Loading AI tools
日本の宗教団体 ウィキペディアから
Aleph(アレフ)は、日本の宗教団体。破産したオウム真理教に代わり2000年(平成12年)2月4日にアレフとして発足。その後2003年2月にアーレフに、2008年(平成20年)5月に現団体名に改称した。
前身のオウム真理教が1995年までに起こしたオウム真理教事件を理由として、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(団体規制法)に基づく観察処分を受けている。また、日本国内では宗教法人として認証をされていない(権利能力なき社団)。
2024年現在は、「人格のない社団Aleph」へと名称を変更している。
オウム真理教事件の後、法人としてのオウム真理教は破産し、破産管財人からその名称の使用を禁止されたために、「アレフ」、後に「アーレフ」に改称し、さらに「Aleph」(日本語での発音はアレフ)に改称した[3][4][5]。アーレフないしアレフとはヘブライ文字の第一文字 א の名称で、「一から出直して再出発するためこの名称とした」と説明されたが、後に警視庁の押収資料から麻原彰晃自身が逮捕される前に決定していたことが判明した[6]。
団体名称は「Aleph」であり、「オウム真理教」の名称は使用していない。しかし公安調査庁は、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(団体規制法)の観察処分の対象団体を正式には「麻原彰晃こと松本智津夫を教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、同人が主宰し、同人及び同教義に従う者によって構成される団体」としており、これを略して「オウム真理教」と通常は記載している。これには、アーレフないしAlephは完全に含まれ、その他の分派も含まれる可能性が高い。
2007年3月にアーレフを脱退した上祐史浩が同年5月に設立した「ひかりの輪」についても、公安調査庁は団体規制法に基づく観察処分対象としている。上祐のアーレフ脱退以降は、アーレフないしAlephの活動を特に区別する場合、公安調査庁は「オウム真理教主流派」、「教団主流派(反上祐派)」といった表現をもちいている。2010年10月には新拠点と目される東京都足立区で足立区反社会的団体の規制に関する条例(アレフ規制条例)が制定され、規制対象となっている。
また、マスコミでは現在でも「オウム真理教(アーレフ)」「オウム真理教(アレフ)」のように、「現在はアレフに改称」などと注釈をいれつつオウム真理教を前面に出して報道している[7]。前述のように団体規制法とそれによる公安調査庁の観察処分を前提として、アーレフないしAlephの活動を「オウム真理教の活動」と報道することが主流となっている。一般論としてはマスコミが特定の団体などの固有名詞について旧名称のまま報道することはほとんどないため、極めて例外的ではある。『A』など教団に関するドキュメンタリー作品を発表しているドキュメンタリー監督の森達也は、マスコミは言葉の使い方に作為や意図があることに対して無自覚になっていることが一番危険だと指摘している[7]。
1999年頃より、一連の事件に対して全く反省していないオウム真理教に批判が集中した。これにより、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(オウム新法)が制定されることになった。
1999年9月29日、教団は、批判に対応した措置として、対外的な宗教活動の休止と教団名の一時使用停止からなる「オウム真理教休眠宣言」を発表し、さらに同年12月1日、教団は新法逃れのために「正式見解」を発表、事件の関与を認め謝罪し、賠償を行うことになった。しかし、その直後にオウム新法は成立し、公布・施行された。
時同じくして1999年12月29日、上祐史浩は広島刑務所を出所し、教団に復帰した。上祐は「正大師」の称号を返上したとされ、2000年1月18日に教団は会見を開き、上祐の謝罪・反省の弁と村岡代表代行による教団改革の発表を行ったが、時は既に遅く、教団はオウム新法の観察処分に処されることになった。ともあれ、発表された教団改革の内容にあわせ、2000年2月に新団体「宗教団体・アレフ」が発足され、教団の活動はアレフへと移行した。アレフの初代代表には、麻原逮捕後からオウム真理教代表代行を勤めてきた村岡達子がそのまま就任した。
2000年9月14日の公安調査庁によるアーレフ施設の立入検査にあたっては、教団と関係の深いフリージャーナリストに検査の動向を撮影させるなど、当初は立入検査における妨害行為や敵対行為もあった。
上祐は教団復帰直後の新団体「アレフ」発足においてこそ教団役員にならなかったが、「正大師」という立場を背景に実権を握った。2001年8月に「旧宗教法人問題担当」として役員に就任したのち、2002年1月30日に正式にアレフ代表に就任した。
上祐史浩は、組織防衛のために「麻原外し」路線を推進、麻原を「開祖」「尊師」ではなく、「旧団体代表」と定義し、麻原の肖像を本尊とすることを禁じた。この方針に、麻原を崇拝する多くの信者が反発することになった。
2003年2月に団体名を、「アーレフ」に改称した。
2003年夏頃になると、上祐史浩の路線に対する不満が顕在化し、同年10月に上祐は修行に専念するとして、教団の運営は旧長老部の手に移ることになった。
2004年11月になって教団運営に復帰したが、反上祐派との対立は深まるばかりで、教団の分裂状態が加速されていった。
2006年5月には、上祐が「人を神としない、新教団を2007年2月までに作る」ことをセミナーで宣言した。2006年7月には財政面、実務面ともに教団本体からの分離分裂が行われた。
その間、麻原夫人の松本知子一家に対して「松本知子作の絵画の使用料」名目で教団が資金援助を行っていたこと、松本一家が間接的ながらも教団に影響力を与えており、そのことが上祐派の排除に繋がっていることが明らかになった。
