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日本の女優(1935−2012) ウィキペディアから
中原 早苗(なかはら さなえ、1935年〈昭和10年〉7月31日 - 2012年〈平成24年〉5月15日)は、東京市四谷区(現・東京都新宿区)出身の女優。本名:深作 早苗。夫は映画監督の深作欣二(2003年死別)、同じく映画監督の深作健太は長男である。
父は戦前東宝で活躍した藤尾純だが、早苗が幼少の頃に家を出てしまい、母で舞台女優だった南部雪枝が1人で育てた。
国本女子高等学校卒業。
在学中の1953年に『村八分』(近代映画協会・現代ぷろだくしょん)にて主演級の役でデビュー。
現代ぷろだくしょんに入ると、設立メンバーの山村聡の家に住み込んで女優としての所作を学び、『蟹工船』にも出演。
独立プロ系の作品で活躍後、母と知り合いの水の江瀧子にスカウトされ、1955年に日活と契約(年間6本で1本当たり20万円と高額の条件であった)。中原と笹森礼子、浅丘ルリ子、清水まゆみ、吉永小百合、芦川いづみの6人は「日活パールライン」と呼ばれ[1]、色々なジャンルの映画の中で主役から脇役まで様々な役柄を幅広くこなす器用な若手女優として、8年間に80本の作品に出演した。
1964年にフリーとなり、『仁義なき戦いシリーズ』など東映を中心に各社の映画に顔を出す。
私生活では川地民夫と事実婚状態となるも、短期で未入籍のまま別離。その後、1965年に映画監督の深作欣二と正式結婚した。深作との間に出生したのが深作健太である。深作にはたびたび女性問題などの醜聞が報じられるなど、深作・中原の夫婦仲は多方面から心配されたが、中原は深作の逝去まで別離を選ばず、夫婦生活を全うした[2]。
夫の欣二が亡くなった後は表舞台に一切出ず、引退状態であったという[3]。
など
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