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仙台初売り(せんだいはつうり)は、年初に行われる旧仙台藩領内の伝統行事である。江戸時代からの商習慣として国から認められ、特例として他地域より豪華な景品を付けることが可能になっている[1]。特例が適用される期間は3日以内で、正月(新暦)または旧正月(旧暦)に行うことが出来る[2]。
全国的には、新年最初の営業日における販売を初売りとするが、仙台では、豪華景品や特典を付けた商品を取り扱う年初の期間を初売り期間とし、その期間における商習慣を「仙台初売り」と言う。
豪華な景品や特典を付ける販売方法は、景品表示法に抵触し、不当廉売にもあたる可能性がある。しかし、公正取引委員会は、旧仙台藩領内などで見られる初売りは伝統行事とみなし、特例として3日間以内で認めている[2]。すなわち、公正取引委員会に認められた「仙台初売り」開催地域は旧仙台藩領内に限られ、また、その地域内で「仙台初売り」の期間を4日間以上で案内している商店があったとしても、4日目以降は景品などについての特例は認められていない[2]。
現在「仙台初売り」は、1月2日から3日間以内で開催されるのが一般的であるが、郊外のGMSでは1月1日に通常営業を行い、1月2日から「仙台初売り」を行う店舗があったり、カーディーラーや住宅メーカーを中心に正月休み明けの最初の営業日(1月4日など)から数日間を「仙台初売り」とする店舗も見られる。近年ではアベカツや万代書店のように1月1日から(前述の元日通常営業・2日初売りではなく)「仙台初売り」を行う店舗も少数ながら見受けられる。また、冬服のバーゲンセールが年々前倒しになってきたこともあり、近年はファッションビルを中心に、1月2日に景品を多く付けた商品や福袋を販売の中心とする「仙台初売り」とし、1月3日以降に値下げ商品を販売の中心とするバーゲンとする傾向も見られる。
「仙台初売り」は、仙台城の城下町からの伝統がある仙台市都心部の商店街で特に盛大に行われており、景品目当てに大晦日の夜から並ぶ者もいる。一番町のアーケード街などでは、開店前には振興組合が甘酒などを振る舞う様子が見られる。
現在のイメージキャラクターは仙台四郎である。また、年末年始には、「仙台初売り」の特集番組が、宮城県のテレビのローカル局から数々放送されている。近県からの誘客キャンペーンも実施され、福島県(福島駅・郡山駅)、山形県(山形駅)、岩手県(一ノ関駅)等のJR東日本の駅には「仙台初売りナビゲーションブック」(河北新報社作成)が設置・配布される[3]。
「仙台初売り」は、旧仙台藩(旧一関藩含む)の領域[4]で認められていることになっているが、旧仙台藩領域に含まれる岩手県北上市の一部、釜石市の一部、および、福島県相馬郡新地町では、公正取引委員会が「仙台初売り」を実施することを認めていない。「仙台初売り」を実施可能な旧仙台藩地域とは、以下の自治体に限られる[2]。
また景品額の上限は「取引価額の10分の2(ただし5万円以下)」とされるが、500円以下の景品の場合は取引価額の10分の2を超えても良い[2]。
ただし現在では、岩手県南や宮城県北では特例を適用した初売りは実施しておらず、仙台都市圏を中心とした行事となっている[1]。
戦国時代(安土桃山時代)の天正12年(1584年)、伊達輝宗が家督を相続する伊達政宗に向けて書き記した『正月仕置之事』には、「二日 かいそめにて町へ代物五十指越米塩アメオコシ米買い候」とある[5]。すなわち、米沢時代から伊達家には、1月2日に城下で「買い初め」(初買い)をする年中行事があり、対義語である「売り初め」(初売り)も当時からなされていたと考えられている[5]。これが1月2日に「仙台初売り」をする商習慣の起源と考えられている[6]。
政宗は天正19年(1591年)に岩出山城に移り、慶長8年(1603年)に仙台城に初入城するが、城下の御譜代町等も政宗に従って米沢から岩出山、そして仙台へと移った。このため、米沢時代の商習慣も仙台に持ち込まれたと考えられる。
化政文化期(1804年 - 1824年)に書かれた『仙臺年中行事』には、正月2日に「賣初賣買」(うりそめばいかい)とあり、また、「早朝から閉まっている店をたたき起し、買う。値段の高い安いにかかわらず、買う人に景品を出すのが習わし」とある[6][7]。すなわち、伊達家の年中行事が江戸時代を通じて庶民に浸透したのが1月2日の仙台初売りであり、景品を付ける商習慣もこの時期までに定着していたと考えられる[6]。
