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蒸留酒の一種 ウィキペディアから
ウォッカ(ロシア語: водка ヴォートカ、ポーランド語: wódka ヴートカ、リトアニア語: degtinė デグティネ、ウクライナ語: горілка ホリールカ、英語: vodka)は、蒸留酒である。穀物を原料とし、発酵、蒸留することによって作られる。成分は水とエタノールで、不純物をほとんど含まない。無色透明で雑味がないことが特徴である。カクテルの材料としても使われてきた。
日本の酒税法上はスピリッツに分類される。大麦、小麦、ライ麦、ジャガイモなど穀物を原材料とし、蒸留後、白樺の炭で濾過して作る。このため、エタノール成分を除けばほぼ無味無臭無色である。ただし、フレーバー(フレーバード、フレイバード)・ウォッカのように、香味が付けられているものも存在する。
日本語では「ヴォトカ」「ウォトカ」「ウォツカ」「ウオッカ」「ウオツカ」とも片仮名表記される。名称中の「ツ/ッ」は本来は促音ではないが、促音と誤読された結果「ッ」の表記が定着した[1]。同様の例としてカムチャツカ、アルコホル (Alcohol) が挙げられる。ウォッカとは、ロシアなどでは単に「蒸留酒」を表す一般名詞であり、ロシアの少数民族で飲まれていたような蒸留酒も、ロシア語ではすべて「ウォッカ」と区分されている。スラヴ諸語においては、ウォッカは「水」を意味する単語「вода (voda)」に指小辞を付したものである[2]。同じ欧州の蒸留酒のウイスキーやアクアビットと同様、中世の錬金術師が蒸留酒の製法を確立し「命の水(アクア・ウィタエ)」と称したものが源流である。
ロシア・東欧圏では「混ぜ物をして(=割り材で薄めて)ウォッカを飲む」のは邪道とされている。一方、それ以外の国では、カクテルの材料の一つとして他の飲料と混ぜて飲むことが多い。中欧のポーランドではウォッカをミネラルウォーターや果汁で割ることが、昔から行われている。ウォッカの原酒に当たる中性スピリッツほぼそのものであるスピリタスも、ストレートでは喉や消化器を傷めるため、割って飲むことが前提である。
現代の大半のウォッカの銘柄の成分は、ほとんどが水とエタノールであるため癖が少ない。これは近代に濾過と蒸留を繰り返す手法がロシア帝国で定着し、周辺国に広まったからである。蒸留で得られる限界のアルコール度数96度まで濃縮した中性スピリッツを水で希釈して、ウォッカとして瓶詰めする方法が広く採られている。この方法を用いると癖のない、透明感のある味や香りになる。
一歩で、ポーランドのウォッカの中には、アラブ世界から蒸留酒が伝わった中世前期以来の伝統的な製法を守っている銘柄もある。ウィスキーやビールと同じく発芽した麦(モルト)の酵素を用いて麦汁を作り、中性スピリッツになるまでは蒸留せず、適度なアルコール度数まで蒸留したところで蒸留工程を終了し、そのまま瓶詰めする。モルト(麦芽)ウイスキーが主に大麦モルトを用いて作られるのに対して、ポーリッシュ(ポーランド)ウォッカのうち、伝統的製法によって作られた製品がライ麦モルトを用いて作られるのが主な違いとなる。このようなウォッカは原料のライ麦の癖のある香りと多少のエグ味があるため、慣れていないと不快に感じるが、通はこれを好む。
かつてはアルコール度数98度のウォッカも存在していたが現在は作られていない。現在発売中の酒で最も強い度数を誇るのは、スピリタスの96度である。日本などではスピリタスはウォッカの一種と見られているが、ポーランドではスピリタス・レクティフィコヴァニ類(中性スピリッツの別名)としてウォッカ類とは別の酒類として登録される。
ロシアでのウォッカの起源には諸説ある。古いものでは12世紀頃からロシアの地酒を元に作られるようになったという説や、ルーシ時代の果実酒が元になったという説もある。ドミトリー・ドンスコイ大公の治世である、14世紀終盤の1386年、ジェノアの大使によってブドウを原料にした「命の水」と呼ばれる蒸留酒が最初に紹介された。このころ「命の水」はイギリスやアイルランドにも伝わり、のちにウイスキーとなった。スカンジナヴィアではアクアビットとなり、フランスではオー・ド・ヴィーとなり、そしてロシアでは15世紀半ばにライ麦を原料とした「ジーズネンナヤ・ヴァダー」と呼ばれる酒になった。これを略した「ヴァダー」もウォッカの語源の一つと考えられる[3]。
18世紀にはウォッカの種類が増えて醸造技術が高まり、西ヨーロッパでも評価されるようになった。1794年に白樺の活性炭でウォッカを濾過する製法が開発されて以降、ウォッカは「クセの少ない酒」という個性を確立する。香草や果実などを使ったフレーバーウォッカも作られるようになった。
