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弓と矢からなる武具 ウィキペディアから
弓矢(ゆみや[2]、きゅうし[3]、英: bow and arrow)とは、弓と矢[2][3](をまとめて指す用語、概念)。
弓と矢を組み合わせて使う道具である。その起源は古く旧石器時代にまでさかのぼる[4]。(人類の石器時代以来の道具の歴史の中に位置づけると)飛び道具としては投槍につづいて発明されたものに当たる[4]。
弓矢は旧石器時代から(現代にいたるまで)狩猟具として使われており、また古代から武具・武器としても使われている。大昔からその威力が人々からあがめられて崇拝の対象となったり宗教的儀式にも用いられている。近代以降は競技スポーツの道具としても使われ、レクリエーション目的でも用いられる道具となっている。
弓矢は狩猟の道具としては非常に一般的なものであり、(オーストラリアのアボリジニやニュージーランドのマオリなど、一部の文化においては、もともとはなかった時代があった、という例外を除いて)全世界的にみられる[5]。
太古の昔の素朴な弓矢も考慮し、また時代や地域によって弓矢の使い方の細部には違いがあることも考慮し、まずここでは、ほぼ共通の要素だけを取り出し、基本中の基本だけを説明してみる(世界各地で精緻化した弓矢の使い方の詳細や、現代テクノロジーを用いた弓矢の使い方の手順の細部や細かい位置の説明は後にまわす)。 (使い方の説明をするにあたり、まず素朴な弓と矢について説明しておくと、弓は(基本的には)しなる(弾性のある)長い素材に弦が張ってある道具である。矢は、棒状の素材の一方の側の先端がとがらせてあったり尖った部品がとりつけられ、反対側の端に(弦が入るように)「切りこみ」が入れてあり飛行中に向きが安定するように羽根などが取り付けてある道具である。) 最も素朴な弓矢の使い方の説明では「矢をつがえ」「弓をひき」「狙いを定め」「矢を放つ」となるわけだが、もう少し分解して素朴な弓矢の使い方を説明すると次のようになる。 片手(通常は利き手と反対の手)で弓を持ち腕を伸ばし、矢の「切り込み」の部分に弦の中央あたりを入れ、利き手の指を(何本か)弦にかけ(この段階では利き手は顔からかなり離れているが)、次に利き手を自分の顔に近づけるような方向に引いて(この時、弓には元の形状に戻ろうとする力・作用が働くので、相当の力をこめることになり)、目標物に狙いを定めておいてから、弦がかかっている利き手の指の力をスッと抜くと、弓が元の形状に戻ろうとする力によって弦が矢を押し出す方向に猛烈な速さで動き、結果として矢が勢いよく目標物へ向かって飛んでゆく。
なお、弓矢は、純粋に弓と矢だけで使えるわけではなく、狩り場、戦場などで使う場合、弓・矢 に加えていくつか道具を持ち歩くことになる。たとえば、弓矢を現場(狩り場、戦場など)で使う場合、矢をそれなりの本数 持ち歩くことになるわけであるが、弓矢は使う時には両手を使うことになるので、矢は細長い軽量のいれもの(籠や筒など。「矢入れ」「矢筒」「箙(えびら)」などといった名称で呼ばれる)に入れて、腰につける(あるいは背中に背負うなどする)。#弓矢とともに使う道具類
石器時代から、世界各地で狩猟のために弓矢は使われてきた。(現在では、太古のように多くは無いにしても)現在でも、弓矢を、生活の糧を得るため狩猟で使っている地域や人々もいる。 また陸上の動物だけでなく、水中の動物を狩ること(漁)に使う部族もある。
また武具・武器としても使われてきた。
古来、世界各地でスポーツや心身鍛錬として弓術は行われている。西洋のアーチェリー競技や日本の弓道などがある。
世界各地で宗教と繋がり、世界各地の神々とともに語られてきたものである。
歴史的な物語や故事などにもよく登場する普遍的な物でもある。
日本では平安時代から神事で扱われ、また弓術や弓道は武士のたしなみであり、日本の伝統文化として根付いている。
なお、弓はハープ(竪琴)の起源でもあり、世界各地にある弦楽器の発祥とも関連がある場合が多いと考えられている[要出典]。一部の火起し器の起源でもある[要出典]。
