『ゼロの焦点』(ゼロのしょうてん)は、松本清張の長編推理小説。北陸地方を舞台に、太平洋戦争直後に端を発する時代の傷痕が生んだ連続殺人事件を描く。
『虚線』のタイトルで雑誌『太陽』に連載され(1958年1月号 - 2月号、連載時の挿絵は御正伸)、同誌休刊後、『零の焦点』のタイトルで『宝石』に連載(1958年3月号 - 1960年1月号、全19回、連載時の挿絵は土井栄)、1959年12月に光文社(カッパ・ノベルス)から刊行された。
1961年・2009年の2度にわたり映画化、また多数テレビドラマ化されている。
板根禎子は26歳。広告代理店に勤める鵜原憲一と見合い結婚した。紅葉が盛りを迎えている信州から木曾を巡る新婚旅行を終えた10日後、憲一は、仕事の引継ぎをしてくると言って金沢へ旅立つ。しかし、予定を過ぎても帰京しない憲一。禎子のもとへ、憲一が北陸で行方不明になったという、勤務先からの知らせが入る。急遽金沢へ向かう禎子。憲一の後任である本多の協力を得つつ、憲一の行方を追うが、その過程で彼女は、夫の隠された過去を知ることになる。
原作における設定を記述。
- 鵜原禎子
- 本作品の主人公。旧姓板根。新婚後間もなく夫が失踪し、行方を追う。
- 鵜原憲一
- 禎子の夫。広告代理店「A広告社」の北陸地方の出張所元主任。東京本社へ栄転となり事務引継ぎのため金沢へ出張、そのまま失踪。
- 本多良雄
- 憲一の同僚。「A広告社」北陸出張所主任(憲一の後任者)。禎子に協力し、憲一の行方を追う。
- 鵜原宗太郎
- 憲一の兄。憲一の失踪後、京都出張のついでに金沢へ立ち寄り、謎の毒死を遂げる。憲一の過去における「影」の部分をある程度知っていた。
- 室田儀作
- 金沢在住の地元名士で「室田耐火煉瓦株式会社」代表取締役社長。
- 室田佐知子
- 室田儀作の後妻。才色兼備の賢夫人。儀作と結婚する以前は東京に住んでいた。
- 田沼久子
- 「室田耐火煉瓦株式会社」の社員。同社の煉瓦工場に勤めていた工員の未亡人。本社ビルの受付嬢をしている。ひどくくだけたアメリカ英語を話す。
- 曽根益三郎
- 「室田耐火煉瓦株式会社」生産部の工員。 田沼久子の内縁の夫。謎の投身自殺を遂げる。
事件の背景に、連合国軍占領下の日本で、アメリカ軍将兵[注釈 1]相手に売春行為をしていた女性[注釈 2]らの存在がある。彼女らが自身の忌まわしい過去を隠そうとする必死の感情が、作品内で重要な意味を持つ。原作が書かれた当時は現在よりも女性の社会的地位が低かった。そのため、過去にわずかでも汚点があれば偏見にさらされて就職に差し障るだけでなく、婚約破棄や一方的な離婚を余儀なくされるケースが少なくなかった時代である。
小説の時代設定は日本の降伏から13年後(=1958年)とされている。女性が相手のことをよく知らぬまま見合い結婚することが、当時はありふれていた。本作発表当時の恋愛結婚の割合は4割に満たず、見合い結婚との構成比が逆転するのは、1960年代半ばを過ぎてからのことである[1]。
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『宝石』1958年3月号掲載の『零の焦点』第1回 |
- 本作品の構想に関しては、当時上石神井[注釈 5]に在住の著者が、作品執筆の合間に近所の食堂へ出かけた際、立川の米軍基地の売春婦と思しき女性と出会い、彼女たちはその後どうしただろうか?と思いをめぐらしたところから、アイデアを膨らませていったとされている[2]。
- 『虚線』は筑摩書房が創刊した総合雑誌『太陽』で連載開始されたが、同誌が社の都合で第五号で休刊となり(『虚線』としての連載は2か月で中断)、編集者の土井一正がこのことを著者に急報したため、『零の焦点』と改題して『宝石』で連載を継続することとなった。『虚線』としての掲載は、禎子が初めて金沢に行く途中の「ある夫」3節までとなる[3]。
- 当時『宝石』の編集長を務めていた江戸川乱歩は、本作の同誌連載に至る経緯を、連載開始された1958年3月号の編集後記で、以下のように記している。「松本清張さんの長篇連載がいよいよ始まる。(中略)松本さんは本誌にはいいかげんなものは書きたくないという気持ちから、なかなか想が纏まらなかった。そこへ『太陽』の休刊で、まだはじまったばかりの長篇が中絶するということを聞いたので、これを本誌に引きつぐようお願いして、成功したのである」。
