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両院制の日本の国会において、野党会派が上院の過半数の議席を占める状態 ウィキペディアから
ねじれ国会(ねじれこっかい)とは、日本の国会におけるねじれ現象のことである。野党会派が参議院の過半数の議席を占めている状態を指す。逆転国会(ぎゃくてんこっかい)とも呼ばれる[1]。
この言葉は1989年7月30日付け「朝日新聞」朝刊3面に掲載されたことが由来で、マスコミの造語である。特に2007年7月の第21回参議院議員通常選挙の結果を受けて、報道などでよく使われるようになった。
日本は議院内閣制を採用しており、内閣総理大臣の指名において衆議院の優越が認められている。このことから閣外協力を得た少数与党でない限りは、単一の与党または複数の連立与党が衆議院の過半数を占める事となる。ねじれ国会という語は、それにも関わらず与党が参議院の過半数を占めていない状態を指すものであり、この状態は与党が参議院の比較第1党であったとしても起こりうる。
二院制である以上は各院が多数派を異にすることは当然に想定されるが、日本の国会では党議拘束がほぼ全ての議案に対して行われるため、個々の議員との交渉によってその議員のみの投票行動を変えさせることは困難である。そのため、政党の執行部との交渉により会派単位での承認を得なければ議案を両院通過させられないという特徴がある。
衆参両院で政権与党が過半数を維持している状況とは違い、ねじれの状態では参議院で過半数を有する野党を納得させなければ法案は成立しないために、参議院で衆議院と異なる議決が起こりやすくなる。これは、参議院の独自性の発揮とみなすことができるが、衆議院とは異なる議決が政治の停滞を招くことになり、その損失が重視されることがねじれ国会の問題点とされる。
憲法上に定められている優越には、様々な制約がある。
予算案の議決・条約批准の議決・内閣総理大臣指名選挙に関しては、議決が異なった場合や衆議院議決後に一定日数の間に参議院が議決しない場合、衆議院の議決を国会の議決とすることができる(衆議院の優越、自然成立)。しかし、関連法案が野党に反対され参議院で可決できない場合、予算執行や条約履行に支障が生じる可能性もある。一方、法律案の場合、衆議院が先議して可決した法案を後議の参議院が否決した場合、これを成立させるためには、衆議院で3分の2以上の特別多数で再可決する必要がある(衆議院の再議決)。
衆議院可決議案を参議院が議決しない場合、衆議院可決から60日間が経過しなければ、参議院が否決したとみなすことはできない(みなし否決)。したがって、衆議院で先議可決した議案を、参議院は、最大60日間にわたって法案審議を引き延ばすことができる。もし、60日間が経過する前に国会の会期切れが見込める場合なら、継続審議にせず審議未了とすることで廃案に追い込むこともできる。国会法では、臨時国会や特別国会の会期及び会期延長における両院の議決では衆議院の優越が認められているが、会期延長の回数は制限されている。
各法律では両議院での承認を必要としている案件があり、衆議院は優越しない。
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ねじれ国会の状態では、国会運営の停滞や政府・与党が提案する議案の不成立により政府の政策実施が滞る一方、与野党協議によって政策の修正が行われる可能性が増大したり、野党主導で国政調査権が行使されたりする。このため、後者のメリットを強調する立場に立つ政治評論家やジャーナリストの中には、「ねじれ国会」をより肯定的に「バランス国会」などと表現をする者もいる。
寺田典城は「情報が公開され、与党と野党が互いに競う」と評する[2]。
なお、ねじれ国会における法案の成否をゲーム理論でモデル化した研究としては、川人貞史「衆参ねじれ国会における立法的帰結」がある[3]。