弓矢は数万年〜数十万年前から使われてきた道具である[7]。現在見つかっている最も古い弓矢は、南アフリカのシブドゥ洞窟で発見された物であり、約64,000年前のものだと考えられている。アジアでは、スリランカの熱帯雨林の洞窟「ファ・ヒエン・レナ」から発見された弓矢の矢尻が約48,000年前の物が最古である。
例えばアルタミラ洞窟の壁画などには弓矢を用いた狩猟が描かれている[8]。投げ槍や投げ矢の技術が弓矢の発明につながったとされている[7]。
弓の始まりは、世界中どこでも押並べて変わらず、湾曲形の単弓であり、短い弓であった。具体的には単一素材で弾性のある木材等を使用した弓で、湾曲させただけの丈も短い物であった。多くの地域で時代が下るとともに単一材の弓から複合材の弓への進化がみられる[9]。
世界各地に残る原始宗教において弓矢や吹き矢は狩りの道具であるとともに首長(chief)などが兼任する祈祷師(シャーマン)の祈祷や占い、呪術などの道具でもある。世界各地の多神教文明において弓矢は霊力や呪詛が宿る道具として考えられており、ギリシャ文明やヒンドゥー教や日本の神道などの神話に記述されている。日本でも宗教的儀式、神事のためにも使われるようになった。
文明が発達し人口も徐々に増え、国家や領土という社会構造が出来るにつれ、世界中で大規模な争いが起きるようになってゆく。ここで戦いを有利に進めるために、考えられた戦術の一つが遠戦であり、弓矢は戦場において重要な役割を持つようになる。弓矢隊や弓兵・弓歩兵を生み出し、戦術も多様に広がった。そして戦いに馬を利用し、馬上から弓を引き、矢を射ること(騎馬弓兵という)から、短い弓のまま改良されていった。
弓は長さにより長弓、短弓、小型弓に分けられるが、この分類は研究者により具体的な区分は異なる[15]。
エドワード・モースは古今東西の弓矢を5つに分類した上で、これらを大きくは3つに大別した[17]。
弓矢から派生したものとして洋弓銃(機械弓の一種)・大型の機械弓などがある。現在では大型の機械弓は消滅した。洋弓銃はスポーツとして楽しまれている。[21]
東洋の弓には大陸系の弓と太平洋系の弓の二つの系統があるが、日本の弓は両者の影響を受けて確立した[20]。一般には日本の弓を和弓、それ以外のものを洋弓と呼んでいる。
日本の弓矢は正式には和弓または単に弓といい、古くは大弓(おおゆみ)ともいった{中国の大弓(たいきゅう)とは意味も構造も違う}。世界的な弓矢の種類においては長弓(ちょうきゅう)に分類される。本来は弓、矢ともに竹を主材としている丈(弓丈)の長い弓で矢をつがえる位置が弦の中心より下方にあり、馬上使用ができる長弓で日本においてのみ見られる特殊な弓矢である。このことは『魏志倭人伝』に記述されており、古い時代からすでに現在に伝わる姿が完成されていたことがわかる。
戦になどに使われる武具として、天井がある屋内や狭い場所や携帯に便利という理由から、鯨の髭や植物の蔓で補強した丈の短い和弓や、大陸からの渡来人によって短弓を基に考案された籠弓・李満弓や、箱などに携帯した小さな弓を半弓と呼んだ。
また戦や狩りに因らない弓矢もあり、小弓(こゆみ)といった。楊弓(ようきゅう)とも呼ばれ丈の短い弓であるが、ユーラーシア全般に見られた短弓とは、形状は違い弓は円弧を描くだけである。この楊弓は「座った状態」で行う、正式な弓術であった。平安時代に公家が遊興として使い、その後、江戸時代には庶民の娯楽として使用された。同じ平安時代には雀小弓(すずめこゆみ)といって子供の玩具としての弓矢があり、雀という名称は小さいことや子供を示すことだといわれる。その他には、梓弓(あずさゆみ)といわれる梓の木で作られた弓があり、神職[28] が神事や祈祷で使用する弓を指し、祭礼用の丸木弓の小弓や、御弓始めの神事などでは実際に射るものは大弓もあり、大きさや形状は様々である。梓弓のなかで梓巫女[29] が呪術の道具として使用するものは小さな葛で持ち歩いたので小弓であった。
葦の矢・桃の弓 や蓬の矢・桑の弓など、それぞれが対となった弓矢があるが、祓いのための神事で使われたものである。詳しくは、祓い清めを表す言葉を参照。
