寺島 実郎(てらしま じつろう、1947年8月11日[1] - )は、日本の政治評論家。外交評論家。
概要 てらしま じつろう 寺島 実郎, 生誕 ...
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多摩大学学長・教授、東北公益文科大学客員教授、立命館大学国際関係学部客員教授、帝塚山大学特別客員教授、立命館アジア太平洋大学国際経営学部客員教員、学校法人市川学園特別顧問、一般財団法人日本総合研究所会長、一般社団法人寺島文庫代表理事。
札幌市立啓明中学校卒業。北海道札幌旭丘高等学校卒業。1971年3月 - 早稲田大学政治経済学部卒業。
1973年3月 早稲田大学大学院修了。政治学修士。1973年4月 - 三井物産に入社し、調査部、業務部で勤務する。1983年 - 1984年 ブルッキングス研究所へ出向する。
1987年 米国三井物産ニューヨーク本店業務部情報・企画担当課長。1991年 米国三井物産ワシントン事務所長。1997年 業務部総合情報室長。1999年10月 - 三井物産戦略研究所取締役所長・経営企画部。2003年4月 執行役員 三井物産戦略研究所取締役所長・経営企画部。2005年9月 - 執行役員 三井物産戦略研究所代表取締役社長・所長(経営企画部)。2006年4月 常務執行役員 三井物産戦略研究所代表取締役社長・所長(経営企画部)。
2009年4月 三井物産戦略研究所会長。
日本総合研究所
2001年6月 理事長。2006年4月 - 会長。2010年6月 - 理事長に再任。(不明) - 会長に再任
学術分野
宮城大学客員教授。ほか2002年4月 - 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授[2]。2006年4月 - 早稲田大学アジア太平洋研究センター客員教授。2008年4月 - 多摩大学副学長。2009年4月 - 多摩大学学長・教授。2010年5月 - 帝塚山大学特別客員教授(特別公開講座)を歴任。立命館大学国際関係学部客員教授、東北公益文科大学客員教授、立命館アジア太平洋大学国際経営学部客員教員、長崎大学リレー講座監修など。
- 1994 「新経済主義宣言-政治改革論議を超えて」(『中央公論』1994年2月号)で第15回石橋湛山賞を受賞。
- 2000 経済界大賞特別賞受賞。
- 2006年10月 経済産業大臣表彰 個人表彰「情報セキュリティ促進部門」。
- 2010年4月 早稲田大学名誉博士学位を授かる。
- 小学生時の1950年代は石油へのエネルギー転換期で日本各地で炭鉱が相次ぎ閉鎖され、炭鉱の子息が空腹な様子を見て社会を考えるきっかけとなった[3]。
- 1963年のある日、鹿島守之助宛てに北海道の高校1年生から手紙が届いた[4]。その手紙というのは、高校生の自分はリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーに興味があり一生懸命読みたいけれど、高価で手が出ないので新品でなくてもいいから本が欲しいというような内容で、秘書の幸田はその高校生の元へクーデンホーフ=カレルギー伯爵関連の書籍を色々と箱に入れたものを送り、手紙が来てから半月で高校生に届いた[4]。幸田はその手紙と、本が届いたお礼状の2通をファイリングして40年以上ずっととっておいた[4]。幸田は「この少年は面白い。やがて、何か仕事をしてくる男だろう」と思ったのであった[4]。この少年が寺島で、寺島は2009年に鹿島守之助の孫・渥美直紀(当時鹿島建設副社長)と友人関係にあり、46年前の高校生のときの話を渥美にしたら、渥美経由で幸田に話が伝わり、幸田がその昔の手紙を出してきたのである[4]。幸田は当時の高校生の出来事を鮮明に覚えていた[4][5]。寺島は『実践的理想主義』、『パン・ヨーロッパ』、『ヨーロッパ国民』などそのとき送ってもらった本を大切にしている[4]。寺島はただの高校生に書籍を贈ってくれた鹿島守之助の行動をある種の恩人という思いでいた[4]。寺島はやがて評論家になり、3万冊の書庫を自宅の庭に建設し、2009年4月、九段下駅を出てすぐのビルに自宅の3万冊を移し始め「寺島文庫」を開設した(寺島文庫ビル)。鹿島守之助が贈った本は寺島文庫「欧州の棚」に置かれている[6]。
- 学生時代は博報堂でアルバイトしていた。
- 早稲田大学3-4年時は学生運動真っ盛りの時で、1年間学校が封鎖されたことについて、「嫌な想い出」と振り返っている。当時の新左翼グループ全共闘運動派から「秩序派」「右翼」と批判的に位置付けられていた。学校が閉鎖されて憂いている一般学生を率いて、全共闘派学生らと議論し、「君たちのやり方は方法論が未熟である。こんな強硬手段で自分たちの主張を貫くやり方は、単に甘えに過ぎない。もし体制を批判するのであれば、まずその問題を提起し、その問題を体制側と共有して、改革、変革をしていくべきではないか」との批判していた[3]。
- 大学院生時の1972年に統計数理研究所で、青森県六ヶ所村、水島コンビナートがある岡山県倉敷市、などの社会意識調査に携わる。
- 商社は寺島のような文系修士の採用が稀であったが、人事部長の特別配慮で入社試験を受けた。総合商社である三井物産の調査部で各国の調査やプロジェクトに携わり、人脈が広がりアメリカや中東の知識を得て多視点の姿勢を学んだ[3]。相談役の水上達三に仕えた。
