よねや商事
かつて秋田県横手市に本社を置きスーパーマーケットチェーンを展開していた企業 ウィキペディアから
かつて秋田県横手市に本社を置きスーパーマーケットチェーンを展開していた企業 ウィキペディアから
よねや商事株式会社(よねやしょうじ)は、秋田県の県南地区でスーパーマーケットチェーン「よねや」を展開していた企業。秋田県横手市に本社を置き、合計8店舗のスーパーマーケットを展開していた。
本社及びプロセスセンター | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | よねや |
本社所在地 |
日本 〒013-0061 秋田県横手市横手町字大関越80番地 北緯39度19分15.92秒 東経140度32分53秒 |
設立 |
1962年(昭和37年)4月 (創業: 1956年(昭和31年)8月[1]) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 4410001008947 |
事業内容 | 生鮮食品を中心としたスーパーマーケット経営 |
代表者 | 池田正廣(代表取締役社長)[2] |
資本金 | 3,900万円[1] |
発行済株式総数 | 39,000株[3] |
売上高 |
単独:103億2,900万円 (2021年度決算)[3] |
営業利益 |
単独:△1億1,700万円 (2021年度決算)[3] |
経常利益 |
単独:△9,600万円 (2021年度決算)[3] |
純資産 |
単独:12億6,800万円 (2021年度決算)[3] |
総資産 |
単独:40億9,300万円 (2021年度決算)[3] |
従業員数 | 545名 |
支店舗数 | 8店舗 |
決算期 | 2月末日 |
主要株主 | ヤマザワ(100%) |
関係する人物 | 米谷一郎(創業者) |
外部リンク | 公式サイト(ウェブアーカイブ) |
2023年3月1日をもって株式会社ヤマザワ(山形県山形市)と合併し、よねや商事は解散した[4][5][6]。よねや商事の事業はヤマザワが継続し、よねやとして展開していた8店舗は屋号を変えずそのまま営業を続ける[4][7]。
秋田県の県南地区において、8店舗の食品スーパーマーケットを展開していた[4](2023年3月1日の合併時点)。横手市にあるハッピーモール店を基幹に、県南地域の湯沢市、大仙市、仙北市に出店しており[8]、合併時には8店舗がそのまま引き継がれた[4]。
よねやは地域密着型のスーパーマーケットで、「地域社会に 良さと 安さと 誠意を」のモットーを掲げていた[1]。売り場では、地元農家が生産した野菜や果物、畜産物などを積極的に導入した他、加盟するニチリウグループのプライベートブランド商品(くらしモア)や、グループ会社のサンコー食品が製造する惣菜や日配品を多く取り扱っていた[8]。また価格競争をできるだけ避けるべく、品揃えの充実を行っていたという[9]。
屋号に使用される「よねや」の名称は、創業者である米谷一郎の姓「米谷(よねや)」に由来するもので、創業時から合併後にかけて使用され続けている。
とくし丸と提携し、2015年より移動スーパー事業に参入した他[10]、フィットネスクラブ「カーブス」を秋田市、横手市、大仙市、湯沢市にフランチャイズ展開していた[11]。
よねやの創業は1956年(昭和31年)8月で[1][12]、米谷一郎が秋田県横手市に「合資会社よねや」として設立した[13]。よねや創業前は、軍手、メリヤス、セーターなどを製造する東北繊維工業株式会社などを経営していたが、業績が低下していたため、食品販売業に転身を図り、よねやが設立された[14][15]。横手市鍛冶町にかつて入手していた旧二坂呉服店を改装し、魚、野菜、菓子などを市場価格よりも格段に安く販売した[13]。当時はセルフサービス式の店舗ではなく、対面販売の形式であったが[13]、当時の横手市内において、いわゆる「スーパーマーケット」の進出はこのよねやが最初で、後の1962年(昭和37年)に全国チェーン店である主婦の店が進出し、横手店を開店させている[12]。
その後、よねやは「量販店」として店舗展開を精力的に行い、2号店の本町店(店舗面積66m2[13])を皮切りに、大曲市(現・大仙市)や湯沢市、秋田市にまでも店舗を展開していった[16]。また、通常の店舗より小ぶりな「ミニショップ」と呼ばれる店舗も何店舗か出店した[注釈 1][16]。