終戦直後の日本国憲法制定での両院制選択の経緯を見ると、アメリカから渡された憲法草案が一院制であったのに対し、日本側はわざわざ二院制への変更を主張し、米国も特に反対することもなく容認している。日本側が両院制を推した理由としては、仮に一院制を採用した場合、総選挙の結果で国家の方針がいきなり変わってしまうことになり、政情が安定しなくなるためである。片方の議院の選挙で多数党が変わったとしても、ねじれの間は簡単には法律を変えられない、すなわち政情が安定するというものであった[4][5]。ねじれの間は法律を変えられないが、国としての最低限の機能を維持するため「内閣総理大臣の指名」と「予算の承認」は衆議院だけで成立できるようになっており、いわば冬眠状態にあることになる。ねじれた後、時間をかけて次の選挙で国の針路を決めることになり、国民に熟慮期間を与えることができる点が最大の長所と言える。
本来、参議院には「良識の府」という役割がある。そのため、ねじれただけで法律を変えられないというのでは、本来の役割を果たしていないといった指摘も存在する。
現にイギリスの議会では、金銭法案については庶民院(下院)の議決が優先され、それ以外の法案についても貴族院(上院)は成立を引き延ばせるだけで廃案にはできないという性質がある[6]。
野党内で反主流派の参議院議員を引き抜く、与野党対立に距離を置く中間政党を取り込む、無所属の参議院議員を引き入れるなどにより、与党が参議院の過半数勢力を回復することがある。逆に、野党が衆議院の過半数を獲得して政権交代を実現を目指して、与党内で反主流派の衆議院議員を引き抜く、与野党対立に距離を置く中間政党を取り込む、無所属の衆議院議員を引き入れる戦略などが考えられる。
選挙を通じたねじれの解消には、時間的な制約がある。参議院で過半数勢力となった野党は、衆議院議員総選挙により衆議院でも過半数勢力となり、政権交代を実現することを目指す。しかし、一般に解散権は衆議院過半数勢力が行使できるのであって、この理由で解散を行う誘引はない。一方で与党は、参議院において過半数勢力を獲得することを目指す。しかし、参議院には解散がないため、(与党が参議院で過半数回復が見込めるほどの数の補欠選挙が発生するなどの極端な例外を除けば)次の参議院議員通常選挙まで待つ必要がある。さらに、与党に有利な状況であっても、参院選は半数改選であるため、過半数獲得は容易ではないし、直近の参院選で与党が大敗していた場合は、次の参院選での過半数確保のハードルが高くなる。
衆参ねじれによる国会審議の停滞を解消する方法としては、以下のものが考えられる。
55年体制確立前の参議院では、与党が過半数を占めずに、党議拘束をしない院内会派である緑風会が大きな勢力をもち、しばしば、衆議院可決案を修正および否決し、衆議院とは異なる首班指名をおこなうこともあった。
1989年参院選後では自由民主党が惨敗して参議院過半数を失った。その後、宇野宗佑首相辞任後の首班指名選挙で衆議院は自民党の海部俊樹、参議院は日本社会党の土井たか子と、衆参異なる指名になった。首相指名に関する両院協議会が39年ぶりに開かれたものの成案を得るに至らなかったため、衆議院議決優越により海部が首相になった。
その後、12月に参議院で提出されていた消費税廃止法案が自民党が反対するも、野党の賛成多数で可決され、衆議院に送付された。1990年2月、衆議院を通過した1989年度補正予算案が参議院で否決され、予算案をめぐっては戦後初の両院協議会が開かれた。両院協議会で一致しなかったため、衆議院議決優越により政府原案通り成立した。
ただ、自民党は竹下政権の頃から消費税などを巡って民社党・公明党との協調路線を強めており、参院選で「一人勝ち」となった社会党への反発は民社・公明の間でも強く、ねじれ国会の下でも、自民党はいわゆる自公民路線という形でそれなりに円滑な国会運営を行うことができた。1990年衆院選で自民党が勝利したこともあり、参議院も含めた国会運営が与党ペースで進んだということもある。
1998年参院選後では自民党が惨敗して参議院過半数を失った。その後、橋本龍太郎首相辞任後の首相指名選挙で衆議院は自民党の小渕恵三、参議院は民主党の菅直人と、衆参異なる指名になった。両院協議会で一致しなかったため、衆議院議決優越により小渕が首相になった。
その後の金融国会では政府が提出した金融再生法案が衆議院で可決されるも、参議院では野党の修正案を提示、最終的には自民党が野党案をほぼ丸呑みする形で成立した。また10月に参議院で防衛庁調達実施本部背任事件をめぐって、額賀福志郎防衛庁長官問責決議が野党の賛成多数で可決され、額賀長官は辞任に追い込まれた。
