日本の超高層建築物

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日本の超高層建築物

日本の超高層建築物(にほんのちょうこうそうけんちくぶつ)では、日本にある超高層建築物(以下超高層ビル)について説明する。2023年現在、日本一高いビルは高さ325.2メートル(m)ある麻布台ヒルズ森JPタワー東京都港区)である。

上位5棟の比較(2014年当時)

定義

どの程度の高さのビルを超高層ビルと呼ぶのかについては、国際的にも日本国内でも明確な定義はない。

超高層ビルという用語は日本において初めて高さ100 mを超えたビルである霞が関ビルディング(高さ147 m)に対して初めて用いられた[1]

なお法律においても定義は存在しないが建築基準法施行令第36条、ガス事業法施行規則第106条等において高さが60 mを超えるビルに対しては建築構造や防火構造などについてそれ以下の高さのビルとは異なる制限を課していることより、60 m以上を超高層建築物とする考え方もある[2]

超高層建築物に関する法令上の規定

航空法51条では地上、あるいは水面から高さ60m以上の高さの物件には原則として航空障害燈の設置が義務付けられ大抵の超高層ビルにはこの装置が設置されている(ただし、ビル群の中にある建物の場合は60 m以上のものでも設置されない場合もある)。空港から最大24キロメートル(km)以内の地域では建物の高さに規制がかかっている。

また地方自治体によっては一定の高さ又は延床面積を超える大規模建築物に対してその存在や共用による周辺への景観変化、日照阻害電波障害風害交通問題等や工事中の騒音振動地盤変位影響の低減を図るため環境影響評価を義務づけている。

歴史

要約
視点

百尺規制

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百尺規制時代の東京都丸の内(1960年頃)
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大阪市御堂筋に見られる、戦前に形成された百尺規制のスカイライン(2006年4月)。
容積率規制が始まっても絶対高さ規制が続いたため、当道の実質的な百尺規制の期間は1920年12月1日〜1995年3月31日。
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仙台市青葉通に見られる、高度経済成長期に形成された百尺規制のスカイライン(2008年1月)。
戦後の新設道であるため、当道の百尺規制の期間は1948年7月1日〜1970年5月31日。

市街地建築物法1919年大正8年)4月5日公布)に基づき、市街地建築物法施行令が1920年(大正9年)9月30日官報で公布され、同年12月1日から六大都市に適用された[3][4]。同令第四条[注 1]により、建築物の高さは100(約30.303 m)に制限された(通称:百尺規制[3][4]。これは英国法の100フィート(30.48 m)という制限に倣ったものである[5]1926年(大正15年)6月、市街地建築物法は六大都市に加えて全国41都市に適用を拡大した。

1931年昭和6年)、市街地建築物法が改正され、高さ制限は尺貫法による100尺(約30.303 m)からメートル法による31 m(102.3尺)に変更された[5]。31 mは凡そ百尺とみなされ、同法改正による規制も「百尺規制」と通称される。戦後占領期1950年(昭和25年)11月23日、市街地建築物法は建築基準法に取って代わられたが、同法第五十七条[注 2]により、建築物の高さは31 mに制限され、百尺規制は受け継がれた[4][6]

ただし、建築基準法の特例により31 mを超える高さの建築も可能であったため、独立後の1953年(昭和28年)には高さ41.23 m、12階建ての大阪第一生命ビルが竣工し、1954年(昭和29年)には高さ43 m、11階建ての東急会館(後の東急百貨店東横店西館)が増築により完成している。いずれも軒高としては当時日本一の高さだった[7]

百尺規制により建物は9階建て程度でしか建てられなかったがその分、都市部では同じ高さに揃ったオフィス街が各所に形成された。特に規制施行直後の1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって瓦礫の山となった東京府東京市(現・東京都区部)の都心では帝都復興院の指導の下、多くの民間のビルが規制限界の高さで建設され100尺のビルが連続するスカイラインを形成した。また、高度経済成長期前半には地方都市中心業務地区(CBD)でも百尺規制のビルが連続する景観が形作られた。

