八女市
福岡県の市 ウィキペディアから
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八女市(やめし)は、福岡県の南部にある市。筑後経済圏に属する。1954年(昭和29年)市制施行。
やめし 八女市 | |||||
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八女中央大茶園で栽培される八女茶 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
市町村コード | 40210-9 | ||||
法人番号 | 1000020402109 | ||||
面積 |
482.44km2 | ||||
総人口 |
58,253人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 121人/km2 | ||||
隣接自治体 |
久留米市、筑後市、うきは市、みやま市、八女郡広川町 熊本県:山鹿市、玉名郡和水町 大分県日田市 | ||||
市の木 | 茶の木、樟の木 | ||||
市の花 | 菊、藤、しゃくなげ | ||||
イメージキャラクター | みどりちゃん、はちひめ、 | ||||
八女市役所 | |||||
市長 | 三田村統之 | ||||
所在地 |
〒834-8585 福岡県八女市本町647番地 北緯33度12分43秒 東経130度33分28秒 八女市役所(2024年9月) | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
山間部は、大分県と境を接する。県境に位置する三国山(筑肥山地)から流れ出る矢部川は日本最大の干潟を有する有明海に注ぎ、有明海の生態系を担う重要な河川の一つとなっている。また地形的にみると、矢部川の支流 星野川と合流する地点より西側に開けた扇状地、北を広川丘陵、東を八女山地、南を筑肥山地に囲まれ盆地的地形を有している土地である。森林セラピー基地認定地域。
筑紫国の一部として古くから人の定住が見られ、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が多数発見され、北側の丘陵部分を中心に300基ともいわれる古墳群がある。さらに邪馬台国論争でも、九州説では福岡県山門郡(八女市の南西で隣接)説を有力視する声もあるが、邪馬台国が有明海~筑後川~矢部川を挟む一帯に存在し、八女も含まれたとする説もある。
八女地方における古代国家の成立を証明する史実は527年、大和朝廷に対抗して筑紫君磐井が起こした反乱(いわゆる「磐井の乱」)は、大化の改新(645年)以前の最大の内戦であった。磐井の墓とされる八女市北部にある岩戸山古墳は北部九州最大の前方後円墳であり、阿蘇山の噴火による凝灰岩を用いた石人石馬の出土で名高い。
八女市は江戸時代に筑後米として名を馳せた米はもちろん、小麦やブランドの八女茶、果物(ミカン、巨峰、ナシ、モモ、キウイなど)電照菊を中心にした農芸都市である。
昭和初期には、国内印象派の先駆けとされる久留米市出身で洋画家の坂本繁二郎が留学先のフランスから帰国し、八女郡福島町(現:八女市)に移住した。ジャン=フランソワ・ミレーに代表される風景画家たちが集まったフランスの北央部に在るバルビゾン村を邂逅し、八女の風土景観を「東洋のバルビゾン」と称した。
第二次世界大戦中1943年(昭和18年)、政府企画院は岡山県邑久郡行幸村(現在の岡山県瀬戸内市)中心地区、朝鮮京城府(現在の韓国ソウル特別市)周辺地区と並んで八女郡福島町中心地区を遷都の候補地とした[1]。混乱の中での遷都案とはいえ、八女が「天災地変少なき土地」、「冬季寒気厳しからず夏季暑気甚しからざる土地」、「地形平潤にして高燥、風光明媚なる土地」、「諸物資豊富なる土地」といった条件をクリアする土地だと判断された[2]ことからも、八女地域の恵まれた自然条件を示すことをうかがえる。
他方、地域産業に目を向けると太平の世が続いた江戸時代、日本国内では農産物やそれを加工した商業活動による商業資本の増大を招き、手工業(伝統工芸)への投資基盤を形作っていく。
近世の八女地方でも、矢部川の扇状地付近にある手漉き和紙製造所や久留米絣織元、中心部の福島町にはそれを高度化した加工所(提灯製造、仏壇製造、和傘製造)や産地流通問屋があり、現在も昔ながらの町家に手工業者が工房を連ねている。
とくに「八女の和紙」は九州最古の歴史を持ち、奈良時代 正倉院に収められた断簡の中に「チクゴ」の名が記された和紙が遺り、遣隋使・遣唐使によって伝えられたであろう歴史を持つ。
八女ではこの和紙を中心に産業が多様化し、近世に始まる提灯・仏壇、和傘などいった多様な手工業が江戸時代に産業として整い、現在も綿々と受け継がれている。(和傘は隣の久留米市城島町に1軒残るのみ)また阿蘇の凝灰岩を使った石灯籠(八女石灯篭)も中世から始まったとされる。
従って、これらの伝統工芸産業に携わる職人も多く、裾野を広げれば約1万人ほど従事している。
現在、八女市は九州における伝統工芸産業の集積地となっており、伝統工芸品の総生産額でも九州では最大規模である。
黒木(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.9 (69.6) |
23.3 (73.9) |
25.3 (77.5) |
30.8 (87.4) |
34.8 (94.6) |
36.3 (97.3) |
39.2 (102.6) |
38.7 (101.7) |
36.2 (97.2) |
32.6 (90.7) |
29.1 (84.4) |
23.9 (75) |
39.2 (102.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.4 (48.9) |
11.2 (52.2) |
14.9 (58.8) |
20.4 (68.7) |
25.2 (77.4) |
