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トレミーの48星座 ウィキペディアから
こと座(ことざ、英: Lyra)は、現代の88星座の1つで、プトレマイオスの48星座の1つ[2]。古代ギリシャの撥弦楽器リラをモチーフとしている[1][2]。古代ギリシャ・ローマの伝承では、オリュンポス十二神の一柱ヘルメースが作り、吟遊詩人オルペウスが携えたリラであるとされる[8]。
α星ベガは、全天に21個ある1等星の1つ[注 1]。東アジアの七夕の伝承では、ベガは織姫(織女)とされ、彦星(牽牛)とされるわし座α星アルタイルと対になる星と見なされている。また、ベガとアルタイル、はくちょう座α星デネブの3つの1等星が形作る大きな三角形は夏の大三角と呼ばれる。
東をはくちょう座、西をヘルクレス座、南をこぎつね座、北をりゅう座に囲まれ[9]、東側では天の川と接する。20時正中は8月下旬頃[4]で、北半球では主に夏の星座とされる[10]が、初夏から初冬まで長く観望することができる[9]。北端は+47.71°、南端は+25.66°と天の赤道から北に離れて位置している[3]ため、南極圏からは全く見ることができないが、北極圏では星座の全ての星が周極星となる。
この星座で最も明るく見える1等星のα星ベガは、全天で5番目、北天ではうしかい座α星アルクトゥールスに次いで2番目に明るく見える星[11]で、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブと形作る大きな三角形は夏の大三角として親しまれている[12][13]。こと座の東には天の川が通っており、特に南で接するはくちょう座に掛けては星が豊かに広がる領域である[8]。空が明るい街中ではベガ以外の星を見ることは難しいが、空が暗い郊外では平行四辺形に並ぶ β・γ・δ・ζ の4星を容易に見つけることができる。東アジアの七夕伝説では、アルタイルが牛飼いの男牽牛(彦星)、ベガが機を織る娘織女とされる[10]。
2024年現在、こと座の領域で発見された太陽系外惑星の総数と惑星のある恒星系の数は、はくちょう座に次いで88星座中で2番目に多い[4]。これは、こと座の領域の北東部が、2009年に打ち上げられたアメリカ航空宇宙局 (NASA) の太陽系外惑星探索用宇宙望遠鏡「ケプラー」の観測領域 (Field of View, FOV) に含まれていたためである[14]。
こと座の起源となる星座がいつどこで生まれたのか、確かなことはわかっていない[15]。五島プラネタリウムの解説員として知られた原恵は著書『星座の神話』の中で、逆L字形に並ぶ α・β・γ の姿をL字形のハープに見立てたものであろうとしていたが、これは古代エジプトの墓から出土したL字形のハープを見て原が想起した考えであり[10]、この見解を支持する文献等は示されていない。アメリカの古典学者テオニー・コンドスは、メソポタミアの鳥の星座、あるいはフェニキアの琴の星座のいずれかを起源とする可能性があるとしている[15]。
紀元前4世紀の古代ギリシアの天文学者クニドスのエウドクソスの著書『パイノメナ (古希: Φαινόμενα)』を元に詩作されたとされる紀元前3世紀前半のマケドニアの詩人アラートスの詩篇『パイノメナ (古希: Φαινόμενα)』では、こと座は Λύρα (Lyra) という名称で登場しており[16]、以降この名称が古代ギリシャ・ローマ時代を通じて使われた。こと座に属する星の数について、紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネースの天文書『カタステリスモイ (古希: Καταστερισμοί)』や1世紀初頭の古代ローマの著作家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌスの『天文詩 (羅: De Astronomica)』では8個、帝政ローマ期2世紀頃のクラウディオス・プトレマイオスの天文書『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース (古希: ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας)』、いわゆる『アルマゲスト』では10個とされた[15]。
10世紀のペルシアの天文学者アブドゥッラハマーン・スーフィー(アッ=スーフィー)が『アルマゲスト』を元に964年頃に著した天文書『星座の書』では、「竪琴」を意味する al-Silyāq と呼ばれ、『アルマゲスト』と同じく10個の星が属するとされた[2][17]。アッ=スーフィーは、al-Silyāq で最も明るい星を「降りるワシ」を意味する al-Nasr al-Wāqiʻ と呼んでいた[2][17]。これは、アラビアで α・ε・ζ の3星が形作るV字形を翼をたたんだワシやハゲタカに見立てたことに由来しており、天の川を挟んで南側にあるわし座の α・β・γ の3星を飛んでいるワシやハゲタカに見立てた al-Nasr al-Ṭāʼir[18] と呼んだことに対応するものであった[2]。現在のこと座α星の固有名「ベガ (Vega)」はこの呼称の Wāqi の部分が転訛したものである[2][19]。
