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かつて存在したAGT路線 ウィキペディアから
桃花台線(とうかだいせん)は、かつて愛知県小牧市のほぼ中央部にある小牧駅から同市東部にある桃花台ニュータウンの桃花台東駅までを結んでいた、桃花台新交通が運営していたAGT路線である。愛称は、一般公募から選出された「ピーチライナー」。1991年3月25日に開業し、2006年10月1日に廃止となった。
小牧市のほぼ中央にある市街地と、同市東部に広がる桃花台ニュータウンを結ぶ交通機関で、1991年より2006年まで営業していた。小牧駅 - 小牧原駅間は、名鉄小牧線の同区間と並行し、小牧原駅北側で同線を西から東へまたぎ、その後国道155号線上に設けられた高架軌道により桃花台ニュータウンへ向かう。その後は県道明治村小牧線をたどり、篠岡信号の直前で方向を変えて同地を半周し、中央自動車道を桃花台バスストップ直前でまたぎ、桃花台東駅へ到着する。
ただし起終点駅である小牧駅と桃花台東駅にあるループ線を回って折り返す仕組みのため、営業運転中の車両は一方向のみに進む。
駅員は小牧駅と桃花台センター駅の2駅のみに配置され、残りの5駅は無人駅。有人駅にのみ、エスカレーターとトイレが設置されていた。桃花台センター駅のみが地下にホームがあり、残りの6駅は高架駅。すべての駅にホームドアが設置されていた。
桃花台東駅が終着駅となっていたが、計画では更に東進して春日井市に入り、JR中央本線の高蔵寺駅まで延伸する予定で、一部区間は用地確保がされ、終端ループも分岐側に設置されるなどの準備がされていた。しかし、多額の負債を抱えており、延伸には県の試算で約1000億円と多額の費用がかかることから、計画は凍結された。
日本全国の新交通システムのAGT路線では唯一の廃止路線でもある。また、開業・廃止が共に平成時代となった路線は、短期間限定の営業路線を除けば本路線のみである。
すべて小牧 - 桃花台東間の運転で、昼間以降はおおむね20分間隔だった。ワンマン運転を実施。
採用されていた車両は、100系電車のみである。先頭車と最後尾車各1台と、中間車2台の計4両固定編成で運行。全駅とも乗降口が進行方向右側のため、車両の乗降扉は右側のみに設けられ、運転席も先頭車のみとなっていた。最後尾の車両には、車両基地からの回送時に使用する簡易運転台を設けていた(通常はカバーで覆われ格納されている)。
SFカードとして、全線でトランパスが利用可能だった。ただし、費用を抑えて導入したため、ほかのトランパス加盟各社局とは異なる点がいくつかある。
桃花台新交通桃花台線の利用状況を記す。なお1991年3月25日に開業したので、1990年度は7日間だけである。
桃花台新交通桃花台線の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 |
特 記 事 項 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | |||
1990年(平成2年) | 1.5 | 0.1 | 3.2 | 4.8 | 5,346 | 開業 |
1991年(平成3年) | 23.6 | 11.4 | 84.8 | 119.8 | 2,579 | |
1992年(平成4年) | 24.8 | 12.5 | 59.1 | 96.4 | 1,994 | |
1993年(平成5年) | 24.5 | 11.8 | 56.0 | 92.3 | 1,910 | |
1994年(平成6年) | 24.3 | 10.6 | 56.4 | 91.3 | 1,868 | |
1995年(平成7年) | 27.2 | 10.8 | 63.1 | 101.1 | 2,063 | |
1996年(平成8年) | 26.8 | 12.5 | 65.5 | 104.8 | 2,153 | |
1997年(平成9年) | 28.7 | 10.1 | 57.1 | 95.9 | 1,950 | 運賃値上げ |
1998年(平成10年) | 26.2 | 9.4 | 57.4 | 93.0 | 1,895 | |
1999年(平成11年) | 23.6 | 8.4 | 54.9 | 86.9 | 1,773 | 1日片道64本を53本に削減 |
2000年(平成12年) | 21.4 | 8.3 | 52.9 | 82.6 | 1,679 | 毎時3本に減便 |
2001年(平成13年) | 22.7 | 7.8 | 49.2 | 79.7 | 1,616 | |
2002年(平成14年) | 23.3 | 8.5 | 49.4 | 81.2 | 1,646 | 2003年3月27日上飯田連絡線開業 運賃値下げ |
2003年(平成15年) | 29.1 | 16.4 | 68.8 | 114.3 | 2,399 | |
2004年(平成16年) | 32.1 | 22.0 | 71.4 | 125.5 | 2,648 | |
2005年(平成17年) | 33.4 | 25.2 | 71.7 | 130.3 | 2,776 | |