17世紀初頭より仙台城と城下町の建設が始まり、南北道の奥州街道(北側:国分町、南側:南町)と東西道の大町が交差する芭蕉の辻が城下の商業・交通の中心となるが、この大町の肝入となった只野小右衛門は、毎年12月25日から3日間、芭蕉の辻周辺の路上に仮設市の仲見世[† 1]を開き、賃料を徴収することを仙台藩から許可された[8][9]。仲見世では肝入が歳徳神(陰陽道)のお札を売り、そのほか正月飾りや年越しの道具が売られていたが、瀬戸物や子供用玩具など商品は多様化し、興行も行われるようになって、城下のみならず、近隣の村々からも大勢の人出があったと言う[8][9]。
大町を初めとした城下商人は、藩の許可により流通を独占する特権を持った株仲間を形成していたが、江戸時代中期になるとその独占体制が揺らぎ、大町は衰退の危機に直面した[† 2]。すると天明期(1781年 - 1789年)の後には、仲見世の期間が12月30日(大晦日)まで延長されるようになった[8][9]。
明治6年(1873年)の改暦以降、(新暦)1月1日の初詣が盛んになった[10]。また、仲見世は12月31日(大晦日)まで延長され、1月2日は初売(売り初め・買い初め)・初荷という年中行事になっていくが、旧暦でもこれらは行われたため年2回の開催となる[8][11]。その後、仲見世の開催場所は新興商業地区の東一番丁や南町通りへと移り、「歳の市」(としのいち)と呼ばれるようになった[8][9]。
明治20年代になると歳の市では各種小屋掛興行や活動写真・軽業などの興行が行われて仙台を代表する祭りの1つとして発展、開催場所も市街中心部全般に広がって、期間も1月2日まで延長された[9][10]。これで「歳の市」という祭りが「初売り」と共存することになり、景物(景品)が出される初売りの1月2日の午前3時には過ぎには店頭に黒山の人だかりが生じ、午前4時頃の開店で店はごった返すようになった[10][11]。
歳の市は明治末期から大正初期に全盛期を迎える[9]が、1919年(大正8年)3月2日に発生した南町大火により、中心的な会場となっていた南町通り周辺は焼き尽くされてしまう。市は復興に合わせて市区改正を実施し、さらに1926年(大正15年)に仙台市電を開業させた。路面電車の軌道敷設に合わせて拡幅された道路が縦横に走るようになった昭和初期の市街地では、歳の市は4箇所(東一番丁、東二・三番丁、北一番丁、南町通り)で分散開催されるようになった[9]。また、藤崎や三越仙台支店(現仙台三越)といった百貨店の開業により、仮設市の歳の市は大型店のクリスマスセール、歳末セール、初売りと競合することになった。
1937年(昭和12年)に日中戦争が始まり、翌年国家総動員法が制定されると、統制経済下で物資は配給になってしまい、歳の市は縮小していった。1940年(昭和15年)には東一番丁と元寺小路のみでの開催となり、1944年(昭和19年)には東一番丁で10軒だけとなった[9]。
1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲により焼け野原となった仙台市街地では、終戦後の9月には仙台駅から宮城野橋(X橋)にかけて大規模な闇市が形成された[12]。また同月、アメリカ軍が宮城県に進駐を開始した[13]。そのような中でも、12月25日から歳の市が開催された[14]。出店希望は500店に及び、歳の市始まって以来の大盛況となったものの、正月飾りなどを扱う店は十数店しかなく、ほとんどが食品や生活物資の店だった[14]。他方、藤崎と三越は1946年(昭和21年)の正月三が日を休業とし、初売りは実施できなかった[14]。
1947年(昭和22年)になると、交通事故防止の理由から歳の市は裏道の南光院丁での開催(12月25日~1月2日)となり、賑わいを失った[9]。その一方、仙台商工会議所が全市商店街に呼びかけて1948年(昭和23年)12月6日から翌年1月6日まで開催した歳末商工祭では、クリスマス飾り付けコンクールや町内連合の福引(特賞はミシン)が実施され、話題を呼んだ[14]。
1949年(昭和24年)に共に全館営業再開となった藤崎と三越では、1950年(昭和25年)1月2日の初売りにおいて何度も入場制限するほど活況を呈し、東一番丁の商店街も身動き出来ないほどの人出で埋まった[14]。同年末、歳の市は新設された青葉通りでの開催となったが、かつてのような賑わいを取り戻すことは出来なかった[9]。
このように、戦中および戦後占領期を通じて仙台の年末年始の商業の活況は、歳の市から、デパートや商店街のクリスマスセール・歳末セール・初売りへと移る結果となった。
なお、歳の市は、仙台市では新暦・旧暦ともに昭和40年代に消滅したが、旧仙台藩北部にあたる岩手県南部から宮城県北部のいくつかの都市では旧暦年末開催が消滅したものの、新暦年末に数日間開催される例がある[15]。
1951年(昭和26年)の年末大売出しから12年間、商工会議所主催の全市共通くじ引き(1951年度の特賞は30万円)が実施された[14]。終戦後のハイパーインフレーションほどではないとは言えインフレーションが続く中、戦後復興のため発行された宝くじと同様、一攫千金の夢を与える年末大売出しに対し、初売りでは景品の豪華さを競い合うようになった。特に空の茶箱は衣類の保管箱として人気になり、茶屋同士の競争が熾烈となって、布団や茶箪笥まで景品とするほど豪華になった[1]。