一方、隆盛していたメタボリズムの建築家から超高層ビル建築を伴った丹下健三築地再開発計画や磯崎新新宿計画などの様々なプランが提案されたが百尺規制によりいずれも実現には至らなかった。また都心では地価に見合った収益をあげるため延べ床面積をなるべく広くとろうとするあまり、各々の階の天井高を低くして100尺の高さに10階分を詰め込んだり規制が緩い地下を掘り込んで地下6階建てのビルが出現したりするなど高さ規制が防災ホワイトカラーの健康にとってマイナスの影響を与えるようになり規制の見直しが行われることになった[4]

なお、この当時に日本で最も高い建物は国会議事堂の中央塔(65 m)であった。

容積率規制

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霞が関ビル(2010年6月)

1964年(昭和39年)の東京オリンピックを前にした建設ラッシュ期に建築基準法が改正され、1961年(昭和36年)に特定街区制度、1963年(昭和38年)7月16日に容積地区制度が創設された[4][5]。これらにより、百尺規制を初めとする絶対高さ規制が廃止されて、容積率による規制が導入され始めた[4][5]。すると高さ31 mを超えるビルが建てられるようになり、特定街区の指定第1号である「東京都市計画霞が関3丁目特定街区」に、日本における最初の高層ビルとされる霞が関ビルディングが建設された(1968年竣工)。しかし、1960年代の日本における高さ100 m以上の超高層ビルは、同ビルと1969年(昭和44年)に竣工した高さ109 mの神戸商工貿易センタービルの2棟のみに留まった。

一方で、1966年(昭和41年)後半に取り壊された東京都・丸の内東京海上日動ビルディングの跡地には、前川國男設計で30階建て高さ127 mの超高層ビルが立つ予定であったが、1967年(昭和42年)に東京都がこれを却下したことから「美観論争」が起こった。皇居の堀端にあったこの地域は戦前の美観地区であり、新しいビルが百尺規制のスカイラインを崩して皇居を見下ろしかねないことから激しい争いとなったが、1970年(昭和45年)、高さをぎりぎり100 m以下の99.7 mにすることで、結局高層ビル自体の建設は認められた。

1970年(昭和45年)6月1日の建築基準法改正によって絶対高さ制限が撤廃され、容積率規制が全面導入された[5]。すると、地方都市でも高さ31 mを超えるビルが建ち始めた。また、新宿副都心などの開発計画が本格化し、1970年代末には国内の100 m以上の超高層ビルが30棟を超えた。そのため、この頃に日本の都市部では超高層化時代に突入したといえる。

百尺建築の建て替えに関しては、東京丸の内で象徴的なように、百尺規制にあわせた旧建物のファサードのイメージを残して外壁デザインを100尺を境に変えたり、100尺の低層部の上にセットバックした高層部がのっかる墓石のような形の超高層ビルが見られる(丸ビルなど)。

高さ日本一の変遷

さらに見る 竣工, 名称 ...
竣工名称所在地高さ 階数設計
1887年富士山縦覧場(現存せず)東京府東京市浅草区
東京都台東区
032.8 m 00寺田為吉(参考、木造人造山)[8]
1888年眺望閣(現存せず)大阪府西成郡今宮村
(大阪府大阪市浪速区
031 m 05階
1889年凌雲閣(現存せず)大阪府西成郡北野村
(大阪府大阪市北区
039 m 09階
1890年凌雲閣(現存せず)東京都台東区東京府東京市浅草区
東京都台東区
052 m 12階ウィリアム・K・バートン
1921年第一相互館(現存せず)東京都中央区東京府東京市京橋区
(東京都中央区
045 m 7階辰野金吾葛西萬司設計事務所
1935年三越本店(増築後)東京都中央区東京府東京市日本橋区
(東京都中央区
060 m 07階横河民輔中村伝治
1936年国会議事堂中央塔東京都千代田区東京府東京市麹町区
(東京都千代田区
065 m 09階大蔵省臨時議院建築局
1964年ホテルニューオータニ本館東京都千代田区073 m 17階大成建設
1968年霞が関ビルディング156 m 36階三井不動産、山下寿郎
1970年世界貿易センタービル本館(初代、現存せず)東京都港区163 m 40階日建設計、武藤構造力学研究所
1971年京王プラザホテル東京都新宿区179 m 47階日本設計
1974年新宿住友ビル210 m 52階日建設計
新宿三井ビル225 m 55階三井不動産、日本設計
1978年サンシャイン60東京都豊島区240 m 60階三菱地所設計、武藤構造力学研究所
1991年東京都庁第一本庁舎東京都新宿区243 m 48階丹下健三都市建築設計研究所
1993年横浜ランドマークタワー神奈川県横浜市西区296 m 70階三菱地所設計、ザ・スタビンス・アソシエイツ
2014年あべのハルカス大阪府大阪市阿倍野区300 m 60階竹中工務店、ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ
2023年麻布台ヒルズ森JPタワー東京都港区325.2 m 64階ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ
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ビル以外も含めると、日本で最も高い構造物は2012年竣工の東京スカイツリー(高さ634 m)。東京スカイツリー以前は、

