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日本の陸上自衛隊の装甲兵員輸送車 ウィキペディアから
73式装甲車は60式装甲車の後継として1973年に制式化された装甲車である。1974年から陸上自衛隊への配備が始まり、合計で338両が生産され、最終的には調達価格ベースで約1億円程度まで単価が減少した。
全体的なデザイン及び車内レイアウトは60式装甲車を踏襲しており、車体前部右側に操縦士席、左側に銃座と前方銃手席がある[1]。車体は60式装甲車より1m延長され、後部兵員室には一個小銃班8名が乗車可能である。兵員室上面に大型の両開き式ハッチを備え、側面にガンポートが左右各3箇所、計6箇所設けられている[1]。ガンポートはT字型をしており、下の部分から小銃を突き出し、上の横長の部分から照準を行う。ただし兵員室は隊員が向かい合わせに乗車する形状のため、ガンポートから射撃を行う際は子どもが電車の座席から窓の外を見るような姿勢とならざるをえない。対NBC戦闘などの際は密閉式の蓋をすることができるが、他にペリスコープなど兵員室から外部を視察できるような装備はない。車体後部には3連装の発煙弾発射機を装備しており、総合的には60式装甲車に比べれば装備、隊員の居住性の充実が図られている。
車体には軽量なアルミニウム合金を採用し、浮上航行能力[1][2]とNBC防護力[1]を備えている。浮上航行については、棒と舵を用いて操舵を行う[3]。国内の河川の護岸整備が進み、陸上自衛隊の施設科部隊に81式自走架柱橋などの本格的な架橋装備が行き渡っている現在ではこのような車両独自の浮航装備の必要性は薄いと思われてきた。また、たとえ浮航を行うにしてもこの車体においては、フロートの追加など、煩雑な30分ほどの事前作業が必要であり[1]、各部隊で行われた実験は「沈没」という結果を数多く残しており[1]、スペック上浮上航行能力はあり、訓練は行われる[3]が実用性なしというのが実情のようである。
エンジンは、74式戦車及び75式自走155mmりゅう弾砲のものと主要部位を共通化したファミリーエンジンを採用している[2]。
現在は、96式装輪装甲車が制式採用され、配備が進んでいるが、機甲師団である第7師団では現在でも普通科の主力装備であるほか、災害対策用として第8師団にも少数が引き続き配備されている。
悪路において戦車に追従するのが難しい82式指揮通信車や96式装輪装甲車などの装輪式車両に代わり、通信機材を搭載して移動指揮車等としても使われている[4]。
60式装甲車の後継車として、当時開発中だった新戦車(後の74式戦車)に随伴する新型装甲車の開発が決定する[1]。
1967年から部分試作が開始され、1968年に部分試作車「SU-T」が完成した。1969年からの試験後、三菱重工業と小松製作所に対して試作車4両が発注され、1970年に三菱重工業の試作車「SUB I-1」「SUB I-2」、小松製作所の試作車「SUB II-1」「SUB II-2」がそれぞれ完成し、1970年-71年にかけて技術試験が行われた。1973年に三菱製の車両を「73式装甲車」として制式採用した。
試作時には20mm機関砲を搭載する事も検討され、搭載試験も行われた[注釈 1]が、生産型への搭載は見送られた。
三菱重工業製
小松製作所製
NBC環境下での戦闘を考慮し、車内からの操作が可能なリモコン式の12.7mm重機関銃M2銃塔を車体上面に装備した[1]。
車体前面には前面機銃として7.62mm機関銃を装備しており[1]、試作型及び生産当初の型では7.62mm機関銃M1919を装備しているが、陸上自衛隊の装備体系が西側諸国標準の7.62x51mm NATO弾を使用する64式7.62mm小銃及び62式7.62mm機関銃へと完全に切り替わった事に合わせ、1980年代の中頃より前面機銃は順次74式車載7.62mm機関銃へと更新されている[注釈 2]。
AMPV | M113 | FV432 | Pbv 301 | 60式 | 63式 | 73式 | |
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画像 | |||||||
全長 | 7.2 m | 4.86 m | 5.25 m | 4.66 m | 4.85 m | 5.476 m | 5.80 m |
全幅 | 3.7 m | 2.69 m | 2.80 m | 2.23 m | 2.40 m | 2.978 m | 2.90 m |
全高 | 3.1 m | 2.50 m | 2.28 m | 2.64 m | 1.70 m | 2.58 m | 2.21 m |
重量 | 39 t | 12.3 t | 15.3 t | 11.7 t | 11.8 t | 12.6 t | 13.3 t |
最大出力 | 600 hp | 275 hp | 240 hp | 150 hp | 220 hp | 320 hp | 300 hp |
最高速度 | 61 km/h | 64 km/h | 52 km/h | 45 km/h | 45 km/h | 65 km/h | 60 km/h |
乗員数 | 2名+兵員6名 | 2名+兵員11名 | 2名+兵員10名 | 2名+兵員8名 | 4名+兵員6名 | 2名+兵員13名 | 4名+兵員8名 |
本車両は北海道に配備されていた60式装甲車[注釈 3]と置き換える形で配備が進み[1]、主に普通科部隊(機械化連隊)、戦車部隊、施設部隊や通信部隊(第7師団)などに配備され、北海道への配備が完了後本州の各戦車・施設・通信大隊などへの配備が行われた。師団/旅団の戦車部隊の本部や方面の施設群(施設大隊など)に配備されていたが、ほとんどが96式装輪装甲車へ更新された。現在は、第11普通科連隊の一部中隊(第2中隊、第4中隊、第6中隊)を主に第7師団隷下の部隊に集中して配備されている。
管区内に多くの火山が所在する第8師団では、北海道からの管理換えで第12、第43の各普通科連隊に少数が配備されている[5]。
73式装甲車の派生型として以下の装備が制式化されている[1]。
その他、一部の車両に70式地雷原爆破装置を搭載し施設科部隊で使用したり、第7通信大隊第1中隊ではDICS(改)局地無線搬送装置を搭載している[6]。正式な派生型ではないものの、第7師団で1970年代後半に試験的に改装された車両が存在した。車体後部の後部兵員室上に板金をリベット止めで組み立てた箱型の天蓋を設置し、M557のように兵員室内部の容積を増加させていた。天蓋には左右各3か所と後部にガンポートが、上部には複数のペリスコープが設置されており、兵員室で立ち上がった状態で車内から射撃可能になっていた。天蓋は車体に被せてあるだけで固定されておらず、試験終了後には元に戻されたという[7]。
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