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ザ・ピーナッツのシングル (1963) ウィキペディアから
「恋のバカンス」(こいのバカンス、仏:VACANCE DE L'AMOUR[注 1])は、1963年4月に発表されたザ・ピーナッツ歌唱の日本の歌謡曲。作詞・岩谷時子、作曲,編曲・宮川泰。
後年に多くの歌手によってカバーされており、それらについても本項で記述する。
前年1962年の「ふりむかないで」に続くザ・ピーナッツのオリジナルソングによるヒット曲。ジャズの4ビートを生かした、歌謡曲としてはかつてなかったほどのスウィング感に満ちあふれた楽曲で、シングル発売直後より話題となり、同年に発表された舟木一夫の「高校三年生」、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」等と並ぶ大ヒット曲となったが、この年にヒットしたこれらの曲の中では2007年1月14日に制定された「日本の歌百選」に唯一選ばれなかった。
東レと渡辺プロとの共同企画によるサマーウェア新商品「バカンス・ルック(1963年6月発売)」の宣伝キャンペーンの一翼も担い、「休暇」を意味する「バカンス (vacances)」というフランス語が日本で流行語になるのにも貢献した。宮川泰が1963年第5回日本レコード大賞編曲賞を受賞し、同年の第14回NHK紅白歌合戦でもザ・ピーナッツが歌唱した(NHKに保存されている同番組の映像で確認可能)。
ザ・ピーナッツの曲の中でも定番曲の一つとして、現在でも茶の間での知名度も大きく、各世代間で親しまれている。
さらに当時のソビエト連邦国家テレビラジオ委員会(ゴステレラジオ、国営放送局)のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員が本曲を気に入り、ソビエト連邦本国に持ち込み積極的に展開、1965年に人気歌手ニーナ・パンテレーエワがロシア語歌詞で歌い[注 2]大ヒットさせた。(『恋のバカンス』からの直訳ロシア語タイトル「カニークルィ・リュブヴィー (Каникулы любви)」は既にザ・ピーナッツの名とともに人口に膾炙していたが、パンテレーエワのバージョンのタイトルは Песня о счастливой любви(ピェースニャ・ア・シスリーヴァイ・リュブヴィー=幸せな恋の歌)であった。[1]。その後は「カニークルィ・リュブヴィー (Каникулы любви)」のほうが世間に通用するタイトルの座に収まっている)[注 3]。歌はその後も度々リバイバルされ、ロシア人の中にはこの曲が日本で作られた曲であることを知らない人さえいるほど、現在のロシアでも世代を超えた有名曲となっている[2]
ソ連時代以来、ロシアでは作曲者の名が Ya.ミヤガワ (Я. Миягава) と表記されているものが少なくない。最初に「ひろし(泰)」が「やすし」と誤読され伝わったものがそのまま残っているためと思われる。
W (ダブルユー)のデビュー・シングル。カップリング曲は同じくザ・ピーナッツの日本語カバー曲である「月影のナポリ」と「悲しき16才」
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