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大豆の搾り汁を凝固剤によって固めた加工食品 ウィキペディアから
豆腐(とうふ)は、煮た大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、石膏など)によって固めた加工食品である。しっかりした食感のものは、型に入れたり、布地に包んだりしたうえで重しを乗せて、水分を押し出し、減らす工程が加わる。伝統的製法の堅豆腐[1]のほか、現代では代替肉やスナックバー状、麺[2]、米飯状[3]に成型した豆腐も製造・販売されている。
100 gあたりの栄養価 | |
---|---|
エネルギー | 318 kJ (76 kcal) |
1.88 g | |
食物繊維 | 0.3 g |
4.78 g | |
飽和脂肪酸 | 0.691 g |
一価不飽和 | 1.056 g |
多価不飽和 | 2.699 g |
8.08 g | |
トリプトファン | 0.126 g |
トレオニン | 0.33 g |
イソロイシン | 0.4 g |
ロイシン | 0.614 g |
リシン | 0.532 g |
メチオニン | 0.103 g |
シスチン | 0.112 g |
フェニルアラニン | 0.393 g |
チロシン | 0.27 g |
バリン | 0.408 g |
アルギニン | 0.538 g |
ヒスチジン | 0.235 g |
アラニン | 0.331 g |
アスパラギン酸 | 0.893 g |
グルタミン酸 | 1.397 g |
グリシン | 0.316 g |
プロリン | 0.436 g |
セリン | 0.381 g |
ビタミン | |
ビタミンA相当量 |
(1%) 4 µg |
チアミン (B1) |
(7%) 0.081 mg |
リボフラビン (B2) |
(4%) 0.052 mg |
ナイアシン (B3) |
(1%) 0.195 mg |
パントテン酸 (B5) |
(1%) 0.068 mg |
ビタミンB6 |
(4%) 0.047 mg |
葉酸 (B9) |
(4%) 15 µg |
ビタミンB12 |
(0%) 0 µg |
ビタミンC |
(0%) 0.1 mg |
ビタミンD |
(0%) 0 IU |
ミネラル | |
ナトリウム |
(0%) 7 mg |
カリウム |
(3%) 121 mg |
カルシウム |
(35%) 350 mg |
マグネシウム |
(8%) 30 mg |
リン |
(14%) 97 mg |
鉄分 |
(41%) 5.36 mg |
亜鉛 |
(8%) 0.8 mg |
マンガン |
(29%) 0.605 mg |
セレン |
(13%) 8.9 µg |
他の成分 | |
水分 | 84.55 g |
| |
%はアメリカ合衆国における 成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。 出典: USDA栄養データベース |
東アジアと東南アジアの広範な地域で古くから食されている大豆加工食品であり、とりわけ中国本土(奥地を含む)、日本、朝鮮半島、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、インドネシアなどでは日常的に食されている。現代ではアメリカ合衆国などにも普及している[2]。加工法や調理法は地域ごとに異なる。
豆腐という文字が最初に現れたのは、中国の陶穀『清異録』(965年)であると、江戸時代の『豆腐百珍』[4]の巻末にある。
現代では、中国も日本も「豆腐」と呼んでいる。日本では一部「豆富」「豆冨」としている業者があり、これは食品に対して「腐」という字を用いるのを嫌ってのことと考えられる。 中国でも「腐」を避け、菽乳、方壁、小宰羊(宰羊:羊の肉)等の異名があったと前述の『豆腐百珍』巻末に書かれている。
