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二人で遊ぶボードゲーム ウィキペディアから
バックギャモン(Backgammon)は、基本的に2人で遊ぶボードゲームの一種。盤上に配置された双方15個の駒をどちらが先に全てゴールさせることができるかを競う。世界最古のボードゲームとされるテーブルズの一種である。西洋双六(せいようすごろく)ともいう。日本には飛鳥時代に伝来し、雙六・盤双六の名で流行したが、賭博の一種であるとして朝廷に禁止されている。
サイコロを使用するため、運が結果に対する決定因子の一つであるものの、長期的には戦略がより重要な役割を果たす[1]。プレイヤーはサイコロを振るたびに着手可能な選択肢の中から、相手の次の可能性のある手を予測しながら自手を選択し、自分の駒を移動させる。現代のルールは20世紀初頭のニューヨークを起源とするとされ、ゲーム中に勝ち点の点数(後述)をレイズする(上げる)ことができる(ダブリングキューブを参照)。
チェスと同様に、計算機科学者の興味の対象として研究がなされ、それにより作り出されたソフトウェアは、人間の世界チャンピオンを破る程に発展している。
盤は、24箇所の地点(ポイント)と、一時的にゲームから取り除かれた駒を置く場所(バー)、ゴールからなる。各ポイントは、1から24までの番号を付けて呼ばれる。駒の進行においてゴールに最も近いものが第1ポイント、最も遠いものが第24ポイントである。双方のプレイヤーにとって、駒の進む向きは逆であるため、自分と相手ではポイントの番号も異なるものとなり、例えば自分の第1ポイントは相手の第24ポイントである。第5ポイント(相手にとっての第20ポイント)はゴールデンポイントといい、ここのポイントの確保(後述)はゲームの流れを左右することが多い。
各プレイヤーは、第6ポイントに5つ、第8ポイントに3つ、第13ポイントに5つ、第24ポイントに2つの駒を初期配置する。第24ポイント(相手側にとっての第1ポイント)に配置された駒をバックマンという。
日本では、まず、最初に双方が1つずつのサイコロを振り、大きい目が出た方が先手となる。このとき出た目はそのまま先手の最初の出目として使われる。双方が同じ目の場合には再び振りなおす。米国などでは、コイントスで決めるのが習慣になっている州もある。ただし、コイントス法は一部の団体が批判している[要出典]。
ここで言うポイントとは、勝ち点のことである。このゲームのポイントはその勝ち方によって3通りに分かれる。
ダブル(後述)がなされている場合には、ダブリングキューブが表示する倍率をこれに乗じたものとなる。
競技会ルールでは、5以上の奇数ポイントを統一して設定し、そのポイントを先取した者の勝利としてゲームを行うことが普通である。ただし、ダブルがあるために、一度のゲームで勝敗が決まることもある。なお、デュースのルールは一般的でない。
手番プレイヤーは、試合中移動のサイコロを振る前にそのゲームの得点を倍にする「ダブル」を提案できる。相手プレイヤーがダブルを拒否した場合はゲームは終了となり、ダブルの提案をした側が1点勝ちとなる。ダブルの提案を受けることをテイク、断ることをパスという。
ダブルには2つの意義があり、ポイントを2倍にするという意義と、大勢が決しているゲームを終わらせるという意義がある。
特に後者について、ダブルが導入される以前は、勝敗が完全に確定するまで、優勢な側は単なる作業として、劣勢な側はわずかな逆転の望みに懸けて、ただダイスを振り続けるという実質的にほとんど意味のない行動を双方がしなければならなかった。ダブルの導入は、前述の状況を解消し、ゲームのスピーディー化をもたらしたという意味で重要であり、ダブルがこのゲームを絶滅から救ったとまで言われるほどである。
ダブルは通常優勢な側のプレイヤーが提案するため、ダブルが導入されたことで的確な形勢判断を行なうことがプレーヤーに求められるようになり、ある局面においてダブルをかけるか否か、ダブルをかけられた際に受けるか否かの判断をキューブアクションと言い、駒の正しい動かし方(チェッカープレイという)とは異なる能力が求められるようになったことが本ゲームの複雑性を増し、より奥が深くなることとなった。
双方がダブルをかけていない状態においては、どちらのプレイヤーがかけてもよいが、2回目以降のダブル(リダブル)は前回ダブルを受け入れた側のプレイヤーにだけかける権利がある。すなわちダブルを提案して同意された場合、相手にだけリダブルの権利が生じることに注意が必要である。リダブルを拒否した場合、拒否した側の2点差負けとなる。双方がダブルをかけ合った場合、得点率は4倍、8倍、16倍、……と倍々で増加してゆくことになる。
ダブリングキューブと呼ぶ2、4、8、16、32、64の記されたサイコロを使って現在の倍率を表示し、そのキューブの置かれた位置によって次にダブルをかける権利のあるプレイヤーを示す。初期状態ではキューブは中央に置かれ、また通常のダブリングキューブには1の面がないため、64の面を上にしてその代わりとする。