その後、自民党は自由党(自自連立、1999年1月)や公明党(自自公連立、1999年10月)との連立を図ることで参議院過半数を確保し、ねじれを解消した。
2007年参院選では自民党が惨敗して参議院過半数を失い、民主党が参議院第1党になった。その後、参議院議長に江田五月、参議院議運委員長に西岡武夫が選出され、参議院の議事の主導権は野党が握るようになった。その後、安倍晋三首相辞職後の首班指名選挙で衆議院は自民党の福田康夫、参議院は民主党の小沢一郎と、衆参異なる指名になった。両院協議会で一致しなかったため、衆議院議決優越により福田が首相になった。
その後、
などが起こっている。前述のように、与党は衆議院で2/3の議席を保持していたため、重要な法案については再議決を行うことが可能だったとはいえ、政府は国会運営に苦慮することも多かった。そこで福田は、衆参ねじれへの対策として民主党との大連立を打診、民主党の小沢一郎代表との間で一度合意するも、民主党内の猛反発により実現せず、却って与野党の対立姿勢を強める結果となった。結局ねじれによる国政運営の困難を理由に、福田は2008年9月に首相を辞任。これを受けた首班指名選挙では再び衆議院が自民党新総裁の麻生太郎、参議院が小沢を指名、両院協議会の不一致を経て麻生が首相となった。2009年7月には、東京都議選における自民党の惨敗を受けて、民主党などが衆議院に内閣不信任決議案、参議院に麻生首相に対する問責決議案を提出、それぞれ否決・可決された。
直後の2009年衆院選によって参議院多数派勢力である民主党を中心とした連合が衆議院で過半数の議席を獲得し、政権与党となったことで、ねじれは解消された。
2010年参院選の結果、民主党は改選議席数を減らして敗北、自民党が改選第1党となった。この結果、連立与党である国民新党を加えても参議院における過半数を下回ったことで、再びねじれ状態となった。与党が過半数を割る一方で野党も国会召集日までに過半数勢力を結集できず、法的な議事運営権をもつ参議院議長は与党民主党、議事運営のスケジュールを調整し議長はその具申に従うことが慣行とされてきた議運の委員長は野党自民党から選出されるという、近年例のない形となった。この結果、民主党の有力支援団体である日本教職員組合が強く求めてきた教員免許更新制の廃止を断念するなど、与党が重要法案と位置づけてきた多くの法案審議スケジュールに影響が出ることとなった[21] 。
ここで生じたねじれは、2007年のそれとは異なり、連立与党の議席は衆議院での再可決が可能な2/3に満たず、円滑な国会運営のためには、連立の組み替えも含めた野党との連携が必須となっている。しかし、1989年や1998年とも異なり、選挙で野党と全面対決して敗北した菅直人首相が続投したままであり、首相交代による仕切り直しを経ていないため、対決姿勢を崩していない野党との連携も困難を極めた。特例公債法案やエネルギー関連法案も野党ペースで修正されて可決された後に菅直人は首相を退陣した。
2011年に誕生した野田政権はねじれ国会下の政界を「決められない政治」とし、「決められる政治」への脱却を目指した。2012年には自民党・公明党との三党合意により、消費税の10%への引き上げを含む社会保障と税の一体改革関連法案(消費税増税法案)を可決成立するなど、通常であれば与野党対立を招来するような大きな課題が進展したという側面もある。なお、この際に「近いうちに衆議院解散」の言質を取られ、2012年11月に衆議院を解散した。
2012年衆院選の結果、自民党が圧勝して自公連立で衆院の3分の2を占めるに至った。だが、2010年参院選では民主党側も自民党側も参院過半数を占めてはいなかった。そのため、引き続きねじれは解消していない状態であった。
参議院では人事官や会計検査官の同意人事が否決されたり、川口順子参議院外務委員長への解任決議が可決されたり、安倍晋三内閣総理大臣への問責決議が可決されたり、衆議院定数是正法案が参議院で可決されず衆議院可決から60日経過後にみなし否決された後に衆議院で再可決したりしている。しかし直前の総選挙圧勝の余勢は大きく、審議は概ね与党ペースで進んだ。
