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日本のニュースキャスター、シンクタンク経営者、元アナウンサー ウィキペディアから
辛坊 治郎(しんぼう じろう、1956年〈昭和31年〉4月11日 - )は、元読売テレビアナウンサー、元ニュースキャスター、シンクタンク経営者、YouTuber。読売テレビでは報道局局長待遇解説委員長などを歴任。妻は元読売テレビ報道局報道部記者で現・ラジオパーソナリティの西岡香[1]、実兄は株式会社大阪綜合研究所代表で元住友ファイナンスエイシア代表取締役社長の辛坊正記。
しんぼう じろう 辛坊 治郎 | |
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プロフィール | |
出生地 | 日本 鳥取県米子市 |
出身地 | 日本 埼玉県入間市 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1956年4月11日(68歳) |
血液型 | AB型 |
最終学歴 | 早稲田大学法学部 |
職歴 |
讀賣テレビ放送 (1980年 - 2010年9月) |
活動期間 | 1980年 - 現在 |
ジャンル |
報道番組 バラエティ番組 |
配偶者 | 西岡香[1] |
担当番組・活動 | |
出演中 |
『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』 『辛坊治郎の万博ラジオ』 |
出演経歴 |
『ズームイン!!朝!』 『ニューススクランブル』 『たかじんのそこまで言って委員会』 『朝生ワイド す・またん!』 『ウェークアップ!ぷらす』など |
鳥取県米子市生まれ。男2人兄弟の二男として生まれる[2][3]。鳥取県での生活はわずか2か月で記憶が非常に薄く、航空自衛隊所属の自衛官である父親の転勤で宮城県東松島市、岐阜県各務原市と小学校入学前まで全国を転々とし[4]、物心がついたころから大学時代まで埼玉県入間市で過ごした[注 1]。
入間市立豊岡中学校在学時に、テレビでメキシコ映画『ぼくの心はバイオリン』を視聴中に停電して結末までの15分を観ることができなかったため、放送局のTBSテレビに結末を電話でたずねると親切に教えてもらったことに感激し、将来は放送局で働こうと決心した。
埼玉県立川越高等学校では航空部と英語部に所属した。東京大学を目指した1浪の後、1976年4月に早稲田大学法学部へ進学[6]。大学3年時に司法試験に不合格となり、夏休みを挟んだ3か月間で西ヨーロッパ・モロッコ・トルコなどを、4年時にはタイをバックパッカーで旅した。また、高校3年時の同級生、同じ大学の出身にライターの本橋信宏がいる[7]。
就職活動では埼玉県庁の上級職試験に合格し、住友商事から内定を得る。ほかに大学就職部の掲示板でフジテレビのリポーター・司会者(アナウンサー)募集に『交通費一律1,000円支給』との注釈があるのを見掛けて同社を受験し、受験者1,300人から3名に絞られた7次選考の最終面接で、”担当希望の番組に「『リビング11』(お昼の通販番組)を担当したい」”と答えて不採用となった。なお、同じ年の同社の選考では、同じく早大出身で、のちに社長に就任する亀山千広が内定し、入社している。
同年12月、大阪の読売テレビから突然電話があり[注 2]「フジテレビの最終で落ちたそうだが良かったら弊社を受けてみないか」と誘われて受験し、受験者8名から合格者2名として内定が得られ、埼玉県庁、住友商事、読売テレビの3つ選択肢を得たが、読売テレビの内定を承諾した。自身の講演会によると「朝のラッシュアワーが辛いため、始業時刻が朝10時と一番遅かった」ため[8]。
1980年3月、早大卒業後の同年4月に読売テレビアナウンサー職として入社。同期社員は元アナウンサー、スポーツ部、広報、東京事業部社員であった村田真哉[注 3]。系列局(NNN・NNS)アナウンサーの同期では日本テレビの井田由美、元・四国放送の遠藤彰良と池田賢、元・札幌テレビの石田久美子と宇都宮庸子と猶木裕子、元・テレビ岩手の山田基行、元・秋田放送の菅原実[注 4]と茜谷幸子[注 5]、元・山形放送の芳賀道也と家坂文子、元・テレビ信州の今村正大と新見宏司と伊藤真弓、元・静岡第一テレビの北嶋興と木暮静江、元・広島テレビ放送の湯浅真由美がいる[注 6]。後に近畿広域圏の中継キャスターとしてレギュラーで出演する、『ズームイン!!朝!』の気象情報読み上げで初鳴き。
以後はスポーツ実況を希望し、近鉄バファローズの担当記者として活動。その後、『ズームイン!!朝!』の中継キャスターとして、8年間担当し、後述である後輩で共演者である森たけしと共に1987年の阪神タイガースの不振をボヤいた台詞「なんぎやなぁ」が第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞を受賞[10]し、1989年には森たけしと共に歌唱した阪神タイガースの応援歌『負ける気せんね』を発売した。
1990年4月から、後述の理由の結果、『ニューススクランブル』のキャスターとして抜擢され、裏番組で同時間帯の視聴率でトップであった『MBSナウ』(毎日放送)を視聴率で抜き、当時番組を担当していた、同局元アナウンサーで元大阪市長であった平松邦夫に引導を渡す結果を挙げた[11]。また、並行して1991年1月から1992年3月まで『ウェークアップ!』の総合司会を務め[注 7]、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災発災当日から2日間連続で放送された報道特番ではキャスターを務めた。1996年アメリカ合衆国広報文化交流局の招きで渡米し、アメリカ合衆国国内のメディア事情を視察。
