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日本の男性声優,俳優、歌手 ウィキペディアから
柴本 浩行(しばもと ひろゆき、1955年12月18日[1][9] - )は、日本の声優、俳優、歌手。愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)出身[1]。81プロデュース所属[4]。
しばもと ひろゆき 柴本 浩行 | |
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プロフィール | |
本名 | 阿部 信行(あべ のぶゆき)[1][2] |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)[1] |
生年月日 | 1955年12月18日(68歳) |
血液型 | O型[3] |
職業 | 声優、俳優、歌手 |
事務所 | 81プロデュース[4] |
配偶者 | 田中真弓[5][6] |
著名な家族 | こ〜すけ(息子) |
公式サイト | 柴本浩行 - 81プロデュースの公式サイト |
公称サイズ(時期不明)[7] | |
身長 / 体重 | 167[8] cm / 50 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1980年代 - |
ジャンル | アニメ、吹き替え |
デビュー作 | 『機動戦士Ζガンダム』[3] |
俳優活動 | |
活動期間 | 1970年代 - |
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 |
音楽活動 | |
活動名義 | 川口 亮 |
活動期間 | 1973年 - |
職種 | 歌手 |
旧芸名は阿部 健太(あべ けんた)[3][2][6]、柴本 広之(読み同じ)[10][11]。また、声優業を始める以前は川口 亮(かわぐち りょう)[2][1][10]、あべ ひろし[2]、阿部 健多[2][12] 名義で芸能活動を行っていた。
中学生の頃から歌が好きで、オーディション番組『スター誕生!』などへ応募[13]。芸能雑誌の記事を見て『1972年第2回クラウン全国歌謡新人コンクール』に出場し優勝したのをきっかけに歌手になることを決心する[13]。
上京してプロダクションMK企画に入社し16歳で芸能関係の仕事を始める[13]。数ヶ月のレッスンを経て1973年春に発売したEPレコード『ぼくら青春』で歌手デビュー[1][10][14]。テレビドラマや映画に出演するうち芝居に魅了され、1980年公演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』(Annie Get Your Gun)のオーディションに受かり舞台にのめり込むようになる[3]。
1984年12月、劇団四季のミュージカル『コーラスライン』のオーディションを受け外部からただ一人合格する。しかしたまたま受けた『機動戦士Ζガンダム』のオーディションにも合格してしまい、悩んだ末に稽古を続けていたコーラスラインを降板、未知の世界であるアニメを選び1985年放送の『Ζガンダム』で声優デビューを果たす[3]。
現在も声優活動を続ける傍ら、81プロデュースや文化学院の講師として後進の育成にあたっている。
「クラウン全国歌謡新人コンクール」の地元の名古屋予選に友達と受けに行き、300人の応募の中から決勝へ進む3人のうちの一人に選ばれる。どうせ駄目だと思っていたので予選通過は予想外だった。その日はたまたま好きな陸上の練習がない日で、練習がある日だったらきっとコンクールの方へは行かなかったという。決勝大会で歌ったのは、クラウンの先輩石橋正次の『あなたは可愛い人だから』。B面なら誰も歌わないと思ったのが理由だった。会場には北島三郎・美川憲一・水前寺清子など大物歌手が顔を並べていたが、どうせ優勝などしないと思っていたので全くあがらなかった。しかしレコード初吹き込みの時はあがりにあがり、リズムを取っているのかと周りから思われるほど足が震えていた[13]。
上京とともに東京都立小山台高等学校[12]の定時制に編入。昼は芸能関係の仕事をし、夕方からはきちんと学校に登校していた。映画で共演した森田健作や和田アキ子から「学校だけは出るように」とアドバイスされ感激する。『時間ですよ』では浅田美代子の友達役で出演しデュエットも披露。収録では間違えて女風呂に入りヌードの女性軍を目の当たりにするハプニングに遭う。のちに芝居に傾倒するようになるが、デビュー当時はあくまで本業は歌手であり、テレビタレントとして見られるのは本意ではなかった[13]。
コーラスラインのオーディションを受けたのと同じころ、三ツ矢雄二らの発足した劇団プロジェクトレヴューが旗揚げ公演に際し「そこそこ二枚目」の男優を探していた。候補の一人としてメンバーが過去に共演したことのある柴本の名が挙がり出演が決定。そこで相手役の田中真弓と出会う。田中は稽古を続けるうち柴本の人柄に惹かれていったが、柴本は初対面からしばらくずっと「こういう人とはお付き合いしないだろうな」という印象が続いていた。公演終了後も柴本は劇団員として行動をともにするようになり、田中の思いを知った仲間の後押しもあって二人は何度かデートを重ねた。ある日、田中を案じる三ツ矢は二人のはっきりしない関係を見かね、仲間と食べに行った先で柴本に田中のことをどうするのか問いかけた。突然のことに驚いた柴本はびっくりした拍子に田中と一緒になるとの一言を思わず口にした。このことから柴本は仲間内で「ボランティア健ちゃん」と呼ばれるようになる[6]。
田中とは1985年12月25日に結婚[15]、翌1986年11月2日一児をもうける。81プロデュースに移籍する前は一時期夫婦でNABEYAに所属していた[11]。のちに離婚するが、夫婦になる前から現在まで多数のデュエットや共演がある。1988年に田中と仲間が結成した劇団「おっ、ぺれった」には柴本も振り付けや演出家として参加している[14][16]。田中と離婚後、柴本は別の女性と再婚するが再び離婚しており、その後田中と復縁した[5]。
芸名については『ジ・アニメ』1986年1月号の田中真弓と結婚した記事で「更に飛躍をするため改名したい」という強い希望があり、『ジ・アニメ』の読者にその名前を付けてもらおうと、募集された『阿部健太改名募集』で決まったもの[2][6]。苗字の「柴本」は埼玉県川越市出身の人物と大阪府泉南市出身の人物が書いてくれたもので、投書の中から、今までにない感じでヤボったくないイメージで選んだ[2]。まず字画で選考していたところ、貰った名前は全てダメであった[2]。この時点で妻の田中は当選した大阪府泉南市出身の人物が第一案に挙げていた「本丸風太」を推していた[2]。名前は再び字画にこだわり「“柴本”に合う」ということで浮かび挙がったのが「裕行」で3時間くらい考えただけで出てきた[2]。しかし「少し重たい感じがしていた」ということで再考し、今度は少しばかり長く5日間考えて「広之」に決定したという[2]。結局のところ全部で30くらいの名前を書き出していたようであったが、総体的な印象としては、「意外に苦労せずに、割合ストレートに結論が出た感じ」とのこと[2]。
太字はメインキャラクター。
幼年向け
EPレコード(歌手デビューシングル)
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