1917年のロシア革命により、モスクワのウォッカ製造会社社長ウラジーミル・スミルノフがフランスに亡命。亡命先のパリで、ロシア国外では初めてウォッカの製造・販売を始めた。このスミルノフの工場に1933年、ロシアからアメリカ合衆国に亡命していたルドルフ・クネットが訪れた。クネットはアメリカとカナダにおけるスミノフ・ウォッカの製造権と商標権を買い取って帰国。以後、アメリカ産ウォッカの製造が始まり、アメリカは世界屈指のウォッカ消費国となる。
第二次世界大戦でソ連は兵士の士気向上のため、前線の兵士にウォッカが支給された。冬戦争時にクリメント・ヴォロシーロフが考案したのが始まりだと言われている[4]。これに合わせて一日100gのウォッカが支給された。冬戦争終戦のためこの制度は廃止されたが、独ソ戦では同じく一日100gが支給されていた[4]。兵士にとってウォッカはストレス解消や、凍死を防ぐ必要不可欠なものだった[4]。しかし1942年5月に、大きな戦果を上げた兵士にだけに与えられるよう変更され、分量も200gに増量されたが、同じ年の11月には従来のものに戻った。また後方の兵士や、予備役には50gが支給された[4]。
ドイツ降伏後、この制度は廃止されたが、アルコール中毒に陥る兵士が増加した[4]。
ソビエト連邦時代、経済の停滞や政治・言論活動の不自由に対する不満から、多数の国民がウォッカ中毒に陥った。そのためソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフはペレストロイカの一環でウォッカの製造を削減した。しかし国民はウォッカを求め、自宅で密造酒を作りだしたため、効果は薄く、却って貴重な税収である酒税が落ち込み、ソ連は財政難に陥った。またウォッカを密造するには砂糖が必要なため、多くの商店が砂糖不足になった。
ソビエト連邦の崩壊による政治・社会的混乱や生活苦により、ロシア人のウォッカによるアルコール依存症は、より深刻になり、平均寿命短縮や自殺増加を招いた。ソ連時代からその崩壊直後にかけての、ロシア人や一部の政治家(ロシア連邦初代大統領のボリス・エリツィンなど)のウォッカ好きとそれによる泥酔ぶりは、しばしば自嘲的なアネクドート(小噺・ジョーク)の題材になるほどだった。
その後、プーチン政権下でロシア連邦の民生は安定し、ロシア人は自らの人生や国家・社会に対して自信を抱き、健康志向を強めた。ロシア国家統計庁によると、1人当たりウォッカ類消費量(リキュールを含む)は1999年の15.2リットルから2015年には6.6リットルへと減少。一時は58 - 59歳代に落ち込んだロシア国民男性の平均寿命は66.5歳(2016年)へ上昇した。プーチン大統領は酒をほとんど飲まず「酒と煙草は国難」と発言。プーチン政権下の2012 - 2013年には、夜間の酒類販売やウォッカの広告が禁止された[5]。
蒸留酒は中世前期に交易などを通じてアラビアからヨーロッパ各地に伝わったものと考えられている。ウォッカという名称がいつできたのは定かではないが、中世盛期と推測される。「ウォッカ」という言葉が初めて文献に登場するのは中世後期初頭の1405年のことで、ポーランドのサンドミェシュ市裁判所の公文書(Akta Grodzka)にその名がある[6]。当時はポーランド語では消毒剤のウォッカは「ウォッカ」(ヴトゥカ)、「飲用としてのウォッカと同じものは「ゴシャウカ」(当時のポーランド語で「焼けるようにからい(お酒)」の意味)と、別々の名称で呼ばれていたが、この2つは消毒薬・嗜好品という具合に用途が異なるだけで実は同じものである。まとめてラテン語でaqua vitae(アクア・ヴィテ、「命の水」の意)と呼ばれていた。またこれが訛ってoko-wita(オコ・ヴィタ)とも呼ばれていた。この「命の水」の製造法は既に中世前期の8-9世紀にはポーランドに伝わったようで、陸上交易の隊商等によってアラビアからもたらされたものとみられている。
アクア・ヴィテのポーランド語訳であるwoda życia(ヴォーダ・ジチャ)から「水」の意味を持つwoda(ヴォーダ)を「ちっちゃな…ちゃん」の意味を付加する指小形で「ちっちゃな水ちゃん」の意味のwódka(ヴトゥカ、または、ヴートゥカ)の語ができた。
アクア・ヴィテ、すなわちエタノールおよびその蒸留法はアラビアから持ち込まれたものとみられるが、アラビアでは原則として享楽のための飲酒という習慣はない。ポーランドではアラビアのようにアクア・ヴィテを消毒剤、体臭予防剤、皮膚感染症の予防・治療剤、気つけ薬として使用する習慣が広く一般に定着した。このようにエタノール液を消毒剤として用いる習慣もあって、14世紀ヨーロッパの大ペスト禍のとき当時のポーランド、およびその勢力圏ではペストが流行しなかった。現在のポーランドでもウォッカ(すなわちアクア・ヴィテ)を消毒、体臭の予防、皮膚感染症の予防や治療、気つけに利用するが、通常のウォッカよりもはるかにアルコール度数の高いスピリタスが広く使われる。ポーランドでは、スピリタスはこのように薬品(エタノール液)として利用するか、水割りやカクテルのベースとして利用するのが普通で、そのまま飲むことはしない。
