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東京都港区にある私立中高一貫男子校 ウィキペディアから
麻布中学校・高等学校(あざぶちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Azabu Junior and Senior High School)は、東京都港区元麻布二丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校。
東洋英和学校普通科学校長江原素六が、同東洋英和から尋常中学校として分離独立させて創立したのが麻布の始まりで、同校創立以来、江原に形影相伴う存在だった清水由松がこの時に参集した。1900年(明治33年)9月、現在の元麻布の地に移転した[1]。
学校存続のため、当時の明治政府の制度に倣い尋常中学校として分離独立して創られた経緯から、当初から男子に中等普通教育を施し、旧制一高など旧制高等学校への進学に力を入れる中等教育校を標榜していた[2]。
創立者の江原、2代目学校長として麻布の基盤を築いた清水共々キリスト教徒だった。彼らは生徒に対して寛大な姿勢を貫いた人物として語られており、学校運営も当時の国の制度に頼らず、自由な校風を旨とした。
校風は自由闊達。校則はなく(暗黙の禁止事項として、鉄下駄禁止、賭け麻雀禁止、授業中の教室への出前禁止がある。)、自主・自立の校風の下、入学試験を除く学園生活の大部分で生徒が「自分で考えさせる」ことが重視されている[3]。そのため、服装だけでなく頭髪や装飾品に関しても全て生徒自身に裁量が委ねられている。クラブ活動の運営なども生徒の手で自主的に行われている。麻布では、生徒による問題行動が起こった場合は、担任をはじめとする教員間で話し合いをし、家庭にも連絡を取りながら、本人の反省が自他ともに認められれば、通常の授業への参加を認める、という方法をとっている[4]。校則がないこともあり、問題行動だからといって停学・退学処分にすることはない。1960年代までは制服着用や成績による序列化など、管理が厳格だったが[5]、1970年代の学園紛争を通して校則や制服は撤廃された。
かつての制服であった標準服が用意されており、希望する生徒は購入できる。詰め襟・黒ボタンで、現在はほぼ全員が私服である。1990年代初めくらいまでは8割くらいの生徒が標準服を着ていたという[6]。
1学年約300名の7学級で構成されている[7]。学校関係者は、中学1・2・3年生を英語で中学を意味する middle school より M1・2・3、高校1・2・3年生を high school より H1・2・3 と呼ぶこともある。
全て月日が付属しない年表示は年度である。1995年までは『麻布学園の一〇〇年』による。
授業は中高一貫教育の利点を生かして高1修了の段階で高2までの単元をすべて消化し、その後それぞれの志望大学に向けて選択授業制となる。
麻布の教育では、入試から卒業まで一貫して文章などを「書く」ことに力を入れている。定期試験や実力試験では記述問題が目立ち、論文力を要求される教科目も多い。たとえば、現代文の授業では物語文の要約、中学卒業時にはグループでの卒業論文、高校1年次には個人で修了論文の提出が要求される。
中学の社会科教育においては、第1学年に「世界」という系統分野横断科目が設置されている。「世界」の授業内容は「世界地理・世界史および政治・経済」にまたがっている(習うのは「東アジア」「ヨーロッパ」など地域別である)。
高2の段階から理科と社会が選択制になり、理科は化学・物理・生物・地学のうち2科目、地歴・公民科は地理・日本史のうち1教科1科目、世界史・倫理・政経のうちの1科目を選択する。そのため理系文系混合学級では移動が激しくなる。
通常高3では芸術科目は設置されないが、芸術系志望の生徒の希望により7・8時間目に芸術の科目が設置される。
週休2日制は導入されたことがなく、現在も土曜日は午前中のみの高校生は4時間授業、中学生は3時間授業となっている。2004年度からの学習計画改訂を機に、中3から高2までを対象とした「特別授業」が3・4時間目に設置された。様々な授業群の中から、自分が関心を持つ題材の授業を前期・後期1つずつ選択して学習する。2007年度からは対象を高1・2とし「教養総合」とした。講師は学園教員に限らず、最先端の研究者が訪れることもしばしばある。開設される講座は毎年度変わるが、ラテン語入門、量子化学入門、相対性理論入門などといった大学教養レベル以上のものや運動に専念するもの、社会情勢を考えるもの、日本文化を考えるものなど様々である。土曜日の午後は多くがサークルの活動時間となる。
