奈良県は地形と気候から見て奈良盆地、大和高原、吉野山地と変化に富む3つの地域におおまかに区分できる。太古の湖であった奈良盆地は全国有数の肥沃な土地であり、また、いずれの地域も内陸性気候で昼夜の寒暖差が大きい。このため味の良い多様な農作物が育つ風土に恵まれている。有史以来、大和国は国の中心であり、784年に都が長岡京に遷された後も大社寺が栄えたため、農産物をはじめとする物品が全国から集まり、土着化して食文化の中に根付いてきた。さらに、古代の灌漑技術や条里制[1]、近世の「田畑輪換[注釈 1]」の成立とため池の構築、近代には明治三老農のひとり中村直三[3]に代表される篤農家の輩出や「奈良段階[注釈 2]」と称賛された生産性の高さ、そして現代、2011年奈良県産ヒノヒカリの食味ランキング特A全国トップ3獲得[5][6]に象徴されるように、大和国は常に農業先進地であった[7]。奈良県内では、このような大和国の風土と歴史、文化に根ざした多種多様で個性的な在来野菜が作り継がれてきたが、栽培や収穫に手間がかかり大規模生産と流通に向かないため、高度成長期以降、一般的な品種が栽培されるようになっていった。
奈良県農林部は、1991年(平成3年)5月、伝統野菜産地育成検討会で「大和まな」と「祝だいこん」の取組を開始、翌92年(平成4年)には「宇陀ごぼう」「丸なす」で奈良県経済連に補助を決めた。これらの取組は一旦立ち消えになったが、2002年(平成14年)に川西町商工会が「結崎ネブカ」の復活に着手。2004年(平成16年)には県が大和野菜振興対策事業を策定し、農家の自家需要など地域で大切に自家採種されてきた固有の伝統野菜を次の世代に残して発展させ、産地の地域おこし、地産地消、大都市圏向けの地域ブランド化、観光・飲食産業への活用、遺伝資源の保存[8]などにつなげるという観点から、2005年(平成17年)10月5日に在来種である「大和の伝統野菜」10品目と栽培等に工夫を加えた「大和のこだわり野菜」4品目を「大和野菜」に指定した。[9] 以後、漸次追加指定され、2014年末現在、「大和の伝統野菜」20品目、「大和のこだわり野菜」5品目となっている。また、指定されていない在来野菜も約30品目確認されている。
奈良県農林部により、
- 戦前から奈良県内で生産が確認されている品目
- 地域の歴史・文化を受け継いだ独特の栽培方法により「味、香り、形態、来歴」などに特徴を持つもの
と定義されている。
根菜類
宇陀金ごぼう
- 奈良県宇陀地方の雲母を多く含んだ砂質土壌で栽培されるゴボウ。掘り出すと表面に雲母が付着して金粉をまぶしたように見えることから、「金ごぼう」あるいは「金粉ごぼう」と呼ばれ、特に正月の縁起物として珍重される。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
祝だいこん
- 奈良県で正月の雑煮用として作り継がれてきたダイコン。雑煮の具や煮しめに用いられるので、暮れに「雑煮大根」として出回る。直径2~3cmで、縁起の良い輪切りにし雑煮に入れて食べる。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
片平あかね
- 奈良県山辺郡山添村片平で古くから作られ、地元消費されてきた、葉脈から根の先までが赤いカブ。細いダイコンのような形をしているが、カブの一種で、根も葉も利用でき、赤い色を生かして酢漬け、糠漬け、酢の物にされる。
- 2006年(平成18年)12月20日認定
筒井れんこん
直売所に並ぶ「宇陀金ごぼう」
大和伝統野菜「宇陀金ごぼう」
大和伝統野菜「祝だいこん」
大和伝統野菜「片平あかね」
大和伝統野菜「筒井れんこん」
いも類
大和いも
- 奈良県御所市櫛羅を中心に栽培される在来種の、げんこつ形黒皮ツクネイモ。肉質が濃密で、粘りが強く、濃厚な食感がある。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
味間いも
- 奈良県磯城郡田原本町味間で作り継がれてきたサトイモの在来種。白くてきめの細かい絹肌で、とろりととろける食感とコクがある。
- 2014年(平成26年)12月24日認定
大和伝統野菜「大和いも」
大和伝統野菜「味間いも」
葉物野菜
大和まな
- 奈良県で古くから作られていた切葉真菜で、ひたし、和え物、煮炊き、漬物など用途が広い。2~3度霜に会わせてから食べると非常に甘みが高まり、独特の風味がある。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
千筋みずな
- 奈良盆地で栽培されてきた葉が細く葉先の切れ込みが深いミズナ。一つの株からたくさんの白い葉柄と緑の葉が出る。あまり煮込まず、しゃきっとした食感を楽しむ。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
結崎ネブカ
- 奈良県磯城郡川西町結崎地区で生産される在来のネギ。真っ直ぐ立たず、途中で倒れるため外見が良くなく、栽培が廃れたが、その分、甘くて柔らかい。室町時代に翁の能面といっしょに天から降ってきたネギを植えたという伝説がある。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