ダブルを交互にかけ合い続けた場合、理論的には倍率は際限なく上がることになるが、実際にはそこまでダブルをかけ合うほどの連続逆転は起こりがたく、また競技会ルールでの必要得点などの面からもそのようなダブルには意味のないことが多い。これ以上ダブルの倍率を上げることが無意味になった状態や、クロフォードルール(後述)が適用されているゲームのことをキューブデッドという。128倍以上の高倍率が記された特殊なダブリングキューブも存在するが一般的ではないため、このような倍率が実際に発生した場合には、少なくとも競技者双方にとって紛らわしくないような表示を適宜決める必要がある。
ダブルに関して、「25%理論」と呼ばれる理論がある。これは、逆転の確率が25%以上ある場合は、ダブルを受け入れた方がよいというものである。
たとえば、逆転確率が25%の全く同じ状況が4回発生したとする。もし、4回ともダブルを受けずに敗北を宣言すると4回とも失点1なので、合計は失点4となる。もし、4回ともダブルを受け入れる場合は4回のうち1回は勝って得点2、残り3回は負けて失点6となり、合計は失点4となる。よって、逆転の確率が25%の場合、失点の合計はダブルを受けても受けなくても変わらない。このため、勝率が50%を超える場合はダブルをかけるほうが有利であり、またダブルをかけられたほうは逆転の可能性が25%を超えるならばダブルを受け入れる方がよいという、興味深い設定となっている。
ただし、これは盤面の特殊な状況(例えば、負ける場合はギャモン負けとなる可能性が高い状態など)を考慮せず、また持ち点が無限にあると仮定した場合の戦略であり、実際にはそのときの盤面や、競技会ルールの場合には現在の持ち点を考慮してダブルの是非を決めることになる。また、ダブルをかけるということは、相手が受け入れた場合、次にダブルを提案する権利が相手にだけある状態になることでもあり、これによって戦略上の不利が生じる場合もあるので注意が必要である。
ダブルに関して、以下のような変則ルールが存在する。
基本的なゲーム戦略としては、
ただし、サイコロの目によって採りうる戦略は左右されるため、状況により随時その戦略を変えなくてはならない。 そのため以下のような戦術がある()内は別名。
形勢判断の材料として一般的に用いられるのがピップカウントである。これは、自身のコマのゴールからの距離の合計値であり、通常は小さい方が有利とされる。また一般にインナーまで多くの駒を進めている側は優勢であるが、上記の通り相手インナーにブロックポイントを作る戦術もあり、またサイコロの目次第での大逆転が有り得るためチェスのような明白な優劣がついている状態は起こりにくい。大逆転につながるようなサイコロの目をジョーカーという。
ルールが比較的シンプルなこともあり、コンピュータの黎明期からさまざまなプログラムが作成され、およそ2000年前後に人間超えを果たした[2]。さらに、解析ソフトウェアの進歩により戦略に革命を起こした。
有名なのはSnowie[3]、GNU Backgammon[4](略称gnubg)、eXtreme Gammon[5](略称XG)である。eXtreme Gammonは日本では日本バックギャモン協会から有償で販売されている。GNU Backgammonは自由ソフトウェアであり無償である。ネット上での対戦も容易であり、PlayOKやBackgammon GalaxyやBackgammon Studio Heroesなどが活発にプレイされている。
サイコロを使う偶然性があり、ある局面の有利不利、あるいはある局面での動かし方についてその局面から何度もプレイしてみても正確な評価が非常に難しいことがあるが、Variance Reduction[6](分散低減)という手法を用いられるようになり、解析ソフトウェアは非常に精度の高い局面評価、最善手の検索が可能となった。
解析ソフトウェアを使用すると、ある局面の有利不利の評価、最善手が分かるようになる。しかし何故その局面がそう評価されるのか、何故それが最善手なのかは教えてくれない。教えてくれるのは「この局面の勝率は63%だ」とか、「最善手はこの動かし方で、勝率が3%下がる次善手はこれ」といった情報である。そのため、人間がその情報を元に上達するためには局面の解析結果から人間的思考手順を導き出さなければならない。
原型は紀元前3,500年頃の古代エジプトでプレイされたセネトと呼ばれる10枡3列の遊戯盤ではないかという説があるが、現代のものとは見た目もルールも大きく異なる[7]。ツタンカーメン王の墓からもセネトの道具が発掘されている[8]。元々は古代エジプト人にとって最大の関心事であった「死と再生」の過程が盤上に描かれるなど、セネトはエジプト神話及び宗教と結びついたものであった。だが、エジプト文明の衰退とともに宗教色が薄れ、エジプト末期王朝には宗教的な絵やヒエログリフが外されていった。これがかえってギリシアやローマに受け入れられていく素地となっていった[9]。