- 連載の出足は順調だったものの、回を重ねるに連れて原稿の枚数が減っていった。1958年7月号では休載する事態となったが、代わりに同号では、乱歩と著者の対談「これからの探偵小説」が掲載されている。続く8月号でも本作は休載となり、乱歩は同号の編集後記で「作者も辛いが編集者もつらいのである。今は両者ともただ無言」と記している。1959年1月号は、現地取材の時間がなかったことを理由に、3回目の休載となり、この時は、著者のお詫びの弁と共に「創作ノート」が掲載されている。
- その後、鮎川哲也の長編作品『黒い白鳥』の連載が同誌の1959年7月号から始まったが、この作品と本作のプロットが同じになるのではないかと、著者と鮎川の双方が気づいた。本作は1959年8月号で連載を1月分中断、プロットの再構築を経て、1959年12月号の鮎川方の完結から1ヶ月遅れの1960年1月号で、無事完結した[4]。
- 光文社は「カッパ・ノベルス」創刊の作品として本作を予定し、発行日も決められていたが、本作の執筆が予定通り進んでいなかったため、光文社が『宝石』編集部を飛び越え、直接著者に接触し執筆を促す一幕もあった[5]。
- 舞台となる能登半島について、著者は1976年に以下の通り記している。「私の『ゼロの焦点』は能登半島の西海岸に行ったことを思い出して、これを舞台に求めた。今でこそ西海岸は多くの観光客が訪れるようになったが、当時は主に東海岸の和倉温泉から、すぐ輪島へと観光していくのが普通だった。私はわざわざそこを通ったのではない。和倉温泉に一泊し、福浦という古い港町が西海岸にあり、山越えで近いと聞いたので、急にタクシーを雇い、西海岸に出たのである。早春の寒い日で、山道には雪が積もっていて、途中でタクシーがチェーンを巻いたのを覚えている。そんな具合だから、日本海の寒い風をまともに受ける西海岸は、季節外れのせいもあって、訪れる人はだれ一人いなかった。あの辺は風が強いので家の周りを簀で囲み、まるで簀だれの中に家が建っているような具合であった。その福浦から羽咋という所に出る途中、海岸に岩礁が屹立している風景の中を通りすぎ、その記憶がいつまでも頭に残っていた。これを小説の舞台に選んだわけだが、と言って、詳細な調査のための再遊はしなかった。したがって、地理的には細部に書き誤りもある。しかし、舞台もまた一つのフィクションである。現実の通りに書く必要はない。小説の効果のためには、その主観をかなり強く出し、その色あいに相当染め上げてもいいと思っている」[6]。これに先立つ1971年の講演では、本作の執筆がこの旅行から三年か四年後である旨を述べている[7]。
- 和倉温泉滞在時の宿泊旅館は「加賀屋」(2024年現在休業中)。著者と旅館の交流はその後も続き、映画『疑惑』のロケ見学の際にも滞在した[8]。
- 著者は1978年の時点で、自作の推理長編で好きな作品の第一に本作を挙げている[9]。
- 作品中において、主人公が断崖に立つシーンが描かれている[10]。小説では、断崖は志賀町の赤住にあるとされている[11]。しかし実際の赤住は平坦な地形で、海に転落するような断崖は存在しない。この件に関しては、現在「赤住」と同じ志賀町内(小説発表当時は旧志賀町と合併前の富来町)にあり、実際に断崖のある「赤崎」と、著者が勘違いをしていたとの推測もある[12]。なお、ヤセの断崖に関しては、1961年公開映画を参照。
- 小説家の宮部みゆきは、「『ゼロの焦点』は、ヒロイン禎子が、「ある夫」でしかない鵜原憲一という男を、「わたしの夫」として認識してゆくプロセスの話」と記している[13]。
- 小説家・評論家の笠井潔は、本作を「清張の探偵小説作品の最高峰をなしている」と評している[14]。
- エッセイストの酒井順子は、本作の禎子は、清張がその後女性誌に連載した長編群に登場する「お嬢さん探偵」(精神がお嬢さんの「表」の女性が「裏」の世界を追っていく)の第一号と言うことができると述べている[15]。
- Point zero (英語、Bitter Lemon Press)
- Le point zéro (フランス語、Atelier Akatombo)
- Agenzia A (イタリア語、Il Giallo Mondadori)
- 零的焦点(中国語、Apex Pressなど)
- 제로의 초점(韓国語、이상북스など)
- 2008年改版以前における新潮文庫版カバー裏表紙記載のあらすじに、物語の過半にいたって明かされる事実が書き込まれている(以降の版では改訂されている)。
