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埼玉県上尾市の大字 ウィキペディアから
埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市北部の大宮台地上に位置する[6]。地区の中央を芝川が暗渠で流れる[7]。 東側を西門前、南側を緑丘と隣接する。西側から北側にかけては大字上と隣接する。南側では僅かに上平中央と、西側では僅かに桶川市神明とも隣接する。周辺大字との境界は複雑に錯綜し、大字西門前や大字南の大小多くの飛地がある。また上尾久喜線沿線や、上平小学校の北側に大小複数の飛地があり、さらに北側に大きく離れた地点で桶川市坂田東との境界付近に大字久保(字坂田前)の小さな飛地が存在する[8]。
かつては大半が耕作地と雑木林で、芝川の流域沿いには水田もあったが[6]、全体的には住宅地と生産緑地地区としての農地が混在する。国道17号の久保交差点周辺など、幹線道路沿いには商業施設も立地する。東部の飛地は市街化調整区域で[8]纏まった雑木林も残る。
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する久保村[9]、古くは上村と同様、桶川郷の一部であった[10]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では131石余(田41石余、畑90石余)[11]、『元禄郷帳』や『天保郷帳』によると156石余であった[9]。化政期の戸数は18軒で、村の規模は久保村と隣接する南村や門前村を合わせて東西14町、南北20町余であった[9][12]。幕末は紅花の栽培が盛んであった[9]。飛地が上村や門前村や南村の間に存在した。地名は芝川やその支流が作り出した緩やかな窪地によるものと云われている[10]。 1875年(明治8年)の農業産物高は『武蔵国郡村誌』によると米18石、大麦40石、小麦12石、大豆8石、小豆3石、栗3石、蕎麦3石、綿15貫、甘藷11520貫であった[13][注釈 1]。
1590年(天正18年)より知行は旗本西尾氏[10]、その後は幕府領となる。正保年間(1645年〜1648年)は岩槻藩(阿部氏)領、のちに上知され幕府領(代官支配地)となる[9][10]。幕末の時点では幕府領(代官支配地)[14][10]。
※登記簿上は今もなお存在する小字を含む。
地区内に鉄道は敷設されていない。高崎線北上尾駅が最寄り駅となっている。
桶川駅東口方面への路線バスが運行されている。なお、バス路線は青葉台団地がある大字久保の飛地(字坂田前)の北端の通りに設定されている。
幹線道路沿いに大小の商業施設が立地する。地内に街区公園は立地しない。
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