しかし、素人が闇雲に「安売り」に走ったことや、無理な拡大が裏目に出て、1960年(昭和35年)12月に経営不振が表面化した[17]。これに対して再建委員会が結成され、善後案が協議されることとなった。そこでは、各店舗を売却処分して債務返済に充てるということが決まったが、本店(鍛冶町店)については、米谷がとある宗教団体に寄付する形にしていたため売却することができなかった[17]。このような措置なのにも関わらず、2,000万円にのぼる債務が残ったが、1968年(昭和43年)に完済している[17]。ただし、創業者である米谷は再度メリヤス業に転換し、東京へ移住した[17]。巨額の負債を抱え、経営者も不在になったよねやからは退職者が続出し、残ったのは佐々木雄一の男性1人と女性4~5人のみであった[17]。こうした中、よねや本店(鍛冶町店)ただ一店舗だけが営業を続けていたが、残留社員であった佐々木雄一がよねや再建に名乗りを上げ、夫婦で5万円づつを出資し、1962年(昭和37年)4月に「合資会社雄山閣」を設立した[18]。その社名には、雄大の「雄」に「大山」のような企業を築くといった意味が込められているのと、佐々木の前の会社でのあだ名が「雄ちゃん」であったことに由来する[18]。この際、複数の取引先から店舗の屋号変更を勧められたが、「よねや」の屋号はそのまま維持された[18]。これは、創業者である米谷が不在の間でも、その両親が在市する下で「よねや」の名が消されることが、両親の心情に与える影響を考慮した結果であった[18]。
よねやの再建は非常に苦しく、1日の売上をかき集めて翌日の仕入れに当てる「今日一日に勝負をかける」ような経営が続いたが、こうした努力が実を結び、客足は徐々に回復していった[18]。1964年(昭和39年)9月には、社団法人公開経営指導協会の吉田弘に経営指導を受け、再建に努めた[19]。
1965年(昭和40年)には店舗を大改装し、スーパーマーケット「よねや」としてオープンした。これまで、よねやはスーパーマーケットを名乗っておらず、これは日本セルフ・サービス協会が定める「日本におけるスーパーマーケット」の定義[注釈 2]に合致しておらず、佐々木はこの定義を満たすまではスーパーマーケットとして名乗りを上げない方針であったためである[20]。
その後は問屋筋からの信頼も回復し、従業員も次第と増えていった[21]。その頃、再度店舗を改装[21]。その後、新生よねや2号店となる大水戸店を、1967年(昭和42年)7月に開店させた[22]。開店当初は売上が1日で16万円にのぼるなど、好調ぶりを見せていたが、2ヶ月ほどで売上が減少し始めた[22]。そこで、天ぷらの実演販売や、化粧品コーナーの新設などをし、同年秋には開店当初の売上まで回復した[22]。その後は、1969年(昭和44年)9月に双葉店、1971年(昭和46年)7月には浅舞店を開店させるなど、現在のよねや各店の土台となる店舗軍が形成されていった[19][22]。出店が加速する中、よねやは湯沢市への進出も考えていた[23]。1971年(昭和46年)春、秋田市にジャスコが進出することが決定すると、地元スーパーである「なかよし」と提携することとなり、「なかよし湯沢店」を他業者に譲渡することになった[23]。これにより、よねや湯沢店の開店が実現したのである[23]。
当時、独立採算システムを徹底するために各店舗を別会社が経営しており、鍛冶町店・大水戸店・四日町店を有限会社雄山閣、双葉店を有限会社梁山伯、浅舞店を有限会社雄マート、湯沢店を有限会社なかよしを経営母体として展開していた[24]。これらの会社は 1996年(平成8年)に合併し、ここでよねや商事株式会社として発足している[25]。
1974年(昭和49年)当時の売上高は湯沢店がトップで、続いて鍛冶町店、双葉店、浅舞店と続く[26]。
当初は小型店舗での店舗展開を行っていたが、1997年(平成9年)の大曲店の開店を皮切りに、横手西店(ハッピータウン店)や増床した稲川店のような大型店舗を展開し、時代の要求に応えられなくなった小型店舗は閉店させるなどするスクラップアンドビルドを進めていった[27]。これにより店舗数自体は減ったが、総売り場面積は増え、一店舗当たりの売上も上昇している[27]。
仙台のほてい屋から権利を買い取り、バスの内部を改装した上で現在の移動販売のような事業を行っていた[29]。「走るスーパーマーケット」と呼ばれ、初期の販売企画の一環として行われていたが、振動やバス内の暑さで商品が痛むなど、あまり商売にならなかった[29]。また、買い取ったバスは老朽化しており、10日走ると3、4日は故障でバスが止まってしまうなどしたため、開始から10ヶ月ほどでやめてしまった[29]。