豆腐の「腐」の意味は、中国古代医学書『難経』[5]にある腐熟の「腐」であるとする説があり、中国で腐熟とは胃での初期消化のことで、白くどろどろした状態ともある[6]。 このことから、豆腐の「腐」は消化の悪い大豆を腐熟したものであるという説がある[7]。
「本来は豆を腐らせた(発酵させた)ものが豆腐、型に納めたものが納豆だったが、両者が取り違えられた」と名称の由来が語られることがあるが、これは誤った俗説である。納豆が日本独自の言葉であるのに対し、豆腐は中国から伝来した食品であり中国でも豆腐と呼ばれており、取り違えられることはあり得ない。
元禄時代に絹ごし豆腐を発明した豆富料理店「根ぎし 笹乃雪」では、9代目当主が、20世紀前半頃、食品に「腐る」という字を用いることを嫌って豆富と記すようになって以降、「腐」という文字を使わない表記が日本中に広まったとしている[8][注 1]。また、豆腐を好んだ日本の作家・泉鏡花は、極端な潔癖症でもあったことから豆府と表記した。
アメリカ合衆国やイギリスを始めとする英語圏のほか、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏等々、世界の様々な言語圏で、"tofu " (ドイツ語名詞の語頭は大文字のため "Tofu ")が単語として定着している。なお、英語表記ではtofuのほかsoybean curdも用いられる[9]。
中国語閩南方言由来もしくは広東方言由来であるtau-fuという表記も、ヨーロッパの中華料理店などでは頻繁に見られる。また、北京語では豆腐はdòufu(トウフー)と日本語に近い発音になる。
豆腐の起源については諸説ある。16世紀に李時珍によって編纂された『本草綱目』では、豆腐は紀元前2世紀前漢時代の淮南王で優れた学者でもあった劉安によって発明されたとしている[10][11][12]。また、本草綱目よりも前の12世紀の朱熹(朱子)の著作に「世に伝う、豆腐はすなわち准南王の術」というくだりがあり、これ(豆腐准南王(劉安)起源説)が朱子学を通じて世に広まったともされる。現代の淮南市には「豆腐村」があり、劉邦の孫でもある劉安が不老長寿の食べ物を研究させていたときに偶然生まれたのが豆腐であるという伝説が残る[13]。しかし、真偽については必ずしも明らかではなく[14]、劉安の著した『淮南子』にも豆腐の文字は出てこない[13]。
豆腐の原料となる大豆は遅くとも紀元前2000年頃までには中国の広い範囲で栽培されていたと考えられ、大豆加工食品は前漢時代の馬王堆漢墓からも出土しているとされるが、日本豆腐協会では劉安の時代の中国には豆腐の原料となる大豆が存在しなかったとしている[10][13]。大豆が中国に入ってきたのは劉安の活躍した約半世紀後のことであるという見方もある[13]。
また一説には豆腐の起源は8世紀から9世紀にかけての唐代中期であるともいわれている[9][12]。実際、6世紀の農書『斉民要術』には諸味や醤油についての記述はあるものの豆腐の記述が見当たらず、文献上「豆腐」という語が現れるのは10世紀の『清異録』からである[13][12][15]。唐代には北方遊牧民族との交流によって、乳酪(ヨーグルト)、酪(バター)、蘇(濃縮乳)、乳腐(チーズ)などの乳製品が知られていた。このことから、豆腐は、遊牧民族の乳製品を漢民族がアレンジし、豆乳を用いて乳製品(特にチーズ)の代用品(乳「腐」から豆「腐」へ)として、発明されたものであるという説が唱えられている(篠田統など)[13][注 2]。「腐」の文字は、中国では「くさる」という意味ではなく、「やわらかい固体」を意味することが多いことから、豆乳を固めてつくられた植物性チーズに「豆腐」の字を充当したものとも考えられる[13]。