中世盛期から後期にかけてのヨーロッパは温暖期で、その当時は穀物やブドウがよく栽培されていたポーランド文化圏ではウォッカ(当時は飲用のウォッカはゴシャウカと呼ばれた)よりもビールやワインが主流の酒であったが、いっぽうロシアの文化圏ではウォッカに相当する強い蒸留酒が主流となった。17世紀ごろからヨーロッパの気候は寒冷化し、ポーランドではブドウの栽培やワインの製造は廃れてしまった。いっぽう大麦の生産は続いたためビールの文化は残った。18世紀終わりのポーランド分割によってポーランド文化圏の一部がロシア帝国の支配下に入るが、その後の19世紀を通じて、同様にロシアの支配下だったフィンランド同様、ウォッカのような強い酒をストレートで常飲する(それまでは悪習とされていた)習慣が広まった。これは共産主義化の時代(1945年 - 1989年)やその後の自由経済転換期(1990年 - 2004年)まで続いた。しかし現在のポーランドでは再びビールが主流となり、ウォッカは国内出荷が年々減少しているもののカクテルベースなどとして輸出市場の伸びが好調であるため、生産者は輸出を意識したボトルやパッケージに変更している。近年ではズブロッカのボトルデザインが変更された。
スウェーデンでウォッカは、スウェーデンの蒸留酒として1950年代まで指定されておらず、代わりにブレンヴィーンと呼ばれていた。ウォッカはスウェーデンで15世紀後半から製造され、17世紀代の総生産量はまだ少なかった[7]。18世紀初めから生産は拡大された。しかし原料の穀物不足であった時期には幾度か製造が禁止された。
1960年代から無香料のスウェーデン産ブレンヴィーンがウォッカと呼ばれるようになった。初めてこのように呼ばれるようになった製品は、1958年にアメリカのマーケット輸出用に製造された「Explorer Vodka」であった[8]。
1879年に誕生したアブソルート が1979年に世界に向けて販売された。スピリッツの中ではバカルディやスミノフに続く3番目に位置している。
以上の二派に分かれ、5年の間議論が続けられた[9]。議論は2007年12月17日に決着し、「原材料を明記することによって、ウォッカと認める」という結論で双方が合意した[9]。
ロシアの酒事情を初めて記述したのは、寛政5年(1793年)に蝦夷地(現北海道)へ水戸藩士である武石祐左衛門と木村謙次が視察にいった際、松前藩士やアイヌ人にロシア人について聞き取り調査をした記録『北行日録』(武石と木村の共著)内である。それによれば、「ロシアでは酒は国王家ばかりで造り、故に酒が少なく、しかも15年も過ぎてできあがるので、日本の酒米穀をうらやむ」(権力者による独占状態であった)と記している。
初めてウォッカを製造・販売したのは、ウクライナ系亡命ユダヤ人のミハエル・コーガンが創業した太東貿易である。ただし同業他社が登場したのですぐ撤退、その後は輸入やアミューズメント事業に方針転換、現在はゲーム会社のタイトーとなっている。
2022年4月12日、日本は同年2月に発生したロシアのウクライナ侵攻を受け、ウォッカを含む酒類についてロシアからの輸入を経済産業大臣の承認制とした[10]。
ロシアウォッカの標準的な製法は以下のようになる[11]。添加物とろ過工程の回数や順序は製品によって変わる。
ポーランドのウォッカは、主にプレミアムクラスはライ麦、スタンダードクラスはジャガイモや果物などを原料としているものが多い。ポーランドでは中世の昔から、ピュアウォッカ(ヴトゥカ・チスタ、wódka czysta)だけでなく、ハーブ・スパイス・香木・果物などで香りをつけたフレーバード・ウォッカ、フレーバード・ウォッカの一種で原料のライ麦の香りを残したまま木の樽(ワイン樽)で熟成させるスタルカ(英語のオールドと同じ意味)も多数製造されている。
主なウォッカは以下のとおり。この他にも多数のブランドがある。
一般的なウォッカは固有の風味がほとんど無く、酒の自己主張を抑えながらアルコール度数の高いカクテルに仕上げることができる。そのため高い度数による効きの強さに由来して名が付いたものがしばしばある。また、 缶チューハイの一部製品にはウォッカベースのものがある。
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