- 作中人物が北陸鉄道各線を利用する場面があるが、作中に描かれるシーンのうち、石川線の一部区間は現在でも営業されているものの、同線の白菊町駅を含む区間や、能美線、能登線はすでに廃止され、状況が変化している[注釈 6]。
- 松竹版と同時期となる1960年頃、監督若杉光夫で日活でも映画化の企画が上がり、吉田進脚本による準備稿が作成されるも諸事情により製作は実行されなかった。
1961年
1961年3月19日公開。製作は松竹大船、配給は松竹。監督は野村芳太郎。能登金剛・ヤセの断崖をクライマックスの舞台とし、主人公と犯人が、直接相まみえる場面が設定される[注釈 7]などのアレンジが加えられ、松本清張原作映画の中でも著名な作品のひとつとなった。また、本作の本多は死なず、あまり禎子の力にもなれず引き下がるという影の薄い存在として描かれている。第12回ブルーリボン賞助演女優賞(高千穂ひづる)受賞。英語題名『Zero Focus』。現在はDVD化されている。
エピソード
- 本作は『張込み』以来の橋本忍と野村芳太郎のコンビによる作品となり、脚本には山田洋次も参加した。山田によれば、シナリオ作りは難航し、のちに映画『砂の器』のアイデアを生んだ橋本も音をあげたことがあったという。また山田は、当時の北陸地方に関して、「あのころは(現在に比べて)雪は多かったですね。あの作品はぼくも助監督につきましたからよく覚えてますけど、撮影は寒くて」「特に漁村は風をよけるためにずーっと板塀が並んでいて、何ともあれは切ないような、痛々しい風景でした」と回想している[17]。また橋本はこの時シナリオハンティングなしで書き上げたため、実際にはあり得ない描写[注釈 8]が映像化され、ラッシュでこれを知った橋本は以後、執筆の前に必ず現場を踏む癖をつけるようになったという。
- 映画のラストにおいて、ヤセの断崖(能登金剛の巌門から北へ約13キロ離れた場所に位置)を舞台に選んだ野村芳太郎は、当時を以下のように回想している。「シナリオの書かれている間、私は独りで冬の能登半島をロケハンした。(中略)清張さんの原作を片手に冬の能登半島を、殺人の舞台となる断崖を探して歩き廻った。十二月の能登の天候はまるで気違いの様で、横なぐりの突風や、パチンコ玉の様なアラレが降った。空が暗く、その一部がさけると、一条の光で、暗い海の一部が輝き、波が踊った。この時見た景色が「ゼロの焦点」を映画化する時の私のイメージの原点になった。清張作品の面白さの中には、その社会性や、するどい人間洞察の他に、この風土的要素が必ずひそんでいる。清張さんはその土地から感じたものを、その作品の出発点にしているに違いない」[18]。なお、ヤセの断崖に関しては、2007年3月の能登半島地震で、断崖の先端が崩落し、現在では状況が変化している[19]。
- 本作の公開後、能登金剛周辺地域で投身自殺が急増し、多い年には18人の自殺者が確認されるにいたった[20]。当時19歳の女性が、「『ゼロの焦点』の舞台となった能登金剛で死ぬ」との遺書を残して自殺した事件を契機に、女性の霊を慰め、更なる自殺者が出ないようにと、能登金剛の巌門には、本作にちなんだ歌碑が立てられた。歌碑には「雲たれて ひとりたけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅」と、原作者直筆の文字が刻まれている。
- 主人公と犯人が崖上で相対する演出は、のちに2時間ドラマなどで多用され定番となった。現在では、しばしば本作がこの演出の原型と位置づけられている[21]。
- ヒロインが夫の行方を捜し、写真と同じ廃屋を見つける場面のロケ地は、日本海側ではあるが本来雪が積もらない場所であるため、劇中の積もった雪は全て市役所が調達した塩の塊である。
- 原作に記述がある『日本海の見える金沢の別荘地』を再現するために、スタッフ一同は時間をかけて再現できる場所を捜したが、ついに見つけられず、後年に撮影を担当した川又が松本に訊ねたところ「そんなことを書いたかな?」と恍けられたという。
- 高千穂の演じる室田佐知子が終盤で車を運転するシーンがあるが、実はこの時の高千穂は運転免許を取得しておらず、無免許運転だった事を明かしている。そのため、見えない死角からスタッフが車を押したという。
2009年
2009年11月14日公開。配給は東宝。英語題名『Zero Focus』。第33回日本アカデミー賞作品賞ほか計11部門で優秀賞を受賞。現在はDVD化・Blu-ray化されている。2011年3月6日に日曜洋画劇場枠で地上波初放送。
