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日本の俳優、タレント、歌手 (1959-) ウィキペディアから
太川 陽介(たがわ ようすけ、1959年〈昭和34年〉1月13日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、YouTuber、元アイドル歌手。京都府中郡大宮町(現・京丹後市)出身。サンミュージックプロダクション所属。妻は女優の藤吉久美子。
太川陽介 | ||||||||
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YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2024年 - | |||||||
登録者数 | 11.9万人 | |||||||
総再生回数 | 1558万回 | |||||||
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年10月17日時点。 |
1975年に公開された桜田淳子主演映画『スプーン一杯の幸せ』の相手役オーディションに応募するも、そのときすでに締め切りを過ぎていたため選外となった。しかし、その履歴書がスタッフの目に留まったことが芸能界デビューのきっかけとなった[1]。上京にあたり、京都府立峰山高等学校から日本学園高等学校へ転校[2]。
1976年、「陽だまりの中で」でレコードデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「昇れ!太陽くん」。芸名は都倉俊一によるものといわれているが、実際はサンミュージックプロダクション創業者の相澤秀禎が決めたもので、「太陽という文字を入れてみました」とのことで[1]、「介」は文字の形が末広がりで縁起がいいと思ったからということである[1]。
翌1977年、3曲目の「Lui-Lui」が太川自身最大のヒット曲となり、同年暮れの第19回日本レコード大賞をはじめ、各音楽大賞の新人賞を総なめにした。歌詞の最後で「Lui-Lui(ルイルイ)!」と叫ぶポーズが、太川のトレードマークとなっている。1979年よりNHK総合「レッツゴーヤング」の司会を務めるなど、昭和50年代を代表するアイドルであった。明るい曲調でヒットした「Lui-Lui」の次の曲が硬派路線の「Cry Cry Cry」だった。太川は「ルイルイの後はクライを三連発する曲となったけど、本当はB面の方が明るい曲でそちらを歌いたかった」と語ったことがある。
その後、アイドル歌手から主にタレント・司会者・俳優業に転向、1989年のミュージカル『エニシング・ゴーズ』に起用されたこと[3]がきっかけで舞台俳優として頭角を現す。舞台版の『細雪』では1998年より「啓坊」こと奥畑啓三郎役を演じている。もともとアイドルとしては茶目っ気や庶民性を前面に出すタイプであったこともあり、ホームドラマやコメディに適した俳優としてNHKなどでは特に厚遇された。ラジオパーソナリティ、旅番組などでも幅広く活動している。
1995年、女優の藤吉久美子と結婚(太川は初婚だったが藤吉は再婚)。2001年には長男が誕生した。芸能界のおしどり夫婦として有名で、なれそめは1994年にNHK大阪で藤山直美主演のドラマ新銀河『大阪で生まれた女やさかい』の撮影で共演したことだった。撮影終了後に新大阪駅に向かうタクシーで相乗りし、そのまま新幹線で東京まで一緒に帰り食事をして交際につながった。ちなみに前述のドラマでは、二人が一緒に出てくるシーンは一度しかなかった。また、それ以前はお互い顔と名前を知る程度で特に面識はなかったという[4]。
2007年10月から2017年1月まで蛭子能収とともに『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』に出演していた。太川のリーダーシップと計画性、さらにはチームメンバーに対する細やかな気遣いには定評があった。なかでも正反対の性格である蛭子とのやりとりが好評で、ベストコンビといわれていた。このことは業界でも高く評価されており、水道橋博士は「蛭子さんを扱えるのは太川さんだけ」「自分たちの中で太川さんの何が凄いかといったら、蛭子さんと3泊4日一緒に過ごせること。なおかつ番組として成立させられてしまうのだから本当に凄い」と、評価していた。これは問題行動や問題発言をよく繰り返す蛭子にうまく対処できない人が多いからであった(だからといって、それでも常に蛭子をコントロールできていたというわけではなく、道中で蛭子の心無い一言に激怒して感情的になったりしていた[5] のは日常茶飯事)。
