Loading AI tools
中国遼寧省の省都 ウィキペディアから
瀋陽市(しんよう-し/シェンヤン-し、中国語:沈阳市、英語:Shenyang、満洲語:simiyan hoton、šen yang hecen[1]、mukden hoton)は、中華人民共和国遼寧省の省都。前名は奉天市。欧米諸語では、ムクデン (盛京、mukden) の名もよく用いられる。市名は、「瀋水ノ陽」の意味で、市内の南部を流れる渾河の古名・瀋水の北に位置することから由来する。
中華人民共和国 遼寧省 瀋陽市 | |
---|---|
渾河と瀋陽のスカイライン | |
略称:瀋 | |
旧称:奉天(フォンティエン)、盛京(ムクデン) | |
遼寧省中の瀋陽市の位置 | |
中心座標 北緯41度47分44秒 東経123度26分53秒 | |
簡体字 | 沈阳 |
繁体字 | 瀋陽 |
拼音 | Shěnyáng |
カタカナ転写 | シェンヤン |
満洲語 | ᠮᡠᡴᡩᡝᠨ |
満洲語ローマ字転写 | Mukden |
満洲語読み | ムクデン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 遼寧 |
行政級別 | 副省級市 |
政府所在地 | 渾南区 |
市委書記 | 王新偉 |
市長 | 呂志成 |
面積 | |
総面積 | 12,924 km² |
市区 | 3,495 km² |
海抜 | 55 m |
人口 | |
総人口(2020) | 907 万人 |
市区人口(2009) | 398 万人 |
経済 | |
GDP(2009) | 4,359 億元 |
一人あたりGDP | 56,172元 |
電話番号 | 24 |
郵便番号 | 110000 |
ナンバープレート | 遼A |
行政区画代碼 | 210100 |
市樹 | 油松 |
市花 | 玫瑰 |
公式ウェブサイト: https://www.shenyang.gov.cn/ |
瀋陽市の常在人口は825万人(その中、都市部人口625万人)、従来より東北地方の最大規模の都市であり、東北地方の経済・文化・交通および商業の中心地である。 北京から東北3省、朝鮮半島へ繋ぐ枢要地を占めるため、高速道路、高速鉄道・鉄道在来線が放射線状で密集しており、東北地方の最大級の鉄道と空路の運輸能力を持つ。 瀋陽を中心に、周辺の鞍山、撫順、営口、鉄領などの衛星都市と瀋陽経済区を形成している。「一朝発祥の地、二代帝王の城」のように言われ、清の時代を中心とした遺跡が多数残っている。国家歴史文化名城に指定される観光都市である。
瀋陽の歴史は大変古く、7200年前には定住集落(新楽遺跡)があったことが知られている。その後はしばらく地域の重要地方都市的な位置にあった。
17世紀初、サルフの戦いに勝利した満洲族のヌルハチは後金を建国、瀋陽を都城と定め、1634年(天聡8年)には盛京(せいけい[2][3]又はせいきょう[4]、満洲語:mukden hoton、ムクデン・ホトン)と改称された。その後清と国号を改めた後金は1644年(順治元年)に明朝の滅亡後の全部の中国を支配し、北京に遷都するが、盛京はその後も副都とされた。1657年には奉天府 (abkai aliyangga fu) が設置され、形式的ながら中央政府に準拠した官制が整備され、現在でもホンタイジ時代に主要部分が建設された瀋陽故宮が残っている。1664年(康熙3年)には承徳県 (erdemu be aliha hiya) が新設され、奉天府の府治とされた。
1740年から漢民族の移動が認められなかった満洲が、19世紀後半以降、ロシア帝国の南下政策に対抗すべく、禁地政策が解禁され開発が急速に推進されると、瀋陽は地域の中心としての役割を担うようになった。1903年には東清鉄道南満洲支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、日露戦争中の1905年、奉天会戦の舞台となる。
1911年(宣統3年)には承徳県が廃止され、県域は奉天府の直轄とされ、1912年(民国元年)、辛亥革命により清朝が滅亡すると、1913年(民国2年)2月に奉天県と改称され、4月に承徳県と改称されたが、河北省に同名の承徳県が存在したことから5月には瀋陽県と改称された。
その後は中華民国臨時政府を巡る混乱の中、1923年(民国12年)には奉天市が設置され奉天省の省会とされた。1929年(民国18年)にはそれぞれ瀋陽市、遼寧省と改称されている。その後は張作霖や張学良を代表とする奉天軍閥の拠点となった。しかし鉄道駅を中心とする市街地の大半は南満洲鉄道の付属地とされ、日本が行政権や警察権を掌握していた。
1931年満洲事変により関東軍に占領され日本の植民地となり、関東軍の土肥原賢二を首班とする奉天市政府が成立した。同年10月15日、趙欣伯が奉天市市長に就任している。1937年(康徳3年)3月26日、市政が公布され統治範囲が確定している。瀋陽県も当初奉天市に位置していたが、1944年(康徳11年)1月1日に分割され奉天市と撫順市に編入された奉天市と再度改称、1945年(民国34年)日本敗戦後、満洲国も日本の支持がなくなって崩壊した。それと共に奉天市政府も自然消滅した。
東北光復の後、中華民国政府は1947年に再びに瀋陽と改称し、直轄市とも指定したが、国共内戦の結果1948年11月2日には中国共産党の勢力圏に入った。
中華人民共和国が成立した1949年には中央直轄市に昇格、1954年に地級市に改編され遼寧省の省会として、1994年地級市から副省市に昇格して、現在に至る。中華人民共和国初期、以上の歴史原因より、未確認のままの残留邦人が多数住んでいた。2004年に、瀋陽故宮ならびに東陵(清太祖ヌルハチの墓廟)、北陵(清太宗ホンタイジの墓廟)などが「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」というかたちでユネスコ世界遺産に追加登録された。
