弘前大学
青森県弘前市にある国立大学 ウィキペディアから
青森県弘前市にある国立大学 ウィキペディアから
弘前大学(ひろさきだいがく、英語: Hirosaki University)は、青森県弘前市文京町1に本部を置く日本の国立大学。1876年創立、1949年大学設置。大学の略称は弘大(ひろだい)。
1949年(昭和24年)、弘前高等学校・青森師範学校・青森青年師範学校・青森医学専門学校・弘前医科大学を母体とし統合してできた国立大学である。発足当初は文理学部・教育学部・医学部の3学部であったが、発展・改組を重ね、2022年5月時点で5学部(人文社会科学部・教育学部・医学部・理工学部・農学生命科学部)・9大学院研究科・2付属研究所等を設置する総合大学[1]として、北海道・東北地方を中心に全国から学生が集まり、入学者の半数以上は県外からである[2]。
国立総合大学でありながら、その名称に都道府県名、都道府県庁所在地名(宇都宮、金沢、名古屋など)、地方名(東北、信州、九州など)のいずれも冠さない大学である。所在する同一都道府県内に、都道府県名または都道府県庁所在地名(本学の場合「青森」)を冠する他の国立大学が存在しないにもかかわらず、県庁所在地ではない地方都市名を冠する国立総合大学は、本学が唯一である[注 1]。
略称は前述の通り「弘大」(ひろだい)が用いられることが多く、前大と略されることはない。ただし、「ひろだい」の呼称が通用するのは主に東北地方であり、西日本では広島大学を指す場合が多い。
新制大学としての設置は1949年であるが、母体となった各校(青森師範学校、青森医学専門学校、旧制弘前医科大学、旧制弘前高等学校など)の起源まで遡ると、およそ150年の伝統を有する。
なお、医学部の前身である旧制弘前医科大学は、戦後1948年に戦前からの医専から旧制医科大学に昇格した、いわゆる新八医大の一つであり、東北では東北大学医学部に次ぐ国立の医学部である。また、国立大学で最初に医学部の医局制度廃止を打ち出した[3]。
創立時期から県庁所在地に本部やキャンパスを置かない大学である[注 2]が、これは母体となった学校の内、弘前高等学校・弘前医科大学が、津軽藩の城下町であり、陸軍の第8師団司令部もあったことによる。明治期の東北旧陸軍師団は仙台の第2師団と弘前の第8師団の二つしかなかった。このように、弘前は当時の北東北の中心都市であった。
また、北海道出身の学生が比較的多いことも特徴である。
(以下、抜粋)
被ばく医療を含む地域医療、小・中・高生理科離れ対策事業、地域文化の継承・発展事業、及びコラボ弘大(産学官連携拠点)を中心とした社会連携事業を展開し、人口過疎化及び少子・高齢化が進み、かつ産業基盤の脆弱な地域の活性化に寄与する。
地域の自治体や企業との協定と連携事業の推進、北東北国立3大学連携推進会議、コラボ産学官連携による大学間連携、地域の他の高等教育機関との連携、海外協定大学との国際交流等を通じて、学術交流、人材交流等を推進する。
弘前大学の目標や機能を十分に実現・発揮するために、教職員・学生の意見の集約や学長のリーダーシップの発揮による運営の強化を図るとともに、教職員と学生の資質の向上や意欲の喚起を促し、その成果を不断に検証しつつ改革を進める。
学生数は6,912人(学部生5,964人,大学院生948人,2022年5月1日現在)。キャンパスは人文社会科学部・教育学部・理工学部・農学生命科学部が集まる文京町地区と医学系学部が集まる本町地区が設置されている。また、学園町には教育学部附属幼稚園・小学校・中学校、富野町には特別支援学校が位置している。
弘前大学同窓会は各同窓会が密接な連携の下に、相互の啓発を行い、大学の教育研究活動の支援を行うことにより、各同窓会および大学の発展に寄与することを目的として、平成11年6月に設立された。弘前大学および弘前大学医療技術短期大学部の同窓会および卒業生をもって組織されている。
国立大学法人弘前大学ではそれぞれの校地を「キャンパス」ではなく「地区」と呼んでおり、全体で4地区に分かれている。そのうち、弘前大学では2つの校地を使用している。
文京町地区はそのほぼ中央を市道が走っており、その北側が文京町一番地、南側が文京町三番地となっている。このうち一番地には旧制弘前高等学校があり、三番地に旧日本陸軍第八師団司令部があった。旧制弘前高等学校は太宰治ゆかりの地であることから太宰治のファンが文京町地区を訪れることもある。
文京町地区近くに傭外国人教師のための官舎が二棟建っていた。これは1924年に弘前市の棟梁川元重次郎が施工にあたったもので、一棟は2004年4月に文京町地区内に移築・保存されていたが、2016年より「弘大カフェ」として使用されている。
1948年にまだ存在していた大学令を元に設置された旧制弘前医科大学の校地を新制移行時にそのまま弘前大学医学部の校地としたものである。
弘前大学学生寮は自治寮であり、男子寮が2つ、女子寮が1つある。緑が丘寮(北溟寮)は学園町寮に比べて医学部に近いため、学園町寮より医学部生の割合が高い傾向にある。学園町寮(北鷹寮、朋寮)は食堂が共用になっている。寮では年度を「追いコン新歓期」と「祭り期」に分け、各係活動が改選される。寮には「新入寮生歓迎行事」というものがあり、入寮するとすぐ出身(大声で出身高校や所属学科などを叫ぶ)・各寮の寮歌・旧制弘前高校校歌指導がある。また、緑が丘寮の寮生は入学式会場で出身を行うのが通例となっている。学園町寮での新入寮生歓迎行事の中にはストームと呼ばれるものがあり、新入寮生が中庭で出身を行い、北鷹寮では寮の各階から水をかけられる。新入寮生歓迎行事が終わると三寮による交流企画(運動会・遠足・顔合わせ)がある。ここからは一年生が主体で準備をする。6月になると北溟寮では祭りが行われるが、内輪で行われるので一般の参加客はほとんど無い。階生大会と呼ばれる階ごとの話し合いが必要に応じて行われる。階によって違うがだいたい夜8時からであり、寮や階の運営についての話し合いが行われる。また、年に数回寮生大会というものがあり寮生全体で寮の運営について話し合う。これは原則として全員参加である。
(令和4年8月16日時点)
(令和4年4月1日時点)
(令和4年4月1日時点)
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