120年代
- 121年 - 後漢で鄧太后の死去に伴い、安帝が鄧騭ら鄧一族を粛清し、蔡倫も連座する。
- 121年頃 - ローマ皇帝ハドリアヌスの帝国巡幸が行われる( - 125年)。
- 122年 - ハドリアヌスの長城が着工される。
- 124年 - 再建されたパンテオンが完成する。
- 125年
- 126年 - 西域長史班勇が北匈奴の呼衍王を破る。
- 128年 - ローマ皇帝ハドリアヌスの帝国巡幸が行われる( - 134年)。
130年代
- 130年 - ローマ皇帝ハドリアヌスが寵愛していた青年アンティノウスが死去。
- ハドリアヌスは彼を記念してエジプトナイル川中流域にアンティノポリス(英語版)を建設させる。
- 130年頃 - インドのクシャーナ朝でカニシカ王が即位する( - 170年頃)。
- 131年頃
- インドのマトゥラーで「カニシカ王在位4年」の銘がある「キンベルの菩薩坐像(英語版)(キンベル美術館蔵)」が作られる。
- ローマ皇帝ハドリアヌスがサルウィウス・ユリアヌスに命じ法典『永久告示録』を編纂させる。
- 132年
- 135年
- 138年 - ナポリ近郊のバイアエ(英語版)の別荘にてローマ皇帝ハドリアヌスが死去。
- 139年 - ハドリアヌスの霊廟(現サンタンジェロ城)が完成する(135年 - )。
140年代
- 142年 - アントニヌスの長城が着工される。
- 144年 - マルキオンがローマ教会から破門される。
- 146年 - 後漢の質帝が梁冀により毒殺される。
- 148年 - パルティア出身の仏教僧安世高が後漢の洛陽に来訪。
160年代
- 161年 - ローマ皇帝アントニヌス・ピウスが死去。マルクス・アウレリウス・アントニヌスが即位。
- 162年 - マルコマンニ戦争が起こる( - 180年)。
- 164年 - ローマ帝国軍がアントニヌスの長城からハドリアヌスの長城まで撤退。
- 165年 - アントニヌスの疫病(英語版)( - 180年)。
- 166年
- 後漢で第一次党錮の禁が起こり、宦官が李膺ら清流派の官僚を弾圧する。
- 日南郡(後漢)に大秦王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニヌス)の使者が到着。
- 169年 - 後漢で第二次党錮の禁が起こる。
170年代
- 175年
- 177年 - 属州ガリアのルグドゥヌム(現リヨン)でキリスト教迫害が起きる。
- 178年 - 189年 - 洛陽にて月氏出身の支婁迦讖による最初の大乗経典の漢訳が行われる。
180年代
- 180年 - ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスがウィンドボナで死去。
- 180年頃 - 倭国大乱(5〜6年間継続)
- 180年頃 - 210年頃 - 三輪山の北西麓一帯に纒向遺跡が出現(纒向1類)。
- 184年 - 後漢で黄巾の乱が起こる。
- 184年頃 - 倭国乱れ、互いに攻伐しあい(倭国大乱)、長い間盟主なし、と伝える(『魏志倭人伝』)。
- 186年 - 200年頃 - トリーアのポルタ・ニグラ(黒い城門)が建設される。
- 188年 - 後漢の霊帝が西園八校尉の設置などの軍制改革を行う。
- 189年 - 後漢で霊帝が死去し、少帝が即位。
190年代
- 191年 - 陽人の戦いで反董卓連合軍が董卓に勝利、董卓は洛陽から長安に遷都。
- 192年
- 董卓が王允と結んだ呂布に殺される。董卓の配下であった郭汜・李傕らが長安を奪取し王允を殺害。
- 後漢の支配下にあった日南郡の区連が蜂起し、独立して林邑(チャンパ王国)を建国。
- ローマ皇帝コンモドゥスが暗殺され、アントニヌス朝は断絶。
- 193年 - 内戦からローマで五皇帝が乱立(五皇帝の年)。
- 196年
- 後漢の献帝が洛陽に帰還、さらに曹操の庇護を受け許に遷都する。
- セウェルス帝が反対派についたビュザンティオンを征服し破壊する。
- 199年
- ローマでカリストゥスのカタコンベ(英語版)が造営される。
東アジア
鮮卑
- 檀石槐(生没年不詳) - 鮮卑族の大人(部族長)・勢力の衰えた匈奴に代わりモンゴル高原を統一・後漢の懐柔策を拒否し翻弄する
日本
- 帥升(生没年不詳) - 倭国の王・中国の史書(『後漢書』)に記載された固有名を持つ最古の日本人
- 卑弥呼(170年頃 - 248年) - 邪馬台国の女王(在位188年頃 - 248年)・倭国大乱の後に女王に推戴される
- 117年 - この年にブリテン島北部にてローマ帝国第9軍団ヒスパナが消息を絶った。後年、この謎を探るべくブリトン人との戦で傷を負い退役したローマの軍人マーカス・フラヴィアス・アクイラは、奴隷のスコットランド人エスカとともに、かつて父が指揮を執った第9軍団ヒスパナの行方を探る旅に出る(ローズマリー・サトクリフの小説『第九軍団のワシ』)。
- 130年代 - ローマ帝国の浴場専門の建築技師であるルシウス・モデストゥスはひょんなことから現代の日本にタイムスリップしてしまう。ルシウスは伊藤温泉の才媛小達さつきらとの交流を深めていく一方で皇帝ハドリアヌスにもその才能を見込まれていく(ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』)。
- 161年以降 - エトルリアの貴族に生まれたマリウスはマルクス・アウレリウス帝の秘書官となり、アプレイウスの小説やヘラクレイトスの哲学そしてストア派哲学から初期キリスト教の様々な思想に触れ、魂の遍歴を重ねていく(ウォルター・ペイターの小説『享楽主義者マリウス』)。
- 180年 - ローマ帝国の将軍マキシマス・デシマス・メレディウスは、マルクス・アウレリウスの息子コンモドゥスによる皇帝暗殺事件に巻き込まれ、家族を殺された上に自らも奴隷の身分に落とされる。武勇に優れたマキシマスは剣闘士(グラディエーター)となり、コモドゥスへの復讐を誓う(リドリー・スコット監督の映画「グラディエーター」)。
- 192年 - 後漢の政治家王允は政権を壟断した董卓を討つため、その部下である呂布を離反させるべく「中国四大美人」の一人ともされる貂蝉を送り込んだ。これが「美女連環の計」である(『三国志演義』)。
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