2006年(平成18年) | 全線廃止 |
参考までに、国鉄再建法に基づく特定地方交通線の廃止基準の1つとして、「輸送密度が4,000人/日未満」という条件がある。桃花台線の場合、1年間営業した年度(1991年度 - 2005年度)における輸送密度の最高値は2005年度(2,776人/日)と、一度も4,000人/日を上回ることはできなかった。
桃花台新交通桃花台線の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||
1990年(平成2年) | 2,662 | 92 | 7,458 | 0 | 10,212 | 74 | 10,286 |
1991年(平成3年) | 42,129 | 15,234 | 208,638 | 0 | 266,001 | 14,234 | 280,235 |
1992年(平成4年) | |||||||
1993年(平成5年) | |||||||
1994年(平成6年) | |||||||
1995年(平成7年) | 48,130 | 14,504 | 151,203 | 0 | 213,837 | 24,978 | 238,815 |
1996年(平成8年) | 46,804 | 16,807 | 157,205 | 0 | 220,816 | 26,753 | 247,569 |
1997年(平成9年) | 55,068 | 15,429 | 154,657 | 0 | 225,154 | 33,480 | 258,634 |
1998年(平成10年) | 51,098 | 14,501 | 156,571 | 0 | 222,170 | 34,178 | 256,348 |
1999年(平成11年) | 45,653 | 12,969 | 150,240 | 0 | 208,862 | 33,586 | 242,448 |
2000年(平成12年) | 42,612 | 11,428 | 142,174 | 0 | 196,214 | 32,982 | 229,196 |
2001年(平成13年) | 44,611 | 11,840 | 133,837 | 0 | 190,288 | 34,503 | 224,791 |
2002年(平成14年) | 45,016 | 12,094 | 133,992 | 0 | 191,102 | 29,722 | 220,824 |
2003年(平成15年) | 42,347 | 17,252 | 138,158 | 0 | 197,757 | 35,208 | 232,965 |
2004年(平成16年) | 46,925 | 23,255 | 143,220 | 0 | 213,400 | 35,997 | 249,397 |
2005年(平成17年) | 49,212 | 25,654 | 144,010 | 0 | 218,876 | 38,627 | 257,503 |
2006年(平成18年) |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
『小牧市統計年鑑』各号によると、各駅の年間乗降人員の推移は以下の通りである(詳細は各駅を参照)。
年 | 総数 | 桃花台新交通 桃花台線 | (参考)名鉄小牧線 | 備考 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小牧 | 小牧原 | 東田中 | 上末 | 桃花台西 | 桃花台センター | 桃花台東 | (名鉄)小牧 | (名鉄)小牧原 | |||
1991(平成 | 3)年度2,395,364 | [2] | |||||||||
1992(平成 | 4)年度1,927,624 | 770,305 | 116,833 | 69,426 | 76,480 | 218,133 | 476,233 | 200,214 | 2,300,892 | 527,385 | [2] |
1993(平成 | 5)年度1,845,430 | 740,318 | 115,392 | 59,656 | 82,003 | 209,995 | 449,316 | 188,750 | 2,242,551 | 543,394 | [3] |
1994(平成 | 6)年度1,825,566 | 728,391 | 115,702 | 67,030 | 86,481 | 193,876 | 453,145 | 180,941 | 2,216,677 | 550,557 | [4] |
1995(平成 | 7)年度2,021,380 | 808,564 | 128,612 | 83,266 | 91,264 | 207,198 | 503,146 | 199,330 | 2,413,611 | 529,696 | [5] |
1996(平成 | 8)年度2,096,104 | 839,920 | 132,342 | 88,176 | 98,372 | 209,014 | 505,242 | 223,038 | 2,440,128 | 497,462 | [6] |
