野蒜駅
宮城県東松島市野蒜ケ丘にある東日本旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
宮城県東松島市野蒜ケ丘にある東日本旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
野蒜駅(のびるえき)は、宮城県東松島市野蒜ケ丘一丁目[1]にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。高城町駅から東北本線へ直通する仙石東北ラインの列車も停車する。
元々は、奥松島・野蒜海岸の観光開発のために設置された駅だったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波の被害を受けて使用不可となり、仙石線の内陸移設に合わせて海抜22メートルの新駅舎に移転した。
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東北芸術工科大学 東北文化研究センター アーカイブス | |
東北一のびる不老山海水浴場(その一)のびる駅降車場 - ウェイバックマシン(2016年3月5日アーカイブ分)- 宮城電鉄会社直営 | |
宮城電鉄会社直営 東北一野蒜不老山海水浴場 (其三)海岸出張所全景[リンク切れ] | |
(松島名所)不老山 - ウェイバックマシン(2016年3月5日アーカイブ分) |
野蒜村と宮戸村(両村とも現東松島市)との間には宮戸島を陸繋島とする陸繋砂州「洲崎浜」(須崎浜)があり、太平洋・仙台湾(石巻湾)に面していながら波が穏やかだった洲崎浜に宮城電気鉄道(現JR仙石線)初代社長の山本豊次が目を付けて海水浴場の観光開発を計画し、1928年(昭和3年)に「野蒜駅」が設置された[2]。場所は、鳴瀬川河口に建設された野蒜築港[注 1]と松島湾とを結ぶ東名運河[注 2]沿い。
1931年(昭和6年)に、兵庫県神戸市の須磨海水浴場にならい、「東北須磨駅」に改称した[2]。海水浴場は宮電直営で「野蒜不老山海水浴場」(現野蒜海水浴場)[注 3]と呼ばれ、砂浜には「野蒜海水浴プール」も設置した[3]。また、駅前には宮電直営のホテルや、長寿館という名称のキャバレーも開業した[4]。宮電はさらに「東北須磨バンガロー村」も設置している。
1944年(昭和19年)の国有化時に、現在の駅名に戻された。
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1996年に建て替えられる前の駅舎(1983年11月撮影) - ウェイバックマシン(2017年6月15日アーカイブ分) |
日本三景・松島は当線松島海岸駅がある松島町が観光面での中心地となっており、仙台市から見て同町の先(奥)に当駅はある。そのため当駅がある鳴瀬町(当時)の日本三景・松島の観光地区(東名浜、野蒜海岸、宮戸島など)は「奥松島」と呼ばれるようになった[注 4]。1980年代になると、町は当駅を奥松島駅に改称すべきかどうかを訊く住民アンケートを実施したが、改称には至らなかった[注 5][新聞 1]。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波によって大きな被害を受け[5]、当駅そのものが無期限の営業休止となった。震災翌年には、不通区間のうち陸前大塚駅から陸前小野駅までについては線路を内陸に移設して復旧する事案が決定し、これに含まれる野蒜駅についても従来よりも約500メートル内陸部に新設される計画が発表され、2015年度(平成27年度)内の全線復旧を目標として工事をすることが2012年(平成24年)1月にJR東日本から発表となった[新聞 2]。
2015年(平成27年)5月30日より、新線が開業し、営業を再開した。
島式ホーム1面2線を有する地上駅で、ホームと駅舎が歩道橋で連絡しているほか、トイレやエレベーターも整備されている。
当駅は、国内有数の景勝地として知られる松島に位置しており、文化財保護法による特別名勝の保存管理を受けるため、「人々が集い行き交う船宿のような町の拠点、復興のシンボル」をコンセプトに、切妻屋根や外壁の配色を木材と土壁をイメージした配色、和風の格子窓を採用した[16]。同じく高台移転した東名駅と同じく、ロータリーと市内在住者向けのパーク&ライド予約型駅前駐車場が整備されている[17]。
無人駅[1](石巻駅管理)で、自動券売機と簡易Suica改札機が設置されている。
線路は1線スルー式になっており、対向列車がない場合は、基本的に上下ともに2番線を使用する。なお、仙石東北ラインの特別快速(当駅通過)は2番線を通過する。
島式ホーム1面2線を有する地上駅であり[19]、ホームへは構内踏切で連絡していた。南側の駅舎に近い線路が1番線で、線形は2番線側が直線の1線スルー構造であった。
駅舎内に奥松島観光情報センター(Nマップ)が併設されていた[新聞 4]。
2015年(平成27年)5月29日まで松島海岸駅と矢本駅を結んでいた代行バス停留所は、駅舎前および道路上に設置されていた。また、2015年(平成27年)8月8日に東松島市の阿部秀保市長(当時)は旧駅舎のプラットホームについて、震災遺構としての保存方針を示した[新聞 11]。
なお、旧駅舎と合築されていた「奥松島観光情報センター」(Nマップ)は改修され、観光交流拠点「野蒜地域交流センター」となり、1階部分に「ファミリーマート東松島野蒜駅店」が開店(「ファミリーマート」は2019年2月末で閉店[新聞 10])、2階部分は多目的スペースとして利用されている。
2016年(平成28年)10月1日に、旧駅舎は「震災復興伝承館」としてオープンした。1階部分は交流スペース、2階部分ではパネル展示や震災関連映像の放映などが行われる[新聞 9]。
JR東日本によると、2000年度(平成12年度)- 2020年度(令和2年度)の1日平均乗車人員の推移は以下のとおりであった。
1日平均乗車人員推移 | ||||
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年度 | 定期外 | 定期 | 合計 | 出典 |
2000年(平成12年) | 727 | [利用客数 1] | ||
2001年(平成13年) | 718 | [利用客数 2] | ||
2002年(平成14年) | 701 | [利用客数 3] | ||
2003年(平成15年) | 663 | [利用客数 4] | ||
2004年(平成16年) | 627 | [利用客数 5] | ||
2005年(平成17年) | 617 | [利用客数 6] | ||
2006年(平成18年) | 579 | [利用客数 7] | ||
2007年(平成19年) | 571 | [利用客数 8] | ||
2008年(平成20年) | 527 | [利用客数 9] | ||
2009年(平成21年) | 493 | [利用客数 10] | ||
2010年(平成22年) | 478 | [利用客数 11] | ||
2011年(平成23年) | 非公表 | |||
2012年(平成24年) | 4 | 23 | 27 | [利用客数 12] |
2013年(平成25年) | 4 | 18 | 23 | [利用客数 13] |
2014年(平成26年) | 4 | 18 | 23 | [利用客数 14] |
2015年(平成27年) | 32 | 45 | 77 | [利用客数 15] |
2016年(平成28年) | 33 | 63 | 96 | [利用客数 16] |
2017年(平成29年) | 49 | 98 | 147 | [利用客数 17] |
2018年(平成30年) | 62 | 135 | 197 | [利用客数 18] |
2019年(令和元年) | 60 | 153 | 213 | [利用客数 19] |
2020年(令和 | 2年)36 | 120 | 157 | [利用客数 20] |
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