太川陽介

日本の俳優、タレント、歌手 (1959-) ウィキペディアから

太川陽介

太川 陽介(たがわ ようすけ、1959年昭和34年〉1月13日 - )は、日本俳優タレント司会者YouTuber、元アイドル歌手京都府中郡大宮町(現・京丹後市)出身。サンミュージックプロダクション所属。妻は女優の藤吉久美子

概要 たがわ ようすけ 太川 陽介, 本名 ...
たがわ ようすけ
太川 陽介
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(2023年7月23日)
本名 坪倉 育生(つぼくら いくお)
生年月日 (1959-01-13) 1959年1月13日(66歳)
出身地 日本 京都府京丹後市
職業 俳優タレントYouTuber歌手
ジャンル テレビドラマ映画舞台CM
活動期間 1976年 -
配偶者 藤吉久美子(1995年 - )
事務所 サンミュージックプロダクション
公式サイト 所属事務所による公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ
猿飛佐助
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概要 太川陽介, YouTube ...
太川陽介
YouTube
チャンネル
活動期間 2024年 -
登録者数 12.9万人
総再生回数 1867万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年10月17日時点。
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来歴・人物

要約
視点

1975年に公開された桜田淳子主演映画『スプーン一杯の幸せ』の相手役オーディションに応募するも、そのときすでに締め切りを過ぎていたため選外となった。しかし、その履歴書がスタッフの目に留まったことが芸能界デビューのきっかけとなった[1]。上京にあたり、京都府立峰山高等学校から日本学園高等学校へ転校[2]

1976年、「陽だまりの中で」でレコードデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「昇れ!太陽くん」。芸名は都倉俊一によるものといわれているが、実際はサンミュージックプロダクション創業者の相澤秀禎が決めたもので、「太陽という文字を入れてみました」とのことで[1]、「介」は文字の形が末広がりで縁起がいいと思ったからということである[1]

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「ルイルイ」のジェスチャー

1977年、3曲目の「Lui-Lui」が太川自身最大のヒット曲となり、同年暮れの第19回日本レコード大賞をはじめ、各音楽大賞の新人賞を総なめにした。歌詞の最後で「Lui-Lui(ルイルイ)!」と叫ぶポーズが、太川のトレードマークとなっている。1979年よりNHK総合レッツゴーヤング」の司会を務めるなど、昭和50年代を代表するアイドルであった。明るい曲調でヒットした「Lui-Lui」の次の曲が硬派路線の「Cry Cry Cry」だった。太川は「ルイルイの後はクライを三連発する曲となったけど、本当はB面の方が明るい曲でそちらを歌いたかった」と語ったことがある。

その後、アイドル歌手から主にタレント・司会者・俳優業に転向、1989年のミュージカル『エニシング・ゴーズ』に起用されたこと[3]がきっかけで舞台俳優として頭角を現す。舞台版の『細雪』では1998年より「啓坊」こと奥畑啓三郎役を演じている。もともとアイドルとしては茶目っ気や庶民性を前面に出すタイプであったこともあり、ホームドラマやコメディに適した俳優としてNHKなどでは特に厚遇された。ラジオパーソナリティ、旅番組などでも幅広く活動している。

1995年、女優の藤吉久美子と結婚(太川は初婚だったが藤吉は再婚)。2001年には長男が誕生した。芸能界のおしどり夫婦として有名で、なれそめは1994年にNHK大阪で藤山直美主演のドラマ新銀河『大阪で生まれた女やさかい』の撮影で共演したことだった。撮影終了後に新大阪駅に向かうタクシーで相乗りし、そのまま新幹線で東京まで一緒に帰り食事をして交際につながった。ちなみに前述のドラマでは、二人が一緒に出てくるシーンは一度しかなかった。また、それ以前はお互い顔と名前を知る程度で特に面識はなかったという[4]

2007年10月から2017年1月まで蛭子能収とともに『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』に出演していた。太川のリーダーシップと計画性、さらにはチームメンバーに対する細やかな気遣いには定評があった。なかでも正反対の性格である蛭子とのやりとりが好評で、ベストコンビといわれていた。このことは業界でも高く評価されており、水道橋博士は「蛭子さんを扱えるのは太川さんだけ」「自分たちの中で太川さんの何が凄いかといったら、蛭子さんと3泊4日一緒に過ごせること。なおかつ番組として成立させられてしまうのだから本当に凄い」と、評価していた。これは問題行動や問題発言をよく繰り返す蛭子にうまく対処できない人が多いからであった(だからといって、それでも常に蛭子をコントロールできていたというわけではなく、道中で蛭子の心無い一言に激怒して感情的になったりしていた[5] のは日常茶飯事)。

