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神奈川県藤沢市の地名 ウィキペディアから
藤沢(ふじさわ)は、神奈川県藤沢市の中央部の南部を指す地名である。江戸時代には、藤沢宿、1908年(明治41年)以前に藤沢大坂町と呼ばれた地域で、現在は藤沢市の13ある行政地区のひとつとして藤沢公民館が行政を分担している藤沢地区、あるいは住居表示上の呼称としての藤沢等の範囲の異なる概念が並行して用いられている。
この項目では、藤沢市の13ある行政地区のひとつとしての「藤沢地区」について述べる。
現行行政町名では、稲荷の一部、稲荷一丁目の一部、朝日町、白旗一丁目の一部、白旗二丁目、大鋸、大鋸一丁目から三丁目、西富、西富一丁目、西富二丁目、花の木、藤が岡一丁目から二丁目、藤沢、藤沢一丁目から藤沢五丁目、 本町一丁目から四丁目、本藤沢一丁目、みその台、がある。(統計上用いられる13地区の藤沢地区には稲荷の一部、稲荷一丁目の一部、白旗一丁目の一部、白旗二丁目、花の木、本藤沢一丁目、みその台が除外され、鵠沼の一部、鵠沼神明一丁目から五丁目、藤が岡三丁目が加わる。)
本町通り(旧・東海道)は元々は藤沢宿の系譜をひき清浄光寺の門前であり、土蔵が並び、商圏が平塚、秦野、鎌倉、三浦あたりまで広がり、大部分の店が問屋と小売を兼業する問屋街であった。各町内ごとに商店会があったのが、藤沢橋から白旗交差点までを範囲とする商店会に統一されたこともあった。が、距離が長すぎるので1953年(昭和28年)に、隆盛会とのれん会に分離。この頃から本町通りから藤沢駅前に支店を出したり移転する小売業が現れた[3]。
『日本紳士録 第41版』によると、商人は山一、米穀練炭商の榎本市右衛門、牛豚商の尾島隆利、紀伊国屋酒商の鈴木彌市、牧野屋支店酒醤油商の角田吉五郎、中島屋酒類商の角田甚三郎、呉服商の安藤金三郎、呉服商の石井正作、稲元屋呉服商の寺田三郎兵衛、材木商の寺田忠義などがいた[4]。
本町白旗商店街振興組合、本町隆盛会。
サンパール藤沢商店会、柄沢橋商店会の一部、協同組合藤沢銀座土曜会、協同組合柳通り睦会、南仲通り商店会、遊行通り2丁目商店会、遊行通り4丁目商店街振興組合、遊行通5丁目商店街振興組合。
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