一方、乳腐は北方遊牧民族の常食の乳餅のことであるという見方もある。『本草綱目』での乳腐には「釈名:乳餅」とあり、他でも乳餅としている書物が多い[16]。このことから、乳腐は漢人の一部が胡人の乳餅を「乳腐」(畜乳で作った豆腐に似たもの)とも称したのではないかという説もある[7]。いずれにせよ、豆腐の起源については、未解明の部分が今なお存在する[13]。
中国においては、伝統的には豆腐は生で食べるのではなく発酵豆腐などとして食べていたとされる[11]。また、中国の伝統的な豆腐は日本の豆腐よりも堅いが、これは油を用いる調理法が主流のため水分が少ないほうが都合がよかったためとされる[11]。少なくとも唐代後半には造られていた豆腐は、南宋末期のころには一般に普及し、明朝や清朝の時代になると豆腐の加工品も盛んに作られるようになった[11]。安徽省南部で伝統的に生産されてきた毛豆腐は、白い毛カビが付着した発酵豆腐であり、現在も伝統食品として流通している。
中国南部や香港・台湾では、日本の絹ごし豆腐のような滑らかな豆腐を冷やしてシロップをかけ、アズキやフルーツをトッピングして食べるデザートがあり、これを「豆花」と呼んでいる[17]。
日本の豆腐は柔らかくて淡白な食感を特徴とする独特の食品として発達した[11]。
一般に豆腐は中国から日本へ伝えられたとされる。遣唐使によるとする説が最も有力とされるが[18]、その一員でもあった空海によるという説、鎌倉時代の帰化僧によるとするなど諸説ある。ゆばやこんにゃくなどとともに鎌倉時代に伝来したとみる説もある[11]。ただ、1183年(寿永2年)の奈良・春日神社の供物帖の中に「唐府」という記述がある[18][9][12]。
鎌倉時代末期頃には民間へ伝わり、室町時代には日本各地へ広がった。そして江戸時代にはよく食べる通常の食材となったとされる[9][11]。この江戸時代の豆腐は、今日でいう木綿豆腐のみであった[9]。
豆腐は庶民の生活に密着しており、江戸では物価統制の重要品目として奉行所から厳しく管理されていた。「豆腐値段引下令」に応じない豆腐屋は営業停止にされるため、豆腐屋は自由に売値を決めることは出来なかった[19]。また各大名の献立にもしばしばのぼる食材であった[20]。下野国壬生藩の鳥居家の食事記録を調べると、菜は月に1日を除いて全て豆腐料理が出されていた[20]。
一方、江戸において豆腐料理屋は評判で、江戸で初めて絹ごし豆腐を売った「笹の雪」はいまだに続いている老舗である。当時、庶民に親しまれたのは豆腐の田楽であり、豆腐を串に刺して焼き、赤みそを付けて食べる料理であった[21]。
天明2年(1782年)に刊行された『豆腐百珍』には、100種類の豆腐料理が記述されている[20]。また、豆腐は様々な文学でも親しまれてきた。当時より、豆腐は行商もされており、前述の豆腐百珍は大きな人気を得るほど一般的な料理であった。行商の豆腐屋はラッパや鐘を鳴らしながら売り歩いていた。関東地方では、明治時代初期に乗合馬車や鉄道馬車の御者が危険防止のために鳴らしていたものを、ある豆腐屋が「音が“トーフ”と聞こえる」ことに気づき、ラッパを吹きながら売り歩くことを始めたものである。その由来のようにラッパは「豆腐」の高低アクセントに合わせて2つの音高で「トーフー」と聞こえるように吹くことが多いが、地域や販売店によっても異なり、「トー」と「フー」が同じ音高の場合もある。2つの音高を使うラッパの場合、1つのリードで2つの音高が出る仕組みになっており、呼気と吸気で音高が変わる。スーパーなどが増えて歩き売りをする豆腐屋が減ったものの、近年では昭和の頃のように地域に密着した商売をする人も出て来ており豆腐屋のラッパが復刻されている[22][23][24]。近畿地方では、豆腐屋はラッパではなく鐘(関東ではアイスクリーム屋が用いていた)を鳴らしていた[25]。
太平洋戦争中の日本では、軍需の影響で豆腐用の「にがり」の使用が制限され、代用として「すまし粉」と呼ばれる石膏の粉で豆腐を固める製法が広く普及した [26]。