高度経済成長期(1954年12月 - 1973年11月)に入って、全国的にも高額景品を付けたり1万円つかみ取りなどの射幸心を煽る販売方法が広まり、中小企業の経営を圧迫しかねないなどの問題が生じてきたため1962年(昭和37年)、不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)が成立し、景品規制が始まった[16]。
景品表示法への仙台での対応は詳細不明だが、1963年(昭和38年)と1964年(昭和39年)の初売りは1月3日に変更となった[17]。
1960年代の仙台ではスーパーマーケットが急増し、エンドーチェーン仙台駅前店のような大型店も開店した[14]。また、藤崎・三越・丸光の3つの百貨店が増床競争を繰り広げ、東一番丁に続いて中央通り(大町・新伝馬町・名掛丁)もアーケード街となった[14]。このような流通競争の中で初売りは、1965年(昭和40年)には1月2日に戻されることになった[17]。
1973年(昭和48年)の年末から始まるオイルショックにより日本の高度経済成長は終焉を迎え、1974年(昭和49年)は不景気の中で狂乱物価に見舞われた。1975年(昭和50年)から初売りは再び1月3日に変更された[17]。これは労働者福祉が理由とされるが、東北新幹線の建設開始で十字屋仙台店、ダイエー仙台店、ジャスコ仙台店(現・仙台フォーラス)と、大型店が続々進出する状況への対抗という面もあったとされる[17]。
この時期までに仙台近郊の大型店やロードサイド店は、1月1日や1月2日から初売りを開始するようになっていた。その影響からか中心部商店街の初売りに来る客が減ったことなどから、バブル崩壊後の1995年(平成7年)、初売りが1月2日に戻された[18]。ところが、約20年ぶりの2日実施には戸惑いもあり、消費者と商業者共に不評だった。そのため1996年(平成8年)は1月3日として合意されたが、小売店側で対応が分かれ、2日と3日に開始日が分裂した。
1997年(平成9年)から1999年(平成11年)までの3年間は2日実施となったが、この間、大型店やロードサイド店では1月1日に初売りをする事が多くなった。このため、市民や商店街から「なぜ元日に初売りをするのか」との厳しい声が聞かれるようになった。
2000年(平成12年)、大規模小売店舗立地法(大店立地法)施行により攻勢に出るイオングループが、翌年から元日初売りを実施すると表明した[† 3]。イオン側と仙台商工会議所のトップ会談により元日初売りは回避されたが、これを機に地元では検討会がたちあげられ、「仙台初売り」の再定義やブランド化が行われた。すなわち、「仙台初売り」のイメージキャラクターに仙台四郎を据え、インターネットや新聞などでPR活動を実施することになり、2003年(平成15年)より「元日:通常営業、2日:仙台初売り」が受け入れられた。これ以降、仙台市内では元日初売りを行う大型店が激減した[† 4]。
2008年(平成20年)の仙台市民を対象とする調査では、元日通常営業に行った者は漸増傾向を見せ、約2割が利用している[19]。一方、仙台初売りに行った者は約4割で、仙台市都心部15%、仙台市郊外25%、地元商店街7%の概数となっている[19]。
なお、支店経済都市かつ学生が多い仙台市は帰省による人口流動が大きく、円高期には海外旅行も増えるため、年末年始に市民が減少する傾向がもともとある上、規制緩和により2000年代に始まった高速バスやツアーバスの低廉化で首都圏の1月1日の初売りへの流出もある。
インターネットの普及[† 5]により、メガネ業界の初売り割増商品券や家電量販店の福袋などが12月よりネット予約が出来るようになり(実際の受け取りは年明け以降)、ネット通販では1月1日午前0時から初売りが始まるようになってきており、現実空間での初売りの形と仮想空間のそれとの間で差異が生じてきている。
その他コンビニやスーパーマーケット、商店街や小売店などで実施している店舗もある
仙台市都心部では、元日通常営業を標榜する大型店、コンビニエンスストア、娯楽施設を除くほぼ全ての店舗で元日は休業する。このため、都心部の昼間人口が極端に減少する年が多く、各種交通機関は特別ダイヤ体制をとる。例えば、仙台市営バスでは、初詣関連路線を除くほぼ全路線が間引きダイヤとなっている。
JR東北本線では、仙台駅に5時台の早い時間帯に到着するような臨時列車「開運仙台初売り号」が運行される[23][24][25][26][27]。
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