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山口県に位置するUBE三菱セメント保有の私道 ウィキペディアから
宇部伊佐専用道路(うべいさせんようどうろ)は、山口県宇部市から同県美祢市に至るUBE三菱セメントが保有する専用道路。宇部興産(現・UBE)が建設し、2022年(令和4年)のセメント事業分社化まで同社が保有していた。旧・宇部興産時代の正式名称は、宇部・美祢高速道路(うべ・みねこうそくどうろ)[1][2]で、通称は宇部興産専用道路(うべこうさんせんようどうろ)だった。全長31.94 kmに及ぶ、日本一長い私道である[2]。
1967年(昭和42年)着工、1972年(昭和47年)から部分供用され、1975年(昭和50年)に興産大橋を除く区間が全通。1982年(昭和57年)の興産大橋開通により現在のルートが完成した。総工費は200億円[3]。
美祢市伊佐町伊佐のUBE三菱セメント(2022年3月末までは宇部興産・建設資材カンパニー)伊佐セメント工場から、宇部市大字小串の同社宇部セメント工場までを結び、伊佐石灰石鉱山(宇部伊佐鉱山)で採掘した石灰石と、伊佐セメント工場で製造したセメントの半製品クリンカーを、専用トレーラーで運搬している[2]。同社が所有する敷地内(工場構内)のみを通過し、一般道を走行する車両が侵入できない道路(私道)という位置づけのため、道路交通法や道路運送法、道路運送車両法などの適用は受けない[2]。
後述のように、かつてこれらの輸送には日本国有鉄道(国鉄、現・JR西日本)美祢線の貨物列車を利用していたが、昭和中期から後期にかけてのセメント需要増大に加え、国鉄での労働組合運動激化によるストライキ(スト権ストなど)の頻発、輸送コストが高かったことや美祢線が全線単線で輸送力に限界があったことなどから[4]、拠点間輸送の効率化と安定化の必要に迫られた結果として、宇部興産専用の輸送手段を確保する必要が生じた。この際、道路ではなくベルトコンベアもしくは専用鉄道を敷設することも検討されたが、ベルトコンベアは経済的でこそあるが輸送できる貨物が限られること、専用鉄道は国鉄との競合になることを理由に採用されず、長期的かつ多目的に利用可能であり、建設過程で出た土砂に含まれる粘土や硅石をセメントの原料として活用でき、地域振興にも資するとして、検討過程で「最も経済性を備えていない」と指摘された道路の建設が当時の宇部興産社長である中安閑一によって決定された。この決定はその莫大なコストゆえに社内外の猛反発を招いたが、中安は先述の理由を挙げて道路建設の利を説きつつ計画を推進した[3]。
完全に一般の交通とは隔離された私道のため、公道に適用される道路交通法などの制限は受けないが、専用道路内を運転するには、私有地の所有者である同社の許可が必要である。作業者は社内審査と講習を受けて、運転資格を取得する事が義務付けられており、制限速度70 km/hを始めとする社内ルールが細部まで厳格に設定され、そのルールを破った場合は運転許可を取り消される場合がある[5]。
経路の途中では中国自動車道と並行して走り、涼木峠(美祢市伊佐町堀越 - 伊佐間)の下を唯一のトンネルである伊佐隧道で貫き、国道2号・山陽新幹線と立体交差し、宇部港の宇部セメント工場まで続いている[2]。宇部港では、橋長1,020 mの興産大橋で海を渡る[2]。大半の区間が片側2車線で、トンネル内など一部片側1車線の区間が混在するが、宇部市東須恵では宇部湾岸道路 東須恵ICのランプに転用するため、一部区間が片側2車線から同1車線に削減されている。
宇部市大字小串の沖の山地区(沖の山コールセンターとUBEマシナリー本社前のそば、北緯33度56分32.6秒 東経131度13分47.7秒)で一般車両が通行可能な構内道路と平面交差しており、交通遮断と一般車両の誤進入防止のために、鉄道用の踏切警報機と遮断機が設けられている。この踏切は、過去に『ダウトをさがせR』(TBS系列)や『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日系列)などのテレビ番組で紹介されたこともある。