ローマ帝国では12枡3列のドゥオデキム・スクリプタ(「12本の線」という意味)[10] というゲームが盛んに行われていた[11]。
ドゥオデキム・スクリプタは遅くとも5世紀頃までに現在のものと同じ様に12枡2列となり、タブラと呼ばれ中世ヨーロッパで広く遊ばれるようになった[13]。13世紀頃からはタブラの他に各地域独特の呼称が生まれ、ドイツではプッフ、フランスではトリックトラックなどと呼ばれるようになった[14]。だが、賭博のための遊戯としての色彩が強まるとともにキリスト教的な観点から批判する声も高まり、15世紀にはタブラの廃絶運動が起こった[15]。だが、聖俗問わずタブラを好む人が多かったために完全な廃絶には至らなかった。
中近東方面でもギリシア・ローマの影響を受けて、このゲームはナルド(Nard)の名前で広がった。ナルドは12枡2列であるため、ローマなどの西方から伝えられたと考えられているが、一方でナルドが西方ヨーロッパに伝えられ、トリックトラックとして遊ばれるようになったとの説も存在している[16]。ナルドは賭博と深い関係があったためにイスラム法学者からはたびたび強い非難を浴びたものの、それにもかかわらずイスラム化した中近東全域で盛んに遊ばれていた[17]。ナルドはさらに東に伝播したものの、インドでは他のゲームに押されてほとんど広がらなかった[18]。
ナルドは北にも伝播し、中央アジアで普及したあと、シルクロードを伝って中国でも6世紀には雙陸(シュアンルー)の名前で広がった[19]。雙陸は伝来以降賭博や遊技として親しまれてきたが、清の時代になると豪華な雙陸盤が作られる一方で、他のゲームに押されてゲームとしては衰退していった[20]。
日本への伝来は7世紀で、持統天皇の治世に早くも雙六(盤双六)賭博禁止令が出されている[21]。盤双六は古代・中世を通じ賭博として非常に人気があり、広く遊ばれたものの、賭博の一つとしてしばしば禁令が出されている。西洋型は戦国時代に初めて伝来したが、盤双六に馴染んだ日本人には受け入れられなかった[22]。
一方戦国期には碁や将棋の隆盛が目立つようになり、賭博性を強めた盤双六の地位と人気は緩やかに低下し始めた[23]。それでも18世紀末までは盤双六のプレイヤーは多かったものの、この時期に盤双六の賭博としての人気は弱まり、各地の賭博禁令から盤双六の指定が外されるようになっていく[24]。双六盤そのものは江戸期を通じ嫁入り道具の一つとして婚姻の際に持参されることが多かったものの[25]、19世紀に入ると盤双六はかなり衰退し、実際の遊技方法を知らないものが大半となっていた[26]。明治維新を迎えると衰退はさらに顕著になり、明治末年から大正期頃にはプレイヤーの不在によりほぼ消滅した[27]。
イギリスでは、16世紀にタブラが禁止されたが、密かにプレイされていた。1650年にイギリス版のタブラはbackとgamen(中英語でgameの意味)の2つの単語を組み合わせてバックギャモン (Backgammon) と命名された[28]。18世紀に入るとバックギャモンはほぼ現代のものと同一のものとなっており、1753年にはエドモンド・ホイルによってルールが整理・確立された[29]。
賭博としてのバックギャモンは18世紀末には衰退の傾向が見られ、19世紀に入ると、カードなどに取って代わられる形で賭博場では徐々に遊ばれなくなっていき、家庭などで遊ばれる純粋なテーブルゲームとなっていった[30]。その後、ヨーロッパでは20世紀に入ると、停滞の様相を呈していたが、1920年代にアメリカで発明された「ダブリングキューブ」が導入されてゲーム性が高められると、再び盛んになり始めた[31]。今日においてもインド以西のユーラシア大陸全域とアメリカにおいては代表的なボードゲームの一つである。
盤双六の衰退後、日本ではバックギャモンは西洋の珍しいゲームとして知識のみが伝わっている状態が続いていたが、戦後に入ると徐々に競技者が増えはじめ、1974年には日本バックギャモン協会が設立され[32]、同年からは日本選手権が毎年開催されるようになった[33]。日本バックギャモン協会によれば、現在、競技人口は欧米を中心に3億人ほどが存在するという。日本の競技者は、推定20万人ほどであるが、世界ランキングの上位者を何人も輩出しており、レッスンや試合の報酬などで生計を立てるプロも存在する[34]。
バックギャモンの大会も各地で開催されており、モナコのモンテカルロでは個人戦の世界バックギャモン選手権が毎年開かれている[35]。2021年までに望月正行、矢澤亜希子、鈴木琢光が優勝している。個人戦のほか、ネット上での国別対抗戦も存在しており、2020年大会では日本が優勝した[36]。
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