ぶらり途中下車の旅」の旅人としても長く活躍しており、旅番組のイメージが強い[6]。また、近年では旅番組にかぎらず太川が出演すると視聴率が跳ね上がることが多く、業界内では「太川は何かを持っている」という評価をもたれているとされる[7]

2017年6月27日、「京丹後市観光大使」に就任[8]。2023年10月7日には首都圏の丹後地方出身者で作る『東京丹後人会』の会長に選任された[9]

「ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅」シリーズでは、太川(バス)チームのリーダーを務める[10]

ディスコグラフィ

シングル

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#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
ビクター
1 1976年
12月20日
A面陽だまりの中でいではく 穂口雄右 SV-6140
B面握手でグッバイ樹里久美
2 1977年
4月5日
A面南風 石原信一 穂口雄右 高田弘 SV-6197
B面きみにときめきすぎて
3 1977年
7月5日
A面Lui-Lui 都倉俊一 SV-6253
B面銀の糸
4 1977年
10月25日
A面Cry Cry Cry 杉山政美都倉俊一田辺信一 SV-6307
B面恋の五線紙 都倉俊一
5 1978年
2月5日
A面もって行け思い出 中村泰士高田弘 SV-6362
B面春にふられて 森雪之丞小笠原寛
6 1978年
4月25日
A面ヨーヨー 杉山政美 筒美京平 船山基紀 SV-6404
B面ドクター・ラブ
7 1978年
7月5日
A面ぼくの姉さん上條恒彦桑原研郎高田弘 SV-6448
B面君に夢中さ 馬場孝幸
8 1978年
8月25日
A面それはないよお嬢さん 杉山政美 筒美京平 船山基紀 SV-6463
B面秋風によろしく
9 1979年
2月5日
A面ビーナス・イン・ブルージン 山川啓介 馬飼野康二 SV-6544
B面さらば愛しき女よ
10 1979年
5月25日
A面ムーンライト・カーニバル森雪之丞平尾昌晃あかのたちお SV-6589
B面SOLO SOLO三浦徳子 梅垣達志
11 1979年
10月25日
A面走れ!江の電藤公之介 小笠原寛 SV-6642
B面コンサートのあとで保富康午岩久茂 松井忠重
12 1980年
2月21日
A面おとぎ話太川陽介福留順一 SV-6690
B面母恋歌荒木とよひさ 小笠原寛
13 1980年
5月21日
A面心の翼 小椋佳戸塚修 SV-7001
B面止してもらいたい青木望
14 1981年
4月21日
A面そこに微笑みが太川陽介馬場孝幸 松井忠重 SV-7108
B面静かな夜窪田万梨こすぎやすお
ワーナー・パイオニア
15 1985年
9月25日
A面Hey,ミスター・バイク![11]SHOW 小田裕一郎 入江純 L-1714
B面(インストゥルメンタル)-
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アルバム

オリジナル・アルバム

ベスト・アルバム

  • 太川陽介 ベスト・ヒット・アルバム(1978年発売)〈全14曲〉
  • 青春の軌跡(1980年発売)〈全14曲〉
  • 太川陽介 ゴールデン☆ベスト(2007年9月21日発売)〈全21曲、初CD化19曲〉
  • サンライズ・ベスト(2019年3月6日発売)〈CD+DVDの2枚組。全19曲、初CD化16曲〉

タイアップ曲

さらに見る 年, 楽曲 ...
楽曲タイアップ
1978年ぼくの姉さんNHK銀河テレビ小説「ぼくの姉さん」主題歌
1980年おとぎ話日本テレビ系テレビドラマ「おだいじに」挿入歌
心の翼日本テレビ系テレビドラマ「猿飛佐助」EDテーマ
1981年そこに微笑みが日本テレビ系テレビドラマ「かくれんぼ」主題歌
静かな夜日本テレビ系テレビドラマ「かくれんぼ」挿入歌
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出演

映画

Vシネマ

音楽番組・バラエティー番組

情報番組・教養番組

テレビドラマ

ラジオ

舞台

CM

吹き替え

書籍

  • ルイルイ仕切り術:人生も会社も路線バスの旅も成功に導く40のツボ (小学館 ISBN 978409-3108287 2014年9月8日発売)

脚注

関連項目

外部リンク

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