2022年に宇部興産が社名を「UBE」に改め、セメント製造事業を三菱マテリアルとの合弁事業会社・UBE三菱セメント (MUCC) に移管したことを受け、ダブルストレーラーのカラーリングを車体更新時に白を基調としたMUCCのコーポレートカラーに改めていくとともに、道路の正式名も2022年10月から「宇部伊佐専用道路」(うべいさせんようどうろ)に改めたことを2022年末の取材への回答で関係者が明らかにしている[6]。また、宇部伊佐専用道路と興産大橋もMUCC及びグループ会社の施設に変更されている[7]。
1981年にアメリカ合衆国から試験的に1セット輸入したのち、国産メーカーで同社にトラクタを供給していた三菱自動車工業(現・三菱ふそうトラック・バス)といすゞ自動車がトレーラーを開発し、運用に供した。その後、さらに大量輸送の可能性を模索しトリプルスを開発、2000年代初頭まで2代目が活躍していた。なお、鉄道輸送が主体であったこれらの輸送は徐々に切り替えられ、1998年からは全量がこの専用道路での輸送となっている。
現在は、1台のトレーラーヘッドが44トン積みトレーラーを2両連結して牽引するダブルストレーラー[注釈 1]が運用されている[8][注釈 2]。
トレーラーヘッドには、興産大橋に存在する6%の上り坂でのゼロ発進に対応可能なトルクと、120tのトレーラーを時速70kmで牽引可能なパワーが要求される[4]が、走行範囲には公道が含まれないため、道路運送車両法・同保安基準への適合は要求されず、国内で一般市販されている車両よりも高出力の輸出用エンジンを搭載した車両や、海外市場向け車両が充当される。公道を走行しないことからナンバープレートは付かない[2]が、運行会社・メーカー区分用の番号票が取り付けられており、トラクターは約8年・走行150万kmサイクルで車両更新される[6]。
超大型のセミトレーラーである専用車は、1981年にアメリカ(マック)製が試験的に1セット輸入され、国産メーカーで同社にセミトラクタを供給していた三菱自動車工業(現・三菱ふそうトラック・バス)といすゞ自動車は当初難色を示していたが、並走する美祢線より輸送コストが安いメリットに着目。
三菱ふそうはエンジンとトランスミッション、いすゞはトランスミッションに輸入品を用いていたが、ともかく当時としては日本国内最高出力のトレーラを完成させ、運用に供したのであった。その後、さらに大量輸送の可能性を模索しトリプルスを開発。ところがダブルスが525-600PSでGCW105トンを牽引するのに対し、GCWが157トンに及ぶトリプルスを70km/hで走らせるには800PSは必要とされたが、全幅2.5mに収まらない大きさのエンジンが想定された。三菱といすゞは再び難色を示すも、宇部興産が開発費を援助する形で各1セットが納入され、2000年代初頭まで2代目が活躍していた。
この車両はトレーラーの1両目と2両めの中間にパワードーリー(310PSの直6インタークーラーターボ)を連結したもの。また、為替変動と低コスト化を図る目的からボルボ、メルセデス・ベンツ、ケンワース、スカニア[9]製を採用し、軽量化の目的でエアサスペンションやオールアルミ製のトレーラも導入された。
興産大橋 | |
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宇部伊佐専用道路の一部である興産大橋(2011年6月1日撮影) | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 山口県宇部市 |
交差物件 | 宇部港(厚東川) |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 宇部伊佐専用道路 |
管理者 | UICコンサルタント |
施工者 | 宇部興産宇部鉄工所・富士車輌JV |
竣工 | 1982年3月 |
座標 | 北緯33度56分31.7秒 東経131度12分48.8秒 |
構造諸元 | |
形式 |
単純合成桁(60m)+ 2径間連続鋼トラス(210m)+ 3径間連続鋼トラス(540m)+ 単純トラス(90m)+ 単純合成桁(120m)橋 |
全長 | 1,020m |
幅 | 18 m(片側2車線:全4車線) |
桁下高 | 36 m |
最大支間長 | 200 m |
地図 | |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