などが高層建築の例として知られている。

出雲大社本殿、東大寺大仏殿、平安京大極殿は、平安時代源為憲によって作られた「口遊」で「雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎」と数え歌に歌われた[注 4]

また、建築物の最上部が最も標高が高い建造物は旧富士山測候所である。

鉄塔・仏塔他も含めた高層構造物については塔の一覧を参照。

現状と計画

要約
視点
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日本一高い325.2 mの麻布台ヒルズ森JPタワー

現状

現在日本で最も高い「竣工済みの」超高層ビルは東京都港区2023年に竣工した麻布台ヒルズ森JPタワー(設計:ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ)で高さ325.2 m、地上64階建てである。

日本では未だにスーパートールは2棟しか建設されていない。これは耐震構造・地盤・建設費等の理由もあるが航空法に基く高さ規制が大きく関わっており、概ね空港滑走路からの距離で定まる。滑走路の中心にある標点標高を基準に制限表面と呼ばれる高さ規制があり標点から半径4 kmまでは標点の標高プラス45 m(水平表面)、そこからすり鉢状に高くなり(円錐表面)空港から16.5 kmから24 kmの範囲内では標点の標高プラス295 mに制限される(外側水平表面)。滑走路の前後方向にはさらに厳しい規制がかけられる(進入表面・延長進入表面)。ただし仮設物や避雷設備、その他飛行の安全を害さないものは所管航空局長の承認を受ければ制限表面を超えて設置することもできる。

制限表面の内、円錐表面と外側水平表面は個々の空港周囲の都市の事情や山などの地形により規制緩和される場合も多いが大都市の発着便数が多い空港(→日本の空港#統計情報)では緩和され辛い。例えば福岡市の中心部が福岡空港の水平表面と円錐表面の規制のため低層であったり、東京国際空港の外側水平表面の規制のため横浜ランドマークタワーが現行の高さになったりした例が見られる。一方で新潟空港の円錐表面の規制緩和で新潟市NEXT21(125 m)や朱鷺メッセ(143 m)の建設がされたり、大阪国際空港の外側水平表面の規制緩和であべのハルカスが300 mで竣工したり、計画地周辺に東京タワーが存在している中で航空機が問題なく運用出来ていることを根拠に東京国際空港の外側水平表面の規制が緩和され、麻布台ヒルズ森JPタワーが325.2 mで計画・建設されたりしている[10]

また、1989年1月には、上野駅に高さ300 mの駅ビル建築がJR東日本によって構想され、1999年の開業を予定していた。しかし、この計画は地元から猛反発を受け[11]、バブル経済が崩壊したことにより計画が凍結された。

三菱地所による東京駅日本橋口前の常盤橋街区再開発プロジェクトは、Torch Towerが高さ390 mで国内の最高層ビルとなる予定。2023年度着工、2027年度竣工の予定である[12]