27.4 (81.3) |
31.0 (87.8) |
32.4 (90.3) |
28.9 (84) |
23.7 (74.7) |
17.7 (63.9) |
11.6 (52.9) |
21.2 (70.2) |
日平均気温 °C (°F) | 4.1 (39.4) |
5.4 (41.7) |
8.8 (47.8) |
13.9 (57) |
18.7 (65.7) |
22.3 (72.1) |
26.0 (78.8) |
26.7 (80.1) |
23.2 (73.8) |
17.5 (63.5) |
11.7 (53.1) |
6.1 (43) |
15.4 (59.7) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.5 (31.1) |
0.3 (32.5) |
3.3 (37.9) |
7.8 (46) |
12.7 (54.9) |
18.0 (64.4) |
22.3 (72.1) |
22.5 (72.5) |
18.8 (65.8) |
12.5 (54.5) |
6.6 (43.9) |
1.4 (34.5) |
10.5 (50.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −7.9 (17.8) |
−7.4 (18.7) |
−5.1 (22.8) |
−2.6 (27.3) |
3.9 (39) |
7.3 (45.1) |
13.5 (56.3) |
14.0 (57.2) |
6.2 (43.2) |
0.9 (33.6) |
−2.2 (28) |
−5.5 (22.1) |
−7.9 (17.8) |
降水量 mm (inch) | 59.0 (2.323) |
83.3 (3.28) |
129.9 (5.114) |
151.7 (5.972) |
183.8 (7.236) |
388.5 (15.295) |
414.3 (16.311) |
227.1 (8.941) |
182.2 (7.173) |
86.7 (3.413) |
87.2 (3.433) |
64.6 (2.543) |
2,058.1 (81.028) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 8.6 | 8.8 | 11.0 | 10.5 | 9.7 | 13.9 | 13.7 | 11.1 | 9.8 | 6.7 | 8.1 | 8.3 | 120.2 |
平均月間日照時間 | 116.8 | 129.7 | 162.0 | 183.1 | 192.9 | 121.8 | 161.9 | 197.3 | 166.9 | 177.2 | 143.4 | 124.3 | 1,877.4 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[3] |
平成の大合併で八女市になった地区は、星野村を除き、旧町村名を従来の大字の前に冠している。星野村は合併前は大字が設置されていなかったため、全域をもって「星野村」なる字となった。
前述の通り全域が「八女市星野村」となった。
中心部の平地では戦国時代、蒲池氏の領地で、蒲池親広にはじまる蒲池庶流の上蒲池の支配地であった。安土桃山時代以降、豊臣秀吉の九州平定により筑紫広門が領主として封され、平地に築いた平城として初見され、八女市福島村の中心部に城郭を築いた。関ヶ原の戦い以後、石田三成捕縛の戦功により福島城は筑後32万石領主田中氏により三重掘三層天守の筑後地区最大級の平城として改築された。1615年 江戸幕府の一国一城令の発布により福島城は破却されたが、江戸時代の始めに形成された城下町の町人地部分は残り、後に久留米藩内で最大級の在郷の商家町として発展した。現在も町割等に城下町として計画された町の歴史を良く伝え、街路に沿って塗屋造の町家を中心に江戸時代から近代にかけての伝統的建造物が連たんして残っている。市の北部には1500年前の北部九州最大の豪族筑紫の君磐井の墓岩戸山古墳がある。戦時中の1943年には旧・福島町が首都遷都の候補地に挙がっていた[4]。
黒木、立花、上陽、矢部、星野(旧各町村役場)
八女市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 八女市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 八女市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
八女市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
太字の学校は標準服の着用が義務付けられている。
市内中心部と空港を直結する公共交通はなく、八女インターチェンジにあるバス停に福岡空港発着の高速バスが停車する。
現在、市内に鉄道路線はない(歴史的には南筑軌道、黒木軌道、西鉄福島線、国鉄矢部線があった)。
市の最寄駅は筑後市にあるJR羽犬塚駅で、市の中心部の福島から堀川バス(1時間に2本程度)で約20分弱の場所にある。ほかに、西鉄久留米駅およびJR久留米駅(新幹線駅)へは八女市街から西鉄バス(1時間に3 - 5本程度)で30-40分ほどである。
市内のバス路線は堀川バスが中心である。主要道路を通って市中心部と旧八女郡部を結ぶものが中心で、堀川バスの路線を中心にコミュニティバス・福祉バスが運行されている。 会社ごとにバス停の位置は異なるが、いずれも土橋交差点そばにある福島バス停を運行の拠点としている。
八女インターチェンジにあるバス停から、福岡空港、福岡市、熊本市、延岡市、宮崎市への高速バスが出ている。
なお、高速道路外の八女市内に停車する高速バスは現在運行されていない。
市外局番は0943(八女MA)
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