日本では洋弓銃(クロスボウ)や投石機(カタパルト)などは普及しなかったが、弓を使わず矢を飛ばす方法がある。また下記については世界各地で類似するものがある。
楊弓(ようきゅう)小弓の一つ。
一般的には「矢筒」ともいい、先史時代の遺跡から出土する埴輪に矢筒が象られている。弓矢が日本の歴史の中で公家や武家にとって重要であったことから、矢入れも様々に変化し、儀礼用や戦いのためのものなど細分化した。とくに戦いにおいては、弓矢の改良に負けず劣らず改良され、弓矢を支える武具としての、陰の立役者ともいえるだろう。
記述は古い時代のものから順を追って表記する。矢筒は矢筈を、それ以外の矢入れは鏃を手にして引き抜き、弓につがえる。
古くは的は弓矢を意味する。
的には、色(柄)では星的、霞的、色的の3種類。大きさでは射礼、近的競技で用いる金的(三寸)八寸的、通常の一尺二寸。遠的競技で用いる100センチメートルの3種類ある。 金的は主に射礼で用いる。通常は三寸(直径約9センチメートル)ほかにも扇なども射礼で使われる。星的は八寸、尺二寸ともに中心を白地直径1/3の黒色同円のものを使う。霞的は中心から、中白(半径3.6センチメートル)一の黒(幅3.6センチメートル)二の白(3.0センチメートル)二の黒(1.5センチメートル)三の白(3.0センチメートル)三の黒(3.3センチメートル)と分かれている。星的は主に練習のときに使われる。色的は中心から10センチメートルずつ5つに区切られている。中心から金、赤、青、黒、白と色分けされている。得点制の場合は中心から10、9、7、5、3点となっている。主に実業団、遠的(得点制)の場合使われる。 近的競技の規則では木枠または適当な材料で作られた的枠に上記の絵を描いた的紙を貼ったものとし深さは10センチメートル以上とするとなっている。
日本語においては、幸(さち)と言い箭霊(さち)とも表記し、幸福と同義語であり、弓矢とは「きゅうし」とも読み弓箭(ゆみや・きゅうし・きゅうせん)とも表記する。弓矢は、武具や武器、武道や武術、戦い(軍事)や戦(いくさ)そのものを意味する。特に戦に限っては「いくさ」の語源が弓で矢を放ち合うことを表す「射交わす矢(いくわすさ)」が、「いくさ(射交矢)」に変化したといわれる。また的は古くは「いくは」と読み、弓矢そのものであり、「射交わ」が語源となっている。[要出典]
古くには弓矢(釣竿と釣針も同様)は、狩りが収穫をもたらすことから、「サチ(幸)」といい「サ」は箭(矢)の古い読みで矢や釣針を意味し、「チ」は霊と表記し霊威を示す。弓矢は幸福を表すと同時に霊力を持つ狩猟具であった。霊威から祈祷や占いの呪術としての道具の意味合いも持っていた。日本独特といわれる「道具にも神や命が宿る」という宗教観(針供養・道具塚)をあらわす根源的なものである。[要出典]
そして社会構造の変化と共に「いくさ」そのものを指し、[要出典] 延いては「武」そのものに転化するとともに、宗教(神道・仏教・民間信仰)や「道」という概念と渾然一体となって武芸の残心という所作や神事としての縁起などの価値観や心。もしくは占いや神事と遊興が結びついて、年始の弓矢祭りや縁日の射的になり、「晴れと穢れ」や射幸心(射倖心)といった価値観や心の一端を形成し、日本の文化を担っている。
「武芸のための的場」や「的屋が営む的場」から生まれた語として以下のようなものがある。
武家文化に対し、公家文化は花鳥風月と喩えられる雅や遊び、いわゆる趣味や芸術である。江戸時代に住民が豊かになったことから、余暇を楽しむゆとりができ、このことにより様々な公家文化が、普及し文化や風俗習慣になり、弓矢やそれに類する射的が隆盛を極め、形を変えながら日本の祭り文化やお座敷遊びに根ざしている。
主に神道や古神道に関わるものだが、技術向上の修練であるもの、祓いとしての呪術的な側面が強いもの、弓矢を射る行為などを模式的に踊りとしての神楽にしたもの、弓矢そのものに呪詛の意味合いがあるものの4種に大別できる。
神事だが武術の向上を目的とした競技でもある。
実際に弓矢を射る行為が神事となっている祭り。
弓矢を射ることを模式的に喩えた舞踊り。
弓・矢それぞれが霊力を宿し、意味をなす神事(蟇目の儀と鳴弦の儀は相対をなす)。