その後、2013年参議院選挙において、自民党が改選121議席の過半数を上回る65議席を獲得。公明党との連立与党全体で見ても76議席を得たため、非改選を含む全体で与党が135議席を獲得したことで、2010年以来のねじれ解消が確定した[22]。 以後の衆院選(2014年・2017年・2021年)・参院選(2016年・2019年・2022年)でも自民党側が優勢を維持した。
自民一強多弱の状況下、民共共闘などを巡って野党内で対立が発生し、2017年の衆院選をきっかけに野党第一党の民主党改め民進党が分裂。衆院では立憲民主党が第一党の座を獲得したのに対して、参院では民進党(のち旧希望の党を吸収合併して国民民主党に改称)会派が最大勢力であり、時には路線の違いにより立民・国民2党間が対立し、野党の状況は、ねじれ状態の前提となる「政権交代可能な2大政党」の一翼からは程遠い状態となっていった。このように野党間で衆院第一党と参院第一党が異なり足並みの乱れが生じている現象を、前述した本来の意味に例えて「野党内ねじれ国会」と評された[23][24]。
しかし、その後立民は民進からの離党者などを取り込んで人数を増やし、2018年10月17日には旧民進系無所属・野田国義の会派入りにより国民と同数の24に並んだ[24]。19日には国民の長浜博行元環境相が離党届を提出したことにより、立民が衆参ともに野党第1会派になり"ねじれ解消"に至った[24]。
一般的に両院制では、両院の選挙方法の差異が大きいほど「ねじれ」が生じやすくなる傾向にある[25]。
イギリスでは世襲貴族や一代貴族によって構成される貴族院が、公選制の庶民院と異なる法案を可決したり、庶民院から回付された議案を修正議決したりすることがある。フランスの場合は元老院(上院に相当)議員が間接選挙によって選出されるが、その選出方法が右派に有利である[注 8]。そのため、直接選挙(決選投票方式の小選挙区制選挙)の国民議会(下院に相当)で左派が過半数を占めると、ほぼ確実に「ねじれ」が生じる[25]。ドイツでは連邦参議院(上院)議員が各州[注 9]の代表によって構成されるが、アメリカ合衆国の中間選挙のように州議会議員選挙によって国政与党が敗北しやすい傾向にあり、直接選挙(小選挙区比例代表併用制)の連邦議会(下院)との間でしばしば「ねじれ」が生じる[26]。大日本帝国憲法下の日本の貴族院・衆議院もこれら諸国と同様の状態になることがあった。イタリアでは両院の権限がほぼ対等であり、「ねじれ」が生じると政権交代が起きやすい[27]。イタリアでは、第二次世界大戦後から現在に至るまで、5年間の任期を全うした政権が存在しない[28]。
但しこれらの国では、下院の議決に対して上院が譲歩する慣例や政府によるイニシアティブが議会制度にビルトインされているため、議会での審議を通じて合意形成を図るという志向性が政府・与党と野党の間で共有されており、ねじれ状態が審議の停滞に直結していない[29]。
アメリカでは1990年代以降に議会の党派性が高まり、予算不成立による政府機関閉鎖が度々起こっている[注 10]。2010年の中間選挙では、上院で与党の民主党が多数、下院で野党の共和党が多数となるねじれが実現した。その結果、医療保険制度改革をめぐる与野党の対立が激化して、2014年の暫定予算案が通らない事態となった。事実上、予算が人質となった形である[30]。アメリカにおける2014年度となった2013年10月、予算案が通らないため、NASAや国立公園などが閉鎖、連邦政府の職員80万人以上が休職状態となっている[31]。同じ状態は1995年にも発生しており、この時は21日間続いた[32]。2018年の中間選挙でも上院では与党の共和党が過半数を占めたのに対し下院では野党の民主党が多数となった。ただし、上院では4割以上の少数派に支持されたフィリバスター等の議事妨害を覆すことが困難であるため「ねじれ」の有無に関わらず、上院の会派議席数に圧倒的な差がない場合には少数党が激しく反対する議案の上院通過は難しい。また、法案への拒否権を持つ大統領と議会が対立することもある。上記1995年のケースは、両院とも共和党が多数党である状況で起きている。
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