こと座の星をワシやハゲタカと見なすアラビアの文化は、ルネサンス期以降のヨーロッパにも影響を与えた[2]。たとえば16世紀ドイツの版画家アルブレヒト・デューラーが1515年に製作した北天星図では、こと座の姿はワシに抱えられたフィドルのような弦楽器として描かれている[20]。このワシとリラを組み合わせた意匠は後の星図製作者たちにも引き継がれ、ドイツの法律家ヨハン・バイエルの星図『ウラノメトリア (Uranometria)』(1603年)やドイツの天文学者ヨハン・ボーデの星図『ウラノグラフィア (Uranographia)』(1801年)でも、ワシの首にひもで括り付けられたリラが、ポーランドの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウスの天文書『Prodromus Astronomiæ』(1690年)ではワシが鉤爪で掴まえたリラが、それぞれ描かれていた[2][21][22][23][24]。一方で、オランダの法学者フーゴー・グローティウスの星座図帳『シュンタグマ・アラテオルム (SYNTAGMA ARATEORVM)』(1600年)やイギリスの天文学者ジョン・フラムスティードの『天球図譜 (Atlas coelestis)』(1729年)ではリラが単独で描かれた[25][26]。
バイエルは『ウラノメトリア』で、α から ν までのギリシャ文字13文字を用いてこと座の13個の星に符号を付した[21][22]。
1922年5月にローマで開催された国際天文学連合 (IAU) の設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Lyra、略称は Lyr と正式に定められた[27][28]。
紀元前500年頃に製作された天文に関する粘土板文書『ムル・アピン (MUL.APIN)』の中でこと座の星は、「牝ヤギ」を表す星座 Mul Uz とされた[29][30]。また、ベガは単独で女神ランマ (Lamma) を表すものとされた[29][30]。
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、こと座の星は二十八宿の北方玄武七宿の第二宿「牛宿」に配されていたとされる[31][32]。α・ε1・ζ1 の3星が布を織る娘を表す星官「織女」に、δ2・β・γ・ι の4星が池の中に作られた島を表す星官「漸台」に、R・η・θ の3星がはくちょう座の2星とともに宮中の天子専用の道路を表す星官「輦道」に配された[31][32]。
古代ギリシャ・ローマの伝承では、こと座は発明の神ヘルメースが作ったリラであるとされているが、それが星座となる過程は語り手によって異なる。アラートスの『パイノメナ』では、ヘルメースがまだゆりかごにいた頃に亀の甲をくり抜いて作ったリラであり、ヘルメース自らが鳥 (Ὄρνις) の頭と膝を折る人物の膝の間に置いた、とされた[33][注 2]。
エラトステネースの『カタステリスモイ』では以下の伝承を伝えている[15][34]。ヘルメースが亀の甲とアポローンの牛から作ったリラであるとされた。アポローンは牛と引き換えにヘルメースからリラを受け取ると、それに歌を合わせ、文芸の女神ムーサたちの1柱であるカリオペーとの間の息子オルペウスに渡した。ヘルメースのリラは、母のマイアらプレイアデスの人数に合わせて7本の弦が張られたものであったが、オルペウスは母カリオペーを含むムーサたちの人数に合わせて弦を9本に増やした。楽器演奏の才に長けたオルペウスはますます名声を上げ、彼が歌うと木々や岩、野獣まで魅了すると言われた。オルペウスはディオニューソスへの信仰を捨て、太陽神ヘーリオスとも呼ばれるアポローンを最も偉大な神であると信じることとした。オルペウスは夜明け前に起きてパンガイオン山へ登り、他の誰よりも早くヘーリオスを見るべく夜明けを待つようになった。怒り狂ったディオニューソスはバッサリデス族を差し向け、オルペウスの手脚を引き裂いて方々にばらまかせた。ムーサたちはオルペウスの亡骸を集め、オリンポス山の北の山腹にある Leibethroe と呼ばれる地に葬った。遺品となったリラはそれを贈るべき相手がいなかったため、ムーサたちはオルペウスと自分たちの記憶が残すべく、リラを星座の間に置くようにゼウスに乞い願った。ゼウスは彼女らの願いを聞き入れ、リラを天空に置いた[15][34]。
