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京都府(山城国)の郡 ウィキペディアから
相楽郡(そうらくぐん、さがらかのこおり)は、京都府(山城国)の郡。
人口41,521人、面積178.24km²、人口密度233人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の3町1村を含む。
もとは「さがらかのこおり」と読んだ。相楽郡には、山城国の国分寺があった。また、奈良時代に恭仁京が造営され、短期間ながら都とされている。
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
天領 | 皇室領 | 22村 | 綺田村、上津村、南川村、西村、河原村、岡崎村、井平尾村、石寺村、白栖村、別所村、園村、原山村、湯船村、門前村、釜塚村、南村(現・和束町)、木屋村、撰原村、下島村、田村新田、杣田村、中村 |
例幣使領 | 5村 | 東村、登大路村、仏生寺村、口畑村、奥畑村 | |
幕府領[1] | 1村 | 枝村、木津郷新田[2]、木津郷流作[2] | |
京都守護職役知 | 3村 | 北河原村、梅谷村、石垣村 | |
旗本領 | 3村 | ●下狛村、●北稲八間村、東畑村 | |
皇室領・門跡領・幕府領・旗本領 | 1村 | 相楽村 | |
皇室領・公家領・女官領・京都守護職役知 | 1村 | 林村 | |
皇室領・公家領 | 2村 | 菅井村、●小寺村 | |
皇室領・公家領・幕府領 | 1村 | 千童子村 | |
皇室領・公家領・幕府領・京都守護職役知 | 1村 | 鹿背山村 | |
皇室領・公家領・幕府領・旗本領 | 1村 | ●吐師村 | |
皇室領・幕府領 | 1村 | 大路村 | |
皇室領・幕府領・京都守護職役知・旗本領 | 1村 | ●乾谷村 | |
皇室領・幕府領・旗本領 | 1村 | ●菱田村 | |
皇室領・京都守護職役知 | 1村 | 椿井村 | |
皇室領・旗本領 | 5村 | 神童子村、市坂村、植田村、山田村、●柘榴村 | |
皇室領・能楽囃子方大倉氏知行 | 1村 | 平尾村 | |
藩領 | 伊勢津藩 | 15村 | 上狛村、法華寺野村、大野村、観音寺村、高田村、北村、里村、兎並村、銭司村、切山村、北笠置村、南笠置村、上有市村、下有市村、南村(現・木津川市)[3] |
伊勢久居藩 | 14村 | 岩船村、西小村、北大門村、南大門村、東小下村、東小上村、北下手村、南下手村、高去村、勝風村、森村、大畑村、尻枝村、辻村 | |
大和柳生藩 | 9村 | 石垣村、法花平尾村、高尾村、田山村、童仙房村、野殿村、飛鳥路村、南大河原村、北大河原村 | |
山城淀藩 | 1村 | 南稲八妻村 | |
大和小泉藩 | 1村 | 大平尾村[4] | |
天領・藩領 | 旗本領・武蔵岩槻藩・林大学頭知行 | 1村 | 祝園村 |
明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
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木津村 | 明治26年11月22日 町制 |
木津町 | 木津町 | 木津町 | 平成19年3月12日 木津川市 |
木津川市 |
相楽村 | 相楽村 | 相楽村 | 昭和26年4月1日 木津町に編入 | |||
上狛村 | 大正15年7月1日 町制 |
上狛町 | 上狛町 | 昭和31年8月1日 山城町 | ||
高麗村 | 高麗村 | 高麗村 | 高麗村 | |||
棚倉村 | 棚倉村 | 棚倉村 | 棚倉村 | |||
加茂村 | 加茂村 | 昭和3年2月11日 町制 |
加茂町 | 加茂町 | ||
当尾村 | 当尾村 | 当尾村 | 昭和26年4月1日 加茂町に編入 | |||
瓶原村 | 瓶原村 | 瓶原村 | ||||
笠置村 | 笠置村 | 昭和9年1月1日 町制 |
笠置町 | 笠置町 | 笠置町 | 笠置町 |
西和束村 | 西和束村 | 西和束村 | 昭和29年12月15日 和束町 |
和束町 | 和束町 | 和束町 |
中和束村 | 中和束村 | 中和束村 | ||||
東和束村 | 東和束村 | 東和束村 | ||||
湯船村 | 湯船村 | 湯船村 | 湯船村 | 昭和31年9月30日 和束町に編入 | ||
狛田村 | 狛田村 | 昭和6年10月1日 川西村 |
昭和26年4月1日 精華村 |
昭和30年4月1日 町制 |
精華町 | 精華町 |
祝園村 | 祝園村 | |||||
稲田村 | 稲田村 | |||||
山田荘村 | 山田荘村 | 山田荘村 | ||||
大河原村 | 大河原村 | 大河原村 | 大河原村 | 昭和30年4月1日 南山城村 |
南山城村 | 南山城村 |
高山村 | 高山村 | 高山村 | 高山村 |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 森嶋清右衛門 | 明治12年(1879年)3月14日 | 明治13年(1880年)9月2日 | 元相楽郡大庄屋(祝園村在住) |
2 | 親康忠紀 | 明治13年(1880年)9月2日 | 明治15年(1882年)10月12日 | 京都府庶務課御用掛へ転任[7] |
3 | 松本金兵衛 | 明治15年(1882年)10月12日 | 明治19年(1886年)10月8日 | 相楽郡書記兼綴喜郡書記へ転任 |
4 | 西川義延 | 明治19年(1886年)10月8日[8] | 明治22年(1889年)5月27日 | これより奏任官となる
綴喜郡長を兼任。 病気のため依願免本官竝兼官[9] |
5 | 喜多川孝経 | 明治22年(1889年)6月10日[10] | 明治25年(1892年)4月5日 | 綴喜郡長を兼任のち免本官専任綴喜郡長[11] |
6 | 松野新九郎 | 明治25年(1892年)4月5日 | 明治29年(1896年)11月30日 | 依願免本官[12] |
7 | 北川良愼 | 明治29年(1896年)11月30日[13] | 明治30年(1897年)7月15日 | 滋賀県滋賀郡長へ転任[14] |
8 | 田邊信成 | 明治30年(1897年)8月2日[15] | 明治32年(1899年)4月21日 | 紀伊郡長へ転任[16] |
9 | 後藤善二 | 明治32年(1899年)4月21日 | 明治43年(1910年)2月21日 | 船井郡長へ転任[17] |
10 | 根本吉太郎 | 明治43年(1910年)2月21日 | 大正6年(1917年)1月17日 | 与謝郡長へ転任[18] |
11 | 折田有彦 | 大正6年(1917年)1月17日 | 大正6年(1917年)12月25日 | 宮内事務官へ転任[19] |
12 | 菊山嘉男 | 大正7年(1918年)1月12日[20] | 大正7年(1918年)12月6日 | 船井郡長へ転任[21] |
13 | 佐伯嘉直 | 大正7年(1918年)12月6日 | 大正7年(1918年)12月15日 | 在任中に死去[22] |
14 | 清水良策 | 大正8年(1919年)1月17日[23] | 大正10年(1921年)5月5日 | 京都府理事官へ転任[24] |
15 | 中大路顯孝 | 大正10年(1921年)5月5日 | 大正12年(1923年)2月24日 | 中郡長へ転任[25] |
16 | 岡本正一 | 大正12年(1923年)2月24日 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官
地方事務官京都府学務部社寺課長へ転任 |
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