また、中3では小説に対応した「卒業論文」を3人から6人で執筆する。対象作品は森鷗外・ドストエフスキー・太宰治・安部公房・村上春樹・サリンジャーのように様々である。
そして高1で「社会科基礎課程修了論文」と称し、社会科の学習をすべて修了したという意味で社会科に関する事柄を論じる。
論集は生徒が作成した様々な文章や作品を掲載する冊子であり、年に1度発行される。レポートで集めた文章から良質な文を掲載するもの、生徒自身が論集に投稿するものなどがある。別冊が付随することもあるが、おおよそ300頁から500頁ほどの冊子である。表紙には毎回動物の絵が描かれる。
麻布中学校・高等学校には「生徒会」が存在せず、予算委員会、選挙管理委員会、サークル連合、文化祭実行委員会、運動会実行委員会、文化祭執行委員会、運動会執行委員会などが設けられ、独立して存在している。この組織構成は全て、第二次学園紛争ののちに生徒の手によって構築または再編されたものである[14]。
予算委員会は全校の意思の集約と予算の配分を、選挙管理委員会は全校を基盤とする選挙と全校投票を、サークル連合は部活動を、文化祭実行委員会および文化祭執行委員会は文化祭を、運動会実行委員会は運動会を、それぞれ所掌している[15]。
教員側では、各組織全てに対して生徒委員会が設けられており、その主任が最低限の監査と生徒からの相談を受け付けている。生徒側の意思決定過程に教員が直接介入、干渉をすることは基本的にない。
全ての機関に議決機関が設置されており、予算委員会は各クラスから正委員1名と副委員3名以下に加えて各学年から正委員1名、選挙管理委員会は各クラスから委員1名に加えて各学年から委員1名、文化祭執行委員会は各クラスから委員1名に加えて各学年から委員1名、運動会執行委員会は各クラスから委員一名に加え、各学年から委員1名がそれぞれ選出されている。サークル連合の議決機関は、構成する各部活動(45個)の代表者によって構成されている[15]。
毎年5月に生徒主導で行われ、毎年3日間で3万5千人近い入場者数を記録する、学園の一大行事である。多くの生徒が学園生活を通じて関わり、その魂を燃やす行事であるとも言われる。文化祭実行委員会(文実)の主導によって企画・運営される。予算は700万~900万円規模に上り、生徒の手で管理される。
主導する文化祭実行委員会は主に、文化祭執行委員会、実務調整会議、分科局からなる。意思決定は文執の本会議により行われる。また、委員長は文化祭実行委員会の代表者としての役割を有し、文化祭実行委員会内の実務の統括を行う。所属クラスでの信任を受けたのちに立候補し、全校から直接選挙によって選出される。
分科局は、委員長の下で、執行委員会の指示を受けて実務を行う組織である。分科局の局長はその所属クラスにおける信任を受けた上で文化祭執行委員会にて選定され、分科局員は面接によって採用される。実務調整会議は、文化祭執行委員会議長、委員長、その補佐を行う副委員長、分科局長、その補佐を行う分科局副局長、分科局内の班の班長によって構成される。
文化祭での出し物は展示と呼ばれており、主に一般展示と飲食展示とフロンティア展示に分かれる。一般展示は文化部や一部の運動部、有志によるものなどがあり縁日展やカジノ展、お化け屋敷展など特定の学年が展示を開くという慣習も存在する。飲食展示は主に運動部が行うことが多い。フロンティア展示は教室を細かく区切って行う展示で、多くの展示は個人によるものである。全ての展示は厳正な展示審査で選出され展示向上推進会議で質の向上が目指される。学級による展示はない。フロンティア展示は麻布生の個性が出やすいものである。
多くの展示は来校者の投票による「展示大賞」の獲得を目標とする。その他、種類が年によって左右するが、様々な賞が存在する。来校者のうちの多数を占める小学生とその保護者が楽しみやすい展示が展示大賞を取ることが多い。過去には麻布パーソナルコンピュータ研究会・物理部無線班・生物部・化学部などが受賞している。
2005年の文化祭では飲食展示で食中毒事件を起こし、急遽飲食物の販売停止が教員の指示の下なされた。また、この影響でこの年の運動会では、接待部門(その後の部門制廃止前までの飲食部門)はその場で調理をする食事の提供が禁止され、業者の調理パンを事前の学内の購入希望者に対し定数販売するのみで来校者への販売は無しという方式を採った。