1月の平均気温は-10.9℃、7月の平均気温は24.7℃、年平均気温は8.5℃、年降水量は690.3mmである。
瀋陽の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | −4.8 (23.4) |
−0.9 (30.4) |
6.8 (44.2) |
16.5 (61.7) |
23.0 (73.4) |
27.2 (81) |
29.1 (84.4) |
28.4 (83.1) |
23.6 (74.5) |
15.7 (60.3) |
5.7 (42.3) |
−1.9 (28.6) |
14.0 (57.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −16.1 (3) |
−12.2 (10) |
−3.8 (25.2) |
4.2 (39.6) |
11.2 (52.2) |
17.0 (62.6) |
20.6 (69.1) |
19.3 (66.7) |
12.1 (53.8) |
4.2 (39.6) |
−4.2 (24.4) |
−12.1 (10.2) |
3.5 (38.3) |
降水量 mm (inch) | 6.0 (0.236) |
7.0 (0.276) |
17.9 (0.705) |
39.4 (1.551) |
53.8 (2.118) |
92.0 (3.622) |
165.5 (6.516) |
161.8 (6.37) |
74.7 (2.941) |
43.3 (1.705) |
19.2 (0.756) |
9.8 (0.386) |
690.3 (27.177) |
% 湿度 | 60 | 55 | 53 | 52 | 55 | 67 | 78 | 78 | 71 | 65 | 63 | 61 | 63 |
平均月間日照時間 | 162.5 | 179.3 | 221.8 | 236.3 | 256.0 | 238.6 | 206.8 | 218.8 | 228.4 | 212.3 | 161.0 | 146.2 | 2,468 |
出典:[5] 2009-09-19 |
瀋陽市は地級市(地区クラスの市)として10市轄区・1県級市・2県を管轄する。
中国人民解放軍の七大軍区の一である瀋陽軍区司令部所在地である。市内の瀋陽飛機工業集団は、J-15、J-16、J-31を含む戦闘機を設計・製造している。
瀋陽軍区司令部の所在地。
瀋陽砲兵学院
瀋陽の交通は大きく発達している。
瀋陽鉄路局の所在地である。瀋陽鉄路局の管理する線路の総括的な延長の長さは約17173km、営業キロは、8809.2 km。長春、瀋陽、錦州、通遼、吉林、通化の6箇所の支局がある。
国内鉄道 ハルビン、北京、天津、大連などへと向かう東北地方の主要幹線鉄道5本すべてが経由する。その主要幹線鉄道は、秦瀋旅客専用線、哈大旅客専用線、瀋丹旅客専用線、哈大線、瀋大線 、京哈線 、瀋丹線、瀋吉線 がある。
国際鉄道
駅
市街地には中街、青年大街、北陵大街、南京街、黄河大街などがある。中国東北部の大都市、遼寧省の中心都市として古くから道路網が充実しており、普通道路としてはG101国道(西の彰武・朝陽・承徳から北京へ)、G102国道(南西へ錦州から北京、および北へ長春とハルビンへ)、G202国道(北のハルビン、および南の大連へ)、G203国道(北西の松原から綏化へ)、G304国道 (南東の丹東、および西の通遼へ)などが通じている。
最近は高速道路も発達していて、京哈高速道路 (北京およびハルビンへ)、瀋海高速道路(瀋大高速道路、大連へ)、丹阜高速道路 (丹東および阜新へ)、瀋吉高速道路 (吉林へ)が完成している。環状道路には、瀋陽環状高速道路があり、その外側の遼中環状高速道路も2018年末に開通している。
渾南区において瀋陽有軌電車が運行されている。一号線(興隆大奥莱~会展中心、全長12km)、二号線(興隆大奥莱~桃仙飛行場、14.8 km)、三号線(世紀大廈~会展中心、11.3 km)、四号線(世紀大廈~瀋陽南駅)、五号線(奥体中心~瀋撫新城、21.4 km)、六号線(瀋陽南駅~桃仙飛行場)の6路線である[10][11]。 2013年8月31日に開幕した第12回全運に併せて、8月15日から乗客を乗せる無料の試運行を開始[12][13]、10月8日から有料での正式運行を開始する[14]。
工業が盛んであり、市の郊外には多くの重化学工場が立ち並んでいる。瀋陽市内のみならずその近隣都市圏は撫順の石炭・鞍山の鉄鉱石、やや遠いながら黒竜江省大慶市の油田などの豊富な資源を生かした一大コンビナートであり、20世紀後半の中国を工業面で支えた。この中には、戦闘機生産(瀋陽飛機工業集団)、自動車関連(華晨汽車=自社ブランドとドイツBMW、ミシュラン)などもある。
しかし近年外資を導入した長江デルタや珠江デルタ地域の経済発展に比べ、瀋陽を始めとする満洲は取り残された感が否めない。このため中国政府は東北振興を旗印に東北開発を重点的に支援しており、瀋陽も近代都市に変貌しつつある。中国最大のソフトウェア開発・ITサービス会社(東軟グループ)も本社を置いている。2003年の全市生産総額 (GDP) は1,602億人民元で、全省の4分の1を占める。
在瀋陽総領事館は8カ国が設置している。その総領事館は、相関法律の規則により、管轄する範囲が中華人民共和国の遼寧省・吉林省および黒竜江省である。
各時代によって市政府の編成や名称が異なるが、ここでは奉天市政公所(1923年8月1日最初成立)、瀋陽市政府(1929年4月2日改名)、奉天市政府(1931年9月20日改名)と瀋陽市人民政府(1948年11月2日成立)の歴任市長を列挙する。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.