この他、東京湾海上に一都市を築く「スカイマイルタワー」(高さ1,700 m)や清水メガシティピラミッドスカイシティー1000など構想だけものも多くある。

20世紀後半には世界的に見ても超高層建築が多い部類に入っていた日本であるが、21世紀の今日では中華人民共和国アラブ首長国連邦を中心に成長著しいアジア諸国に大きく水をあけられている(アジアの超高層建築物List of tallest buildings in Asia)。高さ390 mのTorch Towerが完成するとアジア20位前後にランクインする予定となっている。

現在の超高層ビルの高さ順位

竣工済みに限るため、建設中のビルは除外している。高さ30位まで掲載。日本の超高層建築物・構築物の一覧を参照。

さらに見る 順位, 名称 ...
順位名称所在地高さ階数設計竣工年
1麻布台ヒルズ森JPタワー東京都港区325.2 m64階ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ2023年
2あべのハルカス大阪市阿倍野区300.0 m60階竹中工務店ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ2014年
3横浜ランドマークタワー横浜市西区296.33 m70階三菱地所設計、ザ・スタビンス・アソシエイツ1993年
4虎ノ門ヒルズステーションタワー東京都港区266 m49階重松象平2023年
5SiSりんくうタワー大阪府泉佐野市256.1 m56階日建設計、安井設計1996年
6大阪府咲洲庁舎大阪市住之江区256.0 m55階日建設計、マンシーニ・ダッフィ・アソシエイツ1995年
7虎ノ門ヒルズ森タワー東京都港区255.5 m[注 5]52階日本設計2014年
8ミッドタウン・タワー248.1 m54階スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル、日建設計2007年
9ミッドランドスクエア名古屋市中村区247.00 m47階日建設計2006年
10JRセントラルタワーズ オフィスタワー245.1 m51階コーン・ペダーセン・フォックス、坂倉建築研究所1999年
11東京都庁第一本庁舎東京都新宿区243.4 m48階丹下健三都市建築設計研究所1991年
12東京ミッドタウン八重洲 八重洲セントラルタワー東京都中央区240.0 m[13]45階Pickard Chilton[13]2022年
13NTTドコモ代々木ビル東京都渋谷区239.85 m[注 6]27階NTTファシリティーズ1997年
14サンシャイン60東京都豊島区239.7 m60階三菱地所設計、武藤構造力学研究所1978年
15六本木ヒルズ森タワー東京都港区238.05 m54階コーン・ペダーセン・フォックス、入江三宅設計事務所2003年
16麻布台ヒルズレジデンスA237.2 m53階ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ2023年
17新宿パークタワー東京都新宿区235.0 m52階丹下健三1994年
18東京オペラシティ234.371 m54階NTTファシリティーズ、都市計画設計研究所柳澤孝彦TAK建築・都市計画研究所1996年
19住友不動産六本木グランドタワー東京都港区230.76 m43階日建設計2016年
20渋谷スクランブルスクエア東棟東京都渋谷区229.706 m47階日建設計、東急設計コンサルタント、JR東日本建築設計、メトロ開発2019年
21JRセントラルタワーズ ホテルタワー名古屋市中村区226.0 m53階コーン・ペダーセン・フォックス、坂倉建築研究所1999年
22東急歌舞伎町タワー東京都新宿区225 m48階久米設計東急設計コンサルタント2023年
23新宿三井ビルディング223.6 m55階三井不動産、日本設計1974年
24新宿センタービル222.95 m54階大成建設1979年
25虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー東京都港区221.55 m54階久米設計2021年
26聖路加セントルークスタワー東京都中央区220.63 m48階日建設計1994年
27JRゲートタワー名古屋市中村区220.0 m46階大成建設日建設計ジェイアール東海コンサルタンツ2017年
28汐留シティセンター東京都港区215.75 m43階ケビンローシュ・ジョンディンカール・アンド・アソシエイツ、日本設計2003年
29住友不動産東京三田ガーデンタワー215 m42階久米設計2023年
30電通本社ビル213.337 m48階大林組、アトリエ・ジャン・ヌーベル、ジャーディ・パートナーシップ・インターナショナル2002年
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日本の超高層ビル群

東京都丸の内西新宿大阪市梅田中之島名古屋市名駅などが日本の超高層ビル群の代表格である。

脚注

関連項目

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