キャッチフレーズは、「愛する人のすべてを知っていますか?」
1961年公開の松竹版と比較して、かなり原作に忠実な作劇となっている。時代設定も原作どおり1957年から1958年頃[注釈 9]である。なお、謎解き場面は断崖上ではなく、禎子が室田夫人を問い詰めるべく金沢行の汽車に乗り、その車内での「想像」として展開される。
1961年版
フジテレビ系列で8月15日から11月28日まで16回にわたって放送。
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フジテレビ系 火曜21:15 - 21:45枠 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
美しい橋 (1961年8月1日)
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ゼロの焦点 (1961年8月15日 - 1961年11月28日)
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波 (1961年12月5日 - 1962年1月30日)
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1971年版
3月1日 - 19日にNHKの『銀河ドラマ』(銀河テレビ小説)枠(21:00-21:30)で15回にわたって放送。ギャラクシー賞第16回期間選奨、第8回ギャラクシー賞(奈良岡朋子)、日本放送作家協会女性演技賞(十朱幸代)受賞。原作に脚色を加え、ドラマの早い段階で犯人を明らかにした上でストーリーを構成している。
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NHK 銀河ドラマ |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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ゼロの焦点 (1971年3月1日 - 19日)
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続・針千本(脚本: 平岩弓枝) (1971年3月22日 - 4月2日)
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1976年版
5月31日 - 7月2日に日本テレビ系列の『愛のサスペンス劇場』枠(13:30-13:55)で25回にわたって放送。
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- 主題歌
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日本テレビ系列 愛のサスペンス劇場 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
青い幸福(原作: 平岩弓枝) (1976年5月3日 - 28日)
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ゼロの焦点 (1976年5月31日 - 7月2日)
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妻と番人 (1976年7月5日 - 30日)
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1983年版
概要 松本清張のゼロの焦点, ジャンル ...
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「松本清張のゼロの焦点」。4月16日にTBS系列の『ザ・サスペンス』枠(21:02-23:23)で放送。脚本は1961年公開映画と同じ橋本忍・山田洋次。視聴率25.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。TBSの自社制作で、VTR撮影作品。DVDソフト化されている。
- キャスト
- スタッフ
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1991年版
概要 松本清張作家活動40年記念スペシャル ゼロの焦点, ジャンル ...