2006年の文化祭では飲食部門の調理は復活したものの、展示団体のいわゆる飲食展示はほとんど行われなかった。
2013年度までは、前年度10月の運動会が終わった頃に委員長・会計局長を選出する選挙が行われ、決定するとそのペアが各部門の部門長を面接して文実を結成していた。これは委員長と会計局長の方針に手決まる。立候補者は高校1年生(新高2年生)がほとんどであった。
2014年に、従来の部門制が改革され、各クラスから選出される執行委員によって構成される5つの局および、全校から広く募る、実務のみを行う特定実務団体によって構成されるクラス委員制度に変化したが、2015年、生徒のさらなる改革によって7つの企画局および局に直属の実務団体によって構成される新制度となった。従来の局長および部門長は、企画局の局長および実務団体の団体長に分けられ、局長はクラスから選出される執行委員の中から立候補・投票によって選出され、局長が団体長を全校に公募して面接を行い選出、そして実務団体の構成員は全校から広く募るという方針を採っている。
2019年に規約改正が実施され、主に次のような変更がなされた。
2024年現在の制度による各局は以下の通りである。
文化祭と違って保護者以外の校外からの来場者数は認められていない。運実によって企画、運営される。文化祭が終わってしばらくすると委員長を選出する選挙を行い、文実と同じ手順で運実を結成する。普通高校2年生が立候補する。組織としては文化祭実行委員会とほぼ同じであるが、分科局の数と種類が異なる。
1994年の運動会は校庭改修工事により夢の島競技場を借りて実施した。また、2014年の運動会も学園外で行われた。2007年は運動会を行わなかった。さらに、2013年9月18日には、度重なる不祥事のため運動会を中止することが決定され、同年の運動会は中止となった。2017年の運動会は新小岩で行われ、2018年は教員主導で行われ、2019年の運動会で久しぶりに生徒主導でかつ学校開催の運動会が開かれた。しかし、2020年は開催が中止になった。2021年および2022年は共に6月開催であった。
かつては、周辺の公道の使用許可を取り事前に希望した生徒が数kmを走る、ロードレースという競技があった。2008年は教員主導で運動会を行ったためにロードレースは行わず、2009年は中止になり、教員からの差し止めや生徒自身で行わないことを決めるなどしその後、校内マラソンという形になった。しかし、少なくとも2017年時点で校内マラソンはない。また、徒競走はない。学級対抗の縦割りによる応援団が結成されエール交換を行う。
なお、2013年に発生した、一部の生徒による不祥事による運動会中止を受け、2014年運動会より運実に代わる実行母体として運動会執行委員会(以後執行委員会)が設置された。執行委員会は、各クラスより選出された執行委員によって構成され、運動会に関する会議・実務などを行う。各執行委員は局に属し、各局において実務を行う。
2018年の運動会は、同年に行われた規約改正を巡り運実側と教員側で対立が生じ、全校集会での議論などを経てもなお溝が埋まらなかったため、生徒の手による開催は断念せざるを得ず、教員主導による運動会となった。
2019年に再度規約改正が行われ、上記の対立の原因は解消された。
2020年の運動会は同年の文化祭の影響で中止になる。
2023年現在の各分科局は以下の通り。前述の文実・運実と名称や実務内容が同じものも挙げる。
ここに挙げられるのは、サークル連合加盟サークルのみであり、サークル連合認可団体/旧予算委員会登録サークルは含まれない。
唯一、教員のみによって行われる対外的な行事である。2月1日に入学試験を実施、2月3日に合格発表を行う。入学試験は国語・算数・社会・理科の4教科で算数と社会の間に昼食を挟んで行われる。国語・算数は試験時間60分で60点満点、社会・理科は試験時間50分40点満点である。
かつては、入試前に身体をほぐすため、受験生にラジオ体操をさせていた。今は昼休みの時間にグラウンドを開放しており、校庭で友達と遊び、息抜きをする受験生もいる。また、2月1日に大雪が降り交通機関が麻痺したこともあったが、受験生を可能な限り受け入れるため受験時間を大幅にずらして入試を実施した。また、以前は2月1日と2月2日の2日間で入学試験を行っていた。
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