近代工業が発達するに連れて豆腐の製造作業の機械化も進み、わずかの大豆から効率よく豆腐が大量生産できるようになり、より安価で提供されるようになった。柔らかいタイプの豆腐は昭和以前には[注 3]個人経営の豆腐屋で毎日作られ、動かすことで形が崩れることの無いよう、売る間際まで店頭の水槽の中に沈められているものであった。
現代日本でも豆腐は非常に一般的な食品であり、そのまま調味料をかけて食べられるほか、様々な料理に用いられている。冷奴や湯豆腐、味噌田楽などのように主要食材になるほか、汁物や鍋料理の具材、料理のベースになる食材として使われるなど用途は多彩になっている。
技術進歩で、常温で120日保存可能な豆腐も販売されている[27]。厚生労働省によると日本では、かつて細菌の繁殖で健康被害が発生したことから、1974年に、おおむね10度以下の冷蔵保存か、水槽内で冷水を絶えず交換しながら保存するなどの製造・保存基準が定められたという。国内メーカーは1986年から常温保存用の豆腐(無菌充填など)を輸出しており、これに関して業界団体は災害時の販売・配布の観点からも基準の見直しを要望してきた[28] [29][30]。
水にさらさず直接容器にすくい上げたものは「寄せ豆腐」「おぼろ豆腐」と言う。ほぼ同様の沖縄の伝統食品として「ゆし豆腐(ゆしどうふ)」がある。
沖縄県地方の豆腐も、日本同様中国との交易を通じて伝来したものであり、中国の豆腐と似ていて固くしまり、ずっしりとした重量をもち、「しま豆腐」と呼ばれる[31]。中国同様、生しぼりの豆乳で製造し、強く押圧して水分をしぼる[31]。しかし、天然の石膏が豊富で内陸が深く広大な中国大陸では凝固剤として石膏が用いられることが多いのに対し、琉球列島では日本同様「にがり」が凝固剤として用いられる[31]。
朝鮮半島では「두부(トゥブ)」といい、中国同様固い豆腐である[31]。高知県(土佐国)の「一升豆腐」は、安土桃山時代に長宗我部元親が李氏朝鮮より豆腐職人を連れ帰り、彼らに造らせた豆腐が起源だとされる[31]。
インドネシアでは、同じ大豆由来のテンペ(茹でた大豆をケーキ状に発酵)ほどではないが豆腐(現地名 tafu もしくは tofu)も食されている。油で揚げることが多く、料理食材に使われるほか、スナックとしても人気で、ジャワ島の都市部などでは、塩などで味付けしたでき立て厚揚げ(tafu goreng タフゴレン)の屋台が見られる。好みで干したキダチトウガラシを豆腐に差し込んで食べる。
17世紀に清で布教したスペインのドミニコ会宣教師ドミンゴ・フェルナンデス・ナバレテはその著書の中で「teu fu」を豆から作られる中国のチーズとして紹介した。18世紀にナバレテの書物の英訳を読んだベンジャミン・フランクリンは豆腐に強い興味を示し、イギリス東インド会社のジェームズ・フリントに「tau-fu」の製法を問い合わせた。フリントはフランクリンあての1770年1月3日づけの手紙で「towfu」の製法を説明した。これが英語で初めて豆腐に言及した文献と考えられている[32]。
20世紀末期以降のアメリカを始めとする欧米諸国では、高カロリー・高脂質の動物性食品や嗜好食品を多く摂る不健康な食習慣への反省と健康的な食品への関心の高まりによる健康ブームに伴い、健康の視点から優れた食品と言える豆腐が注目を集めるようになった。
しかし、1980年代までのアメリカでは、家畜のエサである大豆から作られたイメージなどから、消費者調査で不人気ナンバーワンの食品に位置づけられたこともあった。日常的にスーパーマーケットの棚に並ぶようになったのは、森永乳業のアメリカ現地法人が売り込みに成功した1990年代以降である[33]。以降、菜食主義者にとってはバーベキュー、ステーキ、ハンバーガー、ジャーキーなどの肉の代替品として豆腐が使われている。
豆腐には、薄い豆乳を凝固させて圧搾・成形した種類のもの(例:木綿豆腐、ソフト豆腐)と、濃い豆乳全体を凝固させた種類のもの(例:絹ごし豆腐、充填豆腐)とがある[34]。