興産大橋(こうさんおおはし)は、宇部市大字小串と同市大字西沖の山の間の宇部港内(厚東川河口)を跨ぐ橋として、1982年(昭和57年)3月に開通。設計・施工・建材製造の全てを、当時の宇部興産とその子会社・関連会社が行なったものである。これが可能となった背景には、当時の宇部興産本体及び関連会社の富士車輌が鋼構造物工事の建設業許可を持ち、鋼橋の製作を手がけていたこと[注釈 3]や子会社に建設コンサルタントである宇部興産コンサルタント(現・UICコンサルタント)が存在したことによるところが大きい。
運河の航路を確保するために36mの桁下高が必要であった一方、橋の起終点が人工島(海底炭田跡)で標高が低いことから、橋の中央部に向かって6%の急勾配となっている。
当時、上部工工事の宇部興産宇部鉄工所・富士車輌共同企業体の代表責任者を務めた元宇部興産専務・藤野清の回顧によれば、宇部港沖の海苔漁場に影響を与えずに建設する必要があったため、基礎杭の鋼管重量6,400t、上部構造の重量10,000tという巨大な橋梁を一括架橋するという手法が採用された[10]。
橋梁は4つの部分に分けて工場で製作し、本州四国連絡橋の架橋用に建造された世界最大級(3,000トン吊)のフローティングクレーン船「武蔵」で吊り上げて宇部港まで運搬。橋台に設置する作業は長岡技術科学大学教授(当時)・笹戸松二の監修の下で、横河工事(現・横河ブリッジ)と日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)の共同企業体の協力により行われた。これら一連の工事は、21ヶ月間で無事故のうちに完工した[10]。
興産大橋は、1982年(昭和57年)に日本鋼構造協会の業績賞を受賞、翌1983年(昭和58年)には民間企業発注の橋としては初めて土木学会田中賞を受賞している[10]。
下記はすべて立体交差。ただし、※印の箇所にはランプとゲート(通常は閉鎖)があり、一般道と接続している。
専用道路開通前までは、伊佐工場 - 美祢駅間に自ら建設した貨物専用線を介して、美祢駅(美祢線) - 宇部港駅(宇部線)間で、当時の宇部興産の石炭・石灰石輸送が実施されていた。最盛期には宇部港駅と美祢駅の貨物取扱量が年間約770万t(1978年度)に上り、当時の日本一であった。しかし、セメント需要の増大により鉄道だけでは生産ペースに輸送力が追い付かなくなったため、一般道を経由するトラック輸送も併用された。ただ、鉄道は1960年代以降、日本国有鉄道の労使関係の悪化によるストライキの多発のため、また一般道経由のトラック輸送は渋滞のためいずれも安定輸送への信頼性を欠き、専用道路を使用した輸送への切り替えが決断されたとされる[3]。専用道路の供用とともに鉄道による輸送量は減少し、1998年に同区間での鉄道による石灰石輸送は終了した[注釈 4]。
この輸送ルートにあたる宇部駅 - 厚狭駅(山陽本線)間には、この区間での平面交差を避ける目的で単線の別線が設けられていたが、後に別線部分は廃線となっている。
宇部・美祢・山陽小野田産業観光推進協議会が実施する「産業観光バスツアー」では、当道路をテーマとしたガイドツアーが随時実施されている。
1994年(平成6年)に開催された広島アジア競技大会では、この道路を使用して自転車のロードレース競技が行われた。道路脇にある「宇部興産専用道路」の看板はこのとき設置されたものである(2022年11月18日撤去済みを確認)。
2024年(令和6年)12月に開催予定の「うべサイクルカップ」で本道路において、30年ぶりに自転車のロードレースが行われる予定[11]。
映画『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』では主人公たちが興産大橋を走行する場面がみられた。
内田康夫の推理小説『汚れちまった道』(浅見光彦シリーズ)では、主人公・浅見光彦が宇部から美祢までの短絡ルートとして、山口県警察から特別許可を得て興産道路を利用する描写があった。
2024年(令和6年)8月27日、UBE三菱セメントと山口県警察は、災害発生時に警察車両等が宇部伊佐専用道路を通行するための協定を締結した[12]。
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