「ぶらり途中下車の旅」の旅人としても長く活躍しており、旅番組のイメージが強い[6]。また、近年では旅番組にかぎらず太川が出演すると視聴率が跳ね上がることが多く、業界内では「太川は何かを持っている」という評価をもたれているとされる[7]。
2017年6月27日、「京丹後市観光大使」に就任[8]。2023年10月7日には首都圏の丹後地方出身者で作る『東京丹後人会』の会長に選任された[9]。
「ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅」シリーズでは、太川(バス)チームのリーダーを務める[10]。
# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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ビクター | |||||||
1 | 1976年 12月20日 | A面 | 陽だまりの中で | いではく | 穂口雄右 | SV-6140 | |
B面 | 握手でグッバイ | 樹里久美 | |||||
2 | 1977年 4月5日 | A面 | 南風 | 石原信一 | 穂口雄右 | 高田弘 | SV-6197 |
B面 | きみにときめきすぎて | ||||||
3 | 1977年 7月5日 | A面 | Lui-Lui | 都倉俊一 | SV-6253 | ||
B面 | 銀の糸 | ||||||
4 | 1977年 10月25日 | A面 | Cry Cry Cry | 杉山政美 | 都倉俊一 | 田辺信一 | SV-6307 |
B面 | 恋の五線紙 | 都倉俊一 | |||||
5 | 1978年 2月5日 | A面 | もって行け思い出 | 中村泰士 | 高田弘 | SV-6362 | |
B面 | 春にふられて | 森雪之丞 | 小笠原寛 | ||||
6 | 1978年 4月25日 | A面 | ヨーヨー | 杉山政美 | 筒美京平 | 船山基紀 | SV-6404 |
B面 | ドクター・ラブ | ||||||
7 | 1978年 7月5日 | A面 | ぼくの姉さん | 上條恒彦 | 桑原研郎 | 高田弘 | SV-6448 |
B面 | 君に夢中さ | 馬場孝幸 | |||||
8 | 1978年 8月25日 | A面 | それはないよお嬢さん | 杉山政美 | 筒美京平 | 船山基紀 | SV-6463 |
B面 | 秋風によろしく | ||||||
9 | 1979年 2月5日 | A面 | ビーナス・イン・ブルージン | 山川啓介 | 馬飼野康二 | SV-6544 | |
B面 | さらば愛しき女よ | ||||||
10 | 1979年 5月25日 | A面 | ムーンライト・カーニバル | 森雪之丞 | 平尾昌晃 | あかのたちお | SV-6589 |
B面 | SOLO SOLO | 三浦徳子 | 梅垣達志 | ||||
11 | 1979年 10月25日 | A面 | 走れ!江の電 | 藤公之介 | 小笠原寛 | SV-6642 | |
B面 | コンサートのあとで | 保富康午 | 岩久茂 | 松井忠重 | |||
12 | 1980年 2月21日 | A面 | おとぎ話 | 太川陽介 | 福留順一 | SV-6690 | |
B面 | 母恋歌 | 荒木とよひさ | 小笠原寛 | ||||
13 | 1980年 5月21日 | A面 | 心の翼 | 小椋佳 | 戸塚修 | SV-7001 | |
B面 | 止してもらいたい | 青木望 | |||||
14 | 1981年 4月21日 | A面 | そこに微笑みが | 太川陽介 | 馬場孝幸 | 松井忠重 | SV-7108 |
B面 | 静かな夜 | 窪田万梨 | こすぎやすお | ||||
ワーナー・パイオニア | |||||||
15 | 1985年 9月25日 | A面 | Hey,ミスター・バイク![11] | SHOW | 小田裕一郎 | 入江純 | L-1714 |
B面 | (インストゥルメンタル) | - | |||||
年 | 楽曲 | タイアップ |
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1978年 | ぼくの姉さん | NHK銀河テレビ小説「ぼくの姉さん」主題歌 |
1980年 | おとぎ話 | 日本テレビ系テレビドラマ「おだいじに」挿入歌 |
心の翼 | 日本テレビ系テレビドラマ「猿飛佐助」EDテーマ | |
1981年 | そこに微笑みが | 日本テレビ系テレビドラマ「かくれんぼ」主題歌 |
静かな夜 | 日本テレビ系テレビドラマ「かくれんぼ」挿入歌 | |
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