江戸時代、経済の発展により一般にも武芸は広まったが、明治維新からの武芸復興により更に門戸が開かれるようになった。
ヒンドゥー教と同様に密教・仏教にも弓矢を持つ神々がいるが、起源はヒンドゥー教にあるか、またはヒンドゥー教の神と習合させた神である。ギリシャ神話の弓矢を持つ神々とヒンドゥー教の弓矢を持つ神々は幾つかの共通点がある。
日本においては弓矢の神ではなく「弓矢神」という一つの単語になっていて、応神天皇(八幡神)のことでもある。応神天皇を祀っている八幡神社の数は、稲荷神社に次いで全国第2位で広く信仰されてきた。また弓矢や運命や確率に関わり幸運を願う時には「八幡」という語が使われてきた歴史があり、八幡は祈願と弓矢の意味が一体となす語として、射幸心という語の語源ともなった事由である。これらのことからも古くから弓矢が信仰の対象となってきたことが窺える。また八幡神は八幡大菩薩としても夙(つと)に知られ、「南無八幡」と言う慣用句からも窺い知ることができる。明治政府によって神仏分離され、八幡大菩薩は一度消滅したが庶民は八幡大菩薩も変らず信仰し、射幸心に係わる物事において、現在でも八幡大菩薩を用いて表現されることは多い。
さまざまな文化において、手を触れずに、遠隔の敵ないし獲物を仕留めることのできる弓矢は、ギリシャ神話や日本で「遠矢・遠矢射」といわれる力として特別視され、「エロスの弓矢」や「天之返矢」ように呪術的な意味が与えられた。さらには見えない魔物や魔を祓う、武器や楽器のように使用するものとして、「鳴弦」や現代に伝わる「破魔矢・破魔弓」などがあり、これらは神話・伝説などに登場する、弓矢の呪力の象徴とも言える。また日本においては、原始宗教のアニミズムが色濃く残っており、弓矢は吉凶を占う道具としての側面も持っている。
中華文明圏において「強」「弱」という漢字に弓の字が使われているのは、それが武力の象徴であり、呪術用に特化して飾り物となった(弱の字は弓に飾りがついた姿を現している)武力を「弱」と捉えたことに注目できる。日本でも、このような弓の呪術性は、鳴弦という語に示され、平安時代に、宮中で夜間に襲来する悪霊を避けるために、武士たちによって、弓の弦をはじいて音を響かせる儀礼が行われていた。こうした用法から、世界各地で弓は弦楽器の起源の1つとなったと考えられ、儀式に用いる弓矢ではなく、本来の弓を楽器として用いる場合もあり、代表的な物としてハープは楽器ではあるが、弓を起源としその形態を色濃く残すものでもある。
現在でも玄関や屋根に魔除けやお祓いや結界として、弓矢を飾る地方や人々をみることができるが、古くは『山城国風土記』逸文に流れてきた「丹塗りの矢」で玉依姫が身ごもり賀茂別雷神が生まれたという話があり、賀茂神社の起源説話にもなっている。丹塗りとは赤い色のことだが呪術的な意味を持っていたことが指摘される。望まれて抜擢されるという意味の「白羽の矢が立つ」とは、元は「神や物の怪の生け贄となる娘の選択の明示として、その娘の家の屋根に矢が立つ(刺さる)」という、日本各地で伝承される話から来ており、本来は良い意味ではなく、心霊現象としての弓矢を現している。
広く庶民に知られる話としては『平家物語』の鵺退治がある。話の内容は「帝(みかど)が病魔に侵されていたが、源義家が三度、弓の弦をはじいて鳴らすと悪霊は退散し帝は元に戻った。しかし病魔の元凶は死んではおらず帝を脅かし続けた。悪霊の討伐として抜擢された源三位入道頼政(源頼政)は、元凶である鵺(ぬえ[34])という妖怪・もののけを強弓、弓張月[35] で退治した」というものだが、記述から弓矢には、楽器として悪霊を祓う力と武器として魔物を退治する力があると、信じられていたことが窺える。
本来は、古くから神事に纏わる弓矢の語でもあるが、さまざまな、古文や句などで使われており、俳句の季語と同じように、間接的な比喩として穢れ・邪気・魔・厄などを、祓い清めることを表している語でもある。
弓矢・弓箭
上記の項目「神々と弓矢」以外の神ではないギリシャ神話における、弓矢と星座の両方に関係するものを記述する。
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