・ペブスナーによるもので、モダニズムの観点から見た19世紀建築に対する蔑称である。モダニズム全盛時代の価値観では歴史主義建築の時代は、過去の様式にとらわれ、前向きな理念を見失い混沌とした百鬼夜行の世界、節操のない折衷主義の時代であり、建築技術的にも見るものがなく、価値が低いものとみなされた。
しかし、モダニズムが広まりきったことで逆に希少価値が生まれ、今日に続く都市の美観を形成するうえで大きな役割を果たすようになった。東京駅や三菱一号館美術館では、周囲のモダニズム建築の多くが解体の憂き目に遭う中で復元されている。
アメリカ合衆国は「歴史の浅い国」という自覚があっただけに、ある意味でヨーロッパ以上に古典様式を理想と捉える風潮が長く続いた。建国以来、イギリスのジョージアン様式(18世紀-)が公共建築や住宅に好んで用いられ、さらにパリのエコール・デ・ボザールで学んだ建築家が古典主義系の歴史主義建築を造り続けた(アメリカン・ボザール)。マッキム・ミード&ホワイト事務所がボザール流の作品を多く残している。また、ヴィクトリアン・ゴシックの影響を受けた建築家の作品もある。
明治時代に近代化=西欧化を目標とした際、建築の分野で実際にモデルになったのは同時代の歴史主義建築であった。工部大学校で日本人建築家を養成したお雇い外国人・ジョサイア・コンドルはヴィクトリアン・ゴシックの建築家であり、教え子の辰野金吾もロンドンに留学し、イギリスの影響を強く受けた。辰野の作品である東京駅にも、クイーン・アン様式建築の影響が色濃い(フリー・クラシックともいわれる)。ドイツ、フランスに留学した建築家もいたが、総じて明治建築の主流はイギリス系であったといえよう。大正時代に入るころには、ヨーロッパ各国の近代建築運動が紹介され、ウィーン分離派やドイツの表現主義の影響なども見られるようになり、歴史主義から離れた多様な表現が生まれてきた。昭和に入るころの若い建築家たちはル・コルビュジエらのモダニズム建築に心酔していったが、歴史主義建築に対する支持も強く、アメリカン・ボザールの影響を受けた大規模な作品が造られ、都市を飾った。また、ヨーロッパ以外の伝統的様式(日本、アジア)を取り入れた作品もここに含めておく。
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