垂水市
鹿児島県の市 ウィキペディアから
鹿児島県の市 ウィキペディアから
垂水市(たるみずし)は、鹿児島県(離島以外の地域)の中部、大隅半島の北西部に位置する市。
大隅半島の北西部、鹿児島市から桜島を挟んで東側向かいの場所に位置する。市域西部は鹿児島湾に面している。中心市街地は海岸沿いの低平地に発達しており、市域東部の内陸部はシラス台地と山地になっている。
市西側に隣接する桜島はかつては離島であったが、1914年に発生した桜島の大正大噴火で垂水市と地続きになった。そのため、松ヶ崎地区では2mほど灰が積もり、小学校が埋って噴火前までの資料は不明となっている。
鹿児島県はもとより、九州の市では最も人口が少ない。
垂水市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 垂水市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 垂水市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
垂水市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
1955年に垂水・新城・牛根が合併したときには市の条件である「人口5万以上」を満たさなかったために市に昇格できなかった。その後、合併する場合に限って人口3万以上であれば市に昇格できる特例が認められたため、1958年に垂水市が成立したが、合併当時の人口が38,856人であったのに対して1958年6月1日現在の人口は34,779人だった[1]:59-64。その後は鹿児島市への人口の流出による急速な過疎化が進行し、1960年から2005年までの45年間に人口は13,793人も減少した[2]。1970年(昭和45年)には過疎地域対策緊急措置法の適用を受けた。
境・麓は垂水市の市制施行と同時に「牛根」を冠称するようになった。
新城村時代は大字が設置されていなかった。1958年に一部を鹿屋市に編入(現・根木原町、有武町)
1945年8月5日、旧肝属郡垂水町はアメリカ軍の空襲に遭い、市街地が大きな被害を受けた。
翌1946年、垂水町は戦災地復興都市計画対象地のひとつに指定され(全国で115市町村)、中心市街地では焼失地域185,520坪(525,023平方メートル)のうち120,000坪(396,693平方メートル)について都市計画事業が実施された。
その結果、大字田神の一部で、以下の町名が新たに誕生した[3]。
1970年、垂水港南側の干拓事業が完了し、新たに1町が設置された。
1997年、垂水新港付近が埋め立てられ、新たに1町が設置された。
江戸時代の垂水市域は全域が薩摩藩領であり、垂水郷(郷については外城制を参照)は島津御一門家であった垂水島津家(薩摩藩家臣を参照)の私領として、新城郷は新城島津家の私領として、牛根郷は薩摩藩の直轄領として統治された。上記の3郷は町村制施行時(1889年)の3村にほぼ継承されている。垂水郷と牛根郷は大隅国大隅郡に(牛根郷のうち、境村は曽於郡)、新城郷は肝属郡に属していた。
明治初期には大隅郡と肝属郡(1883年以降は南諸県郡も含む)の役所が垂水におかれていたが、1887年6月に鹿屋郷(後の鹿屋町、現在の鹿屋市街地)へ移転している[4]。
垂水市役所の庁舎は本館・別館・新館からなり、もっとも古い本館は1956年に火災で焼失した木造の垂水町役場庁舎にかわって市政施行された1958年に建てられた[6][7]。衞藤右三郎の設計により、ほかの市に先立って鉄筋コンクリート造で建設された[7]。地上3階建てで望楼をそなえ、建設当時は庁舎内から市街を一望することが可能だった[6]。市役所として60年以上利用され、垂水のランドマークとなっている[6]。2019年にDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定された[8]。
庁舎の老朽化などを理由として新庁舎を建設することが計画されているが、旧フェリー駐車場用地に新庁舎を建設する案は2020年8月の住民投票で反対が賛成を上回り、計画は白紙になった[9][10]。
農水産業では、ブリ・カンパチの養殖、インゲンマメ・きぬさやえんどうなどの野菜、ビワ・ポンカンなどの果物、豚などの畜産が盛んである[11]。しかし農家数は減少の一途にある。
垂水市に本社を置く主要企業
垂水市で産出するミネラルウォーターのブランドに財宝温泉がある。ほかにもさまざまな水が売られている[12]。
2015年に垂水高峠太陽光発電所が竣工した[13]。
1972年(昭和47年)の第27回国民体育大会(太陽国体)ではウエイトリフティング競技が垂水市で開催された[14]。国体に先立つ1969年(昭和44年)に全九州ウエイトリフティング選手権大会が開催されている[15]。
1987年(昭和62年)には垂水中央運動公園が完成した。2023年(令和5年)の特別国民体育大会ではフェンシング、綱引競技、スポーツチャンバラの各競技が中央運動公園の体育館で開催された[14]。
市内に鉄道は通っていない。
1961年4月13日に鹿屋市の古江駅から垂水市の海潟駅(のちの海潟温泉駅)までの区間が古江線として開通し市内に初の鉄道が通る。1972年9月9日に海潟温泉駅から国分駅までの間が開通。同時に路線の名称が古江線から大隅線に改称された。海岸線を通り、垂水市を縦断していたが、1987年3月14日に大隅線の全線が廃止され市内から鉄道が消滅した。垂水市の中心駅は垂水駅であった。
廃線後のJTB時刻表には、垂水港バス停が中心駅として記載されている。
県庁所在地の鹿児島市から自動車で移動する場合、途中で桜島フェリーを利用して桜島を通り抜けるとおよそ1時間で垂水市へ行くことができる。また鹿児島市内の鴨池港から垂水新港まで所要時間35分で垂水フェリーが運航されている。
かつてはJR九州バスが国分 - 垂水間に運行されていたが現在では廃止された。
市内に高速道路は通っていない。最寄りICは、東九州自動車道国分インターチェンジ、九州自動車道鹿児島インターチェンジ(フェリーを利用)など。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.