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大阪府大阪市の行政区 ウィキペディアから
阿倍野区(あべのく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。閑静な住宅街やマンションがあり、北の方にはあべのキューズモールや高さ300mのあべのハルカスなどがある。
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2024年4月) |
北部の阿倍野橋周辺は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅、Osaka Metro御堂筋線・谷町線天王寺駅、阪堺電気軌道上町線天王寺駅前駅があり、百貨店や映画館などが存在する商業地区である。
国道25号を挟んですぐ北側の天王寺区に位置するJR大阪環状線・関西本線(大和路線)・阪和線天王寺駅とともに「天王寺・阿倍野」と位置づけられており大阪の南の主要ターミナルとなっている。
天王寺・阿倍野は大阪府内では梅田(キタ)、心斎橋・難波(ミナミ)に次ぐ大阪の第三の繁華街としての機能を持っており、近畿地方でも有数の商業集積地となっている。阿倍野再開発事業により、あべのキューズタウン等が誕生した。阿倍野区の最北端に位置する、近鉄の主要駅の一つである大阪阿部野橋駅は、日本第2位の超高層ビルである「あべのハルカス」と直結しており、大阪市東住吉区や大阪府南河内地域、奈良盆地南部からのターミナル駅の一つでもある。
町会・自治会などの自治組織は、金塚・常盤・高松・丸山・晴明丘・王子・阿倍野・阪南・長池・文の里の各連合町会が組織されている。北東部の松崎町・文の里と、南西部の晴明通・橋本町・相生通・北畠・帝塚山・万代は文教地区・高級住宅街として知られている。また、南西部は『聖天山風致地区』(晴明通・橋本町・相生通・北畠・帝塚山)辺り(部分的に風致地区でない箇所も有る)。
中央区、天王寺区と同様に数多くの学校が立地する文教地区の1つである[1]。
なお、区名やOsaka Metro・阪堺電気軌道上町線の駅名は「阿倍野」だが[2][3]神社名と近鉄南大阪線の駅名は「阿部野」となっている。
阿倍野区の町名には、以下のものがある。
また現在は住居表示上の町名ではないものの、地域一帯を示す地名として金塚(旭町全域と阿倍野筋の一部)、高松(天王寺町北・天王寺町南)といった地名があり、小学校や連合町会などの名称として使用されている。
主な地名の由来は、以下の通りとなる。
1943年(昭和18年)4月1日に、大阪市がそれまでの15区制から22区制へ分増区させた際、住吉区が3区(住吉区・東住吉区・阿倍野区)に分区されて誕生した。区域は大阪市編入前の旧天王寺村(1897年大阪市第一次市域拡張以降の区域)の大半と、田辺町・住吉村・長居村のそれぞれ一部にあたる。
区名の由来は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説と、『万葉集』の山部赤人の歌からとする説、古地名の「東生郡餘戸郷(ひがしなりぐんあまべごう)」の「餘戸(あまべ)」からとする説などがあるが、豪族「阿倍氏」説が今のところ有力である[4]。
区名については、1943年分区前までの住吉区役所は現在の阿倍野区内にあったことから、当初の案では分離前の「住吉区」の区名を継承することが検討されていた(現在の住吉区は、当初案では「住之江区」が提示された)。しかし住吉大社周辺の住民の反対によってこの案は撤回され、「住吉区」の名称は現在の住吉区が継承し、当区は阿倍野区の名称となった。
この際、新区名の漢字表記を「阿倍野」にするか「阿部野」にするかの論議が起きた。当時「阿倍野」「阿部野」の両表記ともに広く使用されていたが、1925年に大阪市に編入された際、東成郡天王寺村大字「阿部野」から大阪市住吉区「阿倍野」町へ表記が変更されていたこともあって、区役所の土地台帳や戸籍原簿などに「阿倍野」が使われていたため「阿倍野」の表記を採用した[4]。
なお1925年に大阪市に編入された際に設置された第一次住吉区は、第一次案での区名候補は「阿倍野区」だったが、住吉区の名称が採用されている。
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