1997(平成 | 9)年度1,917,948 | 753,058 | 132,047 | 88,080 | 97,360 | 180,372 | 466,195 | 200,836 | 2,337,979 | 513,114 | [7] |
1998(平成10)年度 | 1,859,270 | 732,202 | 126,053 | 82,434 | 95,156 | 176,376 | 453,407 | 193,642 | 2,296,058 | 469,959 | [8] |
1999(平成11)年度 | 1,737,826 | 682,390 | 105,787 | 79,309 | 91,636 | 163,310 | 420,103 | 195,291 | 2,230,257 | 461,143 | [9] |
2000(平成12)年度 | 1,651,060 | 650,431 | 100,875 | 80,192 | 88,960 | 150,262 | 402,885 | 177,455 | 2,179,158 | 455,170 | [10] |
2001(平成13)年度 | 1,593,308 | 628,964 | 102,217 | 76,277 | 83,838 | 144,490 | 392,410 | 165,112 | 2,164,167 | 472,039 | [11] |
2002(平成14)年度 | 1,624,742 | 626,583 | 113,500 | 84,167 | 80,906 | 148,470 | 395,195 | 175,921 | 2,144,718 | 495,333 | [12]2003年3月27日上飯田連絡線開業 |
2003(平成15)年度 | 2,285,204 | 929,371 | 129,123 | 91,192 | 102,798 | 199,410 | 588,908 | 244,402 | 3,255,952 | 647,639 | [13] |
2004(平成16)年度 | 2,510,472 | 1,030,771 | 137,274 | 99,103 | 115,612 | 213,737 | 641,760 | 272,215 | 3,422,549 | 685,861 | [14] |
2005(平成17)年度 | 2,606,754 | 1,070,224 | 147,235 | 97,264 | 116,242 | 204,699 | 663,176 | 307,914 | 3,638,827 | 730,244 | [15] |
2006(平成18)年度 | 1,337,952 | 549,987 | 72,384 | 47,446 | 59,782 | 94,512 | 342,798 | 171,043 | 3,602,553 | 779,200 | [16]10月1日廃止 |
開業以来利用者数が予測を大幅に下回り、一度も黒字になったことがなかったため、多額の累積赤字を抱える結果となり、開業16年目(2006年)にして廃止が決定する。累積赤字の原因としては以下が挙げられている。
2000年4月に、桃花台新交通は経費削減・リストラなどの経営改善計画を策定する。その後愛知県と小牧市は約10億5000万円の追加融資を行なった。そして2003年の上飯田連絡線開通と前後して、行政とともに以下のような様々な方策が行なわれた[26]。
これらの経営改善計画によって、総額8億5600万円の経費削減を実現する。また利用者数も1日辺り延べ人数で1000人近く増えることとなった。しかし運賃の値下げが原因で運賃収入はごくわずかしか増えず、赤字は増えるという、焼け石に水状態であり、沿線住民からは「ピンチライナー」と揶揄されるほどであった。
2004年7月、愛知県は有識者による「桃花台線のあり方検討会」を組織する。この会では存廃を含めた議論が行なわれた。2005年3月、同会は提言をまとめ愛知県に提出する。その内容は「存続のために愛・地球博の愛・地球博線で採用された磁気誘導式無軌条交通システム (IMTS) へと運行システムを切り替えること」で、システムを切り替えることで運行を無人化し、人件費の削減を図ることを狙ったものだった。しかしこの案はその後同会が出した試算よりも実際にはさらに費用が嵩むこと、さらにシステムの開発元であるトヨタ自動車での開発が遅れていることなどから、事実上頓挫してしまった。
なお同会では、このほかにも現行車両で自動運転化、現行車両で2両編成化、現行軌道で走るバス車両、ガイドウェイバス化など、様々なシステムへの変更が模索された。しかしいずれも車両の開発や設備の改修に巨額の費用がかかることから、上記のIMTSへの切り替えが提案された。
同年12月、愛知県が「桃花台線の営業を停止し、事実上廃止する方針を固めた」と一部報道機関で報じられる。また代替交通機関としては路線バスの運行を想定しており、「2社に運営の打診が行なわれている」とも報じられた。