大和きくな
- 奈良県北部の農家が受け継いできた、大葉と中葉の中間葉の鍋物用春菊。ボリュームある瑞々しい緑葉は厚肉柔軟で香気と共に新鮮味が強い。
- 2006年(平成18年)12月20日認定
下北春まな
- 奈良県吉野郡下北山村で古くから自家野菜として栽培されてきた漬け菜。大ぶりの丸い葉は切れ込みがなく、肉厚で濃い旨味と柔らかい口当たりが特徴。塩漬けにし、ご飯を包み込んで「めはり寿司」にする。
- 2008年(平成20年)3月28日認定
大和伝統野菜「大和まな」
大和伝統野菜「千筋みずな」
大和伝統野菜「結崎ネブカ」
大和伝統野菜「大和きくな」
大和伝統野菜「下北春まな」を使った製品
果菜類
ひもとうがらし
- 奈良県内で古くから自家消費用に栽培され、「みずひきとうがらし」とも呼ばれる甘トウガラシ。長さが10cm前後、鉛筆より細く、濃緑色で皮が柔らかい。油炒め、煮物、天ぷらなどに最適。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
紫とうがらし
- 奈良県奈良市、天理市で自家消費用として栽培されてきたトウガラシ。表皮はつややかな紫色で、熱を加えると薄黄緑色に変わる。長さ約5cm。辛みはほとんどない。
- 2006年(平成18年)12月20日認定
黄金まくわ
- 奈良県一円で古くから栽培される在来のマクワウリ。昭和11年に奈良県で育成された『黄1号』はマクワウリの基準品種である。お盆のお供え物としてよく使われてきた。さっぱりした甘みは昔懐かしい味。
- 2006年(平成18年)12月20日認定
大和三尺きゅうり
- 奈良県在来種の鮮緑色白いぼキュウリ。通常35~40cm前後で収穫し、種子が少なく、肉質が緻密でやや厚い皮が特徴。苦みがなく、キュウリの醍醐味であるポリポリとした歯切れのよい食感があり、食味に優れる。
- 2006年(平成18年)12月20日認定
大和丸なす
- 奈良県大和郡山市、奈良市、斑鳩町で生産される丸ナス。古くから自家採種で選抜を繰り返し、栽培され続けてきた。果皮はつややかな紫黒色で、へたに太い刺がある。肉質はきめが細かく、よくしまり、煮くずれしにくい。田楽のほか、焼き茄子、揚げ出汁、雑炊にもよい。
- 2008年(平成20年)3月28日認定
黒滝白きゅうり
- 奈良県吉野郡黒滝村で江戸時代から栽培されている白色でやや短いキュウリ。漬物にして昔から親しまれてきた。
- 2014年(平成26年)12月24日認定
大和伝統野菜「ひもとうがらし」
大和伝統野菜「紫とうがらし」
大和伝統野菜「黄金まくわ」
大和伝統野菜「大和三尺きゅうり」
大和伝統野菜「大和丸なす」
大和伝統野菜「黒滝白きゅうり」
香辛野菜
- 五條市が主産地のミョウガ。ふっくらと大振りで、しゃきしゃきとした食感と独特の風味がある。薬味や漬物用に高級食材とする。全国ではハウス栽培が盛んな高知県の生産量が圧倒的であるが、露地物に限れば奈良県が全国1位で24.8%を生産する[10]。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
大和伝統野菜「小しょうが」
大和伝統野菜「花みょうが」
その他
軟白ずいき
- 奈良市狭川地区で生産されるずいき。えぐみの少ない赤茎の唐芋系のサトイモの芋茎を草丈の低いうちから軟化栽培したもの。高級料亭で和え物などに利用される。
- 2005年(平成17年)10月5日認定
奈良県により、「栽培や収穫出荷に手間をかけて栄養やおいしさを増した野菜や本県オリジナル野菜など」と定義されている。
県独自の野菜
半白きゅうり
大和野菜「大和ふとねぎ」
大和野菜「香りごぼう」
大和野菜「半白きゅうり」
「田畑輪換は、水田を田状態および畑状態で交互に利用する(3∼数年の輪換期間)ことにより、水田の持つ機能を最大限に活用し、水稲と畑作物の生産力向上を通じて水田農業の改善を図ろうとするものである。田畑輪換においては、有機物の補給による地力の維持・増進に努めれば、畑期間における土壌物理性の改善により、輪換田の水稲収量は増加する。また、畑期間に乾土効果が発現し、窒素施用量の節減効果か得られる。また、水田状態から畑状態へ、次いで畑状態から水田状態へという土壌状態の大きな変化に伴い、そのつど土壌微生物、害虫、あるいは雑草の発生相の交替が起こるため、雑草、病害虫の発生が抑制される[2]。」
明治後期から昭和初期にかけて、奈良県の米の反当り収量日本一が続き、これが「奈良段階」と称賛された[4]。
橿原遺跡第十五号井、1939年(昭和14年)3月24日調査。
ただし、1712年(正徳2年)に寺島良安により刊行された『和漢三才図会』「藊豆(いんげんまめ)」の項(フジマメを指す)には、「按ずるに藊豆(フジマメ)本朝古へ自り有りて而して甚だ用ゐず 承応中黄檗隠元禅師来朝以後處處に多く之を種す」(フジマメは我が国に古くからあるが、あまり栽培されていなかった。承応年間に黄檗山の隠元禅師が来朝したころからあちこちで多く栽培されるようになった。《そのため、この豆は「インゲン豆」と呼ばれるようになった。》)とあり、インゲン豆と呼ばれるフジマメは(言及されていない今のインゲン豆も)隠元が我が国に伝えたのではないとしている[97]。