代表派(上祐派)に対する各正悟師の立場は以下の通りである。
2007年5月7日、上祐史浩は新団体「ひかりの輪」を設立し、アーレフから完全に脱会した。これに伴って公安調査庁に提出された報告書によれば「ひかりの輪」は上祐史浩を代表役員に据え、主流派(反上祐派)は上田竜也・杉内伸浩を共同幹事とした [10]。
上祐派脱会後も内部対立は続き、新代表の野田成人は主流派から完全に無視されており後に脱会、杉浦兄弟も脱会、村岡達子も実質的運営から排除され、現在では「師」レベルの主流派幹部が実権を握っている。
2007年9月30日、『JNN報道特集』においてアーレフへの長期潜入取材による特集が報道された[11]。フリージャーナリストが2006年から2007年8月にかけて潜入して撮影した映像を主体としたものであった。
そこでは、上祐派脱会後に教団内で麻原信仰が強化され、麻原彰晃を教祖・グルとして信仰し教育していく旨の教団幹部の発言や、アーレフ発足時に封印したはずのタントラ・ヴァジラヤーナやポアについて麻原が説法するビデオが教材として用いられている様が報じられた。また、ヘッドギアを使用する信者の映像も報じられた。これらの映像をもとに滝本太郎弁護士や公安調査庁の担当課長による危機感を表明するインタビューが併せて放映され、また、野田成人は教義におけるタントラ・ヴァジラヤーナの復活について、制止するだけの実権がないとして、報道を歓迎するむねコメントした。一方、野田から実権を握ると名指しされた荒木浩広報部長は取材を拒否した。
2008年5月20日、教団は名称の「Aleph」への改称、および旧役員に代えて合同会議による教団運営を主要な内容とする新体制発足を発表した[3]。合同会議は運営委員会[12]が主宰し、その共同幹事である上田竜也と松下孝寿が教団を対外的に代表するとしている。さらに、これまで新代表を名乗ってきた野田成人に対し、教団役員の地位の失効と代表地位の無効を通告した[3][5][13]。
2011年11月17日、Alephが公安調査庁に報告した信徒数が1000人を超えたことが明らかとなった。公安は「事件を知らない若い入会者の伸びが目立つ」と指摘、警戒している。さらに、Alephは麻原彰晃の「生誕祭」を祝い、肖像を掲げるようになっている他、以前の修行法や教本も復活させるなど原点回帰も鮮明になっているという[14]。公安調査庁の違法な立入検査には非協力的で、2013年には公安調査官や滝本太郎弁護士、オウム真理教に関する書籍の著者など、敵対する者の写真を複数枚重ねて日本刀を模したナイフで串刺しにしたものを祭壇に置くなどしていた[15][16]。
スピリチュアルブームや社会不安を追い風に年200人規模で勢力を拡大し[17]、2013年7月1日公安調査庁の発表によると、ひかりの輪と合算した信徒数は2011年10月の1500人から1650人と約10%増加し、2000年の信徒数まで戻した。ただし出家信徒は、組織統制の強化に伴う組織運営に不満を持つ者などが多数脱会したことなどから、減少傾向にある。またAleph側によると、信徒数はこの間減少しているが、公安調査庁は退会者(Aleph、ひかりの輪どちらにも属していない)であっても、偽装退会と見なした人員を信徒数に計上しているとのことである[18]。
公安調査庁によれば、Alephの最近の勧誘方法は以下のようなものがある[19]。
その他、東日本大震災による福島第一原発事故に関連し、Alephの修行で放射線被害は乗り越えられると主張している。教団のヴァジラハーサ師によれば、Alephが実践するアーサナ(体位法)やウインド・トレーニング(独自の気功法)、ムドラー(霊的覚醒の技法)など修行によって、身体のヴィヤーナ気(オーラ)を強めることで肉体が放射線から守られる可能性は高まる、あるいは、被爆後2-3週間以内に出る症状である免疫力の低下や貧血、出血に対しては、骨髄機能を活性化させるための修行であるクンダリニー・ヨーガが一定の効果があると主張している[20]。
ひかりの輪によると、Aleph内では、麻原彰晃の次男を復帰させる動きを見せる麻原の妻松本明香里(松本知子)・二ノ宮耕一ら主流派と反対派が対立。この内紛の中、2014年頃から山田美沙子率いる金沢支部は独立行動をとるようになり、事実上分派化した。この分派は「山田らの集団」と呼ばれる(公安調査庁の定めた便宜上の呼称であり、正式な団体名は不明)[21][22][23]。
また、ひかりの輪は、アレフには①著作権侵害の問題と②「賠償逃れ」のための強制執行妨害罪の疑いがあり、これら二つの刑事訴追がなされる可能性があると指摘している[24]。
すなわち、もともとオウム真理教が所有していた著作物(麻原の説法等の「法人著作」)の著作権は、オウム真理教が破産した後、オウム真理教破産管財人(阿部三郎弁護士)を経て、オウム事件の被害者団体であるオウム真理教犯罪被害者支援機構に譲渡されていたが、アレフは、同機構に無断でそれらの著作物を複製・頒布・販売したため、2012年に同機構から裁判所に調停の申立てがなされている(ひかりの輪は、アレフの著作権侵害行為をやめさせることによって、オウム・アレフの教義の流布を防ぐために、同機構に協力しており、そのことは東京地方裁判所によっても認定されている)。今後著作権侵害が立証されれば、同侵害は刑事犯罪でもあるため、アレフに対する刑事訴追の可能性が生じるとひかりの輪は主張している[24]。
さらに、アレフが同機構に対して10億円以上の賠償金を支払う義務があることは、すでに2020年11月の最高裁判所の決定によって確定しているにもかかわらず、アレフは賠償金を一向に支払わず、「賠償金支払いを免れるための悪質な資産隠し」(公安調査庁幹部談)をし続けており、それが強制執行妨害罪という刑事犯罪にあたる可能性もあると、ひかりの輪は指摘している[24]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.