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日本の女性実業家、芸能プロモーター、元女優 (1966-) ウィキペディアから
藤島 ジュリー景子(ふじしま ジュリーけいこ、1966年〈昭和41年〉7月20日 - )は、日本の実業家、芸能プロモーター、元女優。芸能事務所・ジャニーズ事務所(2023年10月17日以降はSMILE-UP.)元社長(2代目)であり現在は代表取締役[3]。関連会社「ジェイ・ストーム(現・ストームレーベルズ)」、「エム・シィオー」、「ユニゾン」、「東京・新・グローブ座」の元代表取締役会長[4]。
東京都出身。東京新聞社記者の藤島泰輔と内縁関係にあり、バーを経営していたメリー喜多川の長女として生まれる。当時父の泰輔には俳人・高浜虚子の孫娘で、俳人・高浜年尾の三女の朋子という妻がいた。
1973年、6歳でフジシマ ジュリーの名でフォーリーブス主演のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』にて、芸能界デビュー。ジャニーズ事務所に所属し、『おはよう!こどもショー』、『小さなスーパーマン ガンバロン』、『HOT-TV』などに出演した。1979年には『3年B組金八先生』第1シリーズに出演し、越智はるみ役を務め、同じジャニーズ事務所の田原俊彦や近藤真彦らと共演した。数年は女優業を続けていたが、だんだんと表舞台からは姿を消していった。
上智大学外国語学部比較文化学科(現・国際教養学部)在学中にスイスに留学した。同大学後、フジテレビに入社し、秘書室勤務を経る。
1993年にジャニーズ事務所に社員として転職し、「藤島ジュリー」や「ジュリー・ケイ」の名でスタイリストになる。マネージャーや通訳等の業務を担当した後、1998年3月に取締役に就任した。
それと前後して、1997年に初の自社レコードレーベル「ジャニーズ・エンタテイメント」の初代社長を経て、2001年に新レコードレーベル「ジェイ・ストーム(現・ストームレーベルズ)」の代表取締役社長へと就任する。
その後、ジュリーは2003年5月に代表取締役に就任するが、母メリーとの関係が悪化し、2008年12月に代表取締役を辞任した(取締役の役職は継続)。これ以降、ジェイ・ストームの事務所で自分の管轄していたタレントの仕事をするようになる。一時期、ジャニーやメリーと疎遠になった。
2014年3月に代表取締役に再度就任したが、メリーらとの関係は好転することなく、ジャニーズ事務所本社には出勤せず、ジェイ・ストームの事務所に出勤し勤務していた。
2019年7月9日にジャニーが死去したため、ジュリーは、同年9月27日付で第2代ジャニーズ事務所代表取締役社長に就任した[5]。ジャニーの死後、代表取締役会長兼名誉会長のメリーが急激に衰え、入院するなど引退状態になったことから、ジュリーがジャニーズ事務所の経営を実質的に担当した。
2021年のメリーの死去後、ジュリーがジャニーズ事務所の100%株主となった。
2023年1月1日付けでグループ企業4社(「ジャニーズ出版」「ヤング・コミュニケーション」「ジェイ・ストーム」「エム・シィオー」)の代表取締役社長から代表取締役会長に昇任[6]。
2023年5月14日、ジャニーズ事務所社長として、ジャニー喜多川性加害問題について謝罪する動画を公開した。ジュリーが自ら正式に表舞台に出るのは、女優業から引退後では初めてのことである[7]。ジャニーの性加害については「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした」と謝罪動画で説明している。
同年8月29日、自ら設置した「再発防止特別チーム」よりジャニーズ事務所における同族経営の弊害が指摘され、ジャニーズ事務所代表取締役からの辞任を求められた[8]。その際の報告書にて、ジャニーズ事務所の株式の全てを保有していると記載された[8]。
同年9月7日、9月5日付でジャニーズ事務所社長を引責辞任したことを記者会見で発表した[9]。後任は東山紀之が務めている[9]。ジュリーは当面の間、代表取締役には留まり、当面100%株主でもあり続けるが、被害者補償以外の業務には関わらないとした[9]。
2024年9月9日、会長として留まっていたグループ4社すべての代表取締役を前月までに辞任し、会長職から退いていたことが報じられた[4]。
同い年で10代から藤島を知る元ジュニアの平本淳也は「ジュリーさんは昨今はプロデュースもしているが、もともとは制作畑でスタイリストとして少年隊や光GENJIの衣装を手掛けたりしていた。ジュニアの育成に携わることもなければ、現場に行って所属タレントと顔を合わせることもない。タレントが求めても会う時間をとらないようなタイプ」と述べている[10]。
藤島ジュリーがジャニー喜多川の性加害について、謝罪動画などで性加害については「知らなかった」と説明したことを受けて、近藤真彦は「知ってた、知らないかではなく、知っているでしょ」と発言している[10]。
父・泰輔と同じく日本中央競馬会(JRA)の馬主資格を取得し、競走馬の「エドノタイクーン」、「ベストオブジュリー」、「ジュリースター」、「ビーマイロミオ」(2,800万円で購入)、「ゴートゥザトップ」、「マイハピネス」などを所有した。一部の馬は父親の死後に所有権を引き継いだものである。
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