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日本のアナウンサー、タレント (1963-) ウィキペディアから
宮根 誠司(みやね せいじ、1963年(昭和38年)4月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者。テイクオフ所属。島根県大田市出身。元朝日放送(現:朝日放送テレビ[注 1])エグゼクティブアナウンサー。
島根県立大田高等学校卒業後、浪人生活[5]を経て、関西大学経済学部に入学。大学卒業後の1987年、朝日放送にアナウンサーとして入社[6]。元々、アナウンサーを志してはいなかったが就職活動中にふと立ち寄った就職課で朝日放送の募集掲示を見て、軽い気持ちで応募。面接でのトークが成功して採用された[6]。新人時代はアナウンサーとしての基礎知識がなく、担当番組がなかなか決まらず、ニュース読みを続けたという。
朝日放送テレビ『おはよう朝日です』(以下、おは朝)に代打で出演したことが転機となり、同番組のリポーターになった。その後は1990年4月からメインキャスターが先輩の岡元昇になったのを機に番組史上唯一の男性サブキャスター(ただし放送上は岡元と共に事実上のダブル メインキャスター)となり、1994年からは『おは朝』の単独司会を務める。
2004年3月末で朝日放送を退社[7]。同年4月より、フロム・ファーストプロダクション大阪支社に所属。、フリーアナウンサーに転身した。やしきたかじんが朝日放送の社長らを説得したことがフリーになる決め手となったという[8]たかじんだけでなく、笑福亭鶴瓶からもフリー転身の催促を受けていたことがフリー転身のきっかけである[9]。
フリー転身後も局アナ時代からレギュラー出演していた『おは朝』『食べて元気!ほらね』にはフリーの立場で引き続き出演した。
2005年4月から1年間、毎日放送『っちゅ〜ねん!』にレギュラー出演。同年11月からは読売テレビ『激テレ★金曜日』で司会を務め、テレビ大阪(TVO)を除く在阪準キー局全てでレギュラー番組を持った。
読売テレビでのレギュラー番組『ミヤネ屋』が全国ネット化して、全国的に知名度を上げた(後述)。
以降の宮根は在京キー局発の全国ネットのテレビ番組には決して頻度は多くないがゲスト出演するようになる。テレビ朝日系列(古巣・朝日放送を除く)は2009年3月18日放送の『ワイド!スクランブル』VTR出演のみで、テレビ東京系列全国ネット番組の出演歴は、テレビ大阪制作を含めてもない。
2010年3月を以て『おは朝』を降板した(後述)。
2006年7月31日からは金曜のみの放送だった『激テレ』をリニューアルして、月 - 金の帯番組『情報ライブ ミヤネ屋』(以下『ミヤネ屋』)を開始した。『ミヤネ屋』のスタートに伴い、平日は『おは朝』と掛け持ちで朝と夕方の生番組の総合司会を務めることとなる。宮根は『ミヤネ屋』の第1回で、キー局の日本テレビの本社(日テレタワー)に行って『午後は○○おもいッきりテレビ』本番終了後に、総合司会のみのもんた本人と対談。第2回は『ザ・ワイド』(2007年9月末で終了)の総合司会草野仁と対談した。宮根がみの、草野と共演した番宣用スポットを制作した。
2007年10月1日からは『ミヤネ屋』が関東地区と長野県を除いて、13:55 - 16:43(金曜のみ16:50)に放送枠を移動。全国ネット番組に昇格した。2008年1月7日からはテレビ信州で放送開始。同年3月31日からは日本テレビで放送開始した。これを機に日本テレビ系列の民放テレビ局 フルネットとなった。
2008年の『鳥人間コンテスト選手権大会』は「チームミヤネ屋」のパイロットとして、プロペラのない機体で飛行距離を競う滑空機部門に出場。300m越えを目標として、301.30mで有名人新記録を樹立した。
2009年3月22日、東京マラソンに参加。宮根は参加前に『ミヤネ屋』内で「4時間30分を切らなければ丸刈りにする」と宣言した。結果は正式記録で5時間56分09秒(スタートライン通過までのロスタイムを除いた参考記録で5時間40分)。目標を果たせなかったことから翌日の生放送中にバリカンを入れられ、丸刈り頭になった[10]。
2012年1月6日発売『女性セブン』で再婚前から交際していた飲食店経営の女性との間に再婚後に生まれた隠し子がいることが報じられた。2004年6月頃に出会い、交際。2007年春頃、飲食店を経営している16歳年下の女性から妊娠したことを告げられ、2008年2月に女児を出産、宮根は認知。宮根は番組冒頭で、この報道を認めて謝罪した[11]。
2012年12月16日にフジテレビの選挙特別番組『FNN総選挙2012 ニッポンの決意 JAPAN'S DECISION』でメインキャスターを務める。自身初の選挙特番のメインキャスター担当となった。
2014年2月23日、2回目の東京マラソン出場。4時間15分57秒でゴールして、リベンジを果たした[12]。
2017年6月17日に沖縄開催した『AKB48 49thシングル 選抜総選挙』では結果発表に初めて関わり、第7位の結果を発表した。
2010年3月末で、フロム・ファーストプロダクションとの契約を解消。これに伴い、『おは朝』を降板。3月1日に東京都で設立した事務所であるテイクオフ(TakeOFF)へ4月1日付で移籍した[13]。フリー転身当初からマネージャーを務めた横山武が代表を務める会社である[13]。宮根は所属第1号タレントであり、共同出資者でもある[14]。
同月より在京キー局制作番組初のレギュラー番組として、『Mr.サンデー』(フジテレビ・関西テレビ共同制作)を開始。『おは朝』で共演したクマガイタツロウ、たつをと共に「宮根誠司と2T」を結成。初代エンディングテーマソング「Hey!Mr.サンデー」の作詞・作曲・歌唱を担当した。
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