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「松本清張作家活動40年記念スペシャル・ゼロの焦点」。7月9日に日本テレビ系列の『火曜サスペンス劇場』枠(21:03-23:22)で放送。視聴率20.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。脚本の新藤兼人は原作者の指名を受けたもの。犯人が海上に小舟を漕ぎ出すシーンの撮影に関して、新藤は難色を示したが、原作者の希望により脚本に導入され、撮影が行われた[26]。なお、本作品は収録時季が初夏であったため、原作小説特有の重苦しい空気感や北陸地方の寒々しい陰鬱な冬の風景などはまったく見られず、いささか趣を異にする。フイルム撮影作品。
- キャスト
- スタッフ
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1994年版
NHK-BS2で6月1日から4夜連続で放送。NHK総合テレビでは、1995年2月18日・2月25日に『土曜ドラマ』枠(21:00-22:15)で放送。
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各話 | 放送日 | サブタイトル |
第1話 | 1994年6月1日 | 北の疑惑 |
第2話 | 1994年6月2日 | 遠い葬列 |
第3話 | 1994年6月3日 | 時の断層 |
第4話 | 1994年6月4日 | 海の墓標 |
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- スタッフ
- サブタイトル(NHK-BS2放送時)
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- 土曜ドラマ放送時(全2回)は、第1部「遠い葬列」・第2部「時の断層〜高度経済成長の影に潜む意外な真相〜」として放送。
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NHK 土曜ドラマ |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
もうひとつの家族 (1995年1月7日 - 14日)
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ゼロの焦点 (1995年2月18日 - 25日)
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放送記者物語 (1995年3月18日 - 4月1日)
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注釈
『虚線』第1回の連載では、「清張」の読みは「きよはる」と記されていた。
『虚線』第1回の連載では、「清張」の読みは「きよはる」と記されていた。
住居表示前の当時の住所は上石神井1-682であったが、現在の地番表示では関町東一丁目。
なお、作中では能登線の「電車」を利用する記述があるが、実際の能登線は一度も電化されることなく営業を終了している。
劇中でヒロインが汽車の窓から日本海を眺める場面があるが、実際の汽車は日本海が見えるルートを通らない。
出典
岩城之徳「ゼロの焦点」(『国文学 解釈と鑑賞』1995年2月号(至文堂)収録)参照。
この件に関しては、『黒い白鳥』(2002年、創元推理文庫)の巻末に掲載された鮎川による「創作ノート」および有栖川有栖のエッセイ、また鮎川と島田荘司の対談「黄金時代の遺産を継ぐ」(鮎川・島田編集『都市の迷宮 (ミステリーの愉しみ4)』(1992年、立風書房)収録)も併せて参照。
著者による「私の小説作法 -自作解説」(『松本清張自選傑作短篇集』(1976年、読売新聞社)巻末収録)参照。
著者による「小説と取材」(『オール讀物』1971年7月号掲載)参照。
林悦子『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』(2001年、ワイズ出版)25-26頁参照。
著者と三好行雄の対談「社会派推理小説への道程」(『国文学 解釈と鑑賞』1978年6月号収録)参照。「代表作はなかなか挙げられないが」「好きなものといえば」と限定を付けての答え。
「海沿いの墓場」「夫の意味」「ゼロの焦点」の節をそれぞれ参照。
宮部みゆき「名作『ゼロの焦点』を紀行する」(『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊/2003年、文春文庫)収録)参照。
笠井潔『探偵小説論Ⅰ 氾濫の形式』(1998年、東京創元社)第七章「壊れた人間と平和な現在 - 松本清張論」参照。
酒井順子「松本清張の女たち」第2回「『ゼロの焦点』の表と裏」(『小説新潮』2022年9月号掲載)参照。書籍化は『蒼い描点』が先行したが、連載開始は本作が先行する。
北村薫と有栖川有栖による対談「『ゼロの焦点』を解き明かす!」(『オール讀物』2022年6月号掲載)参照。
野村芳太郎「清張作品と私」(『松本清張全集 第3巻』(1971年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照。
「清張映画の現場」における山田・川本の発言など。「サスペンスドラマというとラストシーンは必ず断崖になるけれども、あれがはしりじゃないでしょうか(笑)」。
2009年度興収10億円以上番組(日本映画製作者連盟 2010年1月発表)
新藤と白井佳夫の対談「新藤兼人、清張文学を語る」(『松本清張研究』第4号(1998年、砂書房)掲載)参照。