ヒュギーヌスの『天文詩』でも『カタステリスモイ』と同様の伝承が伝えられているが、オルペウスはカリオペーとオイアグロスの子であるとされ、メルクリウス[注 3]が発明したリラはメルクリウスからオルペウスに渡されたものとされた[15][34]。また、オルペウスが命を落とす理由が以下のようにより詳細に語られている[15][34]。妻エウリュディケーの死で嘆き悲しんだオルペウスは、冥界に下りて全ての神々を讃える歌を歌ったが、うっかりリーベル[注 4]のことを忘れてしまった。このことを恨みに思ったリーベルは、後年オルペウスがオリンポス山あるいはパンガイオン山で歌に興じているところに信徒を差し向けて、オルペウスの手脚を引き裂かせた。あるいは、オルペウスがリーベルの神聖な儀式を盗み見たために殺されたのだとも言われる[15][34]。またヒュギーヌスは、オルペウスを殺したのはウェヌスであるとする説も伝えている[15][34]。美少年アドーニスを巡って争ったウェヌスとプロセルピナがユーピテルの裁定を仰いだとき、ユーピテルはカリオペーに裁定するよう命じた。カリオペーはそれぞれの女神が半年ずつアドーニスを専有するように裁定したが、この裁定に腹を立てたウェヌスはトラキアの女たちをオルペウスに夢中にさせて、オルペウスを引き裂かせた。オルペウスの首は海に流されてレスボス島に漂着した。このことから、レスボス島の島民は音楽の才能に恵まれていると考えられた。この伝承でも、オルペウスのリラはムーサたちによって星座とされている[15][34]。加えてヒュギーヌスは、オルペウスが少年愛に目覚めて女性を侮辱したように見えたことから女性たちに殺されたとする説も伝えている[15][34]。
学名の Lyra は、古典ギリシア語で撥弦楽器のリラを意味する λύρα に由来している[2]。ギリシア語・ラテン語の古典式発音ではリュラ、英語での発音はカタカナで書き下すとライラに近い[35][注 5]。ラテン語の学名 Lyra に対応する日本語の学術用語としての星座名は「こと」と定められている[36]。現代の中国では天琴座[37][38]と呼ばれている。
明治初期の1874年(明治7年)に文部省より出版された関藤成緒の天文書『星学捷径』で「リラ」という読みと「琴」という解説が紹介された[39]。また、1879年(明治12年)にノーマン・ロッキャーの著書『Elements of Astronomy』を訳して刊行された『洛氏天文学』上巻では「リーラ」と紹介され[40]、下巻では「天琴宿」として解説された[41]。これらからそれから30年ほど時代を下った明治後期には「天琴」という呼称が使われていたことが日本天文学会の会報『天文月報』の第1巻2号掲載の「五月の天」と題した記事中の星図で確認できる[42]。この「天琴」という訳名は、1910年(明治43年)に「琴」と改められ[43]、東京天文台の編集により1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「琴(こと)」として引き継がれた[44]。戦中の1944年(昭和19年)に天文学用語が見直しされた際も「琴(こと)」が継続して使われることとなった[45]。そして、戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[46]とした際に平仮名で「こと」と決まり[47]、以降この呼称が継続して用いられている[36][48]。
α・ε・ζ が形作る三角形のことを、福岡県糸島市加布里で芥屋村(現・糸島市)出身者から「タナバタサン(七夕さん)」と呼んでいたとする事例が採集されている[49]。また香川県三豊郡詫間町志々島(現・三豊市)には「メンタナバタ」という呼称が伝えられている[49]。
β・γ・δ・ζ の4星が形作る平行四辺形に対しては、香川県丸亀市本島では瓜を切るまな板に見立てた「ウリキリマナイタ(瓜切り俎)」、島根県邑智郡日貫村(現・邑南町)では「ナキリボシ(菜切り星)」「マナイタボシ(俎星)」という呼称が伝えられている[49][50]。また熊本県隈府(現・菊池市)では、これを七夕のお供え物を入れる竹籠に見立てた「タナバタノオコゲ(七夕の麻小笥)」という呼称が伝えられていた[49][50]。
牽牛と織女の組み合わせとなるわし座α星アルタイルとベガのペアに対して、兵庫県高砂市戎町で「タナバタサン(七夕さん)」、愛媛県伊予郡双海町(現・伊予市)で「タナバタボシ(七夕星)」と呼ぶ事例が採集されている[49]。
2024年4月現在、IAUによって6個の恒星に固有名が認証されている[51]。
このほか、以下の恒星が知られている。
18世紀フランスの天文学者シャルル・メシエが編纂した『メシエカタログ』に挙げられた天体が2つ位置している[6]。
こと座の名前を冠した流星群で、IAUの流星データセンター (IAU Meteor Data Center) で確定された流星群 (Established meteor showers) とされているものは、4月こと座流星群 (April Lyrids, LYR) とこと座η流星群 (eta Lyrids, ELY) の2つ[7]。4月こと座流星群は、1861年に出現し、約400年の周期で公転するサッチャー彗星 (C/1861 G1 Thatcher) を母天体とする流星群[110]で、4月22日頃に極大を迎える[7]。
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