一方新たな問題として、2006年1月に行なわれた住民説明会で、桃花台ニュータウンの整備費用の一部(115億円)が桃花台線の建設費用に流用されていたことが明らかになった。結果的に、桃花台ニュータウンにある分譲住宅の価格や賃貸アパートの家賃には、桃花台線の建設費用が上乗せされていたことになる。この問題については、後述の「桃花台ニュータウン整備費用の流用問題」に詳しい記載あり。
またこの会で愛知県側から出された存続のための提案は、次のようなものだった。
そして、次のような試算も示された。
同年3月28日、愛知県と小牧市は、存続のための支援を断念する旨を発表。また同年9月をもって廃止することを、正式に発表した。廃止は10月1日、最終営業日は9月30日となった。
約300人が出席した2006年1月の住民説明会と、約200人が出席した2月に行なわれた沿線住民との意見交換会では、存続を求める人達が多数だったため、廃止に反対する意見が多数出た。このことで小牧市議会議員と地元地区長は、愛知県に対し廃止の結論を延期するよう求めた。その後小牧市長も、当時の愛知県知事神田真秋に廃止の結論延期を求めた。
しかしこのような動きとは対極的に、沿線住民の手による存続運動や利用促進活動はまったく行なわれなかった。さらに新聞には桃花台新交通常務取締役の談話として「(住民からの)廃止に関する問い合わせや励ましの電話も一本もなかった」と言う発言が掲載されている。
なお2004年7月に存廃を議論する検討会が立ち上げられた時も、2005年末に一部報道機関によって「廃止決定」と報じられた時も、沿線住民の手による存続運動や利用促進活動は行なわれていない。
2006年4月28日、桃花台新交通株式会社の株主総会が開かれ「廃止」が決議され、廃止が正式に決定される。同年6月7日、愛知県は国土交通大臣への廃止許可申請を行い、同年9月5日にその許可が降りる。
桃花台線の累積赤字は、2005年度分までで、65億円以上である。そして愛知県は、桃花台線の建設に当たって国から得た補助金約89億円のうち減価償却分を除いた約38億円の返還を、国土交通省から求められている。また愛知県と小牧市は、株主の企業17社に対し、約13億円の債権放棄を求めている。
桃花台ニュータウンと小牧駅を結ぶ路線バスであるピーチバスが、廃止前の同年9月19日から運行を開始している。このバスは、開通当初の馴れない利用者の乗降や、朝のラッシュ時の渋滞、国道155号の渋滞などの理由で予定していた到着時間よりも遅れるなどの問題が生じている。しかしその一方で運行会社であるあおい交通には、「ピーチライナーと比べ家の近くから乗れるようになり便利になった」、「夜はピーチライナーよりも早く家に着くようになった」などの声も寄せられている。
また廃止当日の同年10月1日に、名鉄バスはニュータウンとJR春日井駅を結ぶ路線バスを新設しているほかに、既存の名古屋市内行きの都市間高速バス桃花台線を増便させている[27]。JR春日井駅へと向かう桃花台ニュータウン住民は多い。また同路線バスは途中、桃花台ニュータウン住民が多く利用する春日井市民病院の前で停車する。都市間高速バスは栄駅や名古屋駅前に停車する。桃花台線経由とこのバス経由で同駅への移動を比較すると、高速バスは料金が安く時間も早く到着することに加え、乗り換えの必要もない。そのため桃花台ニュータウン住民には同駅へと向かう交通手段として、人気を博している。そのため、ニュータウン住民の一部には「桃花台線が廃止になってむしろ便利になった」と言う人もいる[28]。
桃花台線の建設計画段階での需要予測が、国鉄などの競合路線をまったく想定していないものだったことが、2005年11月に行われた名古屋大学大学院の森川高行教授の調査で明らかとなった。それによると、愛知県が建設計画時に実施した需要予測では1979年は最大1日3万人、桃花台ニュータウンの人口予測が下方修正された1983年は最大1日約2万人とされていた。どちらも「沿線住民が名古屋方面への移動に用いる公共交通機関は桃花台線のみ」という前提に基づいたものであり、それ以外の手段が想定されていなかった。
一方で実際の利用者数は、1991年の開業年度が1日3,281人。計画段階の1日9,300人を大きく下回った。なお、この時の計画人口は14,800人。実際は前年に15,000人を突破している。さらに翌年には、1日3,000人台を大幅に割り込み、利用者数は年々減少していった。計画段階では桃花台ニュータウンの事業終了予定だった1998年度は、1日2,547人で、計画段階の1日20,000人を大きく下回った。桃花台ニュータウンへの移住人口が当初の計画の4万人を大きく下回り、実際には25,000人だった。そして開業10年目の2001年度には、1日2,182人まで落ち込んでいる。さらに1987年の国鉄分割民営化によって国鉄がJR東海となり、その後はJR東海の手で中央線のダイヤが改善されたことも、桃花台線にとっては不利になった。
森川教授は愛知県を批判するとともに、「黒字計画を出さないと建設に許可が出ないシステムにも問題がある」と指摘している。森川教授の批判に対し、愛知県は「調査はきちんと行なわれた」と主張している[29][30]。