そこから50年以上経過した2015年(平成27年) 、よねやはとくし丸からノウハウの提供を受け、移動販売事業に参入した[10]。
2012年(平成24年)9月に株式の10%をヤマザワが取得し、子会社を通じて惣菜の供給などが開始された[30][31]。2014年(平成26年)3月1日には、残りの株式をすべてヤマザワが取得し、ヤマザワの完全子会社となった[32][31]。この際、屋号は変更されなかった。
当時、ヤマザワは店舗網を山形・宮城から岩手・秋田の両県へ拡大することを目指しており、その足掛かりとしてよねや商事を傘下に収めた[33][34]。
2022年(令和4年)3月28日、ヤマザワは経営資源の集約、業務の効率化を図るとして、よねや商事を2023年(令和5年)3月1日付で吸収合併することを発表した[3][5][6]。合併の形式はヤマザワを存続会社とする吸収合併方式で、よねや商事は解散することになった[3]。この時点では、屋号は変更されないとしている[7]。
ヤマザワによる吸収合併が発表された2022年には、老朽店である浅舞店、双葉店(いずれも横手市内)が相次いで閉店している[35][36]他、南店が建て替えを終えリニューアルオープンしている。南店はヤマザワのノウハウを積極的に取り入れた新たなフォーマットの店舗として、屋号の「よねや」を維持した上でリニューアルオープンを迎えた[37]。店舗にはヤマザワのロゴマークなどが大きく掲げられており、従来のよねやのロゴなどは使用されておらず、「よねや」の文字がヤマザワのロゴの下に付記されるのみとなっている[38]。
2023年2月27日 - 28日はヤマザワとのシステム統合のため全店舗を臨時休業[39]。よねや商事運営の「よねや」としては2月26日が最終営業日となった。
2023年3月1日をもってヤマザワがよねや商事を吸収合併、よねや商事の事業をヤマザワが継承した[4]。店舗の屋号は変更されず[4]、ヤマザワ運営の「よねや」として同日より店舗の営業を再開した。3月1日から3月7日までは「ヤマザワ・よねや合併記念セール」と銘打って、ヤマザワとよねやの計69店舗(全店舗)にてセールを開催[40]。
以下、注釈の無い項目は文献の情報によるもの[41]。
店舗が店名を変えずに場所を移転している場合、元店舗を「旧」と表現し廃店舗とみなす[注釈 3]。
自社カードの「ひまわりカード」が利用可能である[101]。同カードにはヤマザワ系電子マネーの「NICOCA(にこか)」が搭載されている[101]。
電子マネー機能付きのポイントカードで、よねや各店および加盟店で利用することができる。2004年(平成16年)11月1日に初めて導入され[102]、2015年(平成27年)に「新・ひまわりカード」として一新された。2004年の導入前は「Yカード」や「エスカレートカード」などが存在していた[102]。
ひまわりカードのポイント料率は300円(税抜)ごとに1ポイント[101]。2022年8月31日までは200円(税抜)ごとに1ポイントの加算だったが、翌日の9月1日より現在の料率へと変更された[103]。カードの最終利用から1年経過すると、会員資格およびポイントが失効する[101]。
発行手数料は100円(税込)で、入会費や年会費は無料[101]。
ヤマザワとの合併後もひまわりカードの使用は可能とされているが[104]、ポイント10倍の開催日が毎週木曜日・日曜日および毎月8のつく日だったのが、3月1日より毎週金曜日・日曜日へと変更となった[39]。
2023年(令和5年)11月1日、ひまわりカードやにこかカードなどヤマザワ自社カードを廃止し、2024年春より楽天ポイントカード・楽天Edy機能を搭載した「ヤマザワ Edy-楽天ポイントカード」を新たに発行する旨を発表した[105]。
1984年(昭和59年)頃から「よねやふるさと便発送本部」によるきりたんぽセットの発送を行っている[106]。秋田県の郷土料理、きりたんぽ鍋を作るのに必要な食材などがセットになっているもので、全国からの配送を受け付けている(ただし、沖縄県を除く離島へは配送不可)。配送の受付は毎年10月頃から2月頃まで行っている(2022年シーズンは10月1日から翌年2月23日[107])。
内容物としては、きりたんぽ、比内地鶏、比内地鶏スープ、セリ(湯沢市三関産)、ネギ、マイタケ、ゴボウのささがき[注釈 5]、糸蒟蒻、油揚げの他、作り方が記載されたパンフレットがある[108]。
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