今日、豆腐は木綿豆腐、ソフト豆腐、絹ごし豆腐、充填豆腐の4種に大別される[9]。
中国から日本に伝来した当初の豆腐は沖縄の島豆腐や北陸地方などにみられる堅い豆腐であった[43]。
また、豆腐を藁苞(わらづと)に入れて巻き締めて加熱した豆腐が各地に伝わっており、つと豆腐、こも豆腐、すまき豆腐、すぼ豆腐などがある[43]。
大豆は唯一の原料とも言えるものである[47]。まず第一に、タンパク質の含有分の高い事が求められ、香り、また遺伝子組み換えをしているか否かなどの安全面が考慮されることが多い。豆腐に適した大豆品種としてはフクユタカやエンレイなどが挙げられる。油糧用(大豆油用)や飼料用を除く食品用大豆の国内自給率は2013年度は25%(大豆全体では7%)[48]、輸入大豆の約7割はアメリカ産である[49]。アメリカ産大豆の作付け面積の9割は遺伝子組み換え大豆であるが[50]、日本へ輸出されている大豆は非遺伝子組み換え大豆である[51]。
国産大豆や有機大豆、非遺伝子組み換え大豆など、特色のある原材料を使用していることを表示する場合、「国産大豆使用」などと表示できるのは、100%その原材料を使用している場合のみで、100%未満の割合で使用している場合は「国産大豆○○%使用」もしくは「国産大豆○割使用」などと、使用割合を表示しなければならない。なお、使用割合は切り捨てまたは最小値を表示しなければならない[52][53]。
また、遺伝子組み換え大豆を使用している場合、「遺伝子組換え」や「遺伝子組換え不分別」という表示が義務づけられている[54]。遺伝子組み換え作物の表示の詳細については、遺伝子組み換え作物を参照。
豆腐は凝固剤と大豆たんぱく質の変性を利用した食品である[55]。『本草綱目』巻二五・豆腐によると、豆腐の創始者として伝わる淮南王劉安によって発明された豆腐(劉安豆腐)は塩鹵か山礬葉を用いて沈殿させたものを凝固剤としたといい、『桑華蒙求』や『和漢三才図会』は同書を引用している[56][57]。
豆腐の凝固剤には、天然にがりのほか、硫酸カルシウム、塩化カルシウム、硫酸マグネシウム、塩化マグネシウムなどが用いられる[55]。
豆腐凝固剤の種類は凝固速度、製品の組織安定性、温度特性、風味などに違いを生じさせるため、豆腐製品の種類に合わせた凝固剤が用いられる[60]。木綿豆腐には硫酸カルシウム、絹ごし豆腐にはグルコノデルタラクトンと硫酸カルシウムまたは塩化マグネシウムを組み合わせたもの(あるいは合剤)、油揚げや厚揚げ用の豆腐には塩化カルシウムや塩化マグネシウムの単品または組み合わせたものが用いられることが多い[60]。
おいしい豆腐の条件として水が挙げられる[61]。豆腐の約80 - 90%は水であり、また、豆腐の製造工程でのさらし水が良くなければ淡白な豆腐の味を損ねることになるためである[61]。
先述のように『本草綱目』には豆腐の創始者として伝わる淮南王劉安によって発明された豆腐(劉安豆腐)の製法が記され、『桑華蒙求』や『和漢三才図会』が同書を引用している[57]。国立国会図書館の所蔵資料に明治5年1月に出版された『豆腐集説』(片桐寅吉 述、榊原芳野 記)があり「浸水」「磨碾」「煎法」などの記述がある[注 4]。
現代の日本における豆腐製造業者には、工場で大量生産する大手企業もあるが、中小企業や個人商店も非常に多い。全国豆腐連合会では、これは豆腐製造が微妙な技術を要することや、長期保存ができないなど、豆腐の特性が関係していると分析している[65]。
また、中小企業側は中小企業事業分野調整法により、大企業が進出しようとする場合、都道府県知事を通じて経済産業大臣に調整(進出計画の撤退、縮小)の申し出をすることができる[66][出典無効][67]。そのため、当初大手メーカーは海外市場で販売を行っていた[66][出典無効][67]。しかし、包装技術の向上(真空充填、チルドなど)により長期保存、大量輸送が可能となり、また流通構造が大きく変化した現在では牛乳販売店などの宅配網や、インターネット等を中心に販売している[66][出典無効][67]。また、一部ではチルド製品を店頭販売している業者もある[68]。日本最大の製造業者は相模屋食料である。