桃花台ニュータウンの整備費用(1112億円)の一部(115億円)が、桃花台線の駅や周辺整備事業の費用に流用されていた。この額は、桃花台線の建設費用(313億円)の約3分の1に当たる。この問題は、以前から愛知県議会や小牧市議会などで指摘されていたようだが、公になったのは2006年1月の住民説明会の時である。
ニュータウンの整備費用が流用されたことで、販売された住宅の価格には、桃花台線の建設費用が含まれていることになる。その額は、日本共産党小牧支部の試算によると1戸辺り約100万円。一方、賃貸アパートの場合は、家賃に上乗せされる形で桃花台線の建設費用を負担させられていたことになる。
この問題で焦点となっているのが、「ニュータウン整備の範囲を規定した法律」である。一部の議員は「ニュータウンと桃花台線の建設費用はまったくの別物。整備の範囲を超えている。明らかに法律違反だ」と主張しているのに対し、愛知県側は「桃花台線の駅なども当然ニュータウンの一部として考えられる」と主張している。
愛知県は高架に関しては、他への転用は非常に難しいが撤去に莫大な費用がかかることから、当初「撤去はしない方針」とした。そして2006年12月、高架の活用策を検討するための有識者による検討会「桃花台線インフラ利活用懇談会」を設置した。同懇談会では当初、桃花台線廃止前に桃花台線のあり方を検討した有識者会議「桃花台線のあり方検討会」にも参加した岐阜大学の竹内伝史教授らが、同検討会で提言として出した高架を使った公共交通機関の整備案に固執。同検討会で一度検討し、いずれも桃花台線の継続以上の費用がかかるとして否定された公共交通機関の整備案を再度検討した[31]。しかしいずれも巨額の費用がかかることや、ガイドウェイバスに関してはバスを走らせるに足る十分な車幅を確保できないことから、方針を転換。小型自動車のみ通行可能とする小型車用道路を高架上に整備し、高架下の国道155号にバスレーンを設ける案を、2009年3月に提言としてまとめた[32]。しかし同提言は巨額の費用がかかることなどから、結局採用されなかった。また地元である小牧市の中野直輝(当時)市長からは「どこに出入り口を作ると言うのか」、小牧市の職員から「ありえない案だ」[33]などと批判を浴びた。
その後、しばらくこの問題は放置されていたが、2015年に愛知県は全線撤去に方針を転換[34]。同年10月、中央自動車道上に架かる部分の高架を撤去する工事を開始した。2016年9月に同部分の高架の撤去は完了[34]。2017年度には小牧駅部分の撤去工事を始める予定。2016年の時点では全線撤去は15年程度で完了させる予定で、総工費は約100億円を見込んでいるとしていた[34]。しかし、2023年3月の時点で撤去が完了したのは全体の1割に留まり、これまでの撤去費用も約38億円かかっているとしており、愛知県尾張建設事務所は朝日新聞の取材に対し、「長いスパンがかかり、具体的な数字は出せない」とコメントしている[35]。
運営会社である桃花台新交通の本社建物や桃花台線の車庫は、2007年11月から撤去工事が行われ、すでに撤去が完了。本社敷地の一部は駐車場となり、一般に貸し出しされている。
路線廃止後、山万ユーカリが丘線に車両売却を打診したが実現せず、小牧市や鉄道博物館に購入を依頼するがこれも実現しなかった。最終的に5両が個人・企業に売却され、他の車両は全て解体処分となった。
愛知県は桃花台線の建設に当たって、国から約89億円の補助金を受けている。そのため国土交通省中部運輸局から、減価償却分を除いた約38億円の返還を求められている。それに対し愛知県は、「補助金は目的通りに使われた」として、返還の免除を求めている。
愛知県と小牧市および名鉄は、総額32億8千万円の債権放棄を清算会社となった桃花台新交通から求められている[36]。内訳は愛知県が約31億4千万円、小牧市が約1億3千万円、名鉄が1千万円。また筆頭株主である愛知県と小牧市は、その他株主の企業17社に対して、約13億円の債権放棄を求めている。
愛知県・小牧市・名鉄の最終的な債権放棄額は金属スクラップの売却益が予想を上回ったことから当初の額より少なくなり、合わせて31億761万円となった[37]。
なお、清算会社たる桃花台新交通は2009年4月に特別清算終結の決定が確定し、完全消滅している。
廃止後の2007年2月、小牧市長選挙が行なわれた。立候補したのは現職の中野直輝(当時3期目)と元・愛知県尾張建設事務所長の荒川孝。そのうち荒川孝は「桃花台線の廃止は市民の支持が得られていない」とし、"桃花台線の復活の検討"を選挙公約に掲げたが、市民からの支持は得られず落選した。
桃花台線の廃止を記念して、乗車券と入場券のセット、最終日限定の一日乗車券が発売された。また小牧市内の郵便局では、桃花台線の写真を用いた台紙に切手(桃花台線と無関係の図柄)を付けたセットが発売された。
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