藤沢大坂町(ふじさわおおさかまち)は、神奈川県の中央南部、高座郡に属していた町。
概要 ふじさわおおさかまち 藤沢大坂町, 廃止日 ...
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町名は、藤沢駅大久保町と藤沢駅坂戸町の合成地名である。なお、地名としての「藤沢駅」は鉄道駅でなく藤沢宿の名残りで、後の「町」に相当する意味合いである。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 藤沢大坂町、鵠沼村および明治村を廃止し、その区域をもって高座郡藤沢町(現在の藤沢市)とする[3]。藤沢町役場は、藤沢大坂町役場(元藤沢大坂町2020番地[4])がそのまま使われた(後に移転)。
- 1908年(明治41年)10月1日 - 元藤沢大坂町の区域に大字名を藤澤と付して施行する[5]。
- 現在は、藤沢市の藤沢および善行地区が該当する。
産業
- 商工業
- 今井治兵衛(米穀、肥料商)[6]
- 豊元屋・新出喜八(米穀、肥料、西洋小間物商、精米製粉業)[6]
- 三河屋・竹下福太郎(米穀、肥料商)[6]
- 小林和吉(米穀、肥料商)[6]
- 駿河屋・外岡豊蔵(米穀、肥料商)[6]
- 高梨・高梨吉治郎(米穀、肥料商)[6]
- 高田屋・山本松五郎(米穀、肥料商)[6]
- ふくしま・福島市蔵(煙草、米穀、肥料商)[6]
- 大野屋・小島萬蔵(米穀、荒物、質屋業)[6]
- 中徳・中村徳治郎(貸座敷業)[6]
- 大磯屋・猪飼勝治郎(貸座敷業)[6]
- 大磯屋・猪飼勝治郎(酒類、売薬商)[6]
- 鎌倉屋・平野松兵衛(和漢洋薬品販売)[6]
- 綿屋・岩橋善兵衛(古着、質商)[6]
- 片濱屋・片濱屋龜五郎(旅館)[6]
- 龜屋・橋本四平(貸座敷業)[6]
- 土屋・林元治郎(材木、太鼓商)[6]
- 稲元屋・堀内忠道(呉服、太物、下駄商)[6]
- 大澤・大澤利七(材木商)[6]
- 紀伊國屋・和田文七(陶器、漆器、荒物傘、蝋燭商)[6]
- 豊元屋・川上九兵衛(紙、畳表、荒物、砂糖、書籍商)[6]
- 煙草屋・梶荘右衛門(網、麻、油商、麻糸製造業)[6]
- 駿河屋・酒井嘉七(綿類、糸類、畳表販売)[6]
- 米山工場・米山留吉(諸機械、汽缶製造)[6]
- 稲元屋・寺田三郎兵衛(呉服、太物商)[6]
- 田村・田村安兵衛(呉服、太物商)[6]
- 田村・田村次衛(呉服、太物商)[6]
- 日野屋・櫻本喜兵衛(清酒醸造業)[6]
- 牧野屋・平野藤右衛門(清酒醸造業)[6]
- 北泉・北畠忠兵衛(銅鉄鋳物製造業)[6]
- 萬屋・宮崎兼次郎(乾物鰹節商)[6]
- 小林房次郎(荒物商)[6]
- 企業
- 相模共栄銀行[7]
- 藤沢大丸商会 - 営業の目的は繭糸及び米穀肥料委託売買、貸金共同荷造、繭乾燥業である[7]。
- 農業
1989年(明治22年)3月31日神奈川県令第9号「町村分合改稱」別冊
1908年(明治41年)3月31日神奈川県告示第84号「藤澤町役場位置」
『神奈川県公報』第1337号57ページ「大字名附設」、1908年(明治41年)9月22日
- 小幡宗海編『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』神奈川文庫事務所、1900年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治35年』商業興信所、1893 - 1911年。