一方、中小企業を中心とする従来の店頭販売では、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの事業者の価格決定権が強く、特売(安売り)が当たり前になってしまい、特売が希望小売価格状態になってしまって経営を圧迫している。さらに、原料である大豆はそのほとんどをアメリカに依存しているが、原料である非遺伝子組み換え大豆生産量はアメリカにおける生産数の一割以下であり、遺伝子組み換え価格の約3倍もする。また、アメリカのエネルギー安全保障政策でバイオ燃料作物への転作が進んだことによる原料の急激な高騰や、原油価格高騰[69]による包装等の資材価格高騰も経営を圧迫している。こうした影響もあり、2003年度の全国の豆腐業者は約14000軒だったが、9年後の2012年度には約9000軒まで減少している[69]。
豆腐などの製造過程で大豆から豆乳を絞る工程で出る副産物としておからがある[70]。特に豆乳を絞った際に残ったものを「生おから」、これを乾燥させたものを「乾燥おから」という[70]。
日本では昭和40年代から大量生産の豆腐が流通する一方で、おからの排出量も増え、その処分時の問題から1999年には法律上の産業廃棄物とする判断も出された[70]。
食品のなかには大豆とにがりを使用していなくても柔らかく豆腐状の物があり、「かわり豆腐」などと呼ばれる。
フィリピンには「タホ (taho)」と呼ばれるスイーツがあり、水分の多い温かい豆腐(プリン状の豆乳)にタピオカと黒蜜をまぶして食べる。現地では朝食前にタホを食べる習慣があり、毎朝、天秤を担いだ「タホ売り」が家々を回る。この際、フィリピンのタホ売りは、かつての日本の豆腐の行商と同様にラッパを吹き鳴らして合図をする[要出典]。
また、チェコのプラハでは、牛乳の代わりに豆乳を使って作ったチーズ(アナログチーズ)を "tofu" として売っている。プレーンタイプのほか、燻製タイプなど数種が、スーパーマーケットのチーズ売場で見られる。
冷奴など生で食されることも多いが、調理される料理も非常に多い。
豆腐を具材の一つとする一般料理は多い。豆腐をメインの具材とした料理もある。
日本で江戸時代に著された『豆腐百珍』には、その名のとおり100種類の豆腐料理が紹介されている。
豆腐を揚げたり、焼いたり、炒めたりする場合など豆腐料理の種類に応じて水切りが必要となる場合がある[76]。
植物性蛋白質が豊富。カロリーは比較的低いため[77]、健康的な食品として欧米などでも食材として使われるようになっている。製法工程上、食物繊維の多くは製造過程で滓として分けられるおからのほうに含まれるため、豆腐は、大豆の加工品でありながら食物繊維の含有量は少ない。
絹ごし豆腐100g中には、水分89.4g、蛋白質5.0g、脂質3.3g、糖質1.7gが含まれ、58kcalのカロリーがあると言われている[78]。脂肪エネルギー比は51.7%であり、原料となる乾燥大豆の38.6%を上回る。
とても柔らかいものの例として用いられている。
日本において、庶民の日常食材として使われた豆腐は落語にも登場する。
パソコンにおいて、フォントが対応していないために表示できない文字は、小さい四角(□)で置き換えられることが多く、これをネットスラングで豆腐と呼ぶ。Googleが配布している「Noto」というフォントの名前はこのスラングに由来(no more tofu)しており、インターネット上で表示できない文字を無くすという意味が込められている[81]。
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