1997年人事にて、編成局アナウンス部から報道局報道部に異動。同年からペース大学客員研究員として留学し、翌1998年に帰国。帰国後はアナウンサー職から報道部チーフプロデューサーへ就任し、報道ドキュメンタリー番組の人事査定業務等の同職と並行する形で『報道特捜プロジェクト』(日本テレビ)のキャスターや、『元気モンTV』以後に編成された関西ローカルパートの朝の情報番組にてコメンテーターを担当。2000年の人事にて、報道局情報番組部長に昇進し、前述のメディア事情をまとめた処女作を上程。2001年10月から過去に辛坊が担当していた『ズームイン!!朝!』を終了させて、開始することとなった『ズームイン!!SUPER』の新聞・ニュース解説兼サブ司会に起用され、2005年4月まで東京で単身赴任生活を送っていた[注 8]。2002年5月から断続的に単発特番として編成されていた、『たかじんのそこまで言って委員会』が2003年7月からレギュラー昇格となり、やしきたかじんの発言補足を行う副委員長(サブMC)として出演し、一旦番組降板しているが長きに渡って出演している。
2009年10月1日付人事にて、先輩である岩田公雄の定年に伴い[注 9]、報道局解説委員長に就任。翌2010年3月29日から、かつて同時間帯を担当していた森と共に朝の情報番組である『朝生ワイド す・またん!』のキャスターへ就任し、収録込みで全曜日に出演することとなった。しかし、同年8月に、翌9月末で読売テレビを退職して10月からシンクタンクの研究員になる旨が報道され[12][13]、各新聞社の後追い報道にて、同局の福利厚生制度の制度変更により、企業年金の受取り額が変わる前に退職の意向を強調し、報道通り9月末付にて同局を退職。退職後は自身が設立したシンクタンクである大阪綜合研究所へ移籍し、フリーの立場では番組出演しない旨を強調していた[14]。
しかし、結果的には古巣である読売テレビの報道番組、バラエティ番組には芸能プロダクション等の所属もせず同局専属出演契約も締結していないが、フリーとして継続して番組出演を続けており、読売テレビの新規開始した番組にも出演している。但し、前述の理由を退職理由としていたが、後述の理由が本来の理由であったことも自身が出演した番組内で明かしている。
同局退職以後は、前述の様に結果的にフリーとして古巣である読売テレビ以外の放送局の番組にもゲスト出演を行っており、2012年4月から古巣の読売テレビがラテ兼業ではなかったため、初めて首都圏の放送局でのレギュラーかつラジオの初レギュラー番組である『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』のパーソナリティに就任。また、同番組のレギュラー放送終了から約2年後に復活し、後にレギュラー復活に返り咲いた後は、同局の調査率調査週間時の編成にて、同局のレギュラー番組に縦横断的にゲストとしてブッキングされるケースが多発している。後述の2013年3月に発表した読売テレビも関わったプロジェクトに参画し、その後同年8月から再び番組出演を再開し、後に、NNN系列以外の放送局でもレギュラー番組を受け持つようになったが[15]、視聴率不調によりワンクールにて終了の運びとなった。
その後、約10年に渡って出演した『す・またん!』については出演曜日が縮減し、2019年3月29日放送分にて降板した[16][17]。その間、2018年2月に自身の趣味である旅行を題材としたYouTubeチャンネル「”辛坊の旅”」を開設し、旅行以外にも自身のラジオ番組の再配信や企画動画にも活用いている。以後、2020年12月14日、前述の失敗したプロジェクトである小型ヨットでの太平洋無寄港横断に2021年4月下旬から5月上旬の時期に天候が安定した日を選択し再挑戦するにあたり、テレビのニュースキャスター業については引退することを発表会の場で表明しており[18][19][20]、2021年向けの年賀状の文面[21]とYouTubeの新年挨拶動画[22]でも、キャスター業から一線を退いて旅行系YouTuberをメインとして活動する意思を示しており、年が明けた2021年1月9日に読売テレビも辛坊の意向を汲み、『ウェークアップ!ぷらす』の降板と『そこまで言って委員会NP』の再降板を発表[23]。同局社内で、同年2月末付けにて辛坊が同局で放送する番組全て降板するコンセンサスが取れているが、東日本大震災にて被災した南三陸町にて、かつてのレギュラー番組である『す・またん!』にて毎年実施して来た、被災地復興取材コーナー[24]の事前ロケを行ったため[25][26]、同年3月11日放送が最後の出演番組になった[27]。しかし、他局には3月以降も、スポットで番組に出演しており、あくまでも「古巣の読売テレビで」となる。
2021年4月から8月に掛けて実行した辛坊の個人的イベントが終了し、同年10月以降は太平洋洋上で死生観が変わったこともあり、自分のための時間に割く意向を示し、YouTuberの活動をメインに自分が気になった場所に赴いている。
また、帰国して出演する約束をしていたニッポン放送『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』には復帰した[28]一方、Kiss-FM KOBE『辛坊治郎 Sunday Kiss』は終了した[29]。スポットでオファーがあれば古巣の読売テレビの番組含めて番組へのゲスト出演は継続しており、帰国時に冒険譚をメインに講演活動を積極化を個人的イベント終了時に問われ、それについては否定的な見解を示していたが、講演請負会社へ講演オファーが入っていたこともあり、内容を精査しながら講演活動は続けている。
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