ポリドール・レコード (Polydor Records) は、イギリスに本部を置く、レコード会社、レコード・レーベル。ドイツ・グラモフォンが設立した。ポリドール・アメリカは、欧州の複合企業であるフィリップス=シーメンスの在米子会社で、のちにマーキュリー・レコードとともにポリグラム傘下となった。現在は、本社をアメリカ合衆国に置くユニバーサル ミュージック グループ傘下のレーベルである。
概要 ポリドール・レコード, 親会社 ...
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ポリドールの歴史は非常に長く、戦前の1910年代にルーツがある。戦後はポップ音楽やクラシック音楽のレーベルとなり、指揮者ベルト・ケンプフェルトがビートルズを発見し、最初の録音「マイ・ボニー」はポリドールで録音されている[1][2][3][4][5]。ポルドールがアメリカ支社を設置した時期は案外遅く、1969年になってからである[6]。1970年代には、ビージーズと契約した[7]。
ポリドールのアーティスト
過去に所属したアーティストを含む
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概要 ポリドール・レコード(日本), 親会社 ...
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社史に、日本ポリドール、大東亞蓄音器、日本グラモフォン、ポリドール株式会社、ポリグラム株式会社、ユニバーサルミュージック株式会社、ユニバーサルミュージック合同会社、と社名変更の歴史も刻まれる。
沿革
株式會社日本ポリドール蓄音器商會
- 1926年、当時ドイツ・グラモフォン社(ポリドールレコード)の国内での輸入元を務めていた阿南商會の阿南茂が、松本荘之助・鈴木幾三郎(銀座十字屋)・技師の塩崎仲吉とともにドイツに渡り、同社と折衝の結果、日本国内におけるレコードの製造許可を取得する。
- 1927年5月30日、阿南正茂が『株式會社日本ポリドール蓄音器商會』を設立、ポリドール・レコードの国内での販売を開始する。
- 1942年3月、戦時中の外国語使用禁止の風潮を先取りし、社名を『大東亞蓄音器株式會社』に変更。ブランド名については、邦楽部門を大東亜レコードに変更したものの、洋楽部門は引き続きポリドール・レコードを使用した。
- 1943年12月、社名を大東亞航空工業株式會社に変更する(時期は諸説あり)。
- 1944年1月新譜(1943年12月20日発売)を最後に商業レコードの新譜発売を中止する。同月の月報は国立国会図書館音楽・映像資料室で閲覧可能で、従来の新譜中止月の誤りを確認出来る。のちに政府の依頼で大東亜会議の模様を記録した組物 (P-5375 - 5445) を製作し、東京都と連携した盤 (P-5446) も存在し、最終的な生産終了時期は不明である。
- 1945年4月13日、空襲で表参道の吹込所(東京都赤坂区青山北町6丁目)を焼失。同月15日、空襲にて池上の本社・工場(東京都大森区堤方町215番地)が類焼(全焼では無く、原盤は被害を受けなかった)。
- 同年6月21日、福島県桑折に工場を新設し、疎開。
- 戦後の1946年11月25日、日本コロムビアのスタジオにて、戦後初めての新録音を開始(1947年説は事実誤認)。
- 1949年3月20日、表参道の吹込所が復旧。
- 1950年4月、『ポリドール蓄音器株式会社』に社名変更。
- 1950年11月24日、桑折工場を失火で焼失、被害額2000万円との新聞報道。
- 1952年10月、桑折工場が復旧し、新譜の発売を再開。
日本ポリドール株式会社 → 日本グラモフォン株式会社 → ポリドール株式会社
ポリグラム株式会社 → ユニバーサルミュージック株式会社 → ユニバーサルミュージック合同会社
- 1993年12月1日、"ポリドールK.K."の販売部門と販売元が、"ポリグラム株式会社"(以下、"ポリグラムK.K."、現:"ユニバーサルミュージック合同会社")に移管される。
- 1998年、"シーグラム"が"ポリグラム"を買収し、"ユニバーサルミュージック"が発足。
- 1999年7月1日、"ポリグラムK.K."が、"ユニバーサルミュージック株式会社"(以下、"ユニバーサルミュージックK.K.")へ社名変更。"ポリドールK.K."は制作会社として存続し、その後、2001年7月1日に、邦楽アーティストが用いていた「"ポリドール・レコード"」レーベルは、"ユニバーサルビクター"と統合し、「"ユニバーサルポリドール"」として一新した。「"Polydor"」のシンボルマークは継続使用された。
- 2002年、ユニバーサル ミュージックK.K.がポリドールK.K.を吸収合併。「ユニバーサルポリドール」レーベルは同社の社内カンパニーの"ユニバーサルJ"に移行[17]。大半のアーティストは、同じく同社の社内カンパニーの"NAYUTAWAVE RECORDSレーベル"(→"EMI RECORDSレーベル")へ移管した。
- 2009年、"ユニバーサル ミュージックK.K."が組織変更され、法人名が"ユニバーサルミュージック合同会社"(以下、"ユニバーサルミュージックLLC")に社名変更。
- 2023年、"ユニバーサルミュージックグループ"の組織改編により"ユニバーサルJ"から「"UJ"」と分割する形で「"Polydor Records"」が復活となった事により、日本での"ポリドール"が約20年7ヶ月ぶりにレーベルとして復活した[18][19][20]。
主な所属アーティスト
☆印はユニバーサルミュージック内の"NAYUTAWAVE RECORDS"→"EMI RECORDS"からリリースされた作品がある者、★印はユニバーサルミュージック内の"ユニバーサルJ"→"ポリドール・レコード"からリリースされた作品がある者。特に注釈の無いアーティストについても、他レーベルに在籍歴の可能性がある。
過去に所属した主なアーティスト(ユニバーサルポリドール時代以前)
Infosite, Beatlesource.com; accessed 19 April 2015.
Mark Lewisohn: All These Years Volume 1:The Beatles Tune In, Little Brown, London 2013,ISBN 978-0-316-72960-4
元モーメンツの3人。「スペシャル・レイディ」が1980年にヒット
スタックスが倒産した後ポリドールからディスコ曲「ドント・レット・ゴー」(1980)のヒットを放っている
ポリドールの在籍した人種、国籍融合のファンク・バンド
1984年の「パーフェクト・ストレンジャー」がポリドール発売
アルバム「ポリド-ル・イヤーズ」がリリースされたことがある
レーベルの移行からレーベルの復活までの21年間の間、海援隊、スピッツ、山崎まさよし、山上兄弟等で、全商品のパッケージ等による、"Polydor"のレーベルロゴで使用していた。
初期はフォークスタイルで「ぼくの好きな先生」。チャボが加入してからは「雨上がりの夜空に」等、一連のロック曲を発表した。一時期ポリドールに在籍。
1983年、ポリドール30周年記念男性新人歌手としてデビュー。
専属前は日本コロムビアの「リーガル」レーベルやビクターからレコードを出していた。
1968年シングル「あなたの面影」。一時期、CBS・ソニーに在籍、その後復帰。
ポリドール30周年記念女性アイドル歌手としてデビュー。
演奏として井上堯之バンドがレーベルにプリントされたこともある。
2023年に、"Polydor Records"のレーベルが復活するまでの所属が"ユニバーサルJ"だった時期において、地球儀マークと併記する形で"Polydor"のマークを続けて使用していた。
アーティストとしては日本コロムビアより移籍。ユニバーサルミュージック(≒ポリドール)との契約解除後はワーナーミュージック・ジャパンへ移籍。