- 「親米入亜」[7]を標榜し、米国と中国の関係抜きには日中関係も日米関係も論じられないと強調している[8]。“アジアダイナミズム”の重要性を説いている[9]。日韓併合については、「日本人として日本の背負った歴史に対してため息混じりに深い省察をするのも必要だけれど、自分自身が責任者としてその場にいたときにどれだけのことができただろうかと自問自答すると、日韓併合はやむを得なかったという気はないですが、まことに不幸な力学のなかで、ああいうことになってしまったんだなと思わずにはいられません。これが私の正直な気持ちです」と当時日本のトップだとしても日本が隣国(中国・朝鮮半島)の開明を待つ余裕はない、アメリカがフィリピン領有してアジア進出・ハワイ併合という動きの中でで、日本が「大東合邦論」のようにしていくのは困難であり、むしろ欧米列強に重点を置いて欧州を模倣し国の舵を取らなければいけないと史実と同じようにしただろうと語っている[10]。
- アメリカ同時多発テロ事件陰謀説を強く支持し、事件の背後には巨大な陰謀がある・ペンタゴンへの航空機突入はアメリカ政府の演出であり実際には突入していない・ユナイテッド航空93便テロ事件の墜落現場は偽装されたものである・自爆犯とされた19人のうち8人は生きている、などの主張がなされる藤田幸久編著『9.11テロ疑惑国会追及』(2009年、クラブハウス)[11]に、「9.11を合理的に直視・再考することの大切さ」「粘り強く事実を追い求めることは、現代史を謎に終わらせないために不可欠である」との推薦文を寄せた。
- 民主党の鳩山政権誕生後の鳩山首相の外交ブレーンとみなされており[12]、鳩山が『Voice』(2009年9月号)に寄稿した論文[13]のシナリオライターと思われている。インド洋における海上自衛隊による補給活動の撤退や沖縄の普天間基地を巡る問題に関して官邸にFAXで頻繁に助言していると言われている。2009年12月には、緊張が高まっていた日米関係の誤解を解くとの目的でワシントンを訪れたが、米政府の有力者とは会談できなかった[14][15][16]。
- 『産経新聞』は、鳩山政権の対米政策への批判が高まるにつれ、伝統的な知米派とされる岡本行夫などへブレーンを交代させることが検討されていると報道した[17]。
- 倫理観に関して積極的に発言しており、下記に代表される意見のように、より自由な社会より一定の倫理基準に沿った社会を志向している。
- 「一九九四年二月号の『中央公論』に、私は『新経済主義宣言』という論稿を書いた。私にとっては石橋湛山賞をもらった記憶に残る論文だが、心の中にあった問題意識は、冷戦の終焉といわれた直後のロシア・東欧など旧社会主義圏といわれる地域を動いてみて、西側が東側に持ち込んでいるものが、溢れるばかりの商業主義、マネーゲーム、卑猥な風俗であり、こんなことで“西が東に、資本主義が社会主義に勝利したといえるのか”という怒りにも近い感情であった」[18]
祖父が北海道新聞の俳句の選者であった[21]。
- 2つ年上の兄がいる[21]。
- 寺島家の男子は名前に必ず「郎」と名付けなければならない。
単著
- 『地球儀を手に考えるアメリカ 21世紀・日米関係への構想』(1991年、東洋経済新報社)
- 『ふたつの「FORTUNE」 1936年の日米関係に何を学ぶか』(1993年、ダイヤモンド社)
- 『新経済主義宣言』(1994年、新潮社)
- 『ワシントン戦略読本 ホワイトハウスの見える窓から』(1997年、新潮社)
- 『国家の論理と企業の論理 時代認識と未来構想を求めて』(1998年、中公新書)
- 『団塊の世代 わが責任と使命 戦後なるものの再建』(1999年、PHP研究所)
- 『「正義の経済学」ふたたび 日本再生の基軸』(2001年、日本経済新聞社)
- 『脅威のアメリカ 希望のアメリカ この国とどう向きあうか』(2003年、岩波書店)
- 『われら戦後世代の「坂の上の雲」』(2006年、PHP新書)
- 『渋沢栄一の「士魂商才」』(2010年、中経出版)
- 『時代との対話 寺島実郎対談集』(2010年、ぎょうせい)
「一九〇〇年への旅」シリーズ
- 『一九〇〇年への旅 あるいは道に迷わば年輪を見よ』(2000年、新潮社)
- 『歴史を深く吸い込み、未来を想う 一九〇〇年への旅 アメリカの世紀、アジアの自尊』(2002年、新潮社)
「世界を知る力」シリーズ
- 『世界を知る力』(2009年、PHP新書)
- 『世界を知る力 日本創生編』(2011年、PHP新書)
「寺島実郎の発言」シリーズ
- 『寺島実郎の発言 時代の深層底流を読む』(2001年、東洋経済新報社)
- 『寺島実郎の発言II 経済人はなぜ平和に敏感でなければならないのか』(2007年、東洋経済新報社)
「脳力のレッスン」シリーズ(「世界」で続行中の同名連載のまとめ)
- 『脳力のレッスン 正気の時代のために』(2004年、岩波書店)
- 『脳力のレッスンII 脱9.11への視座』(2007年、岩波書店)
- 『問いかけとしての戦後日本と日米同盟 脳力のレッスンIII』(2010年、岩波書店)
- 『リベラル再生の基軸 脳力のレッスンIV』(2014年、岩波書店)
- 『ひとはなぜ戦争をするのか 脳力のレッスンV』(2018年、岩波書店)
- 『日本再生の基軸―平成の晩鐘と令和の本質的課題』 (2020年、岩波書店)
その他
- 慶應MCC夕学セレクション『世界潮流と日本の進路』(2008年、日本音声保存)
古森義久 “オバマ政権 鳩山「特使」を拒絶 政権混乱で厳しい姿勢”, 産経新聞, 2009/12/11. 『世界』2009年2月号(岩波書店)「特別篇:直面する危機の本質と日本の進路」