Loading AI tools
日本の女性政治家、政治学者 (1952-) ウィキペディアから
猪口 邦子(いのぐち くにこ、1952年〈昭和27年〉5月3日 - )は、日本の政治家、国際政治学者。自由民主党所属の参議院議員(3期)。上智大学名誉教授、日本学術会議委員、地域経済総合研究所評議員。専門は国際関係論、安全保障論[3]。
猪口 邦子 いのぐち くにこ | |
---|---|
2019年7月、柏駅前にて(67歳) | |
生年月日 | 1952年5月3日(72歳)[1] |
出生地 | 日本 千葉県市川市[2] |
出身校 |
上智大学外国語学部 イェール大学大学院 |
前職 |
国際政治学者(国際関係論) 上智大学外国語学部・法学部教授 行政改革会議委員 |
所属政党 | 自由民主党(無派閥→麻生派) |
称号 | Ph.D.(イェール大学・1982年) |
配偶者 | 猪口孝(2024年死別) |
公式サイト | 猪口 邦子 公式サイト フロントページ |
内閣 | 第3次小泉改造内閣 |
在任期間 | 2005年10月31日 - 2006年9月26日 |
選挙区 | 千葉県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2010年7月26日 - 現職 |
選挙区 | 比例東京ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2005年9月11日 - 2009年7月21日 |
軍縮会議日本政府代表部特命全権大使[4]、衆議院議員(1期)、内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画担当)[4]、日本大学国際関係学部教授[5] 等を歴任した。
1972年にNHK「青年の主張」全国最優秀賞(文部大臣賞)受賞[6]。第7回(1989年度)読売新聞吉野作造賞受賞[7]。2003年エイボン女性年度賞受賞[8]。
千葉県市川市生まれ[2]。旧姓は横田[9]。父・偉一は一橋大学卒業後、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災)に勤務し、1960年年代にサンパウロ支店長を務め、その後日本損害保険代理業協会(日本代協)専務理事を務めた[10][11][12]。祖父・昇一は実業家で雑誌『蓄音器世界』を発刊すると共に著作権制度の保護に努めた[9]。祖母・葉子は千葉県大多喜町生まれの歌人[9][13][14]。
現在は東京都文京区小石川2丁目に在住[15]。ブラジル・サンパウロ日本人学校、アメリカンスクール、桜蔭中学校[2]、アメリカ合衆国マサチューセッツ州・コンコードアカデミー高校を経て[2]、上智大学外国語学部卒業[2]。イェール大学大学院政治学研究科博士課程修了(Ph.D. in Political Science)。
1990年から上智大学法学部教授。この間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員(1983年 - 1984年)、オーストラリア国立大学政治学部客員研究員(1986年)を務める[2]。
2002年から2004年まで、軍縮会議日本政府代表部特命全権大使を務める。その後上智大学に復職した。
2005年1月、上智大学の学長選挙に立候補したが、落選。
2005年7月、自由民主党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(座長:安倍晋三、事務局長:山谷えり子)は男女共同参画基本計画改定作業中の政府に対し、「ジェンダー」という用語を削除し、今後正式な文書において使用しないよう求めた[16]。所管する内閣府はそもそも「男女共同参画」の英語表記を「Gender Equality」としており[17]、小泉政権が推し進める社会政策「男女共同参画社会」に対し、理念から覆そうとする動きが党内で出始めていた。同年8月16日、小泉純一郎首相は猪口と会談。第44回衆議院議員総選挙への立候補を要請し、猪口はこれを受諾した[18]。同年9月11日に行われた衆院選に自民党公認で比例東京ブロック単独1位で出馬し、初当選した。
同年10月13日、猪口は、先の衆院選でともに初当選した片山さつき、佐藤ゆかりと3人共同で日本外国特派員協会で会見。「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が「ジェンダー」という用語を削除するよう求めていることについて触れ、「私たちがジェンダーバッシングを許さない」と明言した[19][16]。同年10月31日、第3次小泉改造内閣が発足。小泉は内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画担当)に当選1回の猪口を抜擢した。なお、猪口は2022年のアンケートで、選択的夫婦別姓制度の導入について「反対」[20]、同性婚を可能とする法改正について「反対」[20]、クオータ制の導入について「どちらかといえば反対」と回答している[21]。
同年12月27日、担当大臣として関わった男女共同参画基本計画(第2次)が閣議決定される[22]。
2009年8月、翌日に公示される第45回衆議院議員総選挙に際して、比例単独候補の上位を優遇しない古賀誠、菅義偉ら自民党選対幹部から、前回の比例東京ブロック単独1位ではなく同ブロック下位での出馬を提示されたが、これに受け入れず、不出馬を表明した[23]。
2010年4月、日本大学国際関係学部の任期制教授に就任[5]。
同年7月の第22回参議院議員通常選挙の千葉県選挙区(改選数3)に自民党は現職の椎名一保と猪口の2人を擁立。猪口は得票数2位で当選し、椎名は落選した。
2012年10月参議院沖縄及び北方対策特別委員会委員長。
2014年9月自民党人事局長。
2016年7月の第24回参議院議員通常選挙でも千葉県選挙区に出馬し得票数1位で再選[24]。無派閥であったが、この再選を機に麻生派に入会した[25]。
2018年10月、自民党内閣第一部会長に就任[26]。
2020年10月、自民党一億総活躍推進本部長に就任[27]。
2022年7月、第26回参議院議員通常選挙で千葉県選挙区に出馬し3選を果たした[28]。
2024年9月12日、自民党総裁選挙が告示され、9人が立候補した。猪口は同じ麻生派の河野太郎ではなく、上川陽子の推薦人に名を連ねた[29]。投票日前日の9月26日夜、麻生派幹部6人は都内のホテルに集まり、決選投票に高市早苗が残った場合は高市を支持する方針を決定した[30]。会長の麻生太郎はさらに踏み込み、河野などの陣営に入っていた派閥メンバーに対し、側近議員を通じて「1回目の投票から高市に入れろ」と指示を飛ばした[31]。同日22時半頃、産経新聞は、麻生が1回目の投票から高市を支援するよう自派閥の議員に指示を出したことをスクープした[32]。9月27日総裁選執行。麻生は昼頃まで、自派閥で他候補の推薦人に名を連ねる議員にまで電話をかけ「1回目から高市で頼む」と訴えた[33]。高市は1回目の議員投票で、報道各社の事前調査での30~40票を大きく上回る72票を獲得した[30]。党員数と合わせた得票数は1位だったが、決選投票で石破茂に敗れた。猪口は1回目は上川に投票し[34][35]、決選投票では石破に投じた[35][注 1]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 53 | 比例東京ブロック | 自由民主党 | ーー票 | ーー | 17 | / | 1/7 |
当 | 第22回参議院議員通常選挙 | 2010年 7月11日 | 58 | 千葉県選挙区 | 自由民主党 | 51万3772票 | 19.33% | 3 | 2/9 | / |
当 | 第24回参議院議員通常選挙 | 2016年 7月10日 | 64 | 千葉県選挙区 | 自由民主党 | 76万93票 | 29.15% | 3 | 1/8 | / |
当 | 第26回参議院議員通常選挙 | 2022年 7月10日 | 70 | 千葉県選挙区 | 自由民主党 | 58万7